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テラーノベルの小説コンテスト 第3回テノコン 2024年7月1日〜9月30日まで
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翌日、大智は髪を後ろに撫で付け背広を羽織ると弁護士バッジを光らせながら革靴を履いて出掛けた。その背中は逞しく5年前の大智とは違うのだと明穂は再確認した。


「行ってらっしゃい」

「おう、行ってくるわ!」


「なによ」

「良いな、これ」

「なにが」


「新婚夫婦みたいじゃん」

「しーーーーっ!お母さんたちに聞かれたら如何するの!」

「如何もしねぇよ」

「もうっ!」



微笑ましいひととき。



大智を笑顔で見送った明穂はデジタルカメラを首から下げると|白杖《はくじょう》を手に玄関の扉を閉めた。白杖で足元の点字ブロックを辿り横断歩道を渡っていつもの散歩道を歩いた。自宅から程近い児童公園には子どもの笑い声が響いていた。


(あ、ウグイス)


明穂は鳥の|囀《さえず》りや公園のブランコの揺れる音に向けてシャッターを切った。


(今日は鳩が居ないのね)


いつもは樹の下の木製ベンチの周りには何羽かの鳩が喉を鳴らしているが今朝はその気配が無い。不思議に思いシャッターを切っていると砂利を踏む音が近付き明穂は背後を振り返った。


カシャ


その瞬間、明穂の視界が宙を見上げ青い空が広がった。天と地が真っ逆さまになり後頭部が地響きを感じ鼻腔に振動が届いた。何故こうなってしまったのか理解出来ないで居ると周囲が騒がしくなった。「大丈夫ですか!」「捕まえて!」「大丈夫ですか!」起きあがろうとするとそれは制止されやがて救急車のサイレンが近付いて来た。


(私)


明穂はようやく自分が転んだのだと理解した。遠のく意識の中、救急隊員の聞き取りで通り掛かりの女性に《《押されて倒れた》》のだと知った。


明穂は暗い世界に居た。ひとりきりで明かりが灯る方へと幾度となく手を伸ばしたが板に貼り付いた身体は前に進む事は無かった。身動きが出来ず|藻搔《もが》いていると深い滝壺が現れ身を乗り出したが飛び込む事も叶わなかった。


大丈夫


誰かが耳元で|囁《ささや》いた。


大丈夫


暗がりにぽっと明かりが点き顔を上げると何処かで見た様な若い男性が明穂を見下ろしていた。「あぁ、こんな顔をしていたのね」そんな自分の声が頭の中で響いた時、暗い世界がめりめりと音を立てて明るくなった。涙が溢れた。


「大智」

「明穂、明穂!起きたぞ、看護婦!医者を呼べ!医者!」


らしく無く慌てふためいた様子の大智が廊下に走り出ると大声で叫んだ。その声に弾かれた様に目を真っ赤に腫らした母親と不安げな父親が明穂を見下ろした。


「あぁ、明穂、良かった!良かった!」

「私、如何したの」

「公園で転んでずっと起きなくて、もう駄目かと、良かった」

「転んだの」

「そうよ、転んだの」

「誰かに押されたんじゃなくて?」


両親は黙り込んだ。公園で遊んでいた子ども連れの母親たちは皆、長い髪の女が明穂にぶつかったと口を揃えた。ただそれが意図的なものか偶発的なものかは定かでは無いらしい。


「明穂、これが紗央里、佐藤紗央里だ」


大智は明穂の目の前にデジタルカメラを差し出し液晶モニターを見せた。そこには木製ベンチに長い黒髪の女性が座り画面をコマ送りする度にその面差しは明穂へと近付いて来た。それは無表情で宅配便業者を装った女性に酷似していた。


「佐藤さんというの」


最後の画面には青い空と明穂を見下ろす紗央里が写っていた。


「これは明穂に対する傷害罪の証拠になるかもしれない」

「傷害罪」

「そうだ」


明穂が倒れ込んだ場所は芝生が敷き詰められていた。あと10cmでコンクリートの遊歩道だったと言う。その頃大智は金沢市内24箇所のレンタカー店舗を回っていた。ただ、軽自動車を扱う店舗は少なく数店舗目で佐藤紗央里に辿り着いた。


「佐藤紗央里の住所も分かったぞ、|材木町《ざいもくちょう》だ」

「病院から近いのね」

「それに面白い事も分かった」

「面白い事」

「まぁそれは後のお楽しみ」


明穂は白い天井を見て周囲を見渡した。


「此処は何処?」

「大学病院」

「吉高さんの病院に運ばれたのね」


そこで母親が明穂の手を握った。


明穂の手を取った母親は涙を流した。


「お母さん、泣いてるの?」

「ごめんね」

「なにが?」


母親が父親に向き直ると軽く頷きその肩に手を置いた。


「吉高さん、一度も此処に顔を出してくれなかったのよ」

「そうなの」

「それで大智くんに尋ねたら教えてくれたの」

「なにを?」

(ーーーーまさか)


母親の背後に大智が立ち眉間に皺を寄せた。


「ーーー大智!」

「もう隠しておけないだろ」

「言ったの!?」

「吉高が来ねぇ方がおかしいだろ」


大智は吉高の不倫行為と明穂が離婚を望んでいる事を|詳《つまび》らかにした。そして現在、吉高と愛人への慰謝料請求に必要な証拠を集めている事も正直に打ち明けた。


「明穂の怪我、その人が原因なのね」

「そうかもしれない」

「大丈夫なの」

「大智が居るから大丈夫」

「ーーーーそう」


父親は大智に深々と頭を下げ「明穂をよろしく頼む」と懇願した。


「おじさん、うちの両親にこの事は黙っていてくれませんか」

「大智くん」

「吉高にけじめを付けさせます」

「分かった、約束しよう」


そこで担当医師と看護師が病室に駆け付け問診や脈拍を計測し始めた。


「明日、もう一度MRI検査とCTスキャン検査を行います」

「宜しくお願い致します」


そこで大智が右手を差し出した。


「明穂、家の鍵貸してくれ」

「良いけど、鞄のポケットに入ってる」

「さんきゅ」

「如何するの」

「取りに行かなきゃならねぇんだ」


大智は明穂の手を握ると「任せておけ」と笑顔で頷いた。


ーーーーー


その頃、吉高と紗央里は情事に耽っていた。明穂が病院のベッドで目を覚ました頃、吉高は紗央里の両膝裏を抱え上げ、自身を膣に挿入し腰を激しく前後させていた。


「うっ、うっ」


吉高は自宅の寝室で愛人を抱く高揚感に酔いしれ、紗央里は妻が寝ていたベッドで|貪《むさぼ》られる情事にこれまでにない快感を得ていた。


「ああ、あ!せんせ!先生!」

「紗央里!」

「もっと、もっと!」


当初は隣近所の手前声を控えめにしていたがそれも慣れて来るとタガが外れ際限なく喘いだ。


「ああ!すごい!」

「うっ、紗央里、うっ!」

「ああっ」


近隣住民は度々若い女性が家に出入りしている所を目撃し、隣家ではその淫靡な騒音に悩まされた。愛人との愛欲に溺れた吉高はそんな噂話にも気付かず平然とした顔で回覧板を隣の家人に手渡していた。


「ねぇ、せんせ」


紗央里の背中に飛び散った性液をティッシュで拭き取っていた吉高はその言葉に凍り付いた。


「嘘だろ」

「出来ちゃった、赤ちゃん」

「なんで!」

「こんな《《生でしていたら》》出来るに決まってるじゃない」

「そんな」

「結婚してくれるわよね」


吉高の膝は震え顔面は色褪せた。


「そ、それは」

「だって私の事、愛してるんだもんね」

「あ、赤ん坊」

「喜んでよ」


若くして助教授候補と言われていた吉高の人生の歯車は軋み始めた。

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