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#異世界
金山ジョージ
13,120
もな
71
羽海汐遠
13,760
倉庫の中は、外よりはましとはいえ、隙間風が容赦なく吹き込んでくる。
雨音が屋根を叩く音だけが、やけに大きく響いていた。
「さ、寒すぎアル……。」
鈴凛が自分の腕をさすりながら、恨めしそうに天井を見上げる。
「は、はっくしゅんっ!」
ニアが小さくくしゃみをした。濡れた髪の先から、ぽたりと雫が落ちる。
「うぅ……と、とりあえず猫ちゃんの怪我治すね……!」
寒さを振り払うように、ニアは救急箱を開いて手を動かし始めた。
「ニアちゃんお願いにゃ……。」
ラテは猫をそっと膝の上に乗せ、暴れないよう両手で優しく押さえている。
「……ここ、埃っぽい。」
ルカが倉庫の中を見渡しながら呟いた。
普段使われていない倉庫の中は、木箱や古い道具にうっすらと埃が積もっている。
「うん……雨が早く止むといいけどね。」
フローが窓の隙間から外を覗き、小さく息をついた。
雨脚はまだ弱まる気配がない。
「よし……これで大丈夫なはず……!」
ニアが最後の包帯を結び終え、満足げに手を止めた。
傷口はきちんと塞がれ、猫はもう痛がる素振りを見せていない。
「……にゃーん……。」
猫は小さく鳴くと、安心したようにラテの膝の上で丸くなった。その仕草に、ラテの表情がふっと緩む。
「……とりあえず、応急処置はこれでいいだろう。」
「ありがとう、ニアくん。」
フローが猫の様子を確かめながら、皆をぐるりと見渡した。
「うん、どういたしまして!」
「………あとは…この子、どうする…?」
ニアが救急箱を片付けながら、恐る恐る切り出す。
誰もが薄々気づいていながら、あえて避けていた話題だった。
「……。」
倉庫の中に、しばしの沈黙が落ちた。屋根を叩く雨音だけが、やけに大きく響く。
「あたし、この子……このまま外に返すの、やだにゃ……。」
ラテが猫を抱きしめる腕に、わずかに力を込めた。
「……猫又を屋敷に置くこと自体、我は反対アル。」
鈴凛が真っ先に口を開いた。
その声には、先ほど引っ掻かれかけたことへの警戒だけでなく、もっと根本的な懸念が滲んでいる。
「そもそも、屋敷にはただでさえ規則があるアル。」
「得体の知れないものを勝手に住まわせるわけにはいかないアル。」
「で、でも……。」
ラテが反論しかけたところで、ニアがおずおずと口を挟んだ。
「わたしは…このままこの子を見捨てるのは、嫌かな……。」
「……ボクは、この猫には厳しいかもしれないけど…このまま自然に帰ってもらう方がいいと思う。」
フローが穏やかに、しかしはっきりと言葉を継いだ。
「……。」
ルカは何も言わず、ただ猫の方をじっと見つめていた。
その視線には、賛成とも反対ともつかない、静かな迷いが浮かんでいる。
「…もう被害が出てるアル。」
鈴凛が腕を組んだまま、鋭くラテを見据えた。
「あのソフィアの怪我を見ても、まだそんなことが言えるアルか?」
「…私は大丈夫だよ。」
ソフィアが自分の腕をひらひらと振ってみせる。
「血は出たけど、痛みは感じないし……。」
「大丈夫だったのはソフィアが半神だからアル。」
鈴凛の声が、わずかに硬さを増した。
「…もしもテルやリーナに矛先が向いたら、無事ではすまないアル。」
その名前が出た瞬間、倉庫の空気が一段と重くなった。
半神と違い、人である彼らが同じように引っ掻かれたら――誰もがその先を、口には出さずに想像してしまう。
「……わかってるにゃ。」
ラテは膝の上の猫をぎゅっと抱きしめ、俯いた。
「あたしだって、みんなが傷つくのは嫌にゃ。」
その声は震えていたが、そこには確かな覚悟も滲んでいた。
「でも……この子だって傷ついてるにゃよ……。」
猫の背をそっと撫でながら、ラテは絞り出すように続けた。
「ずっとひとりぼっちで…痛みに耐えて…そんなの、あたしだったら耐えられないにゃ。」
その言葉には、目の前の猫だけでなく、どこか別の記憶が重なっているようにも聞こえた。
誰も、その先を深くは尋ねなかった。
「……ラテくん、気持ちはすごくわかるよ。」
フローが静かに、しかし揺るぎのない声で言った。
「だけど……ここは心を鬼にするしかないんだ。」
普段は誰よりも優しいフローの、その言葉だからこそ、重みが違った。
「フローさん……。」
ニアが驚いたように目を見開く。
「…ボクだって、この子を放り出したいわけじゃないよ。」
フローは膝をつき、猫の顔を覗き込むように目線を合わせた。
「……。」
ラテは何も言い返せず、ただ唇を噛んだ。
誰も間違ったことを言っていない。
それが、なおさら苦しかった。
「……。」
ルカはしばらく猫を見つめたあと、小さく口を開いた。
「……ラテの気持ちも、鈴凛の言うことも…どっちも、わかる。」
それ以上は何も言わなかった。
彼なりの、精一杯の答えだったのかもしれない。
「……。」
重い沈黙が倉庫を満たす。
雨音だけが、絶え間なく屋根を叩き続けていた。
「……わかったにゃ。」
やがて、ラテがぽつりと呟いた。
声には、諦めにも似た響きがあった。
「今夜だけ……ここに置かせてほしいにゃ。」
その提案に、鈴凛はわずかに目を伏せた。
完全な譲歩ではないが、これ以上は誰も強くは言えなかった。
「……うん、そうしようか。」
フローが静かに頷く。
「毛布と、水と……あと少し食べ物も置いていけば大丈夫アル。」
「…うん……。」
ニアも小さく頷き、救急箱の中から予備の布を取り出した。
こうして、猫のために古い毛布が敷かれ、水の入った器が置かれた。
狭い倉庫の隅に、小さな寝床が作られていく。
誰も口にはしなかったが、その手つきの丁寧さには、精一杯の罪滅ぼしのような気持ちが滲んでいた。
「……ごめんにゃ。今日はここでゆっくり過ごしてにゃ。」
ラテは最後にもう一度、猫の頭を撫でた。
猫は小さく鳴くと、まるで全てを察したかのように、大人しく毛布の上に体を丸めた。
倉庫の戸を閉める音が、やけに重く響いた。
振り返ったラテの顔は、雨のせいなのか、それとも別の理由でか、わずかに濡れていた。
コメント
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作者コメント┊︎ 東棟のみんなは優しいので
うわあ、このエピソード、すごく胸に来ました……。みんなそれぞれ正しい意見を持ってて、誰も悪くないのに、擦れ違ってしまう空気感がリアルで苦しかったです。ラテの「あたしだったら耐えられないにゃ」の言葉、彼女の過去がちらっと見えた気がして、じんときました。フローが珍しく厳しい判断を下すのも、優しい人だからこそ重みが違う……。雨音だけが響くラストの余韻が、すごく沁みました。続きが気になります!