テラーノベル
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「……。」
倉庫を出た後も、ラテは自室に戻る足取りがどこか重かった。
窓の外では、雨がまだしとしとと降り続けている。
「……やっぱり、可哀想にゃ。」
ベッドの端に腰掛け、膝を抱えるようにして呟く。
頭の中では、毛布にくるまって丸くなっていた猫の姿が、何度も繰り返し浮かんでは消えた。
(でも、みんなにただでさえ迷惑かけてるのに……わがまま言えないにゃ……。)
自分の意見を通せば、また誰かを困らせてしまう。
そう思うと、それ以上は何も言えなかった。
「……。」
ラテは深いため息をつき、そっと立ち上がった。
じっとしていられず、気づけば足は再び倉庫の方へと向かっていた。
◇
物音を立てないよう、そっと戸を押し開ける。
中は真っ暗で、雨音だけが響いていた。
目が慣れるまでの一瞬、ラテは息を潜める。
「……。」
薄暗い倉庫の中、すでに先客がいた。
「…にゃっ!?」
思わず声を上げそうになり、ラテは慌てて口を押さえた。
「り、リンちゃん!?」
しゃがみ込んでいたのは、鈴凛だった。
手には小さな包みを持っている。
「……最悪アル。」
鈴凛は気まずそうに目を逸らした。
「な、なんでリンちゃんがここにいるにゃ……?」
「……。」
鈴凛はしばらく黙り込んだあと、諦めたように口を開いた。
「見てわからないアルか?」
「わかんないにゃ……。」
ラテが首を傾げると、鈴凛は小さくため息をつき、手にした包みを開いてみせた。
中には、綺麗に捌かれた魚が入っている。
「……餌……これだけじゃ足りないに決まってるアル。」
「だから、フローに用意してもらった魚をあげようと……。」
その言葉に、ラテは目を丸くした。
「リンちゃん……この子が嫌いじゃなかったのにゃ?」
「…本当に頭が悪いアルな。」
鈴凛が呆れたように額を押さえる。
「ひどいにゃ!?」
「…別に、嫌いじゃないアル。」
鈴凛は猫の方へちらりと視線をやり、ぼそりと続けた。
「むしろ猫は好きアル。」
「そ、そうだったのにゃ……。」
意外な一面に、ラテは目を瞬かせる。
「それに、可哀想アル。」
その一言には、先ほど倉庫で見せた頑なさとは違う、素直な感情が滲んでいた。
「やっぱり……リンちゃんもそう思うにゃ?」
「もちろんアル。」
鈴凛は迷いなく頷いた。
「これで可哀想だと思わないやつはいないアル。」
そう言って、鈴凛はしゃがみ込んだまま、そっと魚を毛布の傍に置いた。
猫は薄目を開け、匂いを嗅ぐようにゆっくりと鼻を近づける。
「……でも、飼うのとこれとは話が別アル。」
「情に流されるのが一番危険アルからな。」
釘を刺すようにそう付け加えると、鈴凛は立ち上がり、埃を払った。
「……。」
ラテはその背中を、しばらく黙って見つめていた。
優しさと厳しさが、鈴凛の中では矛盾なく同居している。
それがどうしてなのか、ラテにはまだよくわからなかった。
「……リンちゃんは、迷わないにゃね。」
ぽつりと呟いた言葉に、鈴凛が振り返る。
「……何の話アル。」
「…なんでもないにゃ。」
ラテは力なく笑って首を振った。
一人分の足音が去った後、倉庫にはまた静けさが戻る。
ラテだけがその場に残り、丸くなって眠る猫を、じっと見つめ続けていた。
雨に打たれ、傷つき、それでも小さな寝床の中で安心しきったように眠るその姿は、ふと――遠い昔の自分自身の姿と、重なって見えた。
脳裏に、ずっと蓋をしていた記憶の断片が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
――雨の降る、あの夜のことだった。
◆
冷たい雨が、まだ小さな体を容赦なく打ち続けていた。
「……にゃーん……。」
「にゃー……。」
声を上げても、返ってくるのは雨音だけだった。
(さむい……おなかすいた……。)
木の下の隅で丸くなりながら、幼い猫はただ体を震わせていた。
何度目かもわからない、独りきりの雨の夜だった。
「……。」
(……死にたくないにゃ……。)
薄れかけた意識の中で、それだけは、はっきりとした願いだった。
(……だれか……あたしを助けてくれる優しい人……。)
誰かに、と願うことすら、もう贅沢なのかもしれない。
それでも、消えかけた小さな灯火のように、その願いだけは胸の奥で瞬いていた。
「……にゃ……。」
朦朧とする視界の隅、遠くに大きな明かりが揺れているのが見えた。
(おおきな家……。)
最後の力を振り絞るように、猫はそちらへ向かって、よろよろと足を踏み出した。
「……?」
その気配に気づいたのは、通りかかったテルだった。
「なにボサっとしてんのよ。」
リーナが、怪訝そうに立ち止まる。
「早く屋敷に……。」
「猫……。」
テルが、雨の中にうずくまる小さな影を指差した。
「……猫?」
リーナも足を止め、目を凝らす。
「………本当ね……。」
(家主さん……?やさしそうな人……。)
猫は霞む視界の中で、二人の姿をじっと見上げていた。
縋るような、それでいてどこか諦めたような瞳だった。
「…前足、怪我してますね。」
テルがしゃがみ込み、そっと顔を覗き込む。
「野良猫でしょうね。」
「こんなところに来ちゃ危ないですよ。」
その声には、突き放すような響きはなく、むしろ心配そうな柔らかさがあった。
「にゃー。」
猫は震える体を引きずるようにして、テルの手のそばへとにじり寄った。
「随分と人懐っこい子ね……。」
リーナが少し驚いたように呟く。
(…あたたかい……!)
差し伸べられた手のひらから伝わる体温に、猫は思わず身を寄せた。
長い間忘れていた感覚だった。
「にゃーん……!」
「……でも、うちでは飼えないんですよね……。」
テルが困ったように眉を下げる。
その声には、はっきりとした未練が滲んでいた。
「仕方ないわ。」
リーナも視線を逸らしながら、努めて淡々と言う。
「この子には厳しいけれど、屋敷のルールだもの……。」
(え……?お、おいていかないで……!)
二人が立ち去ろうとする気配を察し、猫の中で小さな恐怖が膨らんだ。
(せっかくあたたかい場所……見つけたのに……。)
このまま離れてしまえば、また独りぼっちのあの雨の中に逆戻りだ。
そう思うと、体はもう考えるより先に動いていた。
「にゃー…!」
猫はふらつく足で、二人の後を懸命に追いかけ始めた。
「……つ、着いてくる……。」
振り返ったテルが、困惑気味に足を止める。
「あぁもう……早く自然に帰りなさいってば……!」
リーナが振り返り、猫を追い払うように手を振った。
だが、その声はどこか弱々しく、本気で拒む響きではなかった。
「……にゃーん……。」
猫はその場に座り込んだまま、じっと二人を見上げ続けた。
「そ、そんな寂しげな目で見つけてこないでちょうだい!」
リーナが思わず声を上ずらせる。
「…やっぱり……可哀想ですよね……。」
テルも既に、突き放す気持ちはとうに崩れかけているようだった。
「…でも、許可を取らずに入れていいのかしら。」
リーナはなおも渋る素振りを見せつつ、視線だけは何度も猫の方へ戻っていた。
「ただでさえルールが厳しいのに……。」
「…ま…まぁ、ティモシーさんなら許してくれると信じて……。」
テルが苦し紛れに、それでいてどこか確信めいた声で言う。
「……はぁ、そうね。分かったわ。」
リーナは根負けしたように小さく息を吐き、諦めの笑みを浮かべた。
「ほら、こっちに来なさい。」
差し出された手に、猫は迷いなく身を寄せた。
「…にゃー!」
雨に打たれ続けた小さな体は、ようやく本当の意味で、屋根の下へと迎え入れられた。
冷え切った毛並みに、初めて誰かの温もりが染み込んでいく。
それが、ラテにとって、初めて「帰る場所」ができた夜だった。
#異世界
金山ジョージ
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羽海汐遠
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コメント
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作者コメント┊︎ ラテちゃんにとって世話係は命の恩人です。
ラテが鈴凛と倉庫で鉢合わせするシーン、すごく良かったです。「嫌いじゃないアル」って言いながら魚を置く鈴凛のツンデレ具合と、ラテが「迷わないにゃね」と呟く切なさが対照的で。そして最後の回想――あの夜のリーナとテルの優しさが、今のラテを形作ったんだなと沁みました。「帰る場所」というタイトルが、ラテの過去と現在に二重に響いて、じんわり来ました。