背後では先程まで私が縛り付けられていた場所から激しい炎が燃え盛っていた。
ルークは私を抱きかかえたまま処刑場に振り返ると、小さくチッと舌打ちする。
「目障りだな。消えろ!」
ルークの真紅の瞳から炎のような魔素が迸ると、目の前にあった処刑場が爆炎に包まれる。
爆炎は轟音と共に弾けると、大爆発を起こし周囲の建物ごと処刑場を跡形もなく消し飛ばした。
ルークの圧倒的な力を前に、私は言葉を失ってしまった。城にも高位魔法使いは大勢いたけれども、誰もルークには敵わないだろう。詠唱も必要せず、ただ睨んだだけで爆炎魔法を発動出来るなんて聞いたこともなかった。
もしあの爆発に巻き込まれた人がいたならば、間違いなく骨も残さず消滅しているに違いない。
犠牲者が出ていなければいいのだけれども。こんな状況でもやっぱり私は誰にも傷ついて欲しいとは思えなかった。
「大丈夫。オレは誰も傷つけるつもりはないから安心してくれ、ミア」
私の心を見通したかのようにルークはそう優しく語りかけてくる。
胸の鼓動がトクン! と強く高鳴るのが分かった。
彼は先程、自分のことを夜の国の魔王と名乗った。
魔王とは恐怖の象徴。殺戮と狂気に包まれ人間を生きながらに食らい、弄ぶ存在。後は絶望と恐怖の象徴だっけ? 伝説ではそう語られていたはずなのだけれども、ルークを見る限りその影は微塵も見えなかった。むしろその逆。彼を覆い包んでいるものは慈愛だけだった。
「何をしているの⁉ 早く魔女を取り戻しなさい!」
ニーノの怒声が響き渡る。
衛兵達が槍先を向けながら私達に向かって来るのが見えた。でも、彼等の表情は恐怖に引きつっていた。足が小刻みに震え、顔は蒼白している。ルークを前に完全に怯えているようだった。
まあ、さっきの爆炎魔法を見れば誰だってそうなるでしょう。文字通り、ルークに睨みつけられただけで消滅してしまうのだから。
「ミア、状況は大体理解しているつもりだ。でも、あえて君に訊ねたい。オレと一緒に来るか?」
潤いを帯びたルークの双眸が私を凝視する。真紅の瞳に見つめられただけで私は頬に熱を帯びるのを感じた。
もうここに私の居場所はない。魔女の烙印を押された以上、ここに留まっても待つのは惨たらしい死のみ。それにニーノを救う為にも私はここにいてはいけないのだ。
私はニーノに視線を向ける。苛立ちを露わに親指の爪をかじりながら、鋭い眼光を私に放っているのが見えた。
「逃げられるくらいなら殺せ、殺してしまいなさい! 誰か早くあの魔女を殺しなさい!」
ニーノは聖女の仮面を自ら剥がし、取り繕う様子も見せずそうまくし立てた。相当焦っているみたいだ。もしここで私を逃がせば二度とあの娘に安らいだ時間は訪れることはない。常に真実の暴露の恐怖に怯えながら過ごすことになるだろう。
「さようなら、ニーノ」
私は自分に言い聞かせるように静かにそう呟いた。
「ルーク、お願い。私をここから連れ出して!」
眦に生きる気力を滾らせながら、私はルークに答えた。
「その言葉を待っていた……!」
ルークは私を地面に降ろすと、右手を掲げパチン! と指を鳴らした。
次の瞬間、ルークの背後の空間が歪み、そこから巨大な建造物が現れた。
そこに現れたのは闇を纏った絢爛豪華な門だった。お城の城門よりも遥かに大きく禍々しいオーラを放っていた。
突如出現した門を前にその場は騒然となる。ニーノを始め、その場に居合わせた者達は絶句しただ固まっていた。
かくいう私も驚きのあまり言葉を失っていた。
「おいで」
ルークは薄く微笑しながら私に手を差し伸べてきた。
私は素直に彼の手を取ると頷いた。
「いい娘だ」
ルークは目を細めるとそのまま私の手を引き自分の胸に私を抱き寄せた。とても暖かくがっしりとした胸板の感触を味わいながら私は彼に身を委ねた。
鼻腔を甘い香りがくすぐる。とても懐かしい匂いがする。これは黒百合の匂いだ。たちまち私の胸は安らぎに満ち溢れた。
「待ちなさい!」
背後からニーノの怒声が聞こえたが、私は振り返らなかった。
「行くぞ、ミア」
ルークは右手を前に出すと、パチン! と指を鳴らした。
すると、背後の門が開かれ、私達を吸い込んだ。
もうニーノの声は届かなかった。あるのは静寂と深い闇だけ。でも、ルークの温もりが私から不安を消し去った。
これから私は何処に連れていかれるのだろうか?
そんなことを考えているとまた黒百合の香りが私の鼻腔をくすぐる。
今は先のことなんか考えず、ただルークを感じていたい。私は自分からルークの背中に手を回しギュッと抱き締める。
ルークはフッと笑うと、優しく抱きしめ返してくれた。たちまち気分が安らいだ。
その時、フッと視界が開けたような気がした。目を開けると、そこは闇夜に包まれた世界。
目の前には闇に包まれた城が佇んでいた。見たこともない城だ。空は深い雲に覆われ一筋の光も見えない。
「ここは……?」
「ここは夜の国にある我が城だ」
ここが夜の国。目の前に佇んでいるのが魔王城。
〈伝説の夜の国は実在していたんだ!〉
私は昔、お城の書庫で読んだ文献を思い出す。
〈夜の国は呪われた獣が支配するこの世の闇。闇の根源たる夜の魔王は死をばら撒き人を喰らう、と文献には書かれていたっけ〉
その時、私はルークが魔獣に豹変し、私を頭から食らい尽くす光景を思い浮かべてしまった。
私ったらまた馬鹿なことを考えて! 自分を救ってくれた恩人に対して何て酷い妄想を思い浮かべてしまっのと慌てて幻を打ち払う。
そう言えば、どうしてルークは私を助けてくれたんだろうか?
今になって基本的な疑問に気付いた。
私は思い切ってルークに訊ねることにした。
「ルーク、お礼がまだだったわね。助けてくれてありがとう。でも、どうして私を助けてくれたの?」
私の問いかけを前に、ルークの真紅の瞳がキョトンと丸くなる。
あれ? 私、変なことを言ったかしら?
「前に命を助けてもらった礼に、いつでもお前の元に駆け付けると契約を交わしたのを忘れたのか?」
ルークにそう言われて、私は夢で見た出来事を思い出す。
〈でもあれって夢じゃ……? もしかして夢じゃなく現実だったの?〉
「本当にそれだけが理由……? 私を食べて聖女の力を我が物にしようとか、ではなく?」
私は動揺のあまり訳の分からないことを口にしてしまった。
パニクった私を見て、ルークは頬を緩ませ、クックックと笑いを洩らした。
「残念ながら夜の国には人間を喰らう風習はないよ。まあ、ミアがそれを望むなら話は別だが」
ルークは私の顎に手を当てながら「本当に食べてしまうか?」と囁いて来る。
冗談めかしにそう言いながらもルークは真剣な眼差しで私を見つめて来た。
今、彼が本当に私を食べようとしても、それを拒絶出来るとは思えなかった。彼の真紅の瞳に抗う術は無いと心の底から思った。求められれば私は喜んでこの身を捧げるだろう。
「冗談だ」
ルークにそう言われて、私はちょっぴりガッカリしてしまった。
すると、ルークは突然、目の前で片膝をつくと、私の左手を取った。
「ミア、どうか俺の尻尾と獣耳を貰ってくれないか?」
「それはどういう意味?」
「俺たち獣人にとってこの二つを捧げるということは特別な意味を持つ」
真剣な眼差しでルークは私を見つめて来る。
「汝に我が尾と獣耳を捧げる。ミア、オレと結婚してくれ」
ルークのとてつもなく情熱的な言葉を前に、私はまるで氷像になったかのように固まるより術はなかった。
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