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どこかで読んだか忘れたけど、なんか良かった小説のオマージュ。
ヨコハマの港を臨む、場違いに静かな公園。 任務の合間、自販機のコーヒーで一息ついていた太宰治は、隣で煙草を吹かす中原中也の横顔を眺めながら、ふと思いついたように口を開いた。
「ねぇ、中也。君ってどんなのがタイプなの?」
それは、なんてことのない暇つぶしの問いのはずだった。 けれど、太宰の心臓は、自分でも呆れるほど惨めな期待と不安で小さく跳ねる。
中也は煙を吐き出し、面倒そうに眉を寄せた。
「あァ? いきなり何だ。……そうだな、まぁ、『しっかりしてて、家庭的で、気品がある女性』とかじゃねぇの。俺みたいな仕事してっと、そういう落ち着いた奴に惹かれるんだろ」
ごく普通の、ありふれた、真っ当な答え。 だが、その言葉は太宰の胸に鋭い氷の棘となって突き刺さった。
「……へぇ。意外だね。中也のことだから、もっとこう、酒に強くて暴力的な女戦士みたいなのが好みだと思ってたよ」
おどけて見せた声が、微かに震える。 太宰が今、必死に隠している「中也への恋心」は、そのタイプとは正反対の場所にいた。
しっかりもしていない、家庭的でもない。穏やかさなんて欠片もなく、何より――自分は女性ですらない。
「バカ言え。仕事場にいるような過激な奴はもうお腹いっぱいなんだよ。……お前こそ、どうせ美女なら誰でもいいとか抜かすんだろ」
「……そうだね。その通りだよ」
太宰は空っぽの笑顔を張り付けた。 胸の奥が、冷たい泥を飲み込んだように重い。
中也が求めているのは、自分という「歪な男」が一生かかっても手に入れられない、日向のような温もりなのだ。
「……あ、今の嘘。私はやっぱり、死を共にしてくれる美しい女性がいいな。……中也みたいな野蛮な男と話してたら、なんだか死にたくなってきちゃった。先に行くよ」
「おい、待てッ! まだ話が終わってねぇだろ!」
背後からかかる中也の声を無視して、太宰は早足で歩き出す。 視界が、冬の潮風のせいか少しだけ滲んでいた。
(知ってたよ、そんなこと。……でも、少しだけ自惚れてたのかな。私みたいな最悪な人間でも、君の隣にいてもいいって)
太宰は自分の首筋、かつて中也に「相棒」として預けた場所を、自嘲気味に指でなぞった。 届かないと分かっているのに、それでも捨てられないこの想いが、今の太宰にはどんな猛毒よりも苦しかった。
あの日、自販機の横で聞いた言葉が、太宰治の脳内で反響を続けていた。
「しっかりしてて、家庭的で、穏やかな女性――」
その言葉は、太宰という歪な存在を全否定するには十分すぎるほどの劇薬だった。男であり、破滅的で、どこまでも不穏。中也の「理想」から最も遠い場所にいる自覚が、太宰の心に黒い澱を沈殿させる。
――なら、いっそ。 ポートマフィア時代、密かに押収していた「試作段階の異能薬」の小瓶。それを掌に乗せ、太宰は冷笑した。細胞の構成を一時的に書き換え、異能の干渉すら受け付けぬまま肉体を「女」へと変貌させる禁忌の薬。
「……阿呆らしい。本当に、私はどうかしているよ」
そう呟きながらも、太宰は薬を喉の奥へ流し込んだ。 数秒後、内臓を素手で掻き回されるような激痛が走り、太宰の視界が歪む。骨が軋み、筋肉が縮み、重心が変わる。長い包帯の隙間から溢れ出たのは、中也がかつて「美しい」と言ったであろう女性の、滑らかな曲線だった。
一週間後。ヨコハマの海が見えるお洒落なカフェに、一人の女性がいた。 艶やかな黒髪をハーフアップにし、控えめなベージュのワンピースを纏った彼女は、まさに「大和撫子」を体現したような佇まいだった。名前を、「なお」という。
太宰は、自分の演技力と変装、そしてこの完璧な女性の肉体を駆使し、中原中也という男の「理想」をトレースすることに決めたのだ。 ターゲットが店に現れたのは、午後三時。任務の合間、部下への差し入れを買いに立ち寄ったのであろう中也が、カウンターに並ぶ。
「あ、すみません――」
「なお」こと太宰は、計算し尽くされたタイミングで、中也の足元にハンカチを落とした。
「……おい、あんた。落としたぞ」
中也がハンカチを拾い上げ、声をかける。太宰は、心臓が爆ぜそうなほどの緊張を、淑やかな微笑みの下に隠して振り返った。
「まぁ、ありがとうございます。……お恥ずかしい、うっかりしておりました」
「なお」の声は、太宰本来の低さを残しながらも、鈴を転がすような柔らかいソプラノに調律されていた。中也の瞳が、一瞬だけ見開かれる。暴力の気配が一切ない、日向のような温もりを纏った女性。まさに彼が「タイプだ」と言った、その理想像が目の前にいたからだ。
「……いや、いい。気にすんな」
「お礼に、と言ってはなんですが。そちらのケーキ、とても美味しいんですよ。もしよろしければ、お一ついかがですか?」
控えめで、それでいて押し付けがましくない誘い。中也は毒気を抜かれたように、柄にもなく「なお」とテーブルを囲むことになった。
それからというもの、太宰は「なお」として、幾度となく中也と接触を重ねた。 時には手作りのお弁当を差し入れし(中身は中也の好きな激辛料理を「隠し味」程度に留めた、絶妙な家庭料理だ)、時には中也の愚痴を「穏やかに」聞き役に徹した。
中也は驚くほど早く、彼女に心を開いていった。
「……なおさんは、なんていうか。……落ち着くな。俺の周りには、お前みたいな真っ当な人間はいねぇから」
夕暮れの公園。中也は照れ臭そうに、けれど心底安らいだ表情で隣の「なお」を見つめた。 太宰はその瞳に映る自分が、自分の知る「太宰治」ではないことに、激しい愉悦と、それ以上の絶望を感じていた。
(ほら、中也。君の隣にいるのは、君が望んだ『完璧な彼女』だよ。……でも、中也。この女の中身は、君が大嫌いなクソ鯖なんだよ)
「なお」は優しく微笑み、中也の逞しい手にそっと自分の手を重ねた。
「中原さんは、とてもお優しい方ですね。私、あなたと一緒にいると、自分が守られているような気がして……とても幸せなんです」
嘘だ。こんな言葉、太宰治の辞書には存在しない。 だが、中也はその言葉を聞いた瞬間、耳まで赤くして視線を泳がせた。
「……守るなんて、大袈裟だ。……だが、まぁ。あんたがそう思うなら、俺は……」
中也の手が、太宰の細い指を握り返す。 温かかった。太宰という冷え切った人間が、これまで一度も得られなかった種類の、混じりけのない情愛。 太宰は胸の奥が張り裂けるような錯覚に陥った。中也が好きだと言ってくれているのは、この「なお」という偽りの偶像だ。太宰治という存在を完全に消去し、中也の理想を貼り付けただけの、空っぽの器だ。
「中原さん」
太宰は、震える声で呼びかけた。中也は、愛おしげな瞳で「なお」を見つめている。
「……もし。もし私に、あなたには決して許せないような、醜い嘘があったら。……それでも、愛してくれますか?」
中也は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに鼻を鳴らして笑った。
「嘘の一つや二つ、誰だってあんだろ。……俺だって、あんたにゃ言えねぇ血生臭い世界に生きてる。だが、あんたのその穏やかな気性に救われてるのは事実だ。……あんたがどんな過去を持ってようが、今、俺の前にいるあんたが全てだよ」
「今、俺の前にいるあんたが全て」
その言葉が、太宰に引導を渡した。 中也は「なお」を愛している。中也は、太宰治を殺した後の残骸を、愛している。
太宰は「なお」の顔で、ボロボロと涙を溢した。
「……なおさん? おい、どうした! 俺、何か悪いこと言ったか!?」
慌てて肩を抱き寄せる中也。その腕の力強さも、体温も、すべてが太宰のものだったはずなのに、今は誰よりも遠い。 太宰は泣きながら、狂おしいほどに願っていた。 このまま一生、薬の効き目が切れないでほしい。この偽りの肌の中で、この「なお」という女として、中也に愛されたまま、中也の腕の中で朽ち果てたい。
「……幸せすぎて。……私、どうにかなっちゃいそうなんです」
太宰は中也の胸に顔を埋め、声を殺して泣き続けた。 自分を殺して手に入れた、束の間の「理想の恋」。 それは、どんな自殺よりも苦しく、どんな地獄よりも甘美な、太宰治の人生で最大の、そして最後かもしれない「嫌がらせ」のような恋だった。
「なお」として過ごす日々に終わりが訪れるのは、皮肉にも中也が本気で彼女との未来を考え始めた時だった。
薬の効果が切れるまでのタイムリミットは、あと数時間。 太宰は、これが最後のデートになると分かっていながら、中也の誘いに乗って夜の波止場へと足を運んだ。
「なおさん」
中也の声は、今まで聞いたことがないほど緊張に震えていた。 彼は海を見つめたまま、ポケットの中で何かを握りしめている。その武骨な横顔には、裏社会の殺戮者としての影はなく、ただ一人の女性を慈しむ男の顔があった。
「俺は、あんたに相応しい人間じゃねぇ。汚ぇ仕事もしてきたし、これからもきっとそうだ。……でも、あんたのその穏やかな笑いを見るたびに、俺は初めて、生きてるのが悪くねぇって思えたんだ」
中也がゆっくりと振り返る。その青い瞳には、真っ直ぐな、混じりけのない情愛が宿っていた。
「なおさん。俺と、ずっと一緒にいてくれ。あんたを、俺の人生の全部を使って守り抜くと誓う。……好きだ。俺と結婚してくれ」
差し出されたのは、小ぶりだが気品のある指輪。 太宰――「なお」は、それを見た瞬間、視界が歪むほどの嗚咽を飲み込んだ。
中也が求婚しているのは、太宰治ではない。 中也が愛を誓っているのは、太宰が演じた「中也の理想を繋ぎ合わせただけの幻」だ。 太宰治という存在を抹消し、否定し、殺した先にしか存在し得ない「なお」という抜け殻に、中也は魂を差し出している。
「……ごめんなさい。中原さん」
太宰は、なおの穏やかな微笑みを最後に一度だけ浮かべ、指輪を受け取ることなく首を振った。
「私には、あなたを愛する資格なんてないんです。……私は、あなたの知っているような人間じゃない。あなたの人生を滅茶苦茶にして、あなたを嘲笑って、あなたの隣でずっと汚い泥を啜ってきた……そんな、醜い化け物なんです」
「なおさん……? 何を言って――」
「さようなら、中原さん。あなたの理想の女性は、最初からこの世界にはいなかったんです」
太宰は翻り、駆け出した。 背後で中也が自分の名を呼ぶ声を、重力で追いかけてくる気配を、太宰は必死に振り切る。 路地裏へ飛び込み、激痛と共に肉体が元の「太宰治」へと戻っていく。縮んでいた背が伸び、肩幅が広がり、滑らかな肌が包帯に覆われた醜い記憶へと書き換えられていく。
数分後、そこにはボロボロのコートを纏い、男に戻った太宰治が独り、壁に寄りかかって呼吸を乱していた。
「……はは、……あはははは!」
太宰は暗闇の中で狂ったように笑った。 中也はあの日、なおを愛した。そして、なおが消えたことで、中也の心には一生癒えない傷が刻まれただろう。 太宰治として愛されることを諦め、なおとして愛されることを選び、そして最後にはそのどちらも自分から壊した。
これが、自分にできる唯一の「愛」の形だ。
翌日、ポートマフィアからも、ヨコハマの街からも、太宰治の姿は消えた。
中也はその後、狂ったようになおを探し回ったが、彼女に関する公的な記録は一切見つからなかった。彼女が住んでいたと言ったアパートも、通っていたと言った職場も、すべてが虚構。
中也のデスクには、あの夜受け取ってもらえなかった指輪と、一通の無記名の封筒が残されていた。
中には、短い手紙が一通だけ。
『中原さんへ。 あなたの好きな女性は、星になって消えてしまいました。 どうか、彼女のことを忘れないでください。 そして、彼女を殺した私のことも、一生憎み続けてください。 それが、私にできる唯一の、永遠の約束です。』
中也はその手紙を握りしめ、二度と戻らない「穏やかで家庭的な彼女」を想って、声もなく号泣した。
太宰治は失踪した。 中也の中に、一生消えることのない「なお」という名の最愛の幻と、「太宰」という名の最悪の憎しみを刻みつけたまま。
これが、二度と交わることのない、地獄よりも深い告白の結末だった。
終わりです。なんか後あじ悪くなっちゃったね。
こういう歪な中太が大好きなんです・・・・・。
リクエストお待ちしています。なんかキーワード一個、コメントしてくれれば書くので。書き直し可。
それじゃ、またね。