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「好きだった」、って、なんかジメジメしてていい言葉ですよね(同志はいると信じてる)
ヨコハマの港を臨む廃ビルの屋上、赤く焼けた夕刻がすべてを飲み込もうとしていた。 中原中也は、コンクリートの縁に座り込み、今にも夜の海へ溶けてしまいそうなほど透き通った背中を眺めていた。
太宰治は、かつての相棒は、もう二度と自分を罵ることも、厭味な笑みを浮かべることもない。 彼の異能力を暴走させ、精神を内側から焼き切る特殊な異能兵器――それを太宰が自ら作動させたとき、二人の「双黒」という物語は終わりを迎えた。
「……なぁ、太宰。聞こえてんのか」
中也が声をかけるが、太宰は反応しない。その瞳には何も映っておらず、ただ風に揺れる包帯だけが、彼がまだこの世に留まっていることを示していた。 依存でも、執着でもない。ただ、お互いを「世界で一番嫌いな、唯一無二の理解者」として定義してきた日々の成れの果てが、この沈黙だった。
「お前は、俺を置いていくのが本当に上手いな。十六の時も、十八の時も……そして、今度もか」
中也は自嘲気味に笑い、太宰の隣に腰を下ろした。 太宰の細い指を、中也が力強く、それでいて壊れ物を扱うように握りしめる。冷え切った肌の感触が、もう彼の中に「生」への執着が残っていないことを伝えてきた。
太宰はゆっくりと、機械仕掛けの人形のように顔を中也に向けた。 焦点の合わない瞳が、中也の青い瞳を捉える。その瞬間、太宰の唇が微かに震えた。
「……ちゅう、や」
「あぁ。俺だ。……クソ鯖、全部忘れて楽になるつもりかよ。俺だけがお前との最悪な思い出を背負って生きるなんて、不公平じゃねぇか」
中也の声が、堪えきれずに震える。 太宰は、最後に一度だけ、かつての彼が決して見せることのなかった、穏やかで、透明な微笑みを浮かべた。
「……ごめんね、中也。……最後に、一つだけ……本当のことを、言ってもいいかな」
太宰の手が、弱々しく中也の手を握り返す。 それは、彼が一生をかけて隠し通し、墓場まで持っていくはずだった、彼にとって最も「不向き」な言葉。
「君の重力が、……私の、暗い底なしの孤独を、……いつも繋ぎ止めてくれていた」
太宰の呼吸が、雪のように静かに、白く、消え入りそうになる。 彼は中也の耳元で、風の囁きのような細い声で、その一言を落とした。
「愛してた。……誰よりも、君を、殺したいほどに」
それは、過去形。 そして、彼が自分を殺す前に、唯一自分に許した「告白」だった。
「……ッ、太宰! 待て、ふざけんな! 今更そんな言葉、誰が信じると思ってんだよ!!」
中也が叫び、太宰の肩を揺さぶる。 だが、太宰治の瞳から光が消えるのは一瞬だった。 握り返していた指の力が抜け、中也の掌には、重力から解き放たれた男の、あまりにも軽い温もりだけが残された。
「……あぁ、……クソ。……クソったれが……!!」
中也は太宰の骸を抱き寄せ、夕闇の中で絶叫した。 「愛していた」 その言葉は、救いなどではない。 中也の中に一生消えることのない穴を穿ち、彼をこの世界に縛り付けるための、太宰治が放った最後で最大の「呪い」だった。
海鳥の鳴き声が、沈みゆく太陽の残滓を掻き消していく。 ヨコハマの風だけが、もう届くことのない、中也の嗚咽を運び去っていった。