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深冬芽以
激しい揺れと共に、脱出ポッドは暗い深海から光の届く領域へと突き進んだ。
気圧の変化で耳の奥が鳴り、激しい動悸が全身を支配する。
やがて、ポッドは海面に激突するように浮上し、波間に激しく揉まれた。
「……はぁ、…はぁ……」
静寂が訪れる。ポッドの強化ガラスの外には、夜明け前の紫色の空と、穏やかな海が広がっていた。
あの地獄のような地下ドームが嘘のように静かな世界。
「……栞さん」
横たわっていた九条さんが、ゆっくりと上体を起こした。
その瞳からパンドラの青い発光は消え、ただの、疲れ果てた男の瞳に戻っている。
だが、その表情には、私が今まで見たことのないような深い「虚無」が広がっていた。
九条さんは、自分の震える手を見つめ、それから私をじっと見た。
「……栞さん。僕は、君を……愛していたのかな」
その言葉には熱がなく、まるで他人の記録を読み上げているような、乾いた響きがあった。
記憶が戻ったのではない。
パンドラのシステムと脳が強制的に切り離された副作用で
彼は「感情」という概念を一時的に認識できなくなっていた。
私は、声の出ない喉で何かを伝えようとしたが、口から漏れるのは虚しい吐息だけだった。
代わりに私は、彼の冷たくなった手を両手で包み込んだ。
「…お姉ちゃん、あれ……」
蓮が窓の外を指差した。
岸辺には、私たちが脱出するのを待っていたかのように
数台の黒いワゴン車と、灰色の制服を着た男たちが整列していた。結衣や美波ではない。
彼らの胸元に刻まれていたのは、パンドラのロゴではなく
日本政府の紋章だった。
ポッドのハッチが外部から無理やりこじ開けられる。
入ってきたのは、冷たい潮風と、銃口を向けてくる男たちの威圧感だった。
「渡邉栞さん、九条 蓮さん。並びに九条巡査長」
先頭に立つ初老の男が、感情の排された声で告げる。
「国家安全保障上の理由により、これより皆様を『保護』します。今回の地下施設での出来事、及び『パンドラ』に関するすべての情報は、国家機密として処理されました」
「保護…っ?冗談じゃないわ! 私たちは……!」
蓮が叫ぼうとしたが、男たちは無造作に蓮をポッドから引きずり出した。
九条さんは抵抗せず、ただ促されるままに立ち上がる。
彼の視線は、もはや私の方を見てはいなかった。
私は男に腕を掴まれ、砂浜へと連行された。
足元には、10年前に焼かれたあの廃校と同じ、冷たい砂の感触。
政府の男が、私の耳元で囁いた。
「栞さん。お父上は死んだ。システムも消えた。ならば、これからは国があなたの『声』を管理します。……パンドラの代わりは、いくらでも作れるのですよ」
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