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ねこむすび
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GRヤリスの一文字のブレーキランプが点いた。
プレシャスメタルの車体が減速で沈み、右ヘアピンの奥へ入っていく。テールが内側へ動いた時にはランプが消え、出口へ向けて車体が起き始めていた。
庄司大輝《しょうじ・だいき》はアクセルを戻し、左足でブレーキを踏んだ。
速度計の針が70の手前を指したところから、6点式ハーネスが肩と腰を締め上げる。左手でパドルを引くと、TC-SSTが3速から2速へ落ち、エンジン回転が跳ね上がった。針は60の目盛りを割っている。
ステアリングを右へ入れると、荷重を受けた前輪が路面を捉え、エボXのノーズが内側へ入っていく。先行車のリアバンパーがガードレールの陰へ消えた。
まだ曲がりきっていない。大輝は手を動かさずに内側へ入り切るのを待ち、前輪が出口を向いたところでアクセルを踏んだ。助手席側のブースト計が正圧へ入り、4輪へ駆動が掛かる。
視界の先へGRヤリスが戻ってきた。距離は2台分。
2つ目の左ヘアピンへ向かう短い登りで、針は120を少し越えるところまで伸びた。GRヤリスが右端へ寄り、ブレーキランプを点ける。
大輝は同じ幅を使わず、少し手前で60まで落として短く左へ向きを変えた。出口の外側まで膨らむと、次の右がきつくなる。道幅を残したまま、2速のまま立ち上がった。
GRヤリスとの間隔が詰まった。リアガラスが大きくなり、中央に映った白いヘルメットがわずかに動く。ルーフの後端では、プレシャスメタルとの境に細くカーボンの地が覗き、マーブルの流れがうっすら見えた。
3つ目の右では、先行車のブレーキランプが点く位置が遅くなった。
進入は80の手前。GRヤリスは奥まで速度を残し、ブレーキを抜きながら旋回へ入る。車体の向きが変わるまで、前後へ余計な揺れが出ない。
エボXで同じことをやる理由はない。車重のある鼻先で減速と旋回を一度に前輪へ背負わせれば、タイヤの余裕が先に尽きて外へ逃げる。大輝は直線で50のあたりまで落とし切ってからステアリングを右へ入れ、前輪が応えるのを待った。
その間にGRヤリスが半台分離れる。出口が開き、大輝はステアリングを戻しながらアクセルを踏み込んだ。ブースト計が1.6バールへ跳ね、すぐ1.5バールで落ち着く。エボXが坂を蹴り、回転が上がるにつれて針が1.2バールまで下がった。回転計の針が7000回転手前を指したところで、右手のパドルを引いて3速へつなぐ。開いた距離は直線の後半で戻った。
4つ目の左は、四段の中で一番きつい。奥へ行くほど締まり、出口の登りも一番強い。
針が120の目盛りへ届いたところで、GRヤリスのブレーキランプが点いた。大輝も左足でブレーキを踏み込む。ハーネスの肩ベルトが張り、右側のガードレールが急速に近づいてくる。左手のパドルを引いて2速へ落とし、針を50の手前まで一息で削った。
GRヤリスが奥へエイペックスを置く。大輝はわずかに遅れて内側を通った。前輪から細かな振動が伝わってくる。ここで踏み足すと膨らむので、タイヤが進行方向へ戻ったところから駆動を掛けた。
四段つづら折りを抜けた。出口の伸びで回転計の針が7000回転手前へ近づき、大輝は右手のパドルを引いて3速へつないだ。GRヤリスまで1台半。
西斜面のリズム区間へ入ると、景色の流れ方が変わった。
右中速へは、針を100の目盛りの少し上に置いたまま入る。路肩の草が形を失い、ガードレールの継ぎ目が白い線になって後方へ飛ぶ。その出口に左中速が続き、さらに奥では道が右へ巻き込んでいた。
GRヤリスは最初の右で外側まで使わず、車体が起き切る前に次の進入位置へ移り、短い制動だけで左へ向きを変えた。大輝も同じ速度で右を抜けたが、ステアリングを戻し切る前に左が来る。
100から90のあたりへ針を戻す途中で、アクセルを一度戻した。エンジン音が沈み、そのわずかな間にプレシャスメタルの車体が前へ離れる。
左へ入ると、横荷重がシートの右側から身体を押した。ガードレールの外に並ぶ杉の幹が視界の端で連続して切れ、正面にはGRヤリスのテールだけが残る。
次の右は、奥で締まり込む。先行車のブレーキランプが一瞬点き、車体が内側へ動いたところで消えた。大輝は100の目盛りの手前からブレーキに触れて70のあたりまで落とし、前輪へ荷重を戻す。あとは旋回が終わるのを待つだけだった。
アクセルに移るのはGRヤリスのほうが早く、距離が2台分に広がった。
右の出口でステアリングを戻しながらアクセルを踏み込み、左のダブルエイペックスへ入る。1つ目を80の目盛りの上で抜け、外へ流れた荷重が落ち着くのを待ってから、2つ目の内側へ寄せた。
短い直線で、針は120の目盛りへ届く。先の見えないブラインド右は、手前で90のあたりまで落として抜けた。続く左の高速登坂で回転が伸び切る手前、右手のパドルを引いて4速へつなぐ。針は120の目盛りの上で落ち着き、小さな舵角のまま踏みっぱなしで抜けた。
2台はそのまま尾根へ上がった。
尾根越え区間の左中高速を、針を120の手前に置いたまま抜ける。直線の先で、道が空へ向かって持ち上がっていた。ブラインドクレストへ入った時、速度計の針は120と150の間にあった。頂点の脇で、山頂管制所のフェンスと監視設備が視界の右端を流れる。
路面が落ちる。GRヤリスの車体が一瞬軽くなり、タイヤとフェンダーの隙間がわずかに広がった。
大輝はアクセルを少し戻した。エボXも頂点を越え、ステアリングから路面の細かな感触が消える。腹の奥が浮き、6点式ハーネスに身体が吊られた。ハンドルは握ったまま動かさない。4輪へ重さが戻り、タイヤが路面を踏み直したところでアクセルを開けた。下り勾配が加速を手伝い、針はすぐ150の目盛りへ伸びていく。
緩い右は舵をわずかに当てるだけで抜け、短い下りの先に左の切り通しが迫る。GRヤリスのブレーキランプが点いた。大輝は左足でブレーキを踏み、針を100の目盛りの手前まで落とす。切り通しの岩肌が、ドアミラーのすぐ外を流れていった。
北斜面の高速下降へ入った。
切り通しを抜けて入る右高速下降では、針が上がるにつれて、エンジン音より風切り音のほうが強くなる。ガードレールが視界の下を走り、正面に見えていた路面が車体の下へ次々と消えていく。
続く左高速下降へは、150の手前で入る。GRヤリスのブレーキランプが一度点いた。大輝は左足でブレーキを踏んで針を120の目盛りの少し上まで戻し、ステアリングを左へ入れる。横荷重が掛かり、首がヘルメットごと右へ引かれた。前走車は進入から出口まで姿勢が変わらない。大輝も4速のまま、舵を当て直さずに左高速を抜けた。外側のガードレールは、手を伸ばせば届きそうな高さで後方へ飛んでいく。
GRヤリスが先に車体を起こし、下りストレートへ出た。大輝はアクセルを床近くまで踏み込む。ブースト計の針が1.6バールへ触れ、1.5バールまで戻った。
下り勾配に押され、速度計の針はさらに伸びた。150の目盛りを越え、回転計の針が7000回転手前へ届いたところで、右手のパドルを引く。TC-SSTが5速へ入り、一度落ちたエンジン音がまた伸び始めた。
路面の継ぎ目を越えるたび、車体が短く上下した。速度計の針が180の目盛りへ届いても、GRヤリスとの距離は縮まらない。
下りストレートの終端で、先行車のブレーキランプが強く光った。大輝はブレーキを踏み込む。6点式ハーネスが胸へ食い込み、針が150を下回ったところで左手のパドルを引いて4速へ落とす。120を下回って3速、80を割って2速。針が60の目盛りの少し上まで落ちた車体を、右の奥へ向ける。
GRヤリスが奥で向きを変え、立ち上がりへ移った。大輝は少し手前から車体を回し、出口で舵角が残らない位置へ収める。距離は広がらなかった。
黒森複合へ入る。
左タイトは2速のまま小さく回り、出口で右手のパドルを引いて3速へつなぐ。右中速は、針を90のあたりに残したまま抜けた。進行方向が変わるたびに身体へ掛かる力の向きが入れ替わり、フロントガラスの中でGRヤリスのテールが左右に動く。
下りの先で、左が奥へ締まり込んでいる。GRヤリスのブレーキランプが長く点いた。
大輝は80の上から60の目盛りまで速度を削った。左へ入るほど曲率がきつくなり、外側のガードレールがフロントガラスの中央へ寄ってくる。先行車のタイヤが短く鳴り、エボXも外側へ動いた。ここでアクセルを踏むと外へ出ていく。大輝は舵角をそのままにタイヤが路面を捉え直すのを待ち、前輪が内側へ戻ったところでアクセルを入れた。
路面が上りへ切り替わる。登り返しの圧縮でサスペンションが沈み、アクセルを床まで踏んだまま坂を駆け上がる。回転が上がりきる前に右手のパドルを引き、4速。針が120の目盛りを越えたところで、坂の頂点の先が右へ消えていた。
右ブラインドの手前でブレーキを当て、左手のパドルで3速へ戻す。左側のガードレールがフロントガラスを横切り、出口の空だけが先に開けた。視界が開けると同時に、下り坂が口を開ける。
左中低速を80の手前で抜け、谷底の右へ落ちていく。路面が一段下がり、圧縮に入った瞬間、背中と腰がシートへ押しつけられた。GRヤリスのリアバンパーが近い。ほぼ1台分。
谷底を抜けたところで左手のパドルを引いて2速へ落とし、左の短角を縁石の内側ぎりぎりで回る。右中速へ向けて踏み込み、右手のパドルで3速へつないだ。
東麓フィニッシュ区間へ出ると、下降ストレートが正面に伸びた。7000回転の手前で右手のパドルを引いて4速へ。下り勾配に押され、針は150の目盛りへ向かって伸びていく。
GRヤリスのブレーキランプが点く。大輝はブレーキペダルを踏み込んだ。針が120を割ったところで、左手のパドルを引いて3速へ。コーナーの手前で針は70を越えたあたりまで下がり、そこから60の目盛りへ。エボXのノーズが沈み、もう一度左手でパドルを引いて2速へ落とす。ブレーキを抜きながらステアリングを左へ入れると、GRヤリスは奥で向きを変えていた。車体が回り込むのを待つ。前輪が出口を向いたところでアクセルを開けた。
4輪へ駆動が掛かり、エボXがフィニッシュストレートへ押し出される。回転が上がり、右手でパドルを引いてTC-SSTを3速へ入れた。先行車まで、おおよそ1台半。
回転計の針が7000回転手前へ近づいたところで、もう一度右手のパドルを引いて4速へつなぐ。下り勾配に押されて針は150の目盛りを越え、緩い右ベンドの手前で5速へ入れた。
GRヤリスが緩い右ベンドを抜けて計測ラインを通過し、大輝はその直後にフィニッシュした。チェッカーを示す表示が視界の端を流れる。
アクセルを戻すと、速度だけが先に落ちていった。もう次のコーナーは来ない。それでも、身体の中ではさっきまでの左、右、クレストの流れがまだ切れていなかった。
四段つづらでは少し詰めた。西斜面では二度、アクセルに移るのが遅れた。北斜面の右高速は悪くない。黒森複合でも大きくは失っていない。
ベストからだと、おおよそ0.3秒落ちってとこか。そんなことを考えながら、大輝はGRヤリスに続いて減速路へ入った。
先行後追いの練習枠を走り終えた2台は、速度を落としたまま、東麓フィニッシュ管理区画へ進む。オフィシャルが誘導棒を振った。
GRヤリスが白線の内側へ入り、大輝は隣の停止位置へエボXを進める。ブレーキを踏んだまま車体を止め、パーキングブレーキのレバーを引いてから、センターコンソールのシフトレバーをPへ入れた。
データロガーの表示が確定した。
ベスト比、プラス0.27秒。
「だいたい合ってたな」
大輝はバラクラバの中で言った。
ロガーから助手席側の3連メーターへ視線を移す。ブースト計は負圧へ戻り、水温と油温も想定した範囲に収まっていた。ステアリングコラム上の表示を切り替えると、TC-SSTフルード温度は90度を指していた。
シフトレバーの手前では、S-AWCのスイッチを挟んで、右にSSTクーラーのスイッチ、左に親父が付けたインタークーラーウォータースプレーのスイッチが並んでいる。SSTクーラーは走り出しからONのまま、スプレーはAUTOに入れたままにしてある。
アイドリングを続けるエンジンの振動がシートから背中へ伝わる。大輝は数回深く息をして、右足をブレーキから離した。6点式ハーネスの肩ベルトを指で浮かせると、身体を締めていた圧がゆるむ。オープンフェイスヘルメットの顎紐もゆるめた。
タービンの熱が抜けるまでは、エンジンを回しておく。アイドリングのまま6点式ハーネスのバックルを外し、ドアを開けた。車外へ出て顎紐と両側のテザーを外し、ヘルメットをルーフへ置く。肩にハイブリッド式のFHRを残したまま、運転席側からエボXの前へ回った。
バラクラバを頭から引き抜くと、汗でわずかに張り付いた髪が崩れて額に落ちた。手でくしゃっとかき上げたが、前髪はすぐ眉のあたりへ戻ってくる。
夕方の光を受けたライトニングブルーマイカは、面の中央では濃い青に沈み、フェンダーの張り出しやドアの稜線だけを明るく浮かせていた。フロントバンパーの下では、RALLIARTのスポーツフロントアンダースポイラーが路面との隙間を細く見せている。その下から、まだ水が細く垂れていた。乾いた路面に、黒い点がいくつも落ちている。グリルの運転席側の奥には、後から足したKCSオリジナルのSSTクーラーのコアが覗いていた。
大輝は右前輪の前にしゃがんだ。純正より15ミリほど低い車高でも、BBS RE-V7と255幅のシバタイヤはフェンダーの内側へ収まっている。トレッドに異物や切れがないのを見てから、純正と似た細いスポークの間を覗き込むと、赤いBremboキャリパーとローターが見えた。ホイールの内側にも液体が回った跡はない。
立ち上がり、車体に沿って後ろへ視線を送る。
大型ウイングを外したトランクには、小さなリップスポイラーだけが残っている。張り出したリアフェンダーの後ろでは、純正オプションのコーナーエクステンションが下端まで続いていた。
フェンダーの前側には細かな飛び石傷があり、夕方の光が当たったドアには薄い洗車傷が浮かんでいた。
隣では、GRヤリスのドライバーが左前輪の前で腰を落としていた。タイヤのショルダーへ指を当て、ホイールの隙間からブレーキを確認している。
確認を終えると、GRヤリスのドライバーが立ち上がった。フルフェイスヘルメットを脱ぎ、続けてバラクラバを引き抜く。
肩へ届かないミルクティーアッシュブラウンの髪が持ち上がり、頬へ落ちる。手櫛で整えて片側を耳へ掛けると、小麦色の肌と切れ長の目が現れた。
大輝より背は少し低いが、目線はそれほど下がらない。レーシングスーツの肩から腰へ続く線は締まっている。胸元には押さえられても残る厚みがあり、腰から長い脚へ続く線にも、スーツ越しに筋肉の張りが見えた。
GRヤリスのドライバーが左前輪をもう一度確認してから、ヘルメットを片手に大輝の方へ歩いてきた。
その視線が、額へ落ちた茶金の前髪から顔へ移った。風に揺れた毛先が目元へかかる。視線はそのまま日に焼けた頬のあたりで止まり、切れ長の目がわずかに丸くなった。
「お疲れさまでした」
「お疲れさまです。やっぱりGRヤリス、速いっすね」
大輝はそう返した。
切れ長の目がわずかに細くなる。
「ありがとうございます。後ろ、ずっと近かったですよね」
「マジっすか。なんかすいません」
大輝は目を見開き、肩をすくめるように軽く頭を下げた。
GRヤリスのドライバーがすぐに首を横へ振る。ヘルメットを持っていない方の手も胸の前へ上げ、違うというように何度か左右へ動かした。
「いいえ。そんな意味で言ったんじゃないんです。ただ――」
「ただ?」
「四段つづらの2つ目、出口まで使ってませんでしたよね」
「ああ。それなら、次が右なんで、戻す方を優先した感じっす」
「やっぱり。あそこで急に近くなったから」
「ヤリスは、そのまま奥まで行けるんすね」
「そう。私は、あっちの方が走りやすくて」
「車で結構違うんすよね。コイツ、ワガママボディしてるから」
大輝はエボXへ親指を向けた。
「いやいや、エボXも十分カッコいいじゃないですか」
GRヤリスのドライバーが青い車体へ目を向けた。ウイングのないトランクから張り出したリアフェンダーへ視線を移し、足元のBBSまで下ろす。
それから、GRヤリスのドライバーが大輝へ顔を戻した。
「あ、申し遅れてすみません。熊谷真希《くまがい・まき》です」
「庄司大輝です。大輝でいいっすよ」
「庄司さん、もっと年上かと思ってました」
「マジっすか。俺、ハタチっすよ」
大輝は人差し指で自分を指した。
「ハタチなの?」
真希の眉がわずかに上がり、大輝へ視線が戻る。
大輝は首を傾げて真希を見た。
「質問を質問で返すと悪いんすけど、そんな上に見えました?」
真希がエボXの後ろ姿へもう一度目を向け、足元のホイールまで視線を落とした。
「走り方もですし、エボのいじり方も。純正ウイングも外して。これ、純正のBBSですか?」
「あ、これハイパフォーマンスパッケージ純正じゃないんすよ」
大輝はホイールへ目を落とした。
「同じ形のやつをヤフオクで落として、9.5Jのプラス30っす。ぱっと見で純正っぽくしたんすよ」
「もしかして、このエボ相当いじってる?」
「俺、親父の車でイキってる分際なんで、エンジンの詳しい仕様とかは知らないんすよね。ただ、ウエストゲート開いて1.2で落ち着くんでブースト類は上がってます」
「お父さんの車なんだ」
「そうっすね。俺が小6の頃、大動脈解離でポックリと」
真希の表情が止まった。
「え、お父さんの形見?」
言ってから、真希の手が口元へ上がった。ヘルメットを持った方の腕まで一緒に動き、指先が唇の前で止まる。
「あ、なんかごめんなさい。変なこと聞いちゃって」
さっきまでより声が早い。語尾が少し上ずっていた。
大輝は片手を軽く振った。
「いや、そんな大袈裟なもんじゃないっすよ。直すのに相当金掛かったんで」
真希が少し声を落とした。
「確か、120万くらいしたんじゃ……」
大輝は首元を指で摩った。
「叔父さんに聞いてみたら、今SST本体で140万くらいかな」
「今そんなにするんだ」
真希の目がわずかに見開かれた。さっきまで落としていた声が、少しだけ高くなる。
大輝は両手を小さく振った。
「あ、でも、自分で直せるとこ直したんで、工賃込みの160万よりはだいぶマシっすよ」
「自分で直したって、DIYで?」
「まあ、そんなとこっすね。診断機挿したらP1827入ってたんで、センセに拝み倒して実習でSSTを降ろして、愛知のKCSでシフトフォークセンサとダンパースピードセンサを対策品にしてもらって、なんとかFAINES見ながら組んだって感じで」
「あれ、非分解式じゃない?」
真希が首を傾げた。
「あ、2013年の追補版みたらクラッチとメカトロニックまでは分解出来るんすよ」
大輝はそう言って、言葉を続けた。
「だから、クラッチと本体を送って、KCSさんからメカトロニックのバルブボアプラグもついでに送って貰って自分で組んだ感じっす」
大輝はOMPのレーシングスーツのファスナーを胸元まで下ろし、内ポケットから小さなピアスケースを取り出した。走る間は外していたノストリルピアスを右の鼻翼へ通し、続けて耳元のピアスを指先で留める。
「で、KCSさんから、クラッチダンパスプリング折れてましたって連絡来て、クラッチも対策品になって70万っすね」
「70万」
真希はそう繰り返したきり、口を開けたまま大輝を見た。
「マジでバイト代とか貯めてたお年玉全部崩したっす」
真希がしばらく大輝を見たあと、首をわずかに傾けた。
「学生さん?」
「そうっすね。モビ大の3年っす」
真希が「ああ」と小さく声を漏らし、うなずいた。
「じゃあ、一級課程コースか」
大輝は少し眉を上げた。3年と聞いただけで、課程まで言い当てられるとは思っていなかった。
「詳しいっすね」
「……うん。私もモビ大だったから」
「じゃあ、俺の先輩っすね」
大輝はそう言って笑った。
「そうだね」
真希が口元を緩める。
「今28だから……8個上かな。令和2年卒だし、先生とかも変わってると思うし」
真希が指を折って数え、大輝へ目を戻した。
「かもしれないっすね。……大塚センセとか分かります?」
大輝は真希の返事を待った。
真希が目を丸くし、すぐに何度もうなずく。
「分かる分かる。私の担任のセンセ」
「そうだったんすか? 今度聞いてみていいっすか」
大輝は口元を緩めた。
真希が片手を上げ、すぐに首を横へ振る。
「それは勘弁して。少し恥ずかしいから」
大輝は声を漏らして笑った。
「冗談っすよ」
管理区画の奥でオフィシャルの笛が鳴った。次の車両が減速路から入ってくる。
大輝は通路を空けるため、エボXの前へ寄った。真希がGRヤリスの方へ数歩戻る。
「また同じ枠になったら、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
真希が運転席のドアへ手を掛ける前に振り返った。
「よろしくね、大輝くん」
大輝は軽く手を上げた。
真希がGRヤリスへ乗り込み、ドアを閉める。回り続けていたアイドリングの音が少しこもり、ブレーキランプが赤く点いた。
大輝はルーフのヘルメットを取り、肩に残っていたFHRを外した。二つを助手席へ置いてから運転席へ戻る。
フルバケットシートへ腰を下ろし、ブレーキを踏む。アイドリングの間に水温と油温は少し下がり、ステアリングコラム上のTC-SSTフルード温度は75度まで落ちていた。大輝はS-AWCのスイッチの右隣、SSTクーラーのスイッチをOFFへ倒した。データロガーには、まだプラス0.27秒が残っている。
前方でGRヤリスのブレーキランプが消えた。
真希が窓越しに片手を上げ、低速連絡路へ入っていく。
大輝はシフトレバーをDへ動かした。
パーキングブレーキのボタンを押し込み、レバーを下ろす。
右足をブレーキから離す。走行中には意識へ入らなかった管理区画の音が、少しずつ戻ってきた。
GRヤリスが連絡路の角を曲がった。
オフィシャルの誘導棒がこちらへ向く。
大輝はアクセルへ足を移し、エボXを白線の内側から進めた。
コメント
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え、めっちゃ熱い走行シーン…! エボXとGRヤリスの駆け引きが手に取るようにわかって、まるで自分も助手席にいる気分だったよ〜😭🔥 大輝くんの冷静な走りと、真希先輩の「あの走り方」に気づく観察眼、そして8歳差のモビ大つながり…! プラス0.27秒の悔しさがこれからのバトルを予感させて、続きが待ちきれない! 車好きにはたまらない、超リアルなドライブ描写にノックアウトされたよ🚗💕