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七畳ばかりの控室の中で、わたし、父、それから課長が向かいあって座っている。天井の低い空間で、ほんのすこし感じる圧迫感。もしかしたらこれは、これから訪れる緊張を和らげる役割を担っているのかもしれない。
さきほど控室で親族紹介を終えた。父といったらもう……滅多に会わない親戚だから名前なんか全然覚えてなくって。彼らに自己紹介をさせる始末だ。一方の義父は、シミュレーションをしてきたのか、実に流暢に絶妙にやってのけたので、なおのこと、その差が際立った。
「なんか……緊張しますね」
しん、とした室内に課長の声が響く。
「するねえ」と父。課長に話しかけられることで、気持ちを共有する。男はなにかと……ライフステージにおいて、表に立つことを強いられる。プレッシャーのかけられることの多い生き物だ。
壁の向こうからかすかに足音が聞こえてくる。参列者が教会に入りつつあるのだ。するとまた、わたしのなかで緊張が膨らむ。……どうしよう。人前に立つことなんて……こんな大勢のひとのまえでなにかをするなんて、ひょっとしたら大学のゼミ以来? 就活以来?
ああ、怖い。なにか自分がやらかしそうで怖くなってきた。トイレ。トイレ……いやさっき行ったばかりでしょ大丈夫に決まってる! それにこの格好でトイレに行くのも一苦労なんだから! ドレスの裾を汚しかねないから入り口でスリップドレスに着替えてから入るのー!
「莉子ー。スマイルスマイルー」
にーっ、と白い歯を見せる課長の顔が目の前にある。彼は、わたしの目線を受け止めると、
「……ぶふっ」
変顔を作る。……見れば、父まで笑っている。緊張から解き放たれた瞬間だった。
――ああ、よく笑った。
お陰で気持ちが……ほぐれた。
大丈夫。仮に、失敗したっていいじゃない。こんなに頑張ったんだから。出来るだけのことをしてきた。後悔なんて微塵も残っていない。
貴重な時間を作ってくれた皆さんをおもてなしすること。皆さんの誠意にお応えすること。精いっぱい頑張れば、いいじゃない。
よし。こころが定まった。父もなにか、吹っ切れたような顔をしている。
「……三田様」コンコン、とドアのノック音がした。「お時間にございます。式場へどうぞ」
「あ、はい……」
腰を浮かせる課長。「じゃあ、行ってきます」と笑みを見せ、扉の向こうへと消えていった。
静粛なる式場にて、課長がなにをしでかしたかについては、このときのわたしは知る由もなかった。
* * *
ドアが開き、皆がこちらを見ている。たちまち……拍手に包まれる。
久々に会う父と腕を絡ませ、ゆっくり……ゆっくりと、バージンロードを歩きだす。
皆が皆、笑顔で見守ってくれている。
先に会場に入った課長は、所定の位置で、わたしたちを待っている。万雷の拍手。最高の喝采を浴び、味わったことのない、幸せな気分に浸る。
みんなの表情がくっきりと見える。……大変なお産を終えた中野さん。あっちゃん、いーたん、しおたん、令子……。
高嶺。深紅のドレスが似合っているよ。とても綺麗……!
荒石くんも。結婚準備手伝ってくれてありがとう……!
やがて、課長の前に辿り着くと、わたしは父から離れ、彼の元へと進む。……そう。親離れをし、彼を選ぶとはそういうことなのだ。大切なあなたたちがいるから……あなたたちがわたしを大切に育てぬいてくれたから、いまのわたしは、あるんだよ。
ありがとう。お父さん……お母さん。
わたしはふたりに笑顔を向けてから、課長にエスコートをされ、いよいよ牧師さんの前へと立つ。背中から、みんなの目線を感じるけれど、大丈夫。わたしは、ひとりではない……。
『緊張するとおれふるえるんだ』
小刻みにふるえるあなたが隣にいるから。
*