テラーノベル
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103 ◇胸が痛む
初めて聞く当時の百子の様子に、俺の胸は痛む。
「それで編集者の今の恋人でもある山下さんって人がね、お母さんの小説を
気にいってくれてコミカライズされることになったの。
まぁ、そのことがご縁に繋がったのかな」
「へぇ~、すごいことが起きるもんなんだね」
「驚いた? お父さん」
「あぁ、むちゃくちゃ驚いてる」
「付き合い出したのは仕事の打ち合わせなんかしてた時じゃなかったみたいで、
そのずっと後だったみたいよ。
私もその辺の詳細は知らないからお母さんからプロポーズされたって
聞いた時は吃驚くりくりだった」
「俺もー、でっかい子持ちなのに、すごいよなって。
たぶんアレだよ、お母さんは上手い具合に自分の運気の高い時に
山下さんと縁があったんだよ」
「じゃあ、おかあさんは小説家になったのか?」
「う~ん、どうだろう。あれから新作が書けたって言う話は
とんと聞かないし。たまたまじゃないのかなぁ。
奇跡的に宝くじに当たったのと同じじゃない?
ってそこまで言ったら失礼かな。
今もチマチマ書いてはいるかもしれないから。
よく分かんないその辺のことは」
ここまで話をしていたところで、百子がリビングに戻ってきた。
百子がリビングに戻るともう話すことがなくなったのか、
茜と淳平は2階へと上がっていった。
◇ ◇ ◇ ◇
ん? 結局淳平は伸之と一言ぐらいは話せたのだろうか、自分が
部屋に戻ると何も言わず姉と一緒にそそくさと上に行ったものだから
百子には分かりようもなかった。
こういう場合伸之にどんなふうに声を掛ければいいのやらと
思っていたところ、上手い具合にというのも変だが伸之のほうから話が出た。
104 ◇返済
「実は今日お邪魔したのは少しだけど返済したくてね。
笑われそうだけど30000円入ってる」
そう言って百子は伸之から封筒を手渡された。
「こんなに早く?
まだまだいろいろと揃えたりするのにたいへんでしょ。
急がなくてもいいのに」
「いや、仕事もアルバイトのようなものだが決まったし、少しずつで
申し訳ないけど仕事が続けられる間は返していくよ」
「ありがとう。
そしたら毎月ここに来るのも大変だと思うので私の口座番号を
渡しておきますね」
そう言って百子は口座番号をメモするため奥の部屋に置いてある通帳
を取りに行った。
「そっか、助かるよ」
そして百子は通帳をポーチから取り出しながら伸之に向けて話し掛けた。
「淳平は小学生の時にあなたと別れたきりだったからアレかしら、
今日はあなたと一言も話ししなかったのかしら」
「いや、ちゃんと話してくれたよ。
あの小さな子が立派になったかと思うとうれしいよ。百子ありがとう」
「えーっ、恥ずかしいけど……どういたしまして。
誰に似たのか淳平やさしい子だから、ってあれね、やっぱり私に
似たのかな、なんてね」
「うん、君に似てやさしい子だよ」
「そう? ならよかった」
なんとなくだけど、この時百子は伸之が来訪してしばらく3人で話を
していた時とはガラリと雰囲気が変わったように思えるのだった。
しばらく席をはずしていた百子には理由を知りようもなかったのだが。
元気がなさげに見えるけれど気のせいかもしれないと思ったり。
返金できるところまできた元夫の姿を今日見ることができ、そのことは
心から良かったと思えた。
そしてそのように思える自分でよかったとそうしみじみ思った。
元夫の伸之は百子が口座番号を書いたメモを渡すと『ぼちぼちお暇するよ』
と言い、玄関に向かった。
◇ ◇ ◇
百子は悲しい時期に無心に小説を書き、それが漫画として世に出、
おまけに恋人まで手に入れたという。
一生懸命に生きた人に幸運が舞い降りたというわけだ。
伸之は少し残念に思いはしたが悪くはないと思った。
自分が不幸にした人間がこれから幸福になってゆくのだ。
素直に祝福したいと思った。
105 ◇見送り
子供たちも百子が声を掛けたため自分に顔を見せてくれたが、
ふたりの様子を見ていると、今後この子たちに自分は必要のない
人間なのだと感じた。
仕事ばかりの仕事人間であげくが母親もろとも子らを捨てたんだ自分は。
そんな自分が親ずらしていいはずがない。
必要とされれば寄り添えばいいが、必要とされないのであれば今後は
遠く離れた地から安寧を願うのみにしよう……と思った。
それでも伸之が暇を告げると、子供たちはまた下まで
降りて来て玄関先で母親と一緒に、三人で見送ってくれた。
ずっと自分も主として住まっていた我が家をじっくりと振り返り、
そして目に焼き付け、伸之は百子の住まう家を辞した。
百子の気持ちを自分に向けるための努力はしようと考えていたが、
すでに結婚を決めた人がいる上にその後の茜や淳平たちからの話振りだと
もう既に実質事実婚状態なのが透けて見えた。
手遅れという言葉が胸に刺さる。
ダメ出しが茜の一言だった。
「お父さん、お相手の山下さんってお母さんよりも8才も年下なのよ~。
しかもイケメンさんなの」
ほんとに今日という日は驚かされてばかりだった。
これまでつれなくされてきた父親に『お父さんは今少しばかし低迷してるけど
また上昇していくよきっと』と言ってくれた息子、淳平の温かみのある言葉に
なんとか癒されながら伸之は帰路についた。
コメント
1件
うわ…第36話、すごく刺さりました。 伸之が「自分はもうこの家族に必要ないんだ」って悟る場面、胸が締め付けられました。特に淳平が「お父さんはまた上昇していくよ」って優しい言葉をかけるところ、あれが逆に切なくて。 百子が新しい人生を歩み始めてるのに、伸之だけが過去に取り残されてる感じ、すごく描き方が丁寧だなと思いました。『妻を不幸にした自分が祝福するしかない』って複雑な心境…重いけどちゃんと受け止めたい話です。 設楽理沙さんの温かくて少し冷たい感じの文体、好きです🖤
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