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幼少期に植え付けられたトラウマは、一生消えない、と、よく聞く。



ぼんさんが甘いもの嫌いなのは小学生のとき食べたグミが腐っていたから。

俺が陰キャなのは、……根っからかもしれない。これは。




ふと、気になる。彼にはトラウマとやらはあるのだろうか。


誰にも言えない過去が、あるのだろうか。




すこしだけ、知っている。


あなたの過去の片鱗。ほんとうに、たった一部。

ただそれだけで辛い過去だと決めつけるのはエゴだから、これは、見えないことにする。







「…、…………、」


その夜、おんりーちゃんはずっと泣いていた。

白く壊れそうな手で、俺の寝間着の裾をつかんで。



無意識なんでしょう。

こわいゆめをみているの?


申し訳ないから起こせなかった。ただ背中をさすっていた。



やわらかいあなたの皮膚。

春でもフェルトの、パジャマの手触り。

青い夜が、すぅっと一本の光を、あなたの涙のためだけに、照らして。



「…………。」


すうすう、と立てる儚い呼吸は、小動物のようで。


ゴーレムなんかじゃないよ。おんりーチャンは。もっと弱くて脆い、兎みたいな人だってこと、ほんとうは。知っている。






……涙を、拭いたくなった。



「…、」


彼の目元に残る、冷たくなった粒を、指の腹で。




頬をなでる。


瞼を落とすおんりーちゃんが、

何かを本能で求めるように、まるで小さな子供みたいに、抱きついて。すり寄ってくる。





「…すぅ……、……っひゅ、…く、」




「……。」

ちがう。



いま、おんりーちゃんのまぶたの裏に写っているひとは、絶対に「俺」じゃない。


もっと、あなたの、おくふかくの。

脳みそのずっと奥に閉じ込められた記憶に、いる。誰かのことだった。俺では、ない。って。確かにそうだった。



「…ひゅゥ、」


裾を握る力が強まる。




「…………おとうさん、」




震える唇からいっぱいに吐き出される、ひともじを、たった0.1秒も聞き逃さないようにして。





「いかないで…………。」









「………。」


父のいないおんりーちゃんの、必死の叫びだった。






「…………おんりーちゃん。…」



この人を、守りたいと思った。

それだけだった。




この人は寂しさをいっぱい隠しているのを、俺は、知ってる。

おんりーちゃんだって俺だって一人じゃ生きていけないのも、知ってる。


だから言えなかった。


「………、」


だから言わなかった。



いまは、あなたのまぶたを覗き込んだら、きっと夜空の裏に、あなたの、記憶が見えるんでしょう。



きらきら光る幾千の星だって、ひとりじゃ輝けないものね。


「…、………お…………と……さ、ん…、」


あなたは、太陽のいない月なのね。



すこしだけ。すこしでも、あなたの太陽に、なれたなら。




やさしい黒髪を撫でれば、猫みたいに、求めるように、その手にすり寄ってくるのだから。


「………、…おやすみ。」



また朝が来れば、なんでもない顔で大丈夫と言うんでしょう。


誰よりも大丈夫なあなたの、

きっと、触れたら、大丈夫じゃなくなってしまう、瘡蓋の傷を、

見ないフリしてやらないとなあ、って思った。



このひとを、たったひとつの握力で、殺してしまいかねないな。

潰しちゃいかん。

なんとなく、おんりーちゃんの人中とか、守りたい。



「……。………。…、」


だから今日はもう、いいや。

生きてるから。

あなたに体温があるうちは。それだけが、それだけで、いい。




やっと心が解けて眠気がぐっと蓋をしたので、ゆっくり、瞼を落とした。

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