「じゃーんっ」
俺と若井は揃って少し誇らしげに貰ってきたばかりの学位証を掲げてみせる。おぉ〜と高野と綾華が感嘆の声をあげた。
「俺が……7年かかってようやく手にしたものをお前らはいとも簡単に……4年で……」
悔しそうに拳を握りしめてみせる高野に
「普通4年だから、高野が異常なだけだから」
と綾華が冷静にツッコミを入れる。今日は午後に俺たちの大学の卒業式があり、そのまま卒業祝いをしようとメンバーの皆で集まることになっていたのだ。一昨年は涼ちゃんと高野が、去年は綾華が卒業だったから、なんだかんだで毎年開かれている卒業祝いの会。それも俺たちで最後になる。
「いやぁでもがんばったよね」
綾華がうんうんと頷きながら思い出を振り返るようにちょっと遠い目をしてみせる。
「私と涼ちゃん」
「そっち?!」
でも確かに綾華の言うとおりでもあるのだ。何しろ俺や若井のレポートの何割かは綾華や涼ちゃんが執筆したといっても過言ではないくらいテコ入れが入っていたり、テスト対策に過去問をまとめてくれたりと、ふたりのサポートがなければ特に俺の場合は忙しさに押し負けて確実に留年していた。
「そういえば涼ちゃんは?」
真っ先にこの学位証をみせたかった肝心の相手が見当たらない。俺はそわそわしながら辺りを見渡す。集合場所にした居酒屋は、皆が学生だった頃からお世話になっている店で、道に迷っているとも思えない。
「あー、なんか用事済ませてから来るって言ってたからな。それで遅れてんじゃない?先入ってる」
なんだろ用事って。昨日会った時には何も言ってなかったけどな。もうちょい待つ、と足下の石ころを軽く転がしながら返すと「拗ねるな拗ねるな」と高野がからかってくる。
「どうせ今日お開きの後はふたりで過ごすんだろ、安心しろよ邪魔しないから!」
「うるさいな、そんなこと言ってどうせ二次会だっつって涼ちゃんちに転がり込む気だろ」
バレてら、と高野は愉快そうに笑いながら首をすくめた。くっそ、次の曲のベースラインめっちゃくちゃ難しくして泣かせてやる。
「そういえばおうち決まったの?」
高野への仕返しを画策して内心意地悪くほくそ笑む俺に、綾華が思い出したと言わんばかりに尋ねてくる。卒業を機に俺は実家を出ることにしたのだ。そのついでに、というか自分としてはその方が本当の目的なのだが、恋人である涼ちゃんとの同棲を始めようと考えているのだと以前綾華には話したことがあった。
「ううん、まだ」
「まだ?」
綾華は怪訝そうに眉根をひそめた。
「涼ちゃんの今のアパートの契約がちょうど3月いっぱいで切れるからって話じゃなかった?今日3月4日だよ?まだ決まってないの」
彼女の指摘はもっともだった。涼ちゃんの今のアパートは契約更新の申し込みをしていないから、さすがにそろそろ決めないとマズイ。引越しだって間に合うかどうかすでにギリギリのラインだ。
「さてはあれだろー、涼ちゃんに同棲渋られてんだろー」
にやつく高野をキッと睨みつける。なんだこのやろ、三留もしたくせして。
「忙しくて物件見に行けてないだけなんじゃないの?」
若井がきょとんとしながらこちらをみた。確かに忙しさもある。あるんだけれど、悔しいが核心をついているのは高野の方なのだ。俺は何と答えればいいか分からず、また足下の石ころを今度は逆方向に転がす。
実は涼ちゃんはあまり俺との同棲に前向きでは無いのだと思う。思う、というのは、涼ちゃんがはっきりと俺にそう言ったのではないからだ。でも、俺が実家を出て部屋を借りると決めて、うきうきで不動産屋に行き、いくつか出してもらった候補を彼の前に並べた時の反応は微妙なものだった。
「ずいぶん広いとこ借りるんだね」
不思議そうに首を傾げた涼ちゃんに
「あっ、あのねあのね、良かったら一緒に住もうよ。涼ちゃんちょうど次の3月で更新切れるって言ってたじゃない。それで引っ越そうかなとも言ってたでしょ。ならタイミングも丁度いいし、一緒に住むのはどうかなって」
「一緒に?」
俺はてっきり、彼も喜んでくれるものと思っていた。今だって結構な割合で俺が涼ちゃんちに転がり込んではいるけれど、一緒に住むのとはやっぱり違う。せっかくだからふたりでおそろいの食器なんか揃えたり、一緒に家具を見に行ったり……なんて浮かれた妄想を楽しんでいた俺は、涼ちゃんの次のひとことで一気に現実に、それも想定外の現実に引き戻された。
「うーん」
渋い顔をして首を傾げて、それっきり。えっ、嘘でしょ。普通は恋人と一緒に住もうって言われたらもっとテンション上がるものなんじゃないの。なにその眉間のシワ。
「えっ、でもでもこの物件とか良くない?家賃も手頃だし、一応それぞれに部屋も作れるし、今使ってるスタジオも近いし」
俺は特に気に入っていた物件の詳細が印刷された紙を手に取って涼ちゃんにアピールしてみる。
「まぁ確かに……?便利かもね〜」
俺は想定していたのと全く異なる反応になんだか気分がどんどん沈んでいくのを感じた。なんだ、なんだよ、もっと喜んでくれるかと思ったのに。行き場のない「ガッカリ」は理不尽な苛立ちに変わってしまう。俺は黙って机の上に広げていた物件詳細の資料を片付けた。それが2月初めだから、もう1か月前くらいの話。
実はそこから同棲についての話を俺たちはまったくしていないのだ。どちらにせよ引っ越すつもりのはずの涼ちゃんが今の部屋の更新手続きをしていないのだけは確認が取れている。それだけ。そりゃまぁ忙しくて内見に行く余裕が無いというのもあった。でも、またこの話を持ち出して、俺と涼ちゃんのテンションの差を目の当たりにするのが怖かったのだ。それでついつい先延ばしにしていたら、3月になっていた。
別に普段から気まずい訳では無い。むしろラブラブ。昨年の末に、ようやく涼ちゃんからオッケーをもらえて付き合い始めたばかりというのもあって、俺は時間さえあれば涼ちゃん涼ちゃんと彼に文字通りひっついている。彼もそれは満更でもないようで、なんやかんやと構ってくれている。まぁ未だに俺たちは体の関係には至ってないのだけれど……。これに関しては涼ちゃんが何だか一線を引いている感じなのだ。イチャイチャしてても、ある程度のところでストップ。のらりくらりと彼は別の話題などに切り替えてしまう。でも、デートや日常の些細な提案は全部嬉しそうに受け入れてくれるし、変に口論になったこともない。彼が俺をちゃんと愛してくれているのも伝わってくる。だからこそ、同棲に対してあまり積極的でない態度を取られたのが意外だったのだ。
さすがに急ぎすぎたのかな……という反省はある。でも涼ちゃんの物件の更新と俺の卒業とでタイミング的にはばっちりだと思ったのに。賃貸は大体2年契約だ。ここを逃したら次はまた2年後。引っ越し代だって馬鹿にならないし。そんなことを悶々と考えていたら
「ごめんね遅くなって〜!皆外で待っててくれたの?申し訳ない!」
とかなんとか言って息を切らしながら涼ちゃんが走ってきた。ちょっと伸び気味の金髪がふわふわ揺れる。これ以上プリンになる前に染めに行かなきゃ!とかなんとか言ってたっけ。
「元貴が外で待つって聞かなくて」
高野が俺を指さして、やれやれというようにわざとらしく肩をすくめてみせる。
「そこまで言ってないだろ!どうせまだ予約時間じゃないからと思っただけで」
「えぇ〜なんかごめんね、寒いし早く中はいろはいろ」
むきになる俺を慣れた様子でさらりと受け流し、涼ちゃんはさっさと皆を店内に誘導しはじめる。すみません今日5人で予約してる……あっそうだ、高野、どっちの名前で予約したー?あ、僕ね、はいはい、えっとフジサワさんで……あっ自分でさん付けしちゃった、えへへ、すみません。あとから入った俺はちょっと遠くのところで彼の声を聴く。涼ちゃんたら何やってんだか、と内心苦笑しながら。店内はかなり騒がしいけれど、俺はきっとどんなに騒がしい中だって、それこそ大盛況のライブハウスでだって貴方の声なら聴き分けられる。
3月とはいえ、曇天の日はまだまだコート無しでは外は寒い。席に案内されて、着ていたコートを脱いでハンガーにかけていると
「あっ、そうか、ふたりともスーツだ!すごい、なんか新鮮だよねぇ」
涼ちゃんが嬉しそうに声をあげた。そう、卒業式だったから俺と若井はちゃんとスーツ。就活もしてないから、スーツなんて着る機会ほとんどなくて、それこそ入学式に着たきりのやつを引っ張り出してきたので何となく面映ゆい。
「一昨年の涼ちゃんよりはしっくりきてるでしょ」
と若井が笑う。一昨年の卒業式の際、金髪マッシュがスーツを着てるのはなんだかちょっと「三流ホスト」みたいだと綾華に形容されて、俺たちの中ではかなりネタにされているのだ。高野が三留で、涼ちゃんは三流か、なんてちょうど二人の卒業年が同じだったものだから。いや、でもあれはあれでなかなか見れない姿で良かったけどな。職業柄ネクタイなんか普段締めてるとこ見れないし。
「若井も金髪にしたら良かったのに」
「やだよホストなんか、しかも三流」
「そしたら袴にしたらよかったんだよ、高野は袴だったでしょ」
「金髪でそれはいかついて」
涼ちゃんと若井が軽口を叩き合うさまを何となく眺めていたら、ふとこちらを見た涼ちゃんと目が合った。
「元貴も似合ってるね」
ふふ、と笑う彼に、なんだか頬が熱くなってしまう。もう。いの一番に自撮り送り付けたんだから俺のスーツ姿とっくに知ってたくせに。「かっこいい!」なんて返信送ってきてたくせに。それで俺は調子に乗って、若井とか学部の友達とかと卒業式で撮った写真まで涼ちゃんに送り付けた。
「それではー、二人の卒業を祝して!」
それぞれに頼んだ飲み物が運ばれてきて、俺たちはグラスを掲げる。かんぱーい、と元気よく声が重なった。
案の定、二次会は涼ちゃんのアパートで開催される運びとなった。酒に弱い若井はすでにおやすみモードに突入しているが、高野に肩を組まれずるずると引っ張られてきた。綾華は本当に強い。いくら飲んでも顔色が変わらない。いつもよりちょっとだけ口数が多くなって、表情が柔らかくなる程度。でも前に若井に「九州の人は酒強いっていうもんね」と言われたときは「関係ないと思うけど」とちょっと心外そうにしていた。涼ちゃんもめったに羽目を外さない。いまだにあの学祭ライブのあとの打ち上げのことを気に病んでいるらしく、あの時の二の舞にはならないから、とよく言っている。でも、酔っ払ってふわふわした雰囲気がさらに強調される涼ちゃんはかなりかわいくて好きなので、たまには羽目を外せばいいのに、と心の内では思っていたりもする。高野はいつもゴキゲン。しかもそこそこ強いから、酒の席を一番楽しめるタイプだと思う。俺は醜態をさらすのが嫌なのであまり飲まない。でも今日は、二次会なら具合悪くならない程度になら飲んでもいいか、と缶チューハイのプルタブを引いた。
涼ちゃんの部屋は、俺が出入りするようになってから常にある程度きれいに保たれているが、宴もたけなわとなってくる頃にはなかなかにカオスな状態と化していた。まず若井が床に転がってる時点でお察しだ。いつの間にか綾華の姿はなかった。彼女はいつもそうで、二次会、三次会の途中で雰囲気を壊すことなくいつの間にか静かにいなくなっている。前世は忍者かもしれない、なんていつもより思考力の落ちている頭で思った。高野と涼ちゃんはずっと元気に飲んでいたが、ふと高野が
「ここで飲むのも最後かなぁ、引っ越すんだって?」
と、急にしみじみとしながら涼ちゃんに尋ねる。俺は内心ぎくりとしながら涼ちゃんに目を遣る。しかし彼は酔っている時特有のちょっととろんとした目つきのまま、特に答えあぐねることもなく
「うん」
とだけ頷く。
「次どこ住むのか決めた?」
えー、と涼ちゃんは首を傾げて
「まだ」
おいおい大丈夫かよそんなんで、と高野に突っ込まれても、彼はふわふわと微笑んだままである。俺はなぜだか急に悲しくなってしまって
「俺ねむーい、先寝る、あとはおふたりでどーぞ」
と言って、押し入れから毛布を引っ張り出してきてそれにくるまった。そういえば若井にいつの間にか客用の毛布が掛けられていた。多分涼ちゃんがしてくれたのだろう。俺と若井のスーツの上着も、気づかぬうちにしわにならないようにちゃんとハンガーにかけられている。そういうところは気づく癖に、なんで、なんでかな。俺は本格的に涙が出そうになって慌ててぎゅっと強く目を瞑った。
次に目を開けたとき、部屋の中は真っ暗だった。何時か分からないけれど、さすがに皆寝たらしい。俺に向き合うようにして身体を寄せているのは涼ちゃんだろう。慣れ親しんだ匂いがすぐそばにあって、俺はそっとすり寄った。毛布を少し持ち上げて彼の身体の方に手を伸ばす。あれ、何も掛けてない。掛布団、高野に譲っちゃったのかな。でも客用のもあるはずなのに。ただ単にめんどくさくなってそのまま寝ちゃったのか。なんにせよこのままでは寒いだろうと、俺は毛布を引いて、彼の身体にもかかるようにする。ついでにそっと抱きしめると、外気にさらされていた涼ちゃんの服はひんやりとしていて俺はちょっと身震いした。もう、風邪ひいちゃうぞ、ばっかだなぁー。そんなことを思いながら彼をぎゅうと抱きしめる。目が暗闇に慣れてきて、彼の顔を少しだけ見分けることができる。どうせ酔ってて眠りが深いだろうし、と俺はそのおでこにキスをする。それから頬にもひとつ。唇に触れるか触れないかのところまで顔を寄せて、俺は迷い始めてしまう。唇はさすがに勝手にしたらまずいかな。なんか寝込みを襲うみたいなさ、ちょっと変態っぽい?でもどうせ寝てるんだしいいかな——。そんなことをぐるぐる考えていたら
「……しないの?」
涼ちゃんが極めて小さな声で囁いた後、声を抑えてくすくすと笑う。
「お、起きてたの」
俺は想定外のことにびっくりして痛いくらいに早鐘を打つ心臓をおさえながら、なるべく声を潜めた。
「ん、なんか眠れなくて」
「そう……」
顔を近づけたままだったから、話すたびに唇が触れそうになる。ちょっと離れよう、と身体を動かそうとしたとき、涼ちゃんがそれを引き留めるように身体を寄せた。唇が重なる。するりと彼の舌が俺の唇をなぞった。これは、触れるだけのキスじゃなくて、その先の、もっと甘いやつをしますよという時のふたりの合図だ。まじか。すぐそばに若井も高野も寝てるのに。涼ちゃんもそれは念頭にあるのだろう。いつもよりちょっと控えめに、でもお互いを味わいつくすようにキスを重ねる。
「ン……」
思わず息を漏らすと
「しー……二人が起きちゃうよ」
と涼ちゃんは楽しそうに唇に人差し指を当てた。俺は頬が熱くなるのを感じながら、そっと彼の服の隙間に指を滑り込ませる。さすがに二人もいる中で本気でことに及ぼうとしたわけではないけれど、少し強めにその手を押しのけられて、何となく落ち込んでしまう。涼ちゃんはそんな俺をなだめるみたいにぎゅっと抱き寄せて
「ふふ、元貴はあったかいね」
なんて言って、すぅすぅと寝息を立て始めてしまう。何となくこれまで考えるのを避けてきてしまっていたけれど、涼ちゃんがキスのその先に進もうとしないのにはやはり何か理由があるのだろう。それは、同棲に前向きでないのと関係しているのかもしれない。今までは、まだ付き合ったばかりだしとか最近忙しいからとかいろいろ理由をつけて自分を納得させていたけれど、本当ならタイミングはいくらでもあったはずだった。俺は彼によって引かれている一線を、彼に抱きしめられながらもそこにまざまざと感じてしまい、ぎゅっと強く彼の服の裾を握りしめて目をつむった。
※※※
フォロワー様1600人!ありがとうございます……!たくさんの方が読んでくださっているのだなぁという嬉しさと恐れ多さ。
わたしの作品を毎日読むのをルーティンにしてくださってるというお声をいただくこともあり、いやもう作者冥利に尽きます。そんな、日常に存在させてもらっていいんですか……。ありがとうございます😭
実は今日でちょうど更新を開始してから5ヶ月が経ちます。5ヶ月?!最初はちょっと趣味で書いたやつを数本投稿してみよ〜だったのに、いつの間にかなんやかんやと構想が浮かび150話以上更新してるので驚きです。
毎日更新はしていますが、お好きなペースとタイミングで楽しんで貰えたら幸いです。過去更新分への感想も嬉しく読ませていただいています!
まさかの番外編で1万3000字超の超大作()が出来上がってしまったので、2部に分けさせていただきます!続きもぜひよろしくお願いします〜
コメント
8件
またこの2人に会えて、嬉しいです✨ 私もいろはさんのお話読むのルーティンなので仲間がいると知り、嬉しいです🙌 いつも更新ありがとうございます!
可愛いすねぇぇ♡いやぁ、これは気になる楽しみにしてますね😊💕︎💕︎
やっぱり甘々はいいですなぁー!!!!