テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第4部 綺麗な猛毒
第23章 設計
二月九日の朝五時。
勇斗は、会議室のホワイトボードの前で、腕を組んでいた。
隣で、後輩のアナリストが、机に突っ伏して寝ていた。三日目の徹夜だった。
ホワイトボードには、図が描いてあった。中央にLueur。その周りに、矢印が四本。
一本目、資本。ヴェルディエが、新しい株を二割五分取得する。
会社が新しく株を発行すると、全員の持ち分が薄まる。創業者の三人は、それぞれ、七割五分の範囲に収まる。舜太が三割。仁人と柔太朗が、二割二分五厘ずつ。合計で、七割五分。
なぜ、二割五分なのか。
勇斗は、ペンでその数字を丸で囲んだ。
会社の重要な決定、たとえば合併や、事業の譲渡、定款の変更には、株主総会で、三分の二以上の賛成が要る。特別決議という。そして、三分の一を超える持ち分を持つ株主は、この決議を単独で止められる。
三分の一。三十三パーセント強。
二割五分なら、その線を超えない。
ヴェルディエは、重要な決定を単独で止められない。創業者が、自分たちで決められる。
ふと、手が止まった。
現在の持ち分は、舜太が四割、仁人と柔太朗が三割ずつ。四、三、三。
誰も、一人では、半分に届かない。誰も、一人では、会社を決められない。
この配分は、偶然ではない、と勇斗は思った。誰かが、意図して作った。この会社の、最初の設計者が。
心当たりは、一人しかいなかった。
「……仁人さん」
小さく、口に出した。
後輩が寝返りを打った。勇斗は、ホワイトボードに、もう一行、書き足した。
『株主間契約:ブランドとデザインの権利は、創業者三名全員の同意なしに、移転できない』
二年前の、あの第二案。デザイナー本人の、了承は未取得。
その一行を書きながら、勇斗は、自分の指に、少し力が入っていることに気づいた。
二月十日の夕方。勇斗は、仁人を、会議室に呼んだ。
仁人は、資料の束を一枚ずつ、丁寧に読んでいった。
COOの目だった。数字を追う。条項を追う。ときどきペンを走らせる。
「……なぜ、ここまで、うちに有利なんだ」
顔を上げずに言った。
「うちに、ではなく」
勇斗は答えた。
「ヴェルディエにとっても、いちばん長く続く形なんです。三人が壊れない。工房が動く。柔太朗さんが残る。全部が続いて初めて、ヴェルディエの収益が積み上がります」
のんの
410
こりん
602
レタス
5,005
#ご本人様には関係ありません
狐十@アイコン変えた!!
14,368
「……」
「それに、一つ、確認したいことがあって」
勇斗は、株の表を指した。
「四、三、三。この配分は仁人さんが?」
仁人の手が、止まった。
「……ええ」
短い答えだった。
「創業の前に。誰も、一人では、会社を決められない配分にしたかった。四が舜太なのは、貯金を出したからで、それ以外の理由はありません」
「やっぱり」
「……何が、やっぱり、ですか」
「いえ」
勇斗は、少し笑った。
「今回の設計も、その均衡を壊さないようにしました。二割五分。ヴェルディエは、単独では止められない。あなたが、二年半前に作った形を守っています」
仁人は、黙って、資料をめくった。
次のページで、手が止まった。
『買い戻し条項:創業者三名の名義で、ヴェルディエの持ち分を、将来、定めた価格で買い戻せる権利を設定する』
仁人は、長い間、その一行を見ていた。
「……これは」
「二年前の、あなたの案です」
勇斗は、静かに言った。
「覚えていたんですか」
「一字一句」
仁人の指が、紙の端を握った。
「二年前は、二人の名義でしたね。柔太朗さんと、舜太さんの。あなたは、自分を入れなかった」
「……」
「今回は、三人です」
仁人が、顔を上げた。
「あなたも、入っています」
会議室が、静かになった。
仁人は、しばらく何も言わなかった。それから、視線を落として、さらに次のページをめくった。
『株主間契約』
その一行を読んで、また止まった。
「デザイナー本人の同意なしに、ブランドの権利は動かせない」
仁人が、小さく読み上げた。
「二年前と、逆の設計です」
勇斗が言った。
仁人は、何も言えなかった。唇が少し動いた。何かを言おうとして、言葉にならなかった。
代わりに、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「まだ、契約前です」
「ええ。でも」
仁人は、顔を上げた。目の縁が赤かった。
「ありがとうございます」
勇斗は、頷いた。それ以上、何も言わなかった。
二月十一日。Lueurのアトリエ。
柔太朗は、二日前に戻っていた。作業台に向かっている。左手の人差し指に、細い銀の輪が光っていた。
「勇斗さん」
顔を上げた柔太朗は、穏やかだった。
二人きりで話すのは、経営陣インタビュー以来だった。あのときも、この人は、静かで穏やかだった。
けれど今日は、その静けさの質が違って見えた。芯が通っている。
「共同ラインの話です」
勇斗は、椅子に座った。
「柔太朗さんの意思がなければ、成立しません。パリのディレクターとの、共同ライン。やりたいか、やりたくないか。最初に聞かせてください」
柔太朗は、少し考えた。
「まだ、決めていません」
正直な答えだった。
「ただ、あの人に、返事をしました。共同で一点だけ、作りませんか、と。指輪を二つ、それぞれの手で作って、対にする」
「……そうでしたか」
「契約書は、あとでいいです」
柔太朗は、手元の指輪を見た。
「先に、作りたいです。作ってみて、決めます」
勇斗は、笑った。
「それなら、その一点が、共同ラインの始まりになります」
「はい」
勇斗の目が、柔太朗の左手に留まった。
「その指輪」
「ああ」
柔太朗は、手を持ち上げた。細い銀の輪が、窓の光を受けた。輪の両端に、小さな隙間がある。
「開いているんですね」
「ええ。開いてるんです」
柔太朗は、小さく笑った。
「閉じていなくても、輪なんです」
その言葉が、勇斗の胸に静かに落ちた。
閉じ込めなくても、繋がる。契約で縛らなくても、輪は輪だ。
この会社の答えだ、と思った。
「……舜太さんは」
勇斗が聞いた。
「舜には、まだ、ちゃんと話せていません」
柔太朗は、静かに言った。
「この提案の日の夜に、話します。ちゃんと」
「……はい」
「勇斗さん」
「はい」
「ありがとうございます。あなたが、この形を考えてくれて」
柔太朗は、それだけ言って、また作業台に向かった。
二月十二日の午後。勇斗は、部長の部屋で、数字を広げていた。
最終版の試算表だった。五年間の収益予測。ヴェルディエの側。投資銀行の勇斗の側。
部長は、黙って読んでいた。
長かった。時計の音が聞こえた。
「……ヴェルディエの、五年累計」
やっと、部長が口を開いた。
「買収案の、一・三倍か」
「はい。初期投資が三分の一で、収益は、長く積み上がります」
「お前の報酬は」
勇斗は、表の最後の行を指した。
「初年度は、買収案の三分の一です。成功報酬が少ないので」
「知ってる」
「ただ、提携は成立して終わりではありません。運営が始まります。工房の稼働。ライセンスの管理。共同ラインの進行。私どもが、運営支援を年契約で受け持ちます」
勇斗は、次の行を指した。
「五年累計で、買収の成功報酬の、一・四倍になります」
部長の眉が、ぴくりと動いた。
「……初年度は少ない。でも、五年で見れば、買収より実入りが大きい」
「はい」
「お前、これを」
部長は、顔を上げた。
「俺に、売り込んでるのか」
「はい」
勇斗は、即座に答えた。
部長は、しばらく、勇斗を見ていた。それから、唇の端がわずかに上がった。
「……性格の悪いやつだな」
「褒め言葉として、受け取ります」
部長は、資料を閉じた。
「役員に通すのは、お前がやれ。俺は後ろで見ている」
「ありがとうございます」
「ただし」
部長は、机の引き出しを、軽く叩いた。
「切り札は、まだ、ここにある。忘れるな」
「……はい」
「明日、最終提案だな」
「はい」
勇斗は、部屋を出た。
廊下の窓から、冬の午後の光が、差し込んでいた。
スマートフォンを開く。仁人に送る。
『数字、できました。明日、最終提案です』
返信は、すぐに来た。
『楽しみにしています』
その一行を、勇斗はしばらく見つめていた。
口の端が、自然に上がった。作った笑顔ではなかった。
コメント
1件
読み終わりました…!今回のエピソード、ものすごくかっこよかったです。勇斗さんが、二年前の仁人さんの設計を一字一句覚えていて、その“均衡”を守る形で新しい提案を作り上げたところ、本当に痺れました。あと「閉じていなくても、輪なんです」という柔太朗さんの言葉が、すごく静かで深くて…このお話の芯を感じる一文でした。明日の最終提案がどうなるのか、ドキドキしながら待っています!