「なぁだいせんせ。」
喫煙室で、チーノと二人きり。ただ何を話すでもなく、ぼんやりと二人で煙草をふかしていたときのこと。やけにとろけた滑舌で、チーノは俺にそう喋りかけた。
「んー?どないしたん。」
「どうやったらさ、しねるかな。」
あまりに淡々とした口調だった。軽い冗談を言うときのような、それぐらいに軽く、単調な声で、チーノはとんでもないことを言い放った。一瞬冗談かと疑ったが、俺に喋りかけたくせにチーノの視線はずっと虚空を捉えていて、その虚ろな瞳が冗談では無いことを悟らせた。
こいつは、今本気で死にたがっている。
そう理解するまでに、あまり時間は要さなかった。
「……なんで、死にたいん?」
とりあえず、理由を聞いてみることにした。これは、チーノの自殺を少しでも止めたいとか、チーノを死へ駆り立てる理由が知りたいとか、そんなんじゃなくて、ただ単に俺が気になったからである。純粋な興味だけだ。ここでなにか重い返答が返ってこようが、適当な内容だろうが、俺の対応が変わることはない。
「なんとなく。あー、おれはいつまでたっても無能なんやなって、どこいってもなにしても無能なんやっておもったから。じゃあ、しのうかなって。ただそんだけやで。」
「そうか。無能なんて渾名は俺だけやと思っとったなぁ。」
「だいせんせは、やるまでがおそいだけで、有能やもん。ちゃんとできるもん。おれは、どんだけがんばっても、なんもけっかだせへんねん。」
と。一本吸い終わったチーノは、吸い殻を灰皿に捨てるでもなく手の甲に押し付けた。じゅっ、と皮膚が焼ける音がして、焦げ臭い匂いがする。少し血のにおいが混じってきたところで、チーノははっとしたように吸い殻を灰皿に戻した。
「あかん、またやってもうた….。」
どうやら、無意識のうちに自傷をしてしまったようだ。この様子からして、これが初めてでは無さそうだし、シャツをめくれば恐らく見るに堪えない傷跡ばかりなのだろう。それが煙草の火傷痕だけなのかは、量りかねるが。
「自傷はいつから?」
「うーん…..一ヶ月前、とか?きづいたらやってたから、あんまわからへん。」
「煙草押し付ける以外の自傷は?」
「ナイフでうでとかあしいっぱいきったり、おくすりいっきにのんだり、くびしめたり、とか….?おぼえてへんわ。」
「ん、そっか。」
自傷がすっかり癖付いてしまっているらしい。割と色んな自傷を試しているようで、思った以上に体はボロボロなようだ。このままだと自殺を図らずとも、自傷に体が耐えられないかもしれない。だからといって、それを言いはしなかった。
「なぁ、どうやったらしねるん?いいじさつほうほうないん?」
チーノは縋るようにそればかり聞いてくる。
自殺方法…..。なにかええのあったっけか。
「自殺なぁ….。昔いっぱい試してんけど、結局全部失敗してもうたからなぁ….。」
「しっぱいしたん….?」
「せやで。ぜーんぶ。」
そこで、短くなった煙草を灰皿に押し付けてゆるりとチーノを見遣った。相変わらず視線は虚空に向けられたまま。こちらの話を聞いているか曖昧だが、興味は示しているようだ。
とにかく死にたがりで、生きているのが不思議なくらいボロボロで、この世の終わりみたいな目をして。
ああ、本当に。
「昔の俺にそっくりやな、チーノ。」
え、と。ここで初めて、チーノは俺をはっきりと視界に捉えた。意外だと言わんばかりに、少しだけ目を見開いて。
「俺も昔そんなんやったで。無能すぎて嫌になって、生きてる意味が分からんくなって、とにかく死にたくてな。自傷なんてバカみたいにやってたし、今でも傷跡はくっきり残っとる。自殺だっていっぱいした。首吊りに入水にODに練炭に、色々試して、死ぬ一歩前まではいってんけど、結局全部失敗。ぜーんぶ失敗して、こうして今生きてるってわけ。」
あの頃が懐かしい。
まだ組織が立ち上がって間もない頃。立て込む仕事に全員がめまぐるしく対応に追われていた日々。休みなんて取れたもんじゃなく、徹夜なんて当たり前の毎日を送っていた。そんな中浮き彫りになる、自分の無能さ。仕事が大量に舞い込んでくるからこそ、無能な自分の容量の悪さとミスの頻発が、仲間の仕事を増やす原因になってしまって。仲間は笑って許してくれるが、なにより自分がそれを許せなかった。自分を追い詰めて、出来るだけ仲間の役に立とうと奮闘して、ボロボロの体に鞭を打って働いて。そんな状況で心も体も疲弊して、自傷に走りまくっては自殺を図った。自室の机の上にナイフと睡眠薬は常備してあったし、部屋は必要最低限の物しか置いていなかった。いつでも死ねるように、死んでも大丈夫なように。
「自分が嫌いで嫌いでしゃあなくて、少しでも俺の存在を消したくて、酷いときはナイフで肉削いだりしよったからな。流石にみんなに止められたけど。当時はそれくらい平気でやれた。」
むしろ己の体になにかしら傷をつけないと、精神の安定が保てないほどだった。自分の体がボロボロになっていないと、どこかしら血が滲んでいないと頭がおかしくなりそうだったんだから。今思えば相当常軌を逸していると思うけれど、当時はそんなの気にしてられなかった。
「…..なんで、ぜんぶじさつしっぱいしたの?」
「止められたんや。みんなに、シッマに。死ぬ寸前で。」
そっと、自分の左腕をさする。
首吊り自殺を図ったあの日。天井から吊った輪っかに首通して、首絞めて、息が苦しくて首が折れちゃいそうで、今まで自殺は未遂に終わったけれど、今回は本気で死ぬと思ったその瞬間に、ドア蹴破ってコネシマが部屋の中に入ってきた。今思い返せば笑えるくらいに焦った顔して、必死に縄を切って俺を助けてくれた。青ざめた顔でゲホゲホ咳き込む俺に構うこと無く、左腕を跡が付くくらいキツく掴んで、一喝
「なにやってんねん!!!!!」
と。青筋浮かぶくらいに怒り狂ってたシッマの顔は、先にも後にもこの時だけだった。
ぎゅうっと、骨が折れる勢いで俺の左腕を掴む力を強める。
「お前は!!自分の命をなんやと思ってんねん!!!もっと自分の命を大切にせえ!!!!」
そのままバシン、と右頬にビンタまで食らった。未だにあのビンタの痛みは鮮明に覚えている。あんなに遠慮の無いシッマもまた、怒りの中で混乱してたんだと思う。じゃなきゃ脳震盪が起きかけるほど強いビンタはしなかったはずだ。
右頬押さえて、ミシミシ音を立てる左腕の痛みに耐えて、我慢出来なくて涙をボロボロ流しながらシッマを見上げれば、シッマのほうが泣いていた。顔は怒りに染まってるのに、目からはボロボロ涙が零れてて、とにかくぐちゃぐちゃだった。まぁ、顔がぐちゃぐちゃなのはお互い様なんだけど。
「……お前は…..お前はっ、…..!!」
言葉に詰まったのか「お前」を何回も繰り返して、口をつぐんでは歯を食いしばる。ぐっと押し黙って、言葉を選びに選んで、なにも見つからなかったんだろう。シッマは、俺をありったけの力で抱きしめた。力は強かったしちゃんと痛かったけど、シッマの不器用さを感じてなんだか変な気持ちになった。
「…….俺、お前の相棒やんか……なんで頼ってくれへんの…..。そんなに、俺が頼れへんか…..?」
ぎゅうっと、力を込められた。
そこからのことはあまり覚えていない。だけど、シッマがとにかく優しくて、あったかくて、とにかく泣いて。思いの丈を全部吐露して、泣き疲れて眠ってしまったことは覚えている。
「あの日から、自傷はしばらく続いたけど、自殺はしなくなったな。シッマがおるんやって思えるようになったから。」
ま、もう自傷もせぇへんくなったけどな、と呟き煙草を灰皿に押し付けた。今の俺が生きているのは、間違いなくあの時救ってくれたシッマのおかげ。身体的にも、精神的にも救われたのは事実だ。
「ま、やからあんま参考にはならへんと思うで。言えることと言えば、練炭はクソ苦しいからやめといたがいいのと、ODは薬飲みきるのだいぶ辛いってことだけやな。」
「…..ん。」
「別にお前の自殺を止めたりはせん。俺も苦しい気持ち分かるから。ただ、お前が死んで悲しむ奴は必ずいるで。」
「………。」
「お前がしたいようにせえ。葬式はちゃんと開いたるよ。」
チーノは、なにか考えるように口をつぐんだまま俯いてしまった。ぎゅっと拳を握りしめ、床の一点を見つめ続けている。
きっと、もうすぐ業務が終わったショッピくんが来るだろうから、俺はこの辺でお暇しよう。二人にしか通じないことだってあるだろうし、チーノにとってのショッピは、俺で言うシッマみたいなものだろうから。
根本的な解決にならなくたっていい。その場しのぎの気休めで十分だ。それだけでも、チーノの心には大きく響くはず。
「じゃあ、またな」
それだけ残して、喫煙室を後にした。
___________
「ん、チーノやん。」
「……ぁ、しょっぴ…。」
業務が終わり、特にすることも無かったから喫煙室へ立ち寄れば、先客のチーノが煙草を吸うでもなくぼーっと突っ立っていた。少しばかり虚ろなその瞳に不安を覚えつつ、チーノの隣に並んで煙草に火を付けた。重い煙が肺を満たしていく。
「…….ね、しょっぴ。」
「んー?」
「….もし、おれが…..じさつ、しようと、してたら……どうする……?」
あんまりにも唐突な質問だった。冗談にしては少しトーンがガチだったけれど、職業柄度々そういうことは考えるわけで。特に間を置くこともなく、煙草片手に答えた。
「俺が殺す。」
「….へ…..?」
「だぁかぁらぁ、俺が殺す言うてんねん。」
チーノは自分で聞いてきた割に目をまん丸に見開いて、かなり驚いているようだった。まぁ、大抵のやつはこう答えないと思う。驚き、困惑しているチーノを置いて俺は続ける。
「俺の知らん間にお前が死ぬんが嫌やねん。お前の死に際見られへんくらいなら、俺がトドメさすわ。」
かなり自分本位な答えだ。ただの自分のエゴ。
「お前が死ぬことに変わりはないやん?自分で終わらせるくらいなら、俺に殺させろ。」
「………ふは、っ。….なんやねん、それ…。」
少しだけ、チーノが笑みを零した。普段の笑い声とは程遠いけれど、それでもあの清楚な感じは残っていた。今日初めて、チーノの瞳に光が灯った気がした。
「やっぱり脳筋やん、おまえ。」
「当たり前やろ。脳筋買われてここにいんねん。」
「なわけないやろ……ふふっ。」
なんだかどんよりとした雰囲気が漂っていたチーノだったが、少しずつ本調子に戻ってきたみたいだ。やっぱり、ニコニコ笑っているチーノが一番チーノらしい。
「な、今週のどっかで休暇貰ってツーリングせん?」
「ええなぁ。俺海いきたい!」
「よし。グルッペンさんに有給申し込んどこう。」
「俺のも一緒に出してや。」
「なんで出さなあかんねん。お前で出せや。」
「えぇ~~??出してよしょっぴ~~~~!」
「いーやーやっ!」
互いが死んだときのことなんて考えたくもないが、軍人たるものいつ死ぬか分からない。だから、生きている今の時間がなによりも大事なのだ。
せめて、アイツが自分から生きる時間を捨てることのないよう、俺はアイツの隣に居続けていたい。
あとがきみたいなもの
こちらではかなりお久しぶりです。筆が進まなさすぎて、全く更新してませんでした。短いですがようやく一本出来たので、上げることにしました。(本当は2000字くらいの予定だったんですけどね…..)
今回はーノメインのお話でした。実はちょっとあっためてたネタで、書き上げることが出来てホクホクしてます。先生とーノ共通点が多いというか、おんなじことで悩んでそうだし、平気で自殺しそうだよなというとんでもない妄想から生まれたのがこれです。昔の先生と今のーノが似たような感じするんですよね。でも今の先生ってそんな雰囲気が全くないというか、人生謳歌してそうな雰囲気漂ってるので、「なにかきっかけあって吹っ切れたんじゃね!!?」というこれまた頭悪い妄想が浮かんできたわけですよ。
僕は相棒と新人コンビが大好きなので、自然とこのコンビになっちゃいました。でも結局先生は島、ーノはョピが一番の理解者だと思うので。
ではではこの辺で。皆様最後まで読んでくださりありがとうございました!!また次のお話で会いましょう!!
おつしろ!!
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