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|乙木《おとぎ》ホールディングスの社長令嬢、|乙木《おとぎ》|紀杏《のあ》さんは私と同じ二十八歳。
それなのに、すごく可愛い!
これがお嬢様が持つふわふわオーラ……
ミルクティー色の長い髪に発色のいいピンク色の唇、ベージュ色のワンピーススーツ。
高そうなネックレスと腕時計。
爪は素敵にピンク系のグラデーションネイル。
お、おしゃれ……
ちらりと自分の爪を見た。
ノーガード(自分でやったネイル)な私と大違い。
メイクも全然違う。
これが会社推奨の可愛い女子社員。
同じ年齢でこの差である。
こんな可愛い子に『会いたくて』なんて言われたら、ありがとうございますだよ。
お礼言っちゃうよ、私なら。
そう思って、ちらりと一野瀬部長を横目で見る。
「俺に会いたかった? なにか仕事のトラブルか?」
うわ、動じてない。
というより、もしかして恋愛に鈍感なタイプ?
それなら、私を堂々と社食に誘ってきたのもうなずける。
いや、それ以前に自分から女性にアプローチするということもなかったのでは?
生まれながらにしてモテ男。
女性関係で不自由しない男はこれだから困る。
「仕事じゃないわ! すぐに貴仁は仕事、仕事って! まったく変わってないのね」
「退職しない限りは変わらないだろう」
|一野瀬《いちのせ》部長は社長令嬢の紀杏さんが何を言ってるかわからないという顔をしていた。
いや、紀杏さんが言いたいのはそういうことじゃないんですよ……
外野の私でさえ、紀杏さんが一野瀬部長とプライベートな関係でいたいという空気を察した。
「プライベートの番号に電話をたくさんかけたのに、一度もとってくれなかったわね」
「ああ。あれ、お前の番号だったのか。消したから、誰の番号だかわからなかったな」
「どうして消したの!?」
「いや、本社に戻ったということは、社長から頼まれて、お前の面倒を見ていた俺の役目も自動的に終わったと判断したからだ」
悪びれもせず、一野瀬部長はうなずいた。
紀杏さんがショックを受けているところを見ると、向こうは一野瀬部長の彼女だと思っていたのではないだろうか。
プライベートな番号、名前呼び、親しげな関係。
彼女でしょう!?
そう思っていたけど、一野瀬部長のほうは、そういう認識ではなかったようだ。
社長に頼まれて世話をしていたという認識で、本社に戻り、お役御免。
関係も終わったと考えたようだ。
たしかに仕事と割りきっていたら、一社員と社長の娘が、親しくするのもおかしく感じる。
――思った以上のドSぶり。
つまり、いつまでも昔の女の番号を残すタイプではないということね。
『真のモテ男は去るもの追わず。なんのためらいもなく、女性の番号を消す――by|新藤《しんどう》|鈴々《りり》』
心のネタ帳にメモっておいた。
「ひどい。私、貴仁に会うのを楽しみにしてたのに……」
目を潤ませて、口許に手をあてた。
その仕草も可愛い。
恋愛小説を読んで、付け焼き刃で学んだ私と大違い。
気づけば、社食にいる社員たちは、一野瀬部長と紀杏さんのやり取りに釘付けである。
社長の娘を泣かせた男として、伝説になりそうだけど、出世に響かないのだろうか。
一野瀬部長は涼しい顔で、お茶を飲んでいる。
飲んでいるのが一野瀬部長だからか、社食のお茶がなぜかワインに見える。
社長令嬢にすら、媚びず怯まない男!
「で、なんの用だ? 結婚するんだろう? 社長が喜んでいたぞ」
「貴仁……。私から別れようって言ったから、そんなに冷たいの? あなたを選ばずに、違う男性を結婚相手に選んだ理由を聞いてくれないの?」
「いや、俺は自立してもらえて嬉しく思ったが」
海外支店時代に紀杏さんとなにがあったのか、一野瀬部長はげんなりした顔をしていた。
「あなたに依存しすぎていた私。でも、それが重荷だったの?」
「そうだな。買い物から洗濯まで面倒見ていたしな」
「二人で過ごした日々を私は忘れてないんだからっ!」
一生懸命、紀杏さんがアピールするも、温度差が激しい。
「海外支店に行ったのも貴仁がいたからなのよ。私の気持ちに気づいていたくせに! なのに、だんだんあなたは冷たくなっていって……」
一野瀬部長はドラマでも観ているのかというくらい冷静で、テーブルの上にあったポットを手にした。
そして、私の湯飲みにおかわりのお茶を注いでくれる。
いつの間にか、お茶を飲み干していたことに気づいた。
ありがとうございますと言えなくて、ぺこりと会釈した。
この空気の中、なにか言えるわけがない。
「その人が貴仁の新しい彼女なの?」
うわ、巻き込まれた。
他の社員と同じく、傍観者その一として、存在していただけの私。
「そうだ」
『社内旅行の打ち合わせ』設定はどこですか?
さっき、社内では隠すことで、意見が一致したはずなのに!
「俺の彼女の新織鈴子。総務部で働いている」
一野瀬部長は、私を彼女だと紀杏さんに紹介する。
紀杏さんは顔を赤くして、うつむいた。
その姿も可愛らしい。
「話はそれだけか?」
「……貴仁の意地悪っ!」
ぷいっと顔を背けて紀杏さんは去っていた。
その後ろを常務と|遠又《とおまた》課長がご機嫌をとるようについて行った。
葉山君がそれを見て、一野瀬部長に確認する。
「一野瀬部長。大丈夫ですかね。アレ」
「まるで、姫のご機嫌をとる従者だな」
一野瀬部長は馬鹿にするような目で取り巻きを眺め、知らん顔をしてお茶を一口飲む。
葉山君の方がよっぽど気にしている。
それは私も――いつもなら、ここで妄想モードのはずが今日はミニ鈴子たちもおとなしい。
さっきから、私の視線は無意識に紀杏さんを追ってしまっていた。
一野瀬部長がモテモテだってことはわかっていた。
だから、男性以外と付き合っていた人がいても不思議じゃない。
けれど、相手が相手だ。
――まさか社長の娘だなんて!
騒動の一部始終を見ていたギャラリーから、自分と紀杏さんを比べられる前に退散しようと決めた。
あまりに不利すぎる。
カウンターどころかストレートパンチをくらって終了モード。
ずーんと敗北感で落ち込む私の視線が下に向き、トレイの上に一野瀬部長がくれたプリンがのっている事に気づいた。
ちらりと横目で彼の姿を見る。
ゆったりとしていて、慌てる様子もない。
彼にやましいことなんて、なにもないのだ。
じゃあ、このモヤモヤは私の嫉妬?
葉山君や紀杏さんと比べて、自分は平凡だ。
でも、気にしなくていいのかもしれない。
なぜなら、一野瀬部長のものさしは人よりちょっと変わってるから。
「葉山、俺にカツカレーを一口くれよ」
「嫌です」
断られて渋い顔をしている一野瀬部長が可愛い。
しかも、萌えシーン!
さっきまで落ち込んでいた自分が嘘のよう。
な、なにしてるんですか?
二人でそんなラブラブシーンを見せつけちゃう?
まさか、この二人、『あーん』とか……するの!?
しちゃうの?
それを見せてくれたら、このモヤモヤはすべて吹き飛ぶ。
むしろ、来い!
カッと目を見開き、二人を凝視する。
「新織。ほら、プリンのスプーン」
一野瀬部長が私にプリンのスプーンをくれた。
「あ……。すみません」
残念ながら、一野瀬部長と葉山君の『あーん』のシーンはなかった。
妄想だけにしておけってことですね?
わかります。
「プリン、おいしいです」
残念だったけど、プリンは美味しい。
「そうか」
嬉しそうに微笑んだ顔は、まるで子供みたいでに無邪気なものだった。
さっきとは大違い。
私の|貴瀬《きせ》|凱人《がいと》の設定にはない笑顔。
こんなの反則だ。
私の想像を越えてくるなんて。
一野瀬部長と葉山君がな並び、親しげに二人が話していたけれど、私はそれさえ目に入っていなかった。
そして、私は時間をかけてプリンを口にした。
少しでも、リアルな一野瀬部長を知りたくて――