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船上が底の見えない絶望に陥る。誰もが厳かな夕べのように沈黙し、神の定めた滅びの徴でも見つけたかのように破れた帆を見上げている。大河の緩やかな流れにまかせて船は無抵抗に下っていく。

オルギラが哄笑する。


「いずれにせよ、セビシャス様がおられる限り我々が厄災によって滅びを迎えることはないのだ。何を恐れるのか」


家族や友人を街に残してきた者もいるだろう。そんな当たり前のことをわざわざオルギラに伝えようとする者はいなかった。


気が付けば、水夫たちの視線がユカリに注がれていた。ユカリが目に見えない何かに叫んでいたことに、彼らは気づいていたのだった。その意味までは分からなかったが、ユカリが何か邪な行いをしたという考えに救いを求めたらしい。


ユカリもまたそのような視線に取り囲まれ、恐ろしさに顔が硬直したようになった。


「ユカリさん」とセビシャスが声をかける。「貴女は風を呼び寄せることが出来るのか?」

「はい。そうです。すみません。加減を間違えてしまって」とユカリは呟く。

グリュエーも悲し気に吹き寄せる。「ごめんね。ユカリ。わざとじゃないんだけど、急がなきゃと思って」


セビシャスがユカリを引き戻すように両肩を掴む。


「ならば波を立たせることは出来ないか? 下流から上流へ。海嘯のように。船自体を押さなくても、川そのものが遡るように流れれば良いのだが」


その言葉にユカリは笑顔が取り戻される。


「なるほど! 分かりました!」ユカリは船尾の方へ移動する。「グリュエー、聞いた?」

「ごめんね、ユカリ」とグリュエーは索漠さくばくたる秋風を吹かせる。

「いいから聞いて、グリュエー。思いっきり波を起こして欲しいの。下流から上流に向けて。全力で船を押し流すんだよ」

「全力で?」

「ええっと、もしも船が沈みそうになったら手加減してね」

「分かった。ちょっと待ってて」


最初は小さなさざ波のようだった。何度も何度も船に打ち付ける内に、少しずつ大きな波が生まれる。


センデラの水夫たちはセビシャスの指示に従い、幾本もの長い櫂を持ち出して力の限り船を漕ぐ。波はまだ小さなものだったが、船は一度止まり、そして川を遡り始めた。次第に勢いに乗り始めると、水夫たちは舟歌を口ずさむ。

それはユカリが幼い頃から何度も聞いた放浪民族の歌だった。ユカリの義母であるジニが歌っていた時の印象とは違い、とても力強く勇気づけられる歌だった。それは荒波に掉さす歌であり、嵐の夜に子を慰める歌だった。かつて何もかもに恐れをなした子供たちが、大人になり、大人であろうとする歌だった。それは風を鼓舞し、川に感謝する魔の歌でもあった。


グリュエーはさらに勢いを増し、とうとう一つの大波が船を捕え、船を乗せ、ずんずんと川を遡らせた。そこに櫂で漕ぐ力が加わるとさらに速度が上がり、さらにまた新たな大波によって船は大河モーニアを飛ぶように遡っていった。もはや船は下っていた時よりも速く遡る。モーニアの水底や水草の陰に潜み、水夫たちの絶望を観覧していた水魔は川を荒らされたと怒り、河岸の妖精は興が覚めたと忌々し気に呪いの言葉を放った。


「迷惑をかけたな、ユカリ」とセビシャスが言った。

「迷惑だなんて、セビシャスさんが悪いわけでもないです」


セビシャスは船べりの欄干を強く握りしめ、少し微笑んでいる。


「こんなことを言うのもなんだが、わが身に宿る奇跡によって隕石から街を救うと聞いた時、私の方こそ救われたような気分だったよ」

「セビシャスさんが、ですか?」

「ああ、過去と故郷を求めて彷徨ってきた無為の人生に意味を与えられたような気がしたのだ。この為に生きていたのだ、この為に彷徨っていたのだ、とね」

「故郷ですか。私もいつか故郷に戻りたいです。今はまだやらなければいけないことがありますが、全て終わった暁には」

「君ならばきっとやり遂げることだろう。そして故郷に戻れるはずだ」

「セビシャスさんもそうだって、私は思いますよ!」


セビシャスが眩しそうに、目を細める。

とうとう東の地平線が白み始め、にわかに朝の気配が仄かに漂い始めた。ようやく船はリトルバルムの港に戻ってきた。

しかしセビシャスが目を細めたのはまた別の光に対してだった。


「どうしてあんなに明るいんだ?」とセビシャスが戸惑う。「まるで街が燃え盛っているようだ」


確かに、朝日ではない輝きがリトルバルムの街に溢れている。怪物の石像に挟まれた水門の向こうが異常に輝き、壁垣からも光が溢れている。それは篝火のような揺らめく明かりだった。


キーツが乞うように叫ぶ。「ユカリさん! ともかくセビシャス様を街の中心へ!」

ユカリは桟橋に飛び移ってセビシャスを急かす。「あれが何かは分かりませんが、とにかく急ぎましょう。セビシャスさん」


水路の脇を走り抜け、グリュエーの力でセビシャスと共に城壁を飛び越える。まるで滅亡間近の光景だ。街中に炎の巨人が跋扈していた。天文台にも劣らない背丈の炎の巨人が各門を守護し、それ以外にも何体か威圧的に街を巡っている。揺らめく炎が地獄のような光景をリトルバルムの街に描いているが、情景に反して暴力的な熱は感じられず、秋の夜に相応しい涼しい空気が滞留していた。

その炎は幻に過ぎないことが分かる。またそのような魔法を使う人物についてユカリの心当たりは一人しかいなかった。


ユカリはセビシャスを安心させるように言う。「大丈夫です。これはベルニージュさんがセビシャスさんを助けてくれた時に使った炎と同じような幻だと思います。急ぎましょう」


ユカリたちは市民に遭遇することなく、街の中心へと坂道を下る。ベルニージュや生命の喜び会の神官、信徒たちの働きで、全ての市民が旧天文台の周辺へと集まっていた。炎の巨人に怯える人々が街の中心の旧天文台に詰め掛け、塔の周囲の堀に落ち、天文台を囲む広場からも人が溢れている。

この全ての人々に奇跡が届くのだろうか、とユカリは不安に思う。せめて広場の中心、旧天文台までセビシャスを運びたい。


「広場にも入れそうにないですね」ユカリはセビシャスに肩を貸し、腰に手をまわしてしっかりと握る。「グリュエー! 天文台の露台まで吹き飛ばして!」

「みんな巻き込んじゃうよ?」

「隕石が落ちてくるよりはましだよ」


轟くような突風が吹き、広場の人々を翻弄しつつ、二人を空中に巻き上げる。ユカリは慣れたものだが、セビシャスは喉が枯れるまで野太い声で叫んでいた。そのまま真っすぐに真っ暗な露台に突っ込む勢いで降り立つ。


ユカリは素早く立ち上がって、欄干に駆け寄り、夜空を見上げる。紅蓮の隕石は真っすぐにこちらへと飛んできているように見える。


「ワタシの勝ちだね、ユカリ」と声が降ってきた。見上げると、屋根の縁にベルニージュが座っている。「約束通り、街の皆を一か所に集めたよ。中々骨の折れる仕事だったよ」


そう言ってベルニージュは欄干に飛び降り、その上に座る。


「しかし本当に大丈夫なのかな」とベルニージュは呟く。「奇跡とやらは本当にワタシたちを救ってくれるの?」


ユカリはもう一度紅蓮の隕石を見上げる。


「もう信じるしか、祈るしかありません」

「まあね。でも伝承によると、過去に王国を滅ぼした隕石は魔女が呼び寄せたものらしいよ? だとしたらそこには殺意があって、セビシャスの奇跡の範囲外ってことにならない?」とベルニージュは冗談めかして言った。


ユカリは迫る隕石を見つめたままに頷く。


「もしそうならそうなります。それに、仮にあれが自然現象だとしても本当に助かるのでしょうか?」とユカリは疑問を呈する。「誰かを殺す意志のない山火事ならば、セビシャスさんは死なないって話でしたけど。その山火事に誰かがわざとセビシャスさんを放り込んだ場合はどうなるんでしょう?」


ベルニージュは呆気に取られ、次にくすくすと笑う。


「怖いこと言って脅かそうと思ったら、もっと怖い発想が返ってきちゃったよ」そう言って、右手を街に翳す。「とりあえず、やれることは全てやった。あとは、最期かもしれない時を精いっぱい楽しむしかないね」


ベルニージュが指を鳴らすたび、火消し具を被せられた蝋燭の灯のように炎の巨人がふっと消えていき、ついには地上の明かりが全て失われたかのように辺りを暗闇が包んだ。

そして天に、未だ人の手の届かない神秘と驚異を隠した無数の輝きが現れる。神々ですら知ることのない未来の徴が、神々の良く知る英雄や怪物を形作っている。数限りない奔星が天頂から放射状に地平線の向こうへと流れて行く。


「これほどの夜空はこの街に来て初めて見る」よろよろと立ち上がったセビシャスが、ベルニージュとは反対側の欄干に体を預ける。


セビシャスは暁迫り星の降る夜空を見上げ、涙を流していた。


「大丈夫ですか? セビシャスさん」

「ああ、彷徨の果てに失った感情が蘇ってくる。だが、この思いが何なのか」


そして、ことは一瞬に過ぎる。紅蓮の隕石はリトルバルムの頭上を横切り、その城壁を掠めて、大河モーニアに落下した。

魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。

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