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『__優しさを持ってはいけないよ。それは身を滅ぼしてしまうから、絶対に持ってはいけないよ』
そう彼女に話したのは。
彼女の名を名告けたのは。
一体、誰だったのだろうか。
○
とある麗かな春の日。寂れた神社に一人の客が訪れていた。とはいえ、客、という呼び名は少々不敬に当たる。小さなものたちが「名告主」と、あるいは「半神半妖半人」と呼ぶ存在はこの神社が祀る神よりも、権限は強く尊いのだから。
「……これで、全部『名告け』終わったかしら?」
そう愛らしく微笑みながら下駄をカラコロと鳴らし、連れの元へと駆けたのは薄藤色の袴を纏った一人の少女だ。純白の色の髪を小さな宝石のついた簪で結い上げている。
「あと一匹。そこに残っている」
少女の連れである少年は、顎で『名告け』の対象を指した。白髪の少女とは対象的に、少年は漆黒の髪色で、着物は暗い色合い。
そんな少女と少年が並び立つ様子は、見るものに不吉な何かを連想させる。
「あら……わたしとした事がうっかりね。ごめんなさい、独り置いてけぼりにしちゃう所だった」
少女は笑顔で『名告け』の終わっていない小さなものの元へ近付いた。木霊にも似た、名もなきそのものは淡く発光して自らの意思を少女に伝える。
____すなわち、『名告け』てもらいたい『名』の要求。
少女は慈愛に満ちた笑みでこれに応じた。じゃあどうしようかしら、と顎に手を当ててしばし黙考する。
「そうねぇ……。今から北へ渡るのだから、できるだけ温かい『名』が良いわよね……」
少女の『名告け』に少年は関わらない。関わってはならない。なぜならこれは、歴とした『儀式』なのだから。神聖なものであるのだから。……だから《邪悪》は関わってはならない。
「よし、決めたわ!」
パッと顔を上げ、小さなものを両手で掬い上げた少女は『名』を『告』げる。
「今から『名告主』が代替わりするまで、あなたの『名』は《陽光》よ。異論は認めない」
今まさに『名告け』られた《陽光》や、彼の仲間たちがふわふわと明るい光を出しながら少女を取り囲む。彼らは皆例外なく喜んでいた。当たり前である。魂に『名』を『告げ』られるのは、この上なく名誉なことで、この世界に祝福された事と同義だ。
きらきらと『優しい』輝きの中にいる少女を無表情に見つめている少年の元に、この神社で祀られている神が声をかけた。
「お主は混ざらんのか?」
「ハッ。ぼくが、か?」
神の言葉に唾を吐くように、少年はそう返した。神は黙って先を促す。なぜなら、険悪な言葉とは裏腹に、その目が微かに、優しく細められていたから。
「ぼくがあそこへ入ってはいけない事くらい、神なら分かるだろう? 全て『汚く』なるぞ」
神は面白そうに笑った。その気になれば世界を滅ぼせる一対の片割れの言葉とは思えない。あまりにもこの少年は、あの少女は、優しすぎる。
「それでも……『名告主』は構わんというだろうに……全く」
少年は少女の方へと目線を戻した。少女はそれに気付いたのか柔らかく微笑み大きく手を振る。
「……だって」
少年は小さな声でそう呟く。この神にしか聞こえないように。あの少女には、絶対に聞こえないように。
「雪には、ずっと綺麗で生きていて欲しいから」
「せつ、か。いい名じゃのう」
「…………」
少年は神の言葉に応える事なく目を閉じた。
__いい名なわけ、あるものか。あれがあるから、『名告げ』られたから、雪は……!
「____ひょう、ひょう、氷!」
儀式が無事終了したのだろう。雪が少年の『名』を呼んで、こちらへおいでと誘う。氷は少しの間思案して、やはりやめておくべきだと決めた。
そもそも、氷と雪は仲間でもなんでもないのだから。そうあるべきだと、氷自身が望んだ事だから。
彼は『名告待』の、ただの物の怪なのだから。必要以上に『名告主』に関われば、彼女がいなくなった時につらくなってしまうから。
穏やかな風が氷と雪の間を吹き抜けた。氷は太陽の位置を確かめる。次の場所に向かう為にはもう出発しなければならない。
「雪。そろそろ時間だ」
「……また少し、『寂しく』なるのね」
何かの半分を三つ足したとしても一にはならない。存在は安定しない。だからこそ、本来ならば一つしか『告げ』られない、そのものの性質を表す『名』をいくつも魂に括り付けなければならない。そしてその『名』は他のものに『名告げ』る事により、減ってゆく。
優しい『名』を『告げ』ればその分だけ、自らを構成する『優しさ』が消えてゆく。
それが『名告主』だ。神よりも人よりも物の怪よりも、長くは生きられない尊い存在で。
今代の『名告主』が、雪だった。
____これは、『名告主』の少女と『名告待』の少年の物語。
あるいは最後の、『名告主』の物語。