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猫の小判
158
@大畑弥雅
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#僕はフォロワー様を神と呼ぶ
愛
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読了しました。 「逃げる」って聞くと悪いイメージがあるけど、この話では「二人で逃げる」がちゃんと「救い」になってるのが沁みました。ラムネの瓶を揺らすとビー玉が鳴る、あの音が、作中で何度も繰り返されるのがいいアクセントになってて。海辺で「二人で逃げたんだよ」って言い合うシーン、特に好きです。設定や説明が多すぎず、地の文と台詞のバランスも心地よかったです。
夏休みまで、あと三日。
蝉の声が、朝からずっと鳴っていた。
教室の窓は開いている。
それでも暑い。
黒板に書かれていく数式。
先生の淡々とした声。
シャープペンがノートを走る音。
いつもと何も変わらない、三時間目。
――の、はずだった。
🩷「……柔太朗」
隣から、小さな声。
🤍「ん?」
振り向く。
勇斗が机に頬杖をついたまま、窓の外を見ていた。
いつもの勇斗なら、授業中でもこっそりくだらないことを言ってくる。
先生にバレないように笑わせてきたり。
後ろの席のやつと目が合って、くだらない顔をしたり。
でも今日は違った。
笑っていない。
🤍「どうしたの?」
🩷「……疲れた」
その一言が、妙に重かった。
🤍「寝不足?」
🩷「それもある」
🤍「じゃあ昨日何時に寝たの」
🩷「知らない」
🤍「知らないって何」
🩷「時計見る余裕なかった」
勇斗が笑おうとする。
でも、うまく笑えていない。
そのとき。
勇斗のスマホが机の中で震えた。
勇斗がそっと画面を見る。
ほんの一瞬。
表情が消えた。
そしてスマホを伏せる。
🩷「……まただ」
🤍「家?」
🩷「うん」
それ以上、勇斗は何も言わなかった。
先生の声が遠くなる。
黒板の文字がぼやける。
勇斗はただ、机の下でスマホを握っていた。
その日の朝。
家を出る前にも言われた。
『ちゃんとしろ』
『何度言ったら分かるんだ』
『お前ならもっとできるだろ』
勇斗は、
「うん」
としか言わなかった。
「分かった」
「ごめん」
「気をつける」
それで終わらせた。
家では、そうするのが一番楽だった。
反論すれば長くなる。
説明すれば言い訳だと言われる。
黙っていれば、少なくともその場は終わる。
だから今日も笑った。
学校に来れば、
「勇斗、おはよ!」
「おはよ!」
「今日めっちゃ眠そうじゃん!」
「昨日夜更かしした!」
「またかよ!」
「バレた?」
笑う。
笑っていれば、誰も何も聞かない。
『勇斗って悩みなさそう』
『いつも楽しそうだよね』
『勇斗がいると明るくなる!』
そう言われるたびに。
勇斗は、自分の中に何かを押し込めていった。
その頃。
柔太朗もまた、別の意味で息苦しさを感じていた。
「柔太朗って、本当に綺麗だよね」
「なんか儚いよね」
「怒ったりしなさそう」
「柔太朗って絶対優しいじゃん」
「悩みとか無さそう」
全部、悪意のない言葉。
だから余計に、何も言えなかった。
違う。
俺だって普通に腹が立つ。
面倒くさいと思う。
誰とも話したくない日もある。
逃げたい日だってある。
でも、
『柔太朗っぽくない』
と言われるのが嫌で。
結局、笑ってしまう。
今日も。
そして、三時間目。
勇斗が、もう一度口を開いた。
🩷「……柔太朗」
🤍「ん?」
🩷「俺さ」
少し間が空く。
🩷「もう、全部疲れた」
柔太朗は何も言わなかった。
勇斗が窓の外を見る。
🩷「家帰っても怒られるし」
🩷「学校来たら笑わなきゃいけないし」
🩷「何してもちゃんとしろって言われるし」
🩷「でも学校で暗い顔してたら、どうしたのって聞かれるし」
勇斗は、机の上に額をつける。
🩷「……俺、どこで疲れればいいんだろ」
柔太朗は勇斗を見る。
そして。
教室を見渡した。
誰も二人を見ていない。
先生は黒板を向いている。
夏の光が、机の上に落ちている。
柔太朗は小さく息を吐いた。
🤍「……じゃあ」
🩷「ん?」
🤍「一緒に逃げちゃおっか」
勇斗が顔を上げた。
🩷「……え?」
🤍「今から」
🩷「今?」
🤍「うん」
🩷「授業中だよ?」
🤍「知ってる」
🩷「先生いるよ?」
🤍「知ってる」
🩷「……柔太朗、どうしたの?」
🤍「知らない」
少し笑う。
🤍「俺も疲れたから」
勇斗が、しばらく柔太朗を見る。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
🩷「……じゃあ、逃げよっか」
🤍「うん」
次の瞬間。
二人は教科書を閉じた。
鞄を持った。
そして。
何も言わずに教室を出た。
廊下。
誰も追いかけてこない。
階段を降りる。
昇降口を抜ける。
校門を出る。
そこで二人とも立ち止まった。
🩷「……出ちゃった」
🤍「出ちゃったね」
🩷「やば」
🤍「うん」
🩷「絶対怒られる」
🤍「うん」
🩷「どうする?」
🤍「逃げる」
🩷「まだ言うんだ、それ」
🤍「だって逃げてるし」
勇斗が笑った。
今度は、少しだけ本当に笑っていた。
当然。
学校は大騒ぎだった。
「山中くんは?」
「佐野くんもいません」
「え?」
「二人とも?」
先生が教室を見回す。
二人の席だけが、空いている。
最初はトイレだと思った。
でも、戻ってこない。
校内を探してもいない。
友達に聞いても、誰も知らない。
そして。
担任が二人の家に連絡を入れた。
その頃、二人は駅にいた。
スマホには、着信がいくつも入っている。
🩷「……やばい」
🤍「何件?」
🩷「見たくない」
🤍「俺も」
勇斗がスマホを裏返す。
そして電車を見る。
🩷「……どこ行く?」
🤍「知らない」
🩷「また?」
🤍「知らない場所がいい」
🩷「なんで?」
🤍「誰も俺たちのこと知らないから」
勇斗は黙った。
そして、小さく頷く。
🩷「……それ、いいね」
二人は電車に乗った。
目的地はない。
帰る時間も決めていない。
ただ。
いつもの場所から離れた。
降りた駅は、知らない町だった。
海の匂いがする。
駅前には小さな商店。
蝉の声。
強い日差し。
🩷「……暑」
🤍「制服だしね」
🩷「体育着持ってくれば良かった」
🤍「それはそう」
二人で歩く。
すると勇斗が突然立ち止まった。
🩷「あ」
🤍「何?」
🩷「ラムネ」
冷蔵ケースの中。
透明な瓶が並んでいる。
🤍「飲む?」
🩷「飲む」
二人で一本ずつ買う。
瓶を開ける。
――カラン。
ビー玉が鳴った。
🩷「……なんか、夏って感じ」
🤍「うん」
ラムネを飲む。
冷たい。
甘い。
そのまま海まで歩いた。
海は、思っていたより綺麗だった。
二人で砂浜に座る。
靴を脱いで。
足だけ海につける。
🩷「冷たっ!」
🤍「子供?」
🩷「柔太朗も来いよ」
🤍「嫌」
🩷「なんで!」
🤍「濡れるから」
🩷「海来て何言ってんの」
勇斗が笑う。
柔太朗も笑う。
くだらない。
本当に、くだらない。
でも。
今だけは、それでよかった。
夕方。
太陽が沈み始める。
勇斗は、空になったラムネ瓶を見つめていた。
カラン。
少し瓶を揺らすと、ビー玉が鳴る。
🩷「……柔太朗」
🤍「ん?」
🩷「俺さ」
🤍「うん」
🩷「ここ、好きかも」
🤍「俺も」
🩷「誰も俺のこと知らないから」
🤍「……うん」
🩷「笑ってなくても、誰も何も言わない」
勇斗が海を見る。
🩷「家に帰ったら、また怒られる」
🩷「明日学校行ったら、何で逃げたのって聞かれる」
🩷「たぶん、いっぱい怒られる」
🤍「うん」
🩷「……帰りたくない」
柔太朗は、しばらく黙っていた。
そして。
🤍「俺も」
🩷「……え?」
🤍「帰りたくない」
勇斗が柔太朗を見る。
🤍「俺だって、ずっと『綺麗』とか『優しそう』とか言われるの疲れた」
🩷「……」
🤍「怒ったら『柔太朗っぽくない』って言われるし」
🤍「嫌なことがあっても、そんな顔しないでって言われる」
🤍「……俺の顔見て、勝手に俺を決めないでほしい」
勇斗は何も言わない。
柔太朗は、少し笑った。
🤍「俺も、普通に疲れるよ」
勇斗の目に涙が浮かぶ。
🩷「……なんだよ」
🤍「何?」
🩷「柔太朗もじゃん」
🤍「うん」
🩷「俺だけ逃げたのかと思ってた」
🤍「違う、二人で逃げたんだよ」
🩷「……そっか」
笑った。
涙を流しながら。
🩷「……俺、もう無理だと思ってた」
柔太朗は黙って聞く。
🩷「何しても怒られて」
🩷「学校では笑って」
🩷「疲れても笑って」
🩷「嫌でも『大丈夫』って言って」
🩷「……もう、全部嫌だった」
言葉が止まらなくなる。
🩷「もう何もしたくない」
🩷「何も考えたくない」
🩷「誰にも何も言われたくない」
勇斗が顔を覆う。
🩷「……今日、柔太朗が一緒に逃げようって言ってくれなかったら」
そこで言葉が途切れた。
柔太朗は、何も急かさなかった。
ただ隣にいる。
勇斗が落ち着くまで。
しばらくして。
勇斗が小さな声で言った。
🩷「……今日だけ、何も考えなくていい?」
🤍「うん」
🩷「明日のことも?」
🤍「うん」
🩷「家のことも?」
🤍「うん」
🩷「……笑わなくても?」
🤍「もちろん」
勇斗は俯いた。
そして。
少しだけ笑った。
🩷「……じゃあ、もうちょっとここにいたい」
🤍「いいよ」
🩷「帰るまで一緒にいてくれる?」
柔太朗は迷わなかった。
🤍「うん」
海に夕日が沈んでいく。
空っぽのラムネ瓶が、二人の隣に並んでいる。
カラン。
風に揺れて、ビー玉が鳴った。
その音を聞きながら。
二人はもう少しだけ、知らない町にいた。
玄関のドアを開けた瞬間。
勇斗は、足を止めた。
明かりがついている。
リビングから、テレビの音。
そして。
低い声。
「……どこ行ってた」
勇斗の肩が、小さく跳ねた。
🩷「……ごめん」
「ごめんじゃない」
家の中に入る。
「学校から連絡が来た」
🩷「……うん」
「授業中にいなくなるってどういうことだ」
🩷「……」
「何を考えてるんだ」
勇斗は俯く。
🩷「……ごめん」
「またそれか」
その言葉に、勇斗の指がぎゅっと縮こまる。
「お前、最近おかしいぞ」
🩷「……」
「学校でもちゃんとやってるのか?」
🩷「やってる」
「じゃあ、なんでこんなことした」
答えられない。
――疲れたから。
逃げたかったから。
もう限界だったから。
そんなことを言っても、きっと理解してもらえない。
だから。
🩷「……ごめん」
また、それしか言えなかった。
しばらくして。
「明日、学校で先生にもちゃんと謝れ」
🩷「……うん」
「もう寝ろ」
🩷「……分かった」
自分の部屋に戻る。
ドアを閉める。
ベッドに座る。
ポケットから、昼間に買ったラムネのビー玉を取り出す。
瓶から落ちたものを、勇斗が記念に拾っていた。
掌の上で転がす。
――カラン。
海の音が蘇る。
柔太朗の声。
『一緒に逃げちゃおっか』
勇斗は、ほんの少しだけ笑った。
そして小さく呟く。
🩷「……明日も、頑張れるかな」
答える人はいない。
でも。
スマホが震えた。
柔太朗からだった。
『ちゃんと帰れた?』
勇斗はしばらく画面を見つめて。
『うん』
とだけ返した。
すぐに返信が来る。
『そっか。おやすみ』
勇斗はスマホを胸元に置いた。
今日一日だけは。
確かに逃げられた。
明日からまた、窮屈な日々に戻る。
それでも。
「また逃げてもいい場所がある」
そう思えるだけで。
ほんの少しだけ、息がしやすかった。
次の日。
教室に二人が入った瞬間。
「昨日どこ行ってたの!?」
「先生めっちゃ探してたんだけど!」
「親から連絡きてたでしょ!?」
「二人で逃げたって本当!?」
質問が一気に飛んでくる。
勇斗と柔太朗は顔を見合わせた。
そして。
ほんの少し笑う。
🩷「……ちょっと逃げてみた」
🤍「うん」
「何それ!?」
「意味わかんない!」
「何があったの!?」
二人は答えなかった。
だって。
あの日のことを、全部説明する必要はないと思ったから。
誰かに決められた自分じゃなく。
誰かに期待された自分でもなく。
ただ、自分たちの意思で過ごした一日。
それだけは。
二人だけのものだった。
そして。
窮屈な日々は、きっと今日も続いていく。
でも。
また苦しくなったら。
あの日みたいに。
少しだけ立ち止まってもいい。
柔太朗は、隣の勇斗を見る。
勇斗も、こっちを見る。
目が合って。
二人で笑った。
――カラン。
遠い夏の記憶の中で、ラムネのビー玉が鳴った気がした。