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「……結衣、ちゃん?」
10年ぶりに震えながら出した私の声は、ひどく掠れていて、自分のものではないみたいに心許なかった。
結衣
10年前、美波たちの取り巻きでもなく
かといって私の味方でもなかった「空気」のような存在。
いつも教室の隅で分厚い本を読み
誰とも視線を合わせなかった彼女が、今、聖者のような微笑みを浮かべて私の前に立っている。
「覚えていてくれたのね、嬉しいわ」
結衣は一歩、私に近づいた。
その足音は驚くほど静かで、まるですべての音を吸い込んでいるかのようだった。
「どうして……。あなたが『パンドラ』だったの?」
私は震える手でスマホを握りしめる。
結衣は細い指で自分のスマホの画面をなぞった。
「パンドラはね、欲望の濾過装置なの。私はただ、あなたたちに『きっかけ』を与えただけ」
「美波は虚栄心で自滅し、エリカは嫉妬で狂い、沙織は執着に溺れた。……そしてあなたは、復讐という正義を全うした」
結衣の瞳には、感情の欠片もなかった。
そこにあるのは、顕微鏡で微生物を覗き込むような、無機質な知的好奇心だけ。
「でも、これで終わりだと思っているなら、それは間違いよ」
結衣が画面をスワイプすると、私のスマホが激しく振動した。
次々と転送されてくるのは、美波たちの未公開動画。
だが、そこに映っていたのは彼女たちの残虐な行為だけではなかった。
動画の中の美波たちが、私の喉に熱湯をかけようとしているその背景。
そこには、笑いながらスマホを向けているクラスメイトたち、異変に気づきながら
「関わりたくない」と目を逸らして通り過ぎる教師たち
そして、ネットに流れた私の動画を見て「自業自得だ」と叩き
楽しそうに拡散していた見ず知らずの何千、何万という大人たちの顔が、鮮明に記録されていた。
「美波たちは、ただの『実行犯』に過ぎない。本当にあなたを殺したのは、見て見ぬふりをしたこの世界そのものよ、栞」
結衣の声が、甘く、毒のように耳元に這い寄る。
「美波たちが捕まって、世間は今『正義は勝った』と喝采を上げているわ。でも、明日になれば彼らはまた別の『獲物』を探して、誰かをいじめ、誰かを踏みにじる。……このサイクルを止めたいと思わない?」
私は、画面に映る無数の「無実を装った傍観者」たちの顔を見つめた。
私の声が奪われた時、彼らは確かに笑っていた。
あるいは、沈黙という暴力を振るっていた。
「さあ、栞。復讐の第2フェーズを始めましょう。次は、この街全体を『パンドラ』の檻に閉じ込めるの」
結衣が差し出した手。その先には、さらなる地獄の門が開いている。
私は、自分の取り戻したばかりの声で、ゆっくりと問いかけた。
「……あなたは、何が望みなの?」
結衣は、10年前と変わらない無機質な微笑みで答えた。
「私はただ、誰にも邪魔されずに、結末を読んでいたいだけよ」
背後で、九条刑事の足音が近づいてくる。
私は、結衣の手を取るのか。
それとも、取り戻したこの声で「真実」を叫ぶのか。
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深冬芽以