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第8話
【ハウメア湖の夜風と、逃れられぬ大天使】
賑やかな晩餐会が終わったあと、
城からち遠く、幻のように消え去る。
魔皇帝としての威厳を保ち、アーモンドの意地悪な攻め立てに耐えきったアイラナは、自室に戻るなり、衝動的に全魔力を解放した。
行き先は、魔界ではない。
800年前のあの大戦の折、自らの強大な魔力が大地を深く抉り、その後に水が溜まってできた人間界の巨大な湖――
「ハウメア湖」
のほとりだった。
「……っ、はぁ、……っ」
夜の静寂に包まれたハウメア湖。かつて地獄のようだった戦場は、今では一面に幻想的な月光を浴びた花畑が広がる、静謐な場所へと姿を変えていた。
心地よい夜風が、アイラナの熱くなった頬を優しく撫でる。
アイラナは花畑の中にぽつんと佇み、激しく乱れた呼吸を整えようと、燃えるようなレッドダイヤモンドの瞳をきつく閉じた。
(どうして……どうしてあそこまで、私はあの男に振り回されてしまうのだ)
昼間の冷徹な突き放し。晩餐会での甘く意地悪な耳打ち。
すべてがアーモンドの計算通りで、自分はただ手のひらの上で転がされているだけ。
800年間、一途に彼だけを想い続けてきた心が、悔しさと愛しさ、そして圧倒的な羞恥心でぐちゃぐちゃにかき乱されていた。
「私は魔界の主だぞ……あんな軽薄な男に、これ以上……っ」
膝をつき、月光に照らされる美しい花を一輪、きつく握りしめようとした――その時。
カサリ、と背後で花畑が揺れる音がした。
「君はここに逃げてくると思ったよ。
……アイラナちゃん」
心臓が、跳ね上がる。
ゆっくりと振り返ったアイラナの目に飛び込んできたのは、正装の上着を脱ぎ捨て、薄黄緑色の髪を夜風になびかせたアーモンドの姿だった。
片耳のレッドダイヤモンドのピアスが、湖の水面に反射して怪しくきらめいている。
「な、……!? なぜお前がここに……! 結界を張って、テレポートしたはずだぞ……っ」
驚愕に震えるアイラナの声を、アーモンドはクスリと、この上なく愉しげな笑みで受け流した。
彼は優雅な足取りで一歩、また一歩と、逃げるアイラナとの距離を詰めていく。
「忘れたの? ここを抉ったのは君だけどさ……その横で君を口説き倒して、この世界の空間の座標を一番よく知っているのは、天界最強の『僕』なんだよ?」
長い睫毛に縁取られた薄紫色の瞳が、極上の流し目でアイラナを捉える。
周囲には、アイラナの威厳を守ってくれる臣下は誰もいない。
ただ二人きり、月光と花畑に囲まれた、言い訳の効かない秘密の空間。
「晩餐会のとき、すっごく泣きそうな、可愛い顔してたね。……そんな顔されたら、僕の『お仕置き』、もっと手厳しくなっちゃうに決まってるじゃないか」
アーモンドはアイラナの目の前で立ち止まると、ふっと視線を和らげ、けれど底知れない鬼畜ドSの笑みを湛えて、彼女の頬にそっと細い指先を滑らせた。
「さあ、2回戦の始まりだよ、僕の一途な魔皇帝陛下。……今度は、テレポートで逃げるの禁止ね?」
夜のハウメア湖。かつて二人が出会った始まりの場所で、逃げ場所を完全に失ったアイラナの、本当の夜が始まろうとしていた。
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ぽんぽんず