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時也は
泣き続けるレイチェルの背を
シーツ越しに撫で続けていた。
「⋯⋯幸せに
ならなきゃ、ダメだよ⋯⋯っ!」
シーツの中から
レイチェルの掠れた声が漏れた。
その声は
泣き疲れた所為か震えていた。
時也は
レイチェルの背に添えていた手を
一瞬止める。
(⋯⋯レイチェルさん)
彼女の擬態の力は
ただ姿を真似るだけではない。
コピーした相手の感情、記憶
その人そのものを感じ取る。
だからこそ——
彼女は、時也の過去を知ってしまった。
(⋯⋯なんて、残酷な異能なのだろうか)
時也がそう感じた
瞬間だったー⋯。
「そう⋯⋯幸せになるべきですわ⋯⋯」
不意に、レイチェルの声が変わった。
耳に馴染み深く
それでいて
もう二度と聞けないと
思っていた⋯⋯声——。
「⋯⋯ま、さか⋯⋯?」
時也の手が
そっとシーツの端を掴み
ゆっくりと捲った。
そこに居たのは——
〝雪音〟だった。
(⋯⋯⋯⋯擬態してしまったのか⋯⋯っ)
桜色の着物を纏い
穏やかな微笑みを浮かべた雪音が
其処に居た。
同じ鳶色の瞳が
静かに、時也を映している。
「⋯⋯お兄様」
時也の目が、揺らぎながら滲む。
胸の奥から込み上げる感情が
堰を切ったように溢れ出した。
「⋯⋯お、前⋯⋯っ」
「もう、お兄様ったら⋯⋯
相変わらず泣き虫ですのね?」
雪音は、くすりと笑った。
その笑顔は
遠い日々に見た
あの優しい微笑みと同じだった。
「⋯⋯泣かずにいられると
思いますか?
また、お前の顔が⋯⋯見れるとは
思いませんでした⋯⋯」
「私の未来視の通り⋯⋯ですね。
お兄様が此方の世界で
素敵な方と出逢えて⋯⋯
安心いたしましたわ」
その言葉に、時也の喉が震えた。
アリアの事だと
直ぐにわかった。
「⋯⋯お前は⋯⋯」
時也が自分の死後
禁術で世界を渡る事を
雪音は知っていた。
其処で、運命と呼べる相手と
時也が出逢うことも⋯⋯。
時也は
レイチェルの身体である事も忘れ
思い切り雪音を抱き締めた。
「⋯⋯痛かったろう。
苦しかったろう⋯⋯っ。
すみません⋯。
すみません、雪音⋯⋯。
僕が、至らないばかりに⋯⋯
お前を⋯っ」
「お兄様⋯安心してくださいまし。
私は⋯⋯誰にも穢される事無く
清らかなまま、見事に自死できました。
私の身体が八つ裂かれていたのは
死してからです。
⋯⋯腹癒せでしょう 」
雪音の言葉が、時也の記憶を抉る。
そして
雪音の心が映し出すのは
あの夜の光景——
琴を牢の内側に閉じ込め
自ら外へ出た彼女。
手にした懐刀を握り締め
堂々と廊下を進むその姿。
——そして。
己の首に刃を突き立てる、あの瞬間。
「愚か者に触れられるのならば⋯⋯
⋯⋯自死を選ぶっ!!」
鮮血が
まるで、花が咲くように噴き出した。
桜色の着物が
深紅に染まっていく。
血が床に滴り
廊下に広がっていく音。
膝を折る雪音。
最後に、唇に浮かべた——
あの微笑み⋯⋯。
「やめて、くれ⋯⋯っ!!」
時也の喉から、苦しげな声が漏れた。
張り裂けるような胸の痛み。
「⋯⋯お前は⋯⋯っ⋯⋯!
お前は、どうして⋯⋯っ」
「ふふ⋯⋯」
雪音が、静かに微笑む。
「⋯⋯私の未来視では
こうするのが最良だったのです」
「良い訳がないっ⋯⋯!!」
時也の声が震え、怒りが滲む。
「どうして⋯⋯
どうして、僕なんかの為に⋯⋯っ!!」
「いいえ⋯⋯お兄様」
雪音は、穏やかに首を振る。
「あの晩、お兄様が屋敷に居たら
⋯⋯殺されてましたわ。
お兄様が殺されたら
その後⋯⋯私が、どう扱われるか。
お解りになりますよね?」
政治の道具にされ
辱められる未来。
その光景も
雪音は未来視で見ていた。
「それに⋯⋯
お兄様の幸せの為には
私が死ぬのが⋯⋯
最良だったのです。
でなければ、お兄様は
ずっとあの世界に
囚われていたでしょうから」
「僕の幸せだと、言うならば⋯⋯。
どんな形であれ⋯⋯っ
お前に⋯⋯お前に、生きて!
共にいて欲しかったっっ!!
〝俺〟の為にも⋯⋯っ!!」
雪音は、泣き叫ぶ時也の胸に
頬を寄せた。
「お兄様も同じですのよ?
いつだって私の為だと⋯⋯
お兄様は ご自分を
犠牲にしてこられたでしょ?
私がいったい
どれだけ同じ気持ちだったか⋯⋯
やっと、お解りですか?」
「⋯⋯俺、は⋯っ
お前の⋯⋯為なら⋯⋯!!」
雪音は、時也の頬にそっと手を添えた。
「それが間違いでございます。
あの世界での、お兄様は⋯⋯
歴代最高峰の〝陰陽師〟などではなく。
私にとって、ただの⋯⋯
たった一人の〝お兄様〟なのですよ?
何でも独りで
持って行かないでくださいませっ!」
時也の喉が、嗚咽で詰まる。
涙が、止まらない。
「⋯っ、お前が⋯⋯お前がいなきゃ
〝俺〟は⋯⋯僕は⋯っ」
「⋯⋯大丈夫ですわ」
雪音が、そっと微笑む。
「お兄様が⋯⋯この先
アリア様と共に生きていくなら⋯⋯。
それこそが、私の最後の願いです」
「お兄様は⋯⋯幸せにならなきゃ
ダメですよ?
ほんと⋯⋯私の為、人の為
ばっかりな人なんだから⋯お兄様は。
青龍だって
初めてのお兄様からの願いは
嬉しかったでしょう。
それが⋯⋯禁術であっても」
「⋯⋯僕は⋯⋯僕は⋯⋯っ」
時也は、泣き崩れた。
「もう!
お兄様が、幸せにならなきゃ
私の死が無駄になりますわよっ!
しっかりしてくださいませ?
あの世界での
歴代最高の陰陽師にして
新たな世界での
櫻塚家、現当主⋯櫻塚 時也様っ!」
「⋯⋯お前が望むなら⋯⋯
僕は⋯幸せに、なります⋯⋯っ」
雪音が、そっと時也の頭を撫でた。
その温もりが
時也の心の傷口に触れるように
優しかった。
「お兄様⋯⋯
どうか⋯⋯どうか⋯⋯
愛し、愛される人生を⋯⋯」
するりと
雪音の手が、時也から離れる。
「⋯⋯雪、音⋯⋯?」
時也が涙の隙間から目を上げると——
雪音の姿は、ゆっくりと薄れていく。
「ふふ。
初めての兄妹喧嘩⋯⋯
楽しゅうございました。
私の勝ち逃げ、ですわね⋯⋯?」
時也の腕に
もたれ掛かるようにして
細い身体から力が抜けていく。
そのシーツの中には
レイチェルの顔が見えた。
彼女は、涙で濡れた頬のまま
穏やかな寝息を立てている。
雪音はもう⋯⋯何処にもいなかった。
時也は
レイチェルの頬に
そっと手を添えた。
「⋯⋯ありがとう。
レイチェルさん⋯⋯」
その声は、酷く震えていた。
夜は、静かに更けていく。
桜の花弁が
窓からひらりと舞い込み
時也の肩にそっと触れた。