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ゆうき あきや
1,642
厚揚げ衣
20
なんたろ
1
いちご@ホロオタ×ぴちりす
295
第75話:全身筋肉痛と、帰郷〜港区の車椅子と、夢から覚めた四畳半〜
「……う、あ……っ」
翌朝。
港区の超高級五つ星ホテル、そのスイートルームのふかふかのキングサイズベッドの上で。
俺は、一匹の羽化に失敗したセミのように、仰向けのままピクリとも動けずにいた。
「い、痛ぇ……。なんだこれ、全身の骨が砕けてんのか……?」
目を覚まし、体を起こそうと腹筋に力を入れた瞬間、全身の筋肉という筋肉から、電流のような激痛が走った。
首が回らない。
腕が上がらない。
太ももは鉛のように重く、そして何より、昨日の配信中に爆発した『腰椎』が、少しでも動けば脊髄を破壊すると警告を発している。
同接三十万人という、スタプロ歴代一位の伝説を打ち立てた代償。
それは、慣れない全身タイツ(モーションキャプチャースーツ)での激しい運動と、極度の緊張状態から解放されたことによる、四十歳の肉体への【究極の反動(全身筋肉痛)】だった。
「だ、だめだ……。スマホすら、取れねえ……」
ベッドサイドのテーブルに置かれたスマホに手を伸ばそうとするが、肩の関節が悲鳴を上げて指先が届かない。
チェックアウトの時間は、午前十時。
すでに時計の針は、九時半を回っている。
「終わった……。俺、このまま港区のホテルで孤独死するのか……? 同接三十万人の翌日に、全身筋肉痛で餓死とか、どんなギャグだよ……」
俺が天井の豪華なシャンデリアを見つめて絶望していると。
『ガチャリ』
突然、部屋のドアが開く音がした。
「ルシフェル様!? おはようございます! チェックアウトの時間ですが、お電話に出られないので合鍵で失礼しま……って、ルシフェル様!?」
飛び込んできたのは、スタプロの神崎プロデューサーだった。
彼は、ベッドの上で硬直している俺を見るなり、血相を変えて駆け寄ってきた。
「ど、どうされたんですか!? 息はありますか!? 顔面蒼白ですよ!!」
「か、神崎さん……。たす、けて……」
俺は、唇だけを震わせて、かすれ声で訴えた。
「全身の、筋肉が……。一歩も、動けねえ……。腰が、死んでる……」
「き、筋肉痛ですか!? 昨日の今日で!?」
神崎は驚愕の声を上げた。
無理もない。普通、四十歳を過ぎたおっさんの筋肉痛というものは、翌日ではなく翌々日あたりに遅れてピークが来るものだ。
だが、俺の肉体は完全に限界を超え、即日(というか翌朝)に全てのダメージが押し寄せてきたのである。
「す、すぐに手配します!! おい、フロント! 車椅子だ!! 車椅子を持ってきてくれ!!」
神崎の怒号がスイートルームに響き渡る。
数分後。
俺は、駆けつけたホテルマンと神崎プロデューサーの二人がかりで抱え上げられ。
「いっ! いてててて! 腰! 腰が曲がらないから!! まっすぐ下ろして!!」
と情けない悲鳴を上げながら、高級ホテルの用意したフカフカの車椅子へと、すっぽりと収められたのだった。
「ルシフェル様、ご安心ください! このまま羽田空港の搭乗口まで、私が責任を持ってお送りします!」
「あ、ありがとうございます……。でも、なんか、すげえ恥ずかしい……」
俺は、ヨレヨレのグレーのパーカーのフードを深く被り、マスクをして顔を隠した。
昨夜、バーチャル空間で同接三十万人を熱狂させ、神の如き美貌で何千万という金を動かしたトップインフルエンサーの、これが現実の姿である。
大理石のロビーを、車椅子に乗せられた四十歳のおっさんが、港区のエリートプロデューサーに押されて進んでいく。
すれ違う外国人観光客やセレブたちが、哀れみを含んだ目で俺を見てくる。
(違うんだ……! 俺は病気じゃないんだ! ただアリスの無茶振りでジャンプしただけで、腰が……っ!)
心の中で必死に言い訳をするが、言葉にすればするほど虚しくなるだけだった。
そのまま神崎の運転するハイヤーに乗せられ、羽田空港へ。
空港でも、俺は車椅子に乗ったまま、航空会社のスタッフの手厚いサポート(特別搭乗)を受け、機内へと運び込まれた。
「ルシフェル様! 本当にお疲れ様でした! アリスも『和尚の腰が治ったら、またコラボしようね!』と言っておりましたので!」
搭乗口で、神崎が満面の笑みで見送ってくれる。
「もう二度と、スタプロのスタジオには行かねえ……ッ!!」
俺の血を吐くような叫びは、飛行機のエンジンの轟音にかき消されていった。
そして、約一時間半のフライト。
窓から下を見下ろすと、コンクリートジャングルだった景色は、いつの間にか広大な緑のパッチワークへと変わっていた。
『とかち帯広空港』。
飛行機を降り、空港の外に出た瞬間。
肌を刺すような、冷たくて乾いた北海道の空気が、俺の肺を満たした。
「……帰ってきた。帯広に」
タクシーに乗り込み、見慣れた白樺の並木道を抜け、市街地へと向かう。
港区の、あの天を衝くようなガラス張りのビル群も、夜を彩る東京タワーの赤い光も、ここにはない。
あるのは、どこまでも続く広い空と、のどかな畑、そして、生活感に溢れた地方都市の風景だけだ。
「……夢、だったのかな」
俺は、タクシーの窓に頭を預け、ポツリと呟いた。
同接三十万人。
数千万円の3Dアバター。
トップアイドルとの共演。
全てが、たった一晩の、幻のような出来事に思えてくる。
だが、ズキズキと痛む腰と、太ももの筋肉痛が、それが紛れもない現実であったことを証明していた。
やがて、タクシーは目的地の前に停まった。
「お客さん、着きましたよ」
「……ありがとうございます。イタタタッ……」
俺は、タクシーの座席から這い出すようにして降り、ドン・キホーテの三千円のキャリーケースを引きずった。
目の前にあるのは。
外壁の塗装が剥がれかけ、階段にはサビが浮き、廊下の蛍光灯がチカチカと点滅している、築三十年の木造アパート。
俺の城、いや、ただの『四畳半の牢獄』だ。
ギィィ……と、油の切れた重いドアを開ける。
むわっ、と、昨日まで放置していた限界みそラーメンの残り香と、万年床の湿気た匂いが鼻を突いた。
「……ただいま」
誰もいない暗い部屋に向かって、小さく声をかける。
昨日の、柑橘系のアロマが香るスイートルームとの落差に、自律神経がおかしくなりそうだ。
俺は、靴を脱ぎ、痛む足を引きずりながら、部屋の中央にある『リスナーから貢いでもらった三万円のゲーミングチェア』へと倒れ込んだ。
この部屋の中で、唯一、俺がトップインフルエンサーであることを証明する、相棒。
「はぁ……。終わった。全部、終わったんだな」
俺は目を閉じ、深く息を吐いた。
スタプロとの大仕事は、大成功で幕を閉じた。
これで、俺のインフルエンサーとしての地位は盤石なものになり、もう金に困ることはないだろう。
ハッピーエンド。
物語なら、ここでスタッフロールが流れるところだ。
しかし。
『ピローン♪』
静寂の四畳半に、PCのメール受信音が鳴り響いた。
俺は重い瞼を開け、マウスを操作してメーラーを開く。
『件名:【重要】昨日の配信の収益速報および、今後の税務処理につきまして(神崎)』
「……ッ!」
俺の心臓が、ビクンと跳ねた。
恐る恐るメールの本文を開く。
そこには、昨日の『同接三十万人』が叩き出した、恐るべきスパチャの総額と、グッズの売上予測が、エクセルの表で添付されていた。
その『合計金額(ルシフェル配分予定額)』の欄を見た瞬間。
俺の全身の筋肉痛が、一瞬で吹き飛んだ。
「いっ……!! いっせん、ごひゃく、まん……ッ!?」
俺の口から、悲鳴にも似た声が漏れた。
たった一晩。
たった一晩のコラボ配信で、俺の今年の売上に『一千五百万円』という、狂ったような数字が上乗せされることが確定したのだ。
「あ、あああ……っ」
俺は、カタカタと震える手で、マイ電卓を引き寄せた。
累進課税。
所得税の税率は、所得が九百万円を超えると『33%』に跳ね上がる。
さらに、住民税が『10%』。
国民健康保険料は、とっくに上限MAXを突破している。
そして、再来年に待ち受ける、一千五百万円の売上に対する『消費税』。
「……半分。いや、半分以上、持ってかれる……」
俺は、薄暗い四畳半の天井を仰ぎ見た。
夢の時間は、終わった。
トップアイドルの隣でチヤホヤされる、魔法のような一晩は過ぎ去った。
ここから始まるのは。
容赦なく俺の首を絞めに来る『国家権力(税務署)』と。
そして、その最前線で俺を待ち構える、あの市役所のケースワーカー・鈴木さんとの、血みどろの【確定申告・インボイス編】だ。
「……ちくしょう。やってやるよ」
俺は、痛む腰を押さえながら、暗い部屋の中で、モニターの光だけを頼りに立ち上がった。
「三十万人に笑われた俺だ。税務署の調査官ごときに、ビビってられるかよ……ッ!」
帯広の四畳半。
四十歳の底辺個人事業主の戦いは、ここからが本当の『地獄の始まり』であった。
コメント
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読了しました……第75話、めちゃくちゃ染みました。 同接30万人の翌朝、全身筋肉痛で車椅子に乗せられてホテルを後にするルシェルさん、そのギャップがもう切なくて笑えて。でも帯広に帰ってからの「四畳半の牢獄」とスイートルームの落差が、すごく胸に刺さりました。 「夢だったのかな」って呟くシーン、好きです。 そして最後の税務署編への布陣……「やってやるよ」の一言に、めちゃくちゃグッときました。この人の泥臭さ、かっこいいです。