「ねぇ。第一王子殿下。無能なだけならともかく……人の邪魔をするような人って……。いらない。ですよね」
その言葉は、自然とあふれ出た。
考えなくても、するすると私の中から湧き上がる言葉たち。
私は王子の顔を、見ているようで、あまり見ていない。
だけど私にはもう、どんな顔をしているか想像がつく。
「命まで狙うんですから。あ、もしかしてもう、けっこうな人数を殺してるんですか?」
される側に回った王子が、悔しいとか、怖いとか、そういうものが入り混じった顔をしていると分かる。
だって、私ならこのまま、殺されるのか、それとも酷いことをされ続けるのか、そうした恐怖で頭がいっぱいになるから。
この人も、きっと同じものを頭に巡らせている。
「もし殺しているなら、遠慮することない。って、私、思うんです。というか……私のことを殺そうとしましたもんね」
彼のまぶたに……剣先をすべらせた。
私を、最後のプライドで睨みつけるその腹立たしい目を。
このまま一センチでも差し込めば……とても痛くて、失明するのではという恐怖も相まって、とっても嫌な気持ちになるだろう。
「あなたのような地位の人が、自分の欲のために悪いことをするのって、大罪ですよね。誰も逆らえないんだから」
治せるから。
そう思って、ドキドキしながら剣を突き刺した。
ほんの一センチだけ。
王子は呻く、けれどもそれは、シェナの強い力で抑え込まれる。
「ふふっ。怖いですか? 痛いですか? 私も顔に、思いきり振りかぶられてから突き刺されたんです。ほんっっっとに怖かった。分かります? 少しくらいは人の気持ち、残っていますか?」
血は、思ったよりも出なくてよかった。
シェナの手が汚れちゃうかと思ったけど、回している手の反対側の目にしたから、吹き出るほどではなかったので、汚れたりしなかった。
「ねぇ。私の命を狙うっておかしくないですか? 人の怪我や病気を治しているだけなのに……なんで殺そうとしたんです?」
聞いても今は、答えられないんだったと思った。
でも、聞かざるを得なかった。
本当に怒っているから。
さっきの、邪魔だからという理由では納得できない。
そもそも、どんな理由で合っても、理不尽過ぎて許せる気がしない。
だから、今はこの人を傷付けてもいい。
それはただの免罪符じゃなくて、殺されかけた私の、権利だと思うから。
殺さないだけ、ありがたいと思ってほしい。
「私はあなたにやり返しても、いいですよね? あなたにはな~んにもしてないのに、殺されるところだったんですから」
刺していたのをうっかり忘れていたから、剣を抜いた。
次はどこに突き刺そうか、と。
少し迷っていると、王子がしきりに頷こうとしているのが分かった。
シェナに目配せをして、僅かに手を緩めてもらう。
……やっぱり、頷くように頭を動かしている。
「何か? 分かったから許せ、とでも仰りたいんですか?」
私の気は、まだ済んでいないのに。
剣を思い切り突き刺された恐怖と痛みも、まだだし。
裏切られたと知った、あの辛さと悔しさも、まだ与えていない。
「許せって、随分と上からじゃないですか? 本気で謝る気持ち、あるんですか?」
そう問うと、また頭を縦に振る。
……興覚めだ。
まだ抵抗して、反抗して、敵対した眼差しを向けてくれなくてはいじわるを出来ないのに。
「……私、甘い。って、よく言われるんです。でも……それで皆と仲良くできるなら……少し我慢をして、許してあげようって、思うんですよね」
その言葉を聞いて、彼はやはり、頭を縦に動かした。
だけど、残っているもう片方の目は……少し嫌な光を籠らせた。
「そう……ですよね。腐りきった性根の人って、こんな簡単に心を入れ替えるわけがないのに。やっぱり、皆が言う通り私は甘かった。それを今、痛感して心が痛いです。第一王子殿下」
私は、シェナの手が汚れないように、王子のおなかの方に剣先を移した。
そうか、やらなくては……本当の悪人の心は変わらないのか。
ただ、それを私がするのは、正しいのかなと、そんな些細なことにも私の心は痛む。
最大の権力者を裁くのは、一体誰だろう。
誰かが裁いてくれて、平和が訪れるのを待つしかない。
……普通なら、そう思い込むようにして、泣き寝入りするしかない。
「ねぇ。その悪いことを考えてる時って、どんな気持ちなんです? 私には、理解できません」
彼は首を横に振った。
……どういう意味だろう。
悪いことだと、思ってさえいないのだろうか。
「それって、何でもないことなんですか? あなたは……自分は正しいと?」
最初に見せた動きは、僅かに縦に振れた。
そして次の瞬間に、横に振ろうとしている。
「そうですか……。何とも思ってないんだ。へぇ~……。そんな人、いたんだぁ」
それじゃあ、分かり合えるわけがない。
私がしてきた我慢は……いじめをする人達から逃げただけでは、何も伝わっていないのか。
この世界の人たちは、皆が優しくしてくれたから、ここは理想郷だと思ってた。
でも、それは魔族の皆だけだった。
人間は、油断ならない。
こんな人が、国のトップになるかもしれない地位にいるのだから。
「許しを請うことさえしないあなたは……いつになったら罪を自覚できるんです?」
何かしらの教義が、彼に罪を教えてくれるだろうか。
それなら、あまり興味のなかった宗教も、ありだなと思う。
でも……。
「でもそれじゃあ、今まで殺されてきた人達は、どこで浮かばれるんでしょうね」
そう言って、私は剣を突き刺した。
彼のおなかに吸い込まれるように、そして、背骨にでも当たったのか、少しの手応えが返ってきた。
あまりに切れ味が良いせいで、王子の体は痛みを感じるのが遅れて、筋肉の収縮がひとつも起こらずに背骨まで剣先が届いてしまった。
そこで初めて、彼は……恐怖が先か、痛みが先か、大声を出そうとしたらしい。
またシェナに、強く抑えられて声は僅かも出せなかったけれど。
……こんなことをしても、彼の性根は直らないのでは?
ならば、このまま殺すしかないのだろうか。
いや、殺すだけならいつでもできる。
私には、人間では絶対に届かないだけの力があるから。
シェナも居る。
――一度だけ、許そう。
仮の許し。
「ねぇ。剣を抜いてあげましょうか? ただし……私から目を逸らさないで」
彼は血走った目で、痛みで閉じそうな残りの目を必死で開きながら私を見た。
「そのまま……絶対に逸らしてはだめよ?」
剣を……筋肉の収縮でがっちりと固められた剣を、上下左右に揺すりながら、ゆっくりと引く。
「えらいわね。まだ、逸らさずにできるんだ」
それは許しを請うためなのか、罪を認めたからなのか。
「第一王子殿下。私はまだ、あなたを許すわけにはいかないの」
剣を揺らすだけで、引かずに話を続けた。
私も今、正常ではないと思う。
こんないじわる、私に出来るはずがない。
怒りを、私にここまでの怒りを覚えさせたせいだ。
「今から言うことを、絶対に守りなさい。でなければ、またベッドの上に立ってあげるから」
ぐりぐりといじめ抜いた腸は、中でずたずたになっているだろう。
「ひとつ。私の邪魔をしないこと」
彼は目を逸らさずに、懸命に頷いているらしい。
「ひとつ。人の邪魔をしないこと」
王子は頑張っている。治してもらえるのを、期待しているからだろうか。
「ひとつ。人のために生きること」
目が少し、虚ろになった瞬間があった。
痛みで気絶しそうなのかもしれない。
「ねえ、大事な話をしているの。気絶したら許さない」
彼はまた、必死の形相で意識を戻した。
「いい子ね。それからもうひとつ。犯罪者を野放しにしないこと」
意識を途切れさせずに、まるで命を削りながら私を見ている、そんな情熱があるのかというほどの熱い眼差しだった。
「分かったら、返事をなさい。私の心に響くような返事を。許してあげたくなるように、殺した人達に詫びながら」
察したシェナは、抑えていた王子の口から手を離した。
「わ……わるかった。もうしない……こ、殺した人には、こここ、心から、謝罪を。い、いのちを賭して、せ、聖女、あなたの……いう、通りに。すすす全て、かならず。違えぬ、と。ち、ちちち、ちか、誓う!」
それは、本当かどうかは、確かめようがない。
今は。
この次は……もっと酷いことをしてやる。
それでも……。
今は、仮の許しを。
誰かが与えないと、確かめられない。
「はぁ……。次はないわ。分かったわよね?」
剣を引き抜き、返事を待つ。
「う、ああ。ちち、誓う。ちかい、ます」
その目は、疲弊したからか、助かると思って解放されたつもりでいるのか。
さっきのような、嫌な目ではなくなっている。
「本当は、私は許していない。それも理解しなさい」
そして私は、治癒のために、彼に魔力を流した。
こんなに嫌な気分で治癒を行っても、傷は瞬く間に癒えていく。
「シェナ……。我慢してくれてありがとう。……帰ろう」
私の怒りは、私だけのものではなかったと思う。
繋がっているシェナの、深い悲しみと憎悪も、きっとどこかで共有している。
そんな気がした。
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