城砦町までもう少し。
帰りはミルフィーを抱えて走った。かなりの速度で。だが町が見えた頃から速度を人並みに落とし、城壁を見上げるくらいの距離からは歩いた。
その速度をじれったく思っていると、見張りが数人出て来た上に門を開いてくれようとしている。
さすがはミルフィー。町で崇められているのが分かるというものだ。
「ミルフィー様! お帰りなさいませ! よくご無事で!」
「して、あなた方は? 勇者様方の使いの方でしょうか」
見張りたちは訝《いぶか》しがりつつも、ミルフィーを安全に連れて来たから丁重《ていちょう》に扱ってくれている。
「まぁ、そういう感じだ。故《ゆえ》あってな。預かってお連れしたんだ」
ここは勇者が建てた町。その町人たちは勇者が募った猛者で、何かしら縁があるという。
ミルフィーを何の咎《とが》めもなく連れ出せる信頼を、あいつら勇者一行は持っている。だから俺は、ミルフィーが勇者に殺されかけたことは言わないつもりだ。
「それじゃ、ミルフィーを頼む。すぐに神殿までお連れしてくれ。かなり疲れているから」
「分かりました。それで、あなた方は」
見張りにそっとミルフィーを預け、最後に頬を軽く撫でた。
ミルフィーはその手に頬を寄せ、信頼を示してくれる。
「俺たちはすぐ、次の用に行かなきゃなんだ。ミルフィー、ここでお別れだ」
傷は全て癒したとはいえ、ショックも大きいだろうし弱っているはずなのに、ミルフィーは微笑んで見上げてくれた。
「いい子だ。また会いに来るさ」
「ミルフィーちゃん。……またね」
スティアはここに置いていくんだがな。
頭がずっとカッカとしていて、説明するのを忘れていた。
あいつらと戦うのは俺ひとりだということを。
「えーっと、スティア。お前もここに残れ。後で迎えに来る」
「えっ?」
……すまん、そうなるよな。
でもそんな、置き去りにされる子みたいな顔しないでくれ。
「う……うそですよね? 旦那さま」
「危険だから。それに、あまり見せたくない」
こんなに感情的なまま戦うなんてことは、初めてだから。
そんな荒れた姿を、こんな子どもに見せるわけにはいかない。
「いやです」
「……言うことを聞いてくれ」
「わたし、旦那さまが思っているほど子どもじゃないです。それに、私だって役に立つんですから。絶対に一緒に行きます」
見張りは立ち聞かないように、という体で気をつかって、横を向いてくれている。
「スティア」
「そんな怖い顔したってムダですから。それに置いて行ったって、勝手について行きますから」
「くっ……なんて聞き分けのないことを」
こいつならマジでやりかねん。
しかも、何気に霊体での移動も、余裕で俺についてくるんだよな……。
「どうぞ置いてってください。勝手にしますので。べ~っだ!」
「り、リグレザ。スティアが反抗期だ」
「あなたが悪いですよ、ラースウェイト。連れてってあげましょう。ドランと戦う時に置いていった時も、ものすごく悲しんでいましたし。ていうか、怒ってましたから」
「う……」
「そもそも、スティアの強さを確かめもせずに、勝手に決めちゃうからですよ。この際ですから、一緒に戦えばいいじゃないですか」
――お、俺が悪いのか?
「何かあったらどうするんだ」
「その時はその時です。最悪の場合でも、天界に戻されるだけですよ」
「お~……そう、なのか」
「まあ、人間相手にそんなことにはならないですから。一緒に連れていってあげましょう」
ちらとスティアを見ると、リグレザの応戦でご機嫌なのか、ニコッと笑った。
――あ、いや違う。怒っている時の笑みだった。
「……分かった。わかったよ。一緒に行こう」
「次に置いて行くって言ったら、旦那さまのこと襲っちゃいますから」
……どういうこと?
まあいい。それより待たせてしまった身張り兵に帰ってもらおう。
「えっと。やっぱり、この子も連れていくので……ミルフィーのことを頼む」
「見張りさん、ミルフィーちゃんをよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるスティア。それに応える見張り兵。無茶をしないようにねと、スティアに声を掛けてくれた。
町に入るまでを見届けて、そして――。
「南大陸って言ってたな」
以前、ミルフィーと過ごしていた時に、地図もかなり頭に入れ込んである。と言っても、大雑把な地図しかなかったが。
「いいえ。実は追跡の印を付けておいたんです。勇者たちは南大陸なんて行ってません。ここから南西の荒野に居ます」
「は? あいつら、完全に撒く気だったんじゃねぇか」
「発動直前の転移魔法といい、用意周到でしたね」
「リグレザさま。荒野って遠いんですか?」
「飛べば半日も掛からないかしら」
「そうか。ふぅ……。スティア、言っておくが俺が下がれと言ったら――」
「支援に徹しますよ。そういう訓練も、してからこっちに来たんですから。旦那さまは自由に動いてください。あの鎧とカタナ? あれも使って戦うんですよね」
「あぁ。どうせ俺たちには物理攻撃が効かないからな。魔法を先に封じるように戦う。お前もそういう感じで頼む」
「はい!」
言われてみれば。
どんな訓練を積んだら、こんな場慣れした雰囲気《ふんいき》が出せるんだ?
「……じゃ、行こうか。リグレザ、先導を頼む」
「ええ。では行きますね」
**
誰も居ない岩だらけの荒野。草が稀《まれ》に生えている程度の、ただ荒れ地が続くだけの土地。
それがどこまでも広がっている。
「これはこれで、闇雲に探すとなると無理があるな」
いくら飛んで探せるとはいっても、逆に早過ぎて、見落としているかもしれない。リグレザの追跡魔法が無ければ、お手上げだった。
「そうですよ。私にもっと感謝してください」
「へーへー。ありがとうよ」
「もう!」
「ハハハ。すまん、ほんとに助かってる」
「旦那さまは素直じゃないです」
「わ、わるかったって。スティアはまだ怒ってるのかよ」
「そーゆうとこです。だんだん無神経っていうか、デリカシーがないっていうか」
もうスティアを置いていくというのは、禁句だな……。
「女を二人とも敵に回すなんて、ラースウェイトは――って、居ました! 前方、一キロ先です」
「俺も確認した。やっと見つけたぜ……クソ野郎」
オロレアの霧砂を使って、赤い甲冑を纏う。
――甲冑に刀を差すと、気合の入り方が違う。
後ろから不意打ちかましてやろう。と思っていたが、向こうの四人にも途中から察知されていた。
勇者を頂点に描いた二等辺三角形の陣形をしている。
後衛右翼に聖職者の女と、それを守るように大柄の戦士。左翼に露出度の高い女。
狙撃でもしてくるかと思ったが、今回もやはり撃ってはこない。まるで俺たちが来るのを、待っていたかのような態度にも見える。
「やっぱ、追跡出来たか。ニセ魔王」
「さぁな」
最初は五十メートルほどを挟んで睨み合っていたが、何もしてこないので近付くことにしてしまった。
十数メートルまで、結局は接近して思う。俺はなんで、遠くからぶちかまさなかったんだろうかと。いや……スティアみたいなカッコイイ遠距離魔法を持っていれば、撃ったかもしれない。
俺は地味なやつしか知らないからな。そう思うことにした。
いいや、そうだ。この手で直接ぶん殴ってやらないと、気が済むわけがない。
「……聖女ちゃんは死んだのか?」
「お前がやったんだろうが!」
「可哀想になぁ」
この人でなしが。
「生憎だが、お前のしたことは無駄になったがな」
「ほぉぉ? じゃ、やっぱ奇跡みたいな治癒魔法使いは、あの聖女ちゃんじゃなくてお前か。それとも後ろのガキか?」
この会話に意味はあるだろうか。時間を稼いで大技でも使う、というのが定石のはずだが。
「クソ野郎には関係ない話だ。つか、始めさせてもらうぜ――吹っ飛べ!」
ダッシュで勇者の懐に飛び込み、ぶん殴る。
先ずは一発、ゴングの代わりよ!
防御系の魔法で護っているだろうが、関係ない。とにかく最初の一撃は、力任せの拳で殴る!
勇者は油断していたのか、完全に反応が遅れている。
そして、ガツン! という重い衝撃もろとも、十メートル向こうの岩まで吹っ飛んだ。
――あれ? こんな簡単に当たるか?
と、思ったのも束の間。
「聖なる堅牢」
「根源より出でたる猛炎!」
聖職者の女と露出の高い女から、同時に魔法を撃たれてしまった。
一方は真上から打ち付ける楔《くさび》。もう一方は術者から放たれる青白い火炎。
楔はともかく、青白い火炎はこの霊体といえども、何かしらダメージがありそうな熱と魔力量を感じる。
――さすがにやばいか?
まんまと勇者に釣られた。殴らせたのは罠だったのだ。そう思った矢先――。
「流星の――剣《つるぎ》!」
――スティアの魔法だった。
鋭い剣のような形を帯びた十数個の光が、今まさに着弾しようとしていた青白い火炎を斬り裂いてゆく。
「もう一度! 光よ!」
そして二度目のそれは、俺を囲むように突き刺さった楔の魔法さえも、簡単に斬り裂いては消えていった。
一度で両方に当てなかったのは、たぶん俺に誤射しないように狙いを定めたんだろう。
「スティア! 助かった!」
振り返らずに礼を言い、戦士の護る聖職者を狙いに行った。
盾役を置くということは、それが要《かなめ》だからだ。
俺は刀を抜き、雨露《あまつゆ》ほとばしるような刃を戦士目掛けて振り下ろす。
速過ぎず、避けたくなるような、受けたくなるような絶妙な速度で。
「ぬぅ! 避けろユユ!」
想像通りの野太い声で、大柄な戦士は聖職者に指示を飛ばした。その太くて長い片腕を後ろに伸ばし、ユユと呼んだ女を押しのけて一緒に躱した。
――こいつ、思ったより読みが深い。
だがそうなると、胴ががら空きだ。
返す刀は素早く、下から切り上げるように腹を薙ぐ。と同時に――。
「ドレイン」
二人から生気を奪う――それが速いか、聖職者が速いか。
「聖なる光の加護」
ほぼ同時だった。
が、青い光が彼らを包み込み、俺のドレインは弾かれたらしかった。
「ぐぅぅ! 一手は返させてもらうぞ!」
腹を裂いたはずなのに、動けるのか。
その根性を称えて、受けてやろう――なんて余裕を見せたりはしない。
即座に離れて、強烈な方を掛け直してやった。
「ドレインバースト」
あの青い光があれば、死にはしないだろう。
二人が崩れ落ちるのを横目で確認し、もう一度勇者を狙う。
あいつはあいつで、スティアを狙ってやがる。
「サンダーボルトぉ! ライジング!」
「勇者が雷魔法って、お決まりかよ!」
空から穿たれた雷が、地に落ちたと思った瞬間に幾重にも分かれてスティアを襲った。
が、スティアには予め、ホーリーシールドを掛けてある。
しつこく絡まる雷はずっとスティアを狙い続けているが、見えない壁に阻まれてひとつも直撃していない。
そしてスティアが唱えた。
「雷霊《らいれい》、巡《めぐ》りて――龍となれ!」
その雷、地を跳ねうねり、予測不能な動きと勢いで勇者を目掛ける。
仕返しに同じ雷の魔法か。スティアは意外と負けず嫌いだな。
ていうか、俺より攻撃魔法知ってるじゃねーか。しかもカッコイイやつを……。
「ぐ!」
あ、直撃したな。
電流がもろに体内を通って、声さえ出せなくなって硬直している。
聖職者を先に狙って正解だった。何のフォローも無しに前衛だけでは、強力な魔法を食らった時に致命傷になる。
「が……ガキがぁぁ! セレン! 撃てぇぇ!」
そうはさせない。
さっきから長々と詠唱しているもう一人の後衛を、見逃すわけがないだろう。
「ドレイン」
露出度の高い女は最後まで唱えようと足掻いていたものの、ついに気を失うように倒れた。
――おっと。
敵ではあるが……頭を打たないように一度抱き止め、そのまま地面に寝かせた。
詠唱中の無防備な時に、敵が目の前に来ても逃げずに唱えきろうとした胆力は、中々のものだった。
さて。これで四人とも、もう動けないはずだ。
「終わりだ! 勇者!」
この後衛を守らずに、スティアを落とせると思ったのが間違いだったな。
少し離れたところから、スティアを諦めてこちらに駆けようとしている勇者に告げた。
俺の言葉は耳に入っているようだが……敵意を剥き出しのままで維持してやがる。
「セレンに触れるなぁぁぁ!」
あぁ、恋仲だったか。
頭を打つよりはマシだろうから、少し抱えたくらいは我慢してもらいたいところだ。
「旦那さま……」
「うぉっ!」
いつの間に飛んできたのか、スティアはすでに俺の後ろに居た。
「な、なんだよ。あいつみたいなこと言うなよ?」
「うぅ……生身の方がいいんですか」
そういうことじゃない。
「ていうか、戦意は無さそうだが、皆集まって来たな。一人だけまだやるつもりらしいが」
「ニセ魔王ごときがぁぁぁ!」
全身が痺れて、上手く走れないくせに。
「よく動けるな。さすがは勇者か。だが聞く気がないならこうしようか……。動くな。動けばこの女を殺す」
刀を逆手に持ち直し、切っ先を寝かせた女の首に当てた。
「お前がしたことを、この女にお返ししようじゃないか」
「や……やめろ。やめろ!」
元々限界だったのか、勇者はその場にへたり込んだ。
「なぜだ? 俺は魔王で、そしてお前に仕返しをしに来たんだ。これは当然の状況だろう?」
ようやく魔王っぽい感じになったな。
戦い方は、スティアの方がカッコ良かったが……。
「なら、俺を殺せ。そのセレンと、ユユ達を見逃してくれ……」
「何を都合のいいことを。お前は俺ではなく、弱者のミルフィーをやったんだ。今回はそういう趣向なんだろう? ならこいつか、そっちのユユとやらが死ぬ。そうでなくてはな」
仲間想いなのか、この両方ともを好きなのかは知らないが……随分と分かりやすい態度だ。今まで人質にされたことはなかったんだろうか。
「そうだ。前のように逃げられないよう、縛り付けておかなくては。ソウルバインド」
生者であっても、これだけ弱っていれば魂ごと縛り付ける効果はあるはずだ。
前のように準備した魔力の渦は無いが、何か他にも手があるかもしれないからな。
「魔王殿。この始末。ワシに預けてはくださらんだろうか」
「なんだ大男。都合のいいことを言うなよ? まぁ、一応は聞いてやるが」
そうして語り出した大柄な戦士。
名をガルヴァードと言った。
言い訳としては長かったが……この勇者の性格を捻じ曲げてしまった経緯を、まざまざと知ることになった。