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午後の暗黒厨房。
焼きたてのパンの香りが、
広い厨房いっぱいにふんわりと広がっていた。
香ばしい。
甘い。
思わず頬が緩みそうになる、
幸せそのものみたいな匂い。
「できたよ!」
オーブンの扉が開く。
「1eggs、見て見て!」
ジョンドゥが、
満面の笑顔で黄金色のパンを抱えて飛び出してきた。
首の赤いスカーフが嬉しそうに揺れる。
右腕の大型ミキサーも、
ブォン♪
ブォォン♪
と、ご機嫌な鼻歌みたいに回っている。
「僕の体をちょっとだけ分けて焼いた、
1eggsのためだけの特製パン!」
「……は?」
1eggsが固まる。
パンを見る。
ジョンドゥを見る。
またパンを見る。
「……おい、生地野郎。」
「なぁに?」
「これ……」
1eggsがパンを持ち上げた。
表面は艶やかな焼き色。
香りは極上。
しかも。
「倉庫の最高級魔界バター使ったな?」
「うん!」
「高級フォンダン糖もだな?」
「うん!」
「人間界のエルヴィッシュハニーまで入ってねぇか?」
「えへへ、入れた!」
「全部”うん!“で済ますなァーーッ!!」
ゴン!!
思わずフライパンで調理台を叩く。
「これ全部、予算オーバー食材じゃねぇか!!」
「1eggsが喜ぶかなって」
「そういう問題じゃねぇ!」
その時だった。
カツ。
カツ。
カツ。
聞こえた瞬間、
厨房全体の温度が五度は下がった。
誰もが嫌というほど聞き慣れた足音。
「……なるほど。」
静かな声。
だが一番怖い。
ウィザードハットを深く被った男。
アズールだった。
左手には300ページの財務監査報告書。
右手には赤字だらけの予算一覧。
死んだ魚より冷たい目が、
ジョンドゥへ向く。
「申請なし。」
一枚めくる。
「最高級バター。」
もう一枚。
「最高級フォンダン糖。」
さらに。
「高級希少蜂蜜。」
パタン。
報告書を閉じた。
「……見事ですね。」
静かすぎる声。
「一食で今月の予算を破壊しました。」
ジョンドゥは首を傾げる。
「えへへ。」
「褒めてません。」
「違った?」
「違います。」
厨房に沈黙が落ちた。
そして。
アズールは報告書をゆっくり持ち上げる。
「ジョンドゥ。」
「はい!」
「減給。」
「はい!」
「お仕置きです。」
「え?」
ブンッ!!
300ページの凶器が振り下ろされる。
その瞬間。
ギィィィィンッ!!!
甲高い金属音。
火花が散った。
「……」
「……え?」
ジョンドゥが目を開く。
目の前には。
黒い背中。
その前に掲げられていたのは、
金色のフライパン。
「……ったく。」
1eggsだった。
両手でフライパンを握り締め、
報告書を真正面から受け止めている。
ギリギリギリ……
鈍い音が響く。
「……何の真似ですか。」
アズールが目を細めた。
「業務妨害ですか?」
「違ぇよ。」
1eggsは歯を食いしばる。
「こいつは確かに。」
グッ。
さらに押し返す。
「脳内バグったパン生地だ。」
「えへへ。」
「褒めてねぇ。」
「でも。」
1eggsの金色の目がギラリと光る。
「俺の厨房の部下に。」
ドンッ!!
報告書を押し返した。
「勝手に手ぇ出すんじゃねぇ。」
厨房が静まり返る。
ジョンドゥだけが動けなかった。
「……俺が後で説教する。」
「俺が責任取る。」
「だから今は下がれ。」
その一言だった。
ジョンドゥの時間が止まる。
『俺の厨房の部下』
俺の。
俺の。
俺の。
その二文字だけが、
頭の中で何度も反響する。
白い顔が、
一瞬で桃色に染まった。
瞳が潤む。
(……あ。)
(格好いい。)
(格好いい。)
(大好き。)
(もっと好きになった。)
(僕。)
(今。)
(完全に恋に落ちちゃった。)
ブォォォォォォォォン!!!!!!
右腕のミキサーが暴走した。
厨房中のボウルが揺れる。
棚のスプーンがカチャカチャ鳴る。
1eggsが振り返る。
「おい!」
「ジョンドゥ!!」
「ミキサー止めろ!!」
「無理……!」
ジョンドゥは真っ赤な顔で笑っていた。
「心臓が止まらない……!」
「ミキサーと連動すんな!!」
「1eggsが格好いいから!」
「やめろ!!」
「僕のこと守ってくれた!」
「違ぇ!」
「『俺の』って言ってくれた!」
「言ったけど意味が違ぇ!!」
「嬉しい!!」
ブォォォォォォォォン!!!
「うるせぇぇぇ!!」
一方。
アズールは。
完全に無表情だった。
長い沈黙。
そして。
深いため息。
「……はぁ。」
死んだ魚の目が、
さらに死んだ。
「身代わり。」
一枚。
「連帯責任。」
一枚。
「不純交遊。」
一枚。
「私の胃痛。」
最後の一枚。
「以上四点により。」
報告書を閉じる。
「二人まとめて給与天引きです。」
「えぇっ!?」
「食材費倍額。」
「そんなぁ!」
「異議却下。」
「でも!」
「異議却下。」
「……」
「……」
アズールは踵を返す。
「好きに愛を育んでください。」
「その代わり。」
少しだけ振り返る。
「来月の予算書は二人で書いてください。」
「僕はもう知りません。」
そう言い残し。
カツ。
カツ。
カツ。
冷徹な足音だけを残して、
厨房を去っていった。
静寂。
数秒後。
「1eggs!」
どすっ。
「うわぁっ!?」
ジョンドゥが後ろから勢いよく抱きついた。
ふわり。
焼きたてのパンの香り。
「離れろ!」
「離さない!」
「離せ!」
「さっき守ってくれた!」
「だから!」
「『俺の部下』って!」
「言葉の綾だ!」
「僕すごく嬉しかった!」
「聞け!」
ジョンドゥは首元へ頬を擦り寄せる。
ミキサーは幸せそうに、
ブォン♪
ブォォン♪
と鳴り続ける。
「今日焼いたパンね。」
「なんだ。」
「本当は。」
少し照れたように笑う。
「1eggsに”美味しい”って言ってほしかっただけなんだ。」
「…………」
その一言だけで。
1eggsの顔が、
また真っ赤になった。
「……ったく。」
照れ隠しみたいに鼻を鳴らす。
パンを一口ちぎる。
もぐもぐ。
静かな咀嚼。
数秒後。
「……悪くねぇ。」
その一言だった。
ジョンドゥの笑顔が、
今までで一番嬉しそうに花開く。
「えへへ!」
「また作るね!」
「だから予算内で作れーーッ!!」
厨房には再び、
1eggsのツッコミと、
ジョンドゥの楽しそうな笑い声、
そして嬉しそうに回るミキサーの音が、
いつまでも響き続けていた。
#エリオット
あおあお
8
#エリオット
あおあお
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