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「お前、後藤になにをした?」
夜、訪ねてきた七海に悠里はいきなりそんなことを言われた。
「は?」
「後藤がお前にプロポーズするとか。
あいつにどんな術をかけて、駄目人間に……。
いや、お前を好きな奴が駄目人間なら、俺もそうなってしまうんだが」
と七海は、なじりながら、告白してくる。
そのとき、悠里のスマホが鳴った。
「あ、お母さん?」
と言いながら、隅に行って、うんうん、いやいや、と適当な返事をして切ると、
「待て」
と七海が言ってきた。
「お前、喧嘩して、実家を飛び出したんだよな?」
「そうなんですよ。
突然、見合いの話を出してきて。
実は、この人はあんたの許嫁だとか言い出したんで、飛び出したんですよ。
なんで、この年になって、いきなり許嫁が出て来るんですか」
適当にも程がありますよと言ったとき、
「……そんな奴、登場させない」
と七海が言った。
「は?」
「後藤だけでも持てあましているのに。
なんだその、親兄弟とか一族とかが応援してそうな許嫁って。
そいつにもモテるつもりかっ。
ユウユウのくせに、どういうつもりだっ」
いや、モテる予定などないですし。
ユウユウのくせにってどういう状況なんですかね、と思う悠里の腕を七海がガッとつかんだ。
「これ以上、お前の前に、誰も登場させない」
お前を好きな、いい男は誰も登場させない、と強い言葉を吐くわりに、七海は、そっと口づけてきた。
そのとき、小さな呟きが悠里の耳に聞こえてきた。
『……龍之介さん』
「い、今、聞こえましたっ?
龍之介さんって、誰かが……」
いや、俺には聞こえないっ、と言う七海の顔はちょっと青ざめていたので。
今の霊っぽい声は聞こえていたのだろう。
「聞こえていても、聞こえない。
俺のお前への愛の力で聞こえない。
今、この瞬間を誰にも邪魔させない」
と格好いいことを言いながらも、何故か、目は時折、チラチラと悠里の左横を見ている。
……そこにいるんですね。
私には見えませんけど。
「霊の力より、俺のお前に対する愛の方が深いっ」
と自分に言い聞かせるように七海は言う。
「後藤より、龍之介さんより、名も知らぬ許嫁より――」
北原さん関係ないです。
そして、なんですか、その遠き島から流れてきそうな許嫁は、と思ったとき、七海がもう一度、口づけてこようとした。
「駄目ですっ」
と恥じらった悠里は、反射的に、七海に足払いを食らわせていた。
「駄目ですっ。
勘弁してくださいっ」
悠里は七海に足払いを食らわせたあと、二度と迫ってこないよう、馬乗りになって押さえつけると、後ろから首に腕を回し、締め上げていた。
照れてしまって、正面から顔を見られなかったからだ。
だが、すぐにその失態に気づいて手を離す。
「あっ、すみませんっ。
ちょっとそのっ、緊張してしまってっ」
と悠里が慌てて言ったとき、
うわああああああっと下から声が聞こえてきた。
なんの悲鳴だ?
と甘い雰囲気も振り捨て(?)、二人で階段を駆け下りる。
「すまないっ。
俺が悪かったっ」
と叫びながら、下の部屋から細身の若い男が転がり出てきた。
「殺すつもりはなかったんだっ」
「なんだ、お前は」
いきなり叫びはじめた男を、七海は機嫌悪く見る。
邪魔しやがって、という目だった。
男は、アスファルトの上に頭を抱えてうずくまっていた。
「今っ、あのときの音がっ」
「あのときの音?」
と七海が訊き返す。
「あいつを床に叩きつける音とっ。
駄目っ、助けてって悲鳴がっ」
「……今の、助けてとかいう、そんな可愛い悲鳴じゃなかったし。
叩きつけられたの、俺の方だし」
と言う七海の呟きは男の叫びにかき消された。
「でも、詐欺師だったんだよっ。
俺は騙されてたんだっ。
詐欺師だったんだよっ、あの女っ」
わめき続ける男を見ながら、いつの間にか出てきていた北原がスマホで通報していた。
「殺人犯らしき男を見つけましたよ。
ああ、私ですか?
例の自殺した女性が住んでいた部屋の大家です」
「この部屋に住んでた女性は、どうも結婚詐欺師だったようなんですよ」
北原は警察に連れていかれる男を見ながらそう言った。
「私も騙されたんで、間違いないです」
……大家さん、と悠里と七海は困った顔で、北原を見る。
どんな表情をして聞いていいのか、わからなかったからだ。
「でも、彼女は近くの森で首をくくって。
僕はぼんやり、自分で死ぬような人ではないけどなあ、と思っていました。
大家として、警察に話を聞かれたときも、そう言ったんですけどね。
でもまあ、人間って、ほんとうのところ、なにを考えてるのかわかりませんからね。
そのあと、ここに住んだ人が、霊が出るって言って、出ていっちゃって。
ひとりで寂しいのかなあ。
誰か住んであげたらどうかなあ。
騙した僕と住むのは嫌だろうなとかいろいろ考えて。
霊が出るってバレたら、逃げる人も多いだろうし。
いっそのこと、最初から知らせたうえに。
ユーレイ見える人には、家賃がお得な感じにしてあげようと思って、あんな張り紙を……」
「それで、こいつが引っかかったんですね」
と悠里を見ながら七海が言う。
いやだって、あのときは、ほんとにお金なかったんで……。
「でも、そうですか。
首吊りですか……」
と呟いたあとで、悠里は言った。
「じゃあ、あの人、私の住んでる部屋に出ていたわけではなかったのかもしれませんね」
え? と北原が振り向く。
「だって、下の部屋の人が犯人だったんでしょう?
じゃあ、その人に憑いてたのかもしれませんよね。
それで、上の部屋まで、はみ出してたのかも」
どんな霊だよ……と七海は言ったが、悠里は、
「自分を殺して自殺に見せかけた男の人に、木に首吊りさせられたところを再現して見せてたのかも。
それで、位置的に、私の部屋まではみ出してたのかもしれませんよね」
と言った。
「そんな莫迦な……」
そう七海は言いかけたが、
「そういえば、あの霊、ぼんやりとしか見えなかったが、俯きがちだったな。
あれは、木からぶら下がってるつもりだったのか?
霊って、なんか物悲しく俯いてるイメージだから、気にしてなかったが」
と言う。
「あと、それから――
たぶん、あの人、大家さんのことは騙してなかったです」
北原がこちらを見た。
「あの犯人の人は、それを知って逆上して、殺してしまったんじゃないですか?
だって、霊の方、さっき……
『龍之介さん』って呼んだんです」
それがいつのことだったのか。
何故、それで、北原のことを好きだったに違いないと思ったのか、
というところは大事なところだと思うのに。
恥ずかしくてちょっと言えなかった。
七海にキスされたときのことだったからだ。
あのとき、あの霊は、
『……龍之介さん』
と呼んだ。
ずっとのあの部屋に住んでいて。
初めて聞こえた霊の声だった。
あの霊、大家さんとキスしたときのこと思い出して。
大家さんの名を呟いたんじゃないかな、と悠里は思っていた。
「――あの人、大家さんのことは、ほんとうに好きだったんですよ、きっと」
それを言って、救いになるのかはわからないが。
とりあえず、悠里はそう伝えた。
あの霊が伝えて欲しがっている気がしたからだ。
「ありがとう。
悠里ちゃん」
ちょっとだけ笑って見せた北原のもとに、あの白猫がやってくる。
家から出てきたようだ。
北原の足にスリスリしてくるその猫を北原が抱き上げる。
そのまま明かりがつけっぱなしになっている悠里の部屋を見ているようだった。
「犯人も逮捕されたし。
龍之介さんに想いも届けられたし。
これで霊の人も成仏するかもしれないな」
アパートを見ながらそう言う七海に、
「そうですね」
と悠里が言うと、彼は振り向き、笑って言った。
「貞弘。
霊が成仏して寂しいだろう。
俺が代わりに、ここに住み着いてやろうか?」
「結構です」
「じゃあ、お前が俺のところに住み着け。
お前の部屋もあるし。
猫も住み着いてるから、ちょうどいいだろう」
そう言ったあとで、七海は北原を振り返り、
「龍之介さん。
こいつ、霊見えないのに詐欺働いて住んでたんで、追い出してください」
と言った。
北原は笑って言う。
「そうだねえ。
たまには、みんなでうちに呑みに来てくれるのなら、追い出してもいいよ」
……どんなやさしい追い出し方ですか。
そのあと戻った悠里の部屋に、もう霊の気配はないようだった。
「よしっ、引っ越すぞ。
荷物をまとめろっ」
「ええーっ?
今からですか~っ?」
とか言っている間に。
もともと少ない部屋の荷物を、手早い七海に、さっさとまとめられてしまった。
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