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城門の前には、すでに人だかりができていた。
白銀の髪の子どもが歩くだけで、道が開く。
誰も触れない。
誰も声などかけない。
ただ、膝を折り、頭を垂れる。
「レガトゥス様……」
その呼び名は、アストラの胸に沈む。
そうだ。
自分は神の使い。
王を選ぶ者。
世界を導く存在。
――本当にそうなのか?
石造りの城門が軋む音を立てて開く。
重厚な鎧に身を包んだ騎士団が整列していた。
その中央に立つ青年。
赤い外套。
鋼の鎧。
金の髪。
そして胸元に刻まれた、鮮烈な赤い神印。
鼓動のように脈打っている。
レオンハルト。
北方軍事帝国ヴァルディア第一王子。
彼の視線が、まっすぐアストラを射抜いた。
恐れはない。
期待でもない。
ただ、確信。
「来ると思っていた」
低く、よく通る声。
アストラは彼を見る。
視界がわずかに歪む。
世界の分岐が、薄く重なって見えた。
無数の未来。
戦火。
血。
旗の燃焼。
そして――
彼が最後まで立つ未来。
ほんの一瞬。
アストラの灰色の瞳に、赤い光が反射する。
レオンハルトは気づく。
「……見えているのか?」
アストラは答えない。
ただ、観測する。
王の器としての完成度を。
統率力。
胆力。
犠牲を選べる覚悟。
条件は、揃っている。
レオンハルトは片膝をついた。
騎士団が息を呑む。
王子が、神の使いに跪く。
「我が国は戦を避けぬ。」
彼は言う。
「だが無意味な争いは望まない。選ばれるべき王がいるなら、俺はその証明をする」
風が吹く。
赤い外套が翻る。
アストラの胸の刻印が、かすかに熱を帯びた。
反応している。
神印と共鳴している。
――選ぶのか?
頭の奥で、何かが囁く。
だが同時に、夢の光景がよぎる。
崩れる空。
砕ける世界。
赤い光が最後に立っていた。
アストラはゆっくりと口を開く。
「まだだ。」
その声は静かで、幼い。
だが重い。
「まだ、選ばない。」
城門の空気が凍る。
騎士の一人が顔を上げる。
「なぜだ! 神印はあれほど明確に――」
レオンハルトが手で制する。
彼は立ち上がり、まっすぐアストラを見る。
「理由を…聞いてもいいか」
アストラは答える。
「もうじき世界が、崩れる」
その一言に、騎士たちはざわめく。
だがレオンハルトは黙っている。
「それは戦争によってか?」
「……分からない」
嘘偽りのない、正直な答えだった。
戦争が原因か。
王が原因か。
神が原因か。
断定できない。
だが確実なのは――
このまま王を選べば、何かが起こる。
レオンハルトはわずかに笑った。
挑戦的に。
「ならば証明しよう」
「俺が世界を崩さぬ王であることを」
その言葉には傲慢がなかった。
あったのは、覚悟。
アストラの中で、何かが揺れる。
感情。
ほんのわずか。
希望に似た、微かな熱。
だがそれは、すぐに静まる。
観測者は、傾いてはならない。
「旅をする」
アストラは言う。
「他の王候補にも会おうと思う。」
「そうか」
レオンハルトは頷く。
「だが覚えておけ。最後に立つのは俺だ」
その宣言は、運命のように重かった。
アストラは背を向ける。
城門を出る。
夜風が再び頬を撫でた。
背後で、赤い神印が強く脈打った。
それは呼んでいる。
選べ、と。
だがアストラは歩き続ける。
世界の崩壊を止める方法は、まだ見えていない。
遠くの空。
星がひとつ、強く瞬いた。
それは夢で見た星と同じ光。
無数の神印が収束した、あの星。
胸の奥が、かすかに疼く。
止めるために来た。
選ぶために来た。
だが本当に、
選ぶことが救いなのだろうか。
遠くで、軍鼓の音が鳴る。
ヴァルディアはすでに動き始めている。
戦はまだ始まっていない。
だが歯車は回り出している。
アストラは夜の街を抜け、
次の国へ向かう。
その背に、月光が降り注ぐ。
灰色の瞳には、
まだわずかに、
迷いが残っていた。