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ここ数日の堤防は、少し騒がしかった。
絶えず若者の笑い声が響いており、かなり広いスペースを五名程の若者が占拠している状態だ。人はあまり寄り付かなくなり、最近はそのグループだけがそこで釣りを行っている。
「おっおっおっ……! 結構引くぜェーーーッ!」
そんな中、一人が大はしゃぎでリールを巻き始める。
「結構引いてんな!」
しかし彼らの期待はすぐに裏切られる。
「うわっ……」
釣れたのはそれなりに大きなサイズのヒガンフグと呼ばれるフグだ。
フグは美味だが毒の処理が難しく、素人では扱うことが出来ない。だが堤防釣りではかかることも珍しくなく、餌取りの外道として嫌われがちだ。
二人はしばらく釣れたフグを眺めていたが、やがて乱暴に針から外すと適当に後ろへ投げ捨てる。
べちゃりと厭な音がした後、地べたでフグがびちびちともがき始めた。
「あーダメだこんなんばっかだなー」
もがくフグの周りでは、何匹もの魚の死骸が転がっていた。
ゴンズイやハオコゼ、フグ等、どれも毒を持つ魚だ。中にはかなり小さいサイズのメバルやカサゴも混じっている。
彼らはここ数日、ずっとこんなことを繰り返している。
夜釣りに来ては大騒ぎをし、釣れた魚は持って帰るもの以外は海に返さずわざわざ地面に捨てているのだ。
彼ら曰く、危険な魚を処分している、とのことである。
「……おい、アレ見ろよ」
不意に、一人が海面を指差す。
「な、なんだあれ……」
そこに見えているのは、あまりにも大きすぎる魚影だ。一見エイかなにかのようにも見えるが、そのサイズはエイの比ではない。まるで鮫だ。
「……なんだよ。なんも見えねえぞ」
だが不思議なことに、見えているのは一部の人間だけだった。はっきりと魚影を見ている人間もいれば、全く見えていない人間もいる。
それについてあーだこーだと言い合っていると、不意に魚影の主が浮上する。
「…………は?」
巨大なオコゼが、デコボコの顔で彼らを睨んでいた。
***
「やっぱり鯖は……塩焼きですね~~~~~~~~~~!!」
ホカホカのご飯に鯖の塩焼きを一切れ乗せて、早坂和葉は心底幸せそうに口へ運ぶ。
「ふふ……我ながら会心の焼き加減です」
所長の雨宮浸までもがそんなことを言いながら鯖の塩焼きを食べているのだから、今の雨宮霊能事務所は最早ただの食卓だ。
「ありがとうございます! 絆菜さん!」
屈託のない笑顔を和葉が向けると、絆菜は満足そうにうんうんとうなずく。
「感謝するのは私の方だ和葉先輩、浸。ここまで完璧に調理した上に、そんなに幸せそうに食べてくれるとはな。釣ってきたかいがあるというものだ」
そう、何を隠そうこの鯖は、赤羽絆菜が釣ってきた天然の鯖なのだ。
「鯖はまだまだある。次はどんな料理にするか悩むな」
「鯖パしましょう鯖パ! ほら、つゆちゃんも呼んで鯖パです!」
妙な語感を連呼しながらはしゃぐ和葉を微笑ましく二人が見つめていると、突如事務所のドアが叩かれる。
こうして食事を取っている時間は休憩中の札をかけているのだが、急用なのだろうか。ドアを開くと、中年男性が数人事務所の中へと入ってくる。
「ん、お前達は」
「おや、あなた方は……」
入ってきたのは全員、浸と絆菜の釣り仲間の男達だ。
「何かありましたか?」
浸が問うと、男の内一人が大きくうなずく。
「大変だ浸ちゃん、絆菜ちゃん……堤防で超巨大毒魚が出たらしい!」
「……超巨大毒魚!?」
男達の話によると、最近若者のグループが集まるようになった堤防があり、そこで超巨大毒魚が目撃されたらしいのだ。
「あいつら結構迷惑でよォ……。大騒ぎするわフグやらなにやらを海に返さねえで捨ててるしでマナーも悪いらしいんだ」
男達の言葉に、絆菜は顔をしかめる。
「……それは聞き捨てならんな。釣り人として最低限のマナーが守れん奴は海に蹴り落として良いと聞いている」
「……どこで聞いたんですかそれ」
「忘れた」
あっけらかんとそう答える絆菜に、和葉はもうそれ以上は追及しなかった。
「で、そいつらが見たんだってよ。超巨大毒魚を」
「……なるほど……。それはどのような超巨大毒魚だったか聞いていますか?」
浸の問いに、男達の内一人が腕を組んで考え込む。
「あー……なんだっけなぁ。あのブサイクな奴、ボコボコの顔したあの……」
「……オニオコゼでしょうか」
オニオコゼとは、海底に潜む猛毒を持った魚だ。味は良く、高級魚として扱われるがその毒性故に素人が捌くのは難しい部類に入る。
「でもよ、鮫みてえなサイズだったって聞いたぜ」
「なるほど……それは超巨大毒魚ですね……」
それほどに巨大なオニオコゼは見たことも聞いたこともない。絶対にあり得ないとさえ言えるレベルだ。
「しかも全員刺されちまってな。ボコボコに腫れてそれこそオコゼみたいな顔で入院してるらしいぜ」
「ふ……自業自得だな」
「ですが放ってはおけませんね。わかりました、調査しましょう」
浸が頷きながらそう言うと、その場にいた浸以外の全員が目を丸くする。
「……ど、どうしました……?」
「……いや、どうしたも何も……浸、これは完全に霊能事務所の管轄外だろうに」
「そうだぜ浸ちゃん、俺達はあの堤防が危ねえことを伝えにきただけだ」
超巨大毒魚は別に霊ではない。雨宮霊能事務所は霊に関する事件を解決するのが仕事だ。超巨大毒魚は絆菜の言う通り完全に管轄外である。
しかしそれでも、誰かが危険な目に遭ったと聞けば黙っていられないのが雨宮浸だ。
「いえ、個人的にも興味がありますし、実際に被害が出ているのならこのままにはしておけないでしょう」
「……まあ、それでこそ浸だな」
「でも浸ちゃん、気をつけてくれよ! なんせ相手は超巨大毒魚だからな!」
男達はそんな忠告を残して事務所を後にしていく。
そのあとしばらく間を置いて、和葉はポツリと呟く。
「…………オコゼって毒処理したらおいしいらしいですよね」
***
病院へ向かうと、聞いた通り腫れ上がった顔に包帯を巻いた青年達が入院していた。
だが不可解なのは、人によって超巨大毒魚を見た者と見ていない者がいたのだ。
ある青年はそんなものは見なかった、気がつけば毒を受けていたと語り、ある青年は超巨大毒魚に刺されたと語っている。
「あんなバケモンみたいな魚、初めて見たよ……。確かにオニオコゼっつーのに似てたけど、子供くらいなら丸呑みできそうなサイズだったぜ……」
どうやら男達の話していたことにあまり誇張はないらしかった。
「……しかしわからんな。何故ハッキリ見た奴とそうでない奴に分かれるんだ」
「そんなに大きいなら、いくら闇に紛れてても見落とすことなんてなさそうですよね」
考え込む和葉と絆菜だったが、その一方で浸は既に何かを掴んでいるような表情だった。
「……ふむ。一度堤防に行ってみましょうか」
「そうだな。今夜私と浸で実際に確認しに行ってみよう」
だが絆菜のその言葉に、浸は首を左右に振る。
「いえ……。早坂和葉、出来ればあなたも来てください」
「……え?」
「夜釣り初体験といこうじゃないですか」
意図が見えずに困惑する和葉と絆菜だったが、当の浸はどこか楽しげだった。
***
すっかり日の落ちた堤防付近に、和葉は浸、絆菜と共に訪れていた。
まさかこんなことになるとは思っても見なかったが、こうして浸達と楽しめるのなら悪くはない。釣りは正直やろうという発想すらなかった和葉だが、いざやるとなると少しワクワクしてきている。
和葉は霊を引き寄せやすい体質なので、一応三人共霊と戦うための準備はしてある。そのため、和葉も背中に霊盾を背負っていた。
「初心者の私でも釣れますか?」
「ああ。釣れる。私も初めての釣りでちゃんと釣れたぞ」
「あ、もしかしてあのメバルですか!? すっごくおいしかったです!」
「そうか、あれは和葉先輩が食べたのか。喜んでもらえたようで嬉しい」
そんな会話をしつつ、絆菜は浸と共にてきぱきと準備を進めていく。
「早坂和葉、一応聞いておきますが虫は触れますか?」
「え、虫ですか?」
言いつつ、浸が差し出したケースの中には、うねうねと蠢くゴカイが何匹も入っていた。
和葉が少し驚いたのを見ると、すぐに浸はケースの蓋を閉じる。
「ちなみに私は無理だ。疑似餌でしかやらん」
「疑似餌も用意してありますから、どちらでも大丈夫ですよ。個人的には虫の方が魚の食いつきが良いので好きなのですが」
「……じゃあ、虫で……」
和葉がおずおずとそう答えた瞬間、絆菜が大きく目を見開く。
「正気か!? 和葉先輩、虫だぞ!」
「でも私、浸さんのオススメのやつが良いです!」
「そ、そうか……チャレンジャーだな……。だが最初は浸につけてもらうと良い……」
それからしばらくして、三人共がその場で釣りを始める。
談笑しつつ穏やかな時間が過ぎ、浸や絆菜よりも先に和葉が一匹メバルを釣り上げる。
「わあ……釣れた! 釣れました!」
サイズは精々15cmくらいだが、初めての釣果に和葉は大はしゃぎである。
「ふふ……記念に持って帰りましょうか。煮付けか味噌汁にして食べましょう」
「はい!」
それから数匹、三人共がメバルやカサゴを釣り上げる。どれもあまり大きくはなかったが、釣れる度に和葉が喜ぶのでほとんどの魚をクーラーバッグに収めることになった。
帰ってから捌くのが少し大変だ、と浸が考え始めた頃合いで、絆菜が真剣な顔で問いかける。
「そろそろ教えてくれないか。何故和葉先輩を連れてきた? 和葉先輩と釣りがしたいならもっと適切なタイミングがあっただろう」
「今にわかりますよ」
浸が答えてからすぐ、ピクリと和葉が反応を示す。
「どうした、和葉先輩」
「いえ、今……霊の気配が……」
ゆらりと。巨大な魚影が海面に浮かんだ。