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数日をかけて準備は滞りなく進んだ。衣装や吟遊詩人、踊り子、芸人や役者の手配、何人かの踊り子への指導までベルニージュはこなしていた。


ベルニージュは記憶喪失だが、そういった知識は少しでも喪失したとは思えないほどに沢山ある。とはいえベルニージュの記憶喪失は特定の人とその周辺に関わる記憶を人為的な魔法によって失わされたものだ。ごく日常的な、あるいは専門的な、人物と結び付けられることのない知識は失っていない。そうして失われずに済んだほとんどの知識は魔法に関わっており、全ては魔導書を越える魔法を実現するというベルニージュの野望の礎だ。


その間、ユカリは地道に小遣い稼ぎをし、暇を見つけてはグリュエーと大道芸の練習をした。あの店からはあいかわらず魔導書の気配が香っていたが、どこかへ動く様子はないので近づくことはなかった。


祝宴の夜、清澄なる星月が藍色の夜空に散りばめられ、カッティール氏の豪邸で忙しそうに立ち働く人々をからかうように瞬いている。


この日のために邸には東西に名高い楽匠や料理人が呼び寄せられていた。彼らはその手業を大いに振るい、祝宴客の心を浮き立たせるために準備を整えている。祝宴は煌びやかに飾り付けられた邸の中庭で開かれる。マグラガ市に名高い名家の当主や幸運を手に富を築いた若者、最近巷間に名の響く彫刻家に文筆家、良い噂や悪い噂を抱える政の要職の多くが客として招待されていた。


主宰のカッティール氏が中庭に設えられた円い舞台に立つ。氏は夜と星の神秘と捧げられた信仰いのりを讃え、マグラガ市のサンヴィア会議参加三十周年を祝い、またこの場にいる者たちの一年の労をねぎらって乾杯の音頭をとった。途端に楽し気でいて厳かな楽の音が邸の内外に鳴り響き、食す前から満たされるほどの馨しい料理の数々がお披露目される。人々の心は浮足立ち、夜の神秘に目もくれず、人の手業に狂乱した。


舞台では様々な催しがなされた。紅玉や青玉で飾り付けた絢爛豪華な衣装を身に纏った踊り子たちが情熱的に舞い踊り、力強い歌声の吟遊詩人がサンヴィアとマグラガの歴史を時に儚げに、時に猛るように歌い上げる。喜劇役者や悲劇役者はその生き生きとした芝居でカッティールの客人たちの心を大いに弄ぶ。


ユカリは衝立で遮られただけの楽屋で、華やかな衣装に身を包んだ踊り子や吟遊詩人、芸人たちと共に、緊張して己の出番を待っている。舞台近くではいくつもの篝火を焚いているが、楽屋まではその熱が届いておらず、特に薄着の踊り子たちは肩を寄せ合って震えている。


そこへ華麗な出で立ちのベルニージュがやってきた。いつもの翠の長衣は脱ぎ捨てて、自身が炎になったかのような暖色の衣装ドレスを身に纏っている。


「寒すぎる。だから火魚の鱗をけちるべきじゃないって言ったのに。皆さんは皆さんで何でそんな恰好でいるんですか? 衣装は沢山あるんだから重ね着していいんですよ」とベルニージュが踊り子の一人に尋ねる。

「でも、着るのは一着だけって、そう聞いています」と一回り年上の踊り子が答えた。

「それは報酬の話です。今だけ着てればいいんですよ。ばれやしないんですから。でも契約のことは忘れないでください。そこそこ恐ろしい魔法の誓いですからね」


踊り子たちが露天楽屋からそそくさと建物の方へ走っていく。


見送ったベルニージュはユカリの方を振り返り、全身を眺める。「ユカリ。その格好で出るの?」


その格好というのは、故郷から唯一持ってきている着物である狩り装束に護女の僧衣を羽織った姿だ。特別気に入っている訳でもないが、大道芸人にふさわしい格好というのがユカリには分からない。


「まずい?」

「まずかないけど、華がないよね。大道芸人らしくないというか」

「それはつまりまずいんだね。どうしよう?」


他に服らしい服といえばトメトバの伝統服くらいのものだが、そもそも旅には向かない服だった。


「というか、ユカリも衣装を貰って良いんだよ? むしろ着もせずに衣装だけ貰っていくのは心証悪いかもしれない」


先ほどの踊り子とのやり取りは自分にも関係あるらしいと気づく。


「え? なんのこと? 聞いてないよ、衣装のことなんて」

「そうなの? 言ってなかったっけ? こっちおいで」


ユカリはベルニージュに連れられ、踊り子たちの後を追うように建物へと入る。そこは仮の衣裳部屋になっていた。沢山の衣文掛けに押し詰められた衣装と台に敷き詰められた装身具が並んでおり、踊り子たちが夢中になって着比べて、衣装とお互いを褒めたたえていた。


ユカリもできるだけ多くの衣装に目を通そうとする。そして例の商店の衣服も沢山あることに気づいた。ユカリは少し焦って、例の商店が卸したらしい衣服を掻き分ける。特に気を引かれた例の茜色の円套マントがまだ残っていることに気づき、ほっとする。襟止めの燕は相変わらず椿の花を咥え、今にも飛び立とうとしていた。


「催しに出る大道芸人や踊り子その他は現物支給だからね」とベルニージュがあっけらかんと言う。

「聞いてない!」とユカリは抗議する。

「それでも一晩の催しの報酬としては破格な衣装や装身具ばかりだよ。平均的には」

「聞き捨てならないことを言ったね」


ベルニージュの言葉を耳聡く聞いた踊り子たちは一斉に静まり返り、衣装や装身具を丹念に見比べ始めた。


ベルニージュは抗議を聞き捨ててユカリを急かす。「さあ、早く選んで。もうすぐ出番でしょ? それでいいの?」

「まあでも丁度いいけどね。これしかない」


ユカリはいま着ているものの上に円套マントを羽織る。


ベルニージュがじっとユカリの格好を見て、「まあ、いいか」と呟いた。聞き捨てならないがユカリは聞き捨てた。ベルニージュがユカリの背を押して急かす。「さあ、お手並み拝見。たっぷり稼いできてね」


ユカリは早足で楽屋に戻り、衝立の隙間から舞台の方を覗く。ちょうどユカリの出番の一つ前の演劇が行われているところだった。かつて太陽を飲み込んだ神話の蛇から英雄が昼を取り戻す、サンヴィアでは有名な物語だ。見たかったのに、すでに物語は終幕だった。


「グリュエー。準備は良い?」

「ユカリこそ準備は良いの?」

「私はまあ、あまりすることもないし」


舞台から見目麗しい役者たちが最後まで役を演じながら降りてくる。鳴り止まぬ拍手が鳴り止むのを待ち、裏方の次の準備が終わるとユカリは舞台へと上がった。

再び拍手が鳴り響く。手ぶらで現れたユカリに視線と疑問が集中する。何が行われるのか想像することも難しいだろう。


ユカリは空中に手を伸ばし、何もない宙から魔法少女の紫水晶の杖をつかみ取る。富豪たちのどよめきの声が上がる。


魔法少女の魔法であるところの変身、会話、憑依に続く第四の魔法が『我が奥義書わたしのまほうのほん』に記されてから以降、おまけに魔法少女に変身することなく杖だけを現出させることができるようになったのだった。


ユカリが杖で床を指すとそこに敷かれていた着物が風をまとって立ち上がり、まるで幽霊が服を着たかのように踊り出す。ユカリが幽霊の手を取って、共に踊り始めると、それに合わせて舞台袖に控える楽団が厳かな調べを紡ぐ。不思議ではあるが、今までにこの舞台に立った踊り子たちに比べると素朴な舞踊だ。客の驚きが落ち着いた頃合いを見て、グリュエーが楽屋に用意されていた服を次々に舞いあげる。無数の幽霊たちは舞台を飛び出し、客の周囲や頭上で自由に躍動してみせた。楽団の妙なる楽の音が徐々に走り、人々の気分も高まっていき、祝宴全体が熱に浮かされる。もはやユカリの方を見ているものはいないので、ユカリは適当に杖を振り回すことに終始した。客の何人かまでもが踊り出すと、グリュエーが調子に乗って人を打ち上げ始めた。悲鳴が降ってくるが、安全に着地している様を見た他の客たちがねだる視線をユカリに向ける。


ユカリは小声で懇願する。「怪我させちゃ駄目だよ!」

「分かってるってば」


そうして驚異と熱狂の舞踏会が幕を開き、老若男女がカッティール邸の屋根の上で舞い踊る。何人かがぐったりし始めたことにユカリが気付いて、グリュエーを制止するまで狂乱は続いた。とはいえ、ユカリの出し物は喝采をもって称賛され、幕を閉じた。


楽屋に戻ると、他の演者たちもユカリの魔法を褒めたたえてくれた。その分だけユカリもグリュエーを褒めたたえた。

称賛の中でベルニージュの姿が見えないことに気づく。ユカリは先ほどの衣装を返すついでに、ベルニージュを探しに衣裳部屋へ戻る。すると祝宴に決して相応しくない厳めしい怒鳴り声が聞こえ、ユカリの歩を急がせた。


無数の衣装の中で踊り子たちが遠巻きに眺めている。その中心にはベルニージュとあの商店の店主がいた。店主が今にもベルニージュにつかみかかりそうな勢いで怒鳴っている。商売上の揉め事だろうか。

ユカリは一緒に踊った着物を、怯える踊り子の一人に預けて二人の間に割って入る。


「いったい何ごとですか? 落ち着いてください」

「何事も何も、この女が突然私を引っぱたいたんだ。こっちが理由を聞きたいくらいだ」

ユカリはベルニージュの方をちらりと振り返って尋ねる。「そうなの?」


ユカリは酷い怪我を看るような目で友人の顔を覗き込むが、目を逸らされ、返事はもらえなかった。

その態度が店主の癇に障ったことは言うまでもない。


「君は彼女の友人なのか? 君の方からも。ん? 君は……」店主の方もユカリに気づいたらしい。「なるほど。君も小遣い稼ぎに来たってわけだ。まあいいだろう。だがいくら積まれてもあの本は売らないと決めた。大人げないと思うか? 知ったことか。ざまあみろ」


店主は鼻を鳴らし、足を踏み鳴らし、衣裳部屋から立ち去る。


その後、催し物が全て終わると、控えめな楽の音の中で男たちは酒と煙草を、女たちはお喋りと買い物を楽しんだ。そのように時は過ぎ去り、その夜の祝宴は滞りなく終わったが、ベルニージュはずっと塞いでいた。


深い夜の下で召使たちによって中庭の後片付けが行われる中、衣裳部屋では踊り子たちが現物支給の衣装を嬉々として選んでいる。いくらかはやんごとなき婦人たちに買い取られてしまったようだが、まだ十分に残っている。カッティール氏の使いでやってきたビグナがそれらを取り仕切っていた。後で搔き集めた商店に衣装代を払うためにきちんと把握しておく必要があるのだろう。


ユカリは茜色の円套マントを選び、後片付けを指揮するベルニージュの元へ戻る。するとベルニージュに人気のないところへ連れて行かれる。


「ベルは衣装もらわないの?」とユカリはベルニージュに手を引かれながら尋ねる。

「ワタシはこっちの仕事の報酬を貰うから、衣装は貰えないよ。というか路銀稼ぎのこっちが主だからね」そこでベルニージュはたっぷりの時間を置いたが、ユカリは辛抱強く待った。「それはそれとして、ごめんね。ワタシのせいで面倒なことになったよね。せっかく稼いだのに。魔導書を盗むしかないならワタシがやるから」


そういえば、ベルニージュを驚かせようとしてまだ黙っていたことをユカリは思い出した。


「その心配はいらないよ。魔導書ならもう手に入れてるから」

「え? いつの間に?」ベルニージュは驚いて、しかし手ぶらのユカリを不思議そうに見つめる。「でもどこに? それに盗みはしたくないんでしょ?」

「もちろんそうだよ。今回のことは不運だったけど、幸運でもあった」


そう言ってユカリはくるりと回る。茜色の円套マントが翻る。


ベルニージュはその意味に気づく。「その円套マントが魔導書ってこと?」

「うん。魔導書の気配がこの衣から感じられる。それに」


ユカリは円套マントを広げて見せる。円套マントの裏地には幾何学的な模様が織り込まれている。

ベルニージュは柔らかな裾をつかんでじっくりとその模様を見た。


「これって、魔導書文字?」

と称しているのはベルニージュだけで、実際のところはユカリの前世の文字だ。


「うん。今までに見たことのない書体だけど、確かにあの文字と同じだよ。ちゃんと読める」


ベルニージュは感心したようにため息をつく。


「それよりベル。あの店主さんのことを何で引っぱたいたのか教えてくれない?」


ベルニージュは息を飲んでユカリから後ずさりする。


「笑わない?」

「笑わない」

「怒らない?」

「怒らない」


ベルニージュは意を決した表情で告白する。


「男が苦手なんだよ、ワタシ」


そのことか、とユカリは思った。ベルニージュが思っているほどには隠しきれていなかった。これまでの旅路でそれらしい不自然な振る舞いは何度かあった。確信を持つほどでもなかったが、ユカリに驚きは全くなかった。


「そうだったんだ。驚いた。苦手なものなんて何もなさそうなのに」


ベルニージュはユカリをじっと見つめ、思うところがあったようだが口には出さなかった。


「理由は分からない。たぶん記憶にないだけだと思うけど」


嫌いになった理由が分からないのなら、記憶喪失の内は嫌いにもならないのではないかと思ったが、そんな疑問はベルニージュの中にもあるだろうと考え、ユカリはわざわざ指摘しない。

このことを今まで黙っていたことにも大して疑問はない。ただでさえ負けず嫌いなのだから、弱点を晒すようなことはしないのだろう。


「まあ、でもちょっと親近感が湧くね。ベルにも苦手なものがあるんだ」


そう言ってユカリがにやりと笑みを浮かべると、ベルニージュはむっと口を結んだ。


「できるだけ表には出さないようにするんだけど、近づかれ過ぎると嫌悪感と恐怖感に襲われるんだよ。どうにかしようと思えばできるけどね」

「そうだね。できれば突然引っぱたくのは堪えて欲しいかな」

「努力する、までもない」

「とりあえず祝宴は無事に終わったし、旅費も稼げたんだからよしとしよう。後で店主さんに謝りに行こうね」


ベルニージュは小さく頷く。


そこへ祝宴の主、カッティール氏がやってきた。すぐそばに近づくまで二人とも気づかなかったし、カッティール氏は突然ベルニージュの肩を叩いた。

振り返ったベルニージュの間髪入れない平手打ちが雇い主の頬を打つ。


「ベルニージュ!?」とユカリは悲鳴をあげる。


その後、手に入るはずだった路銀を失わないよう、ありとあらゆる弁明と謝罪を積み重ねたことは語るまでもない話だ。

魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。

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