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線上のウルフィエナ

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線上のウルフィエナ

13 - 第十三章 あなたの名を叫ぶ

♥

13

2023年11月04日

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薄暗い森の中を、小さな足音が疾走する。

 左腕の中では泣き疲れたパオラが眠っており、ウイルは静かに駆け抜ける。

 やり遂げた。

 ゆえに、少年はどこか満足気だ。

 パオラの父親が生きていたことには驚かされたが、情報が得られたばかりか別れを告げることが出来たのだから、必要以上に落ち込む必要はない。

 本来ならば、目の前で肉親を殺したことに多少なりとも罪の意識を持つべきなのだろうが、実際のところは正反対だ。

 救うことが出来た。そう思えてやまないのだから、罪悪感とは無縁の心理状態だ。


(今がジレット大森林の真ん中あたり……。陽が沈んだ頃には監視哨に着けそうかな)


 ウイルは地図を見ない。優れた空間把握能力が、一度訪れた場所を記憶してくれるため、脳内の地図を頼りに自分が今どこにいるかを推測出来てしまう。


(巨人族も見かけないし、騒動は収束に向かっていると思って問題なさそう。良かった良かった)


 二重どころか三重の意味で喜ばしい。

 旅の目的が果たされた。

 この森が従来の静けさを取り戻しつつある。

 そして、懐がとても潤った。


(さすがにアダマンの刀は返却するとしても、ミスリルソードとよくわからない杖、なによりダークランスがすごい。三本とも売れたら、みんなを数年は食べさせられるはず……。あ、もしかして、ミスリルダガーも買えちゃったりする? いや~、それはさすがに無理かな?)


 ネイグリングのリーダー、ハルトが愛用していたミスリルソード。その名の通り、ミスリル製の高級品なため、傭兵なら誰もが憧れるものの、多くが諦めと共にスチールソードで妥協する。

 赤いクロークを着ていた首無し死体がシルフェンという名の女性だった。彼女からは長杖を拝借したのだが、これもまた一級品だ。先端には真っ白な宝石が添えてあり、この杖自体に回復魔法の効果を高める機能が備わっている。

 これらを武器屋で買おうとするなら、その額は千万イールにも達してしまう。六十万イールのスチールダガーすら今のウイルには高嶺の花なのだから、彼らがいかに金持ちだったかは容易に想像出来る。

 もっとも、ロストンから奪ったダークランスはそれ以上だ。

 その金額は六千万イール。年収が三百万イールだとしたら、稼ぎを全て貯蓄にまわしたとしても二十年はかかる計算だ。

 買えるはずがない。ウイルは当然ながら、一流の傭兵であれ、おおよそ不可能な金額設定と言えよう。

 ミスリル鉱石よりもより希少なダーク鉱石を素材としており、ミスリルの武具でさえ一流の証なのだから、ダーク製の武器を手にした者は形容することさえ不可能だ。

 そのような超高級品が、鞄の中に納まっている。

 予期せぬ戦利品に顔がほころぶも、まとわりつく不快感は未だ拭えない。

 ロストン・ソーイング。この男が生きていたがために、パオラは心に傷を負った。

 気持ち悪い。

 死ね。

 父親にそう罵られたのだから、娘のアイデンティティーは崩壊寸前だ。

 ウイルが支えることには成功したが、未だ不安は拭えない。

 特効薬はエヴィ家の二人だろう。新たな両親と対面すれば、後は時間が癒してくれるかもしれない。そう判断し、帰路についているのだが、少年は急停止を余儀なくされる。

 針葉樹との衝突を避けるためではない。

 魔物が現れたからでもない。

 天技が全く別の反応を感知したためだ。


(これは……、まさか!)


 ウイルは知っている。ジョーカーと名付けた自身の異能は、周囲の魔物を視認なしに索敵可能だ。

 しかし、実はそれだけではない。魔物以外にもう一人、とある人物の居場所についても察知してくれる。

 ジレット大森林は卵のような形をしており、水の洞窟は最北に位置する一方、軍事基地は南東に存在する。

 現在地は中心付近。そろそろ南下から南東へ舵を切るつもりでいたのだが、少年の足は西へ向かいだす。左折ではなく、右折を選んだ理由は、彼女がその方角にいると天技が教えてくれたからだ。


(なんで、こんなところに⁉)


 わからない。それでも今はがむしゃらに走る。

 喜べば良いはずなのだが、頭は混乱しており、なにより事実をその目で確かめないことには疑心暗鬼になってしまう。

 この数か月間、魔物を狩りながらあちこちを探しまわった。それでも、見つけることなど出来なかった。

 広大な大陸の中から、人ひとりを見つけるとなるとおおよそ不可能だ。探索範囲がイダンリネア王国の領土内なら話は別だが、コンティティ大陸はその何千倍も広く、ましてや魔物が蔓延っているのだから、攫われた仲間との再会など叶うはずもない。

 そのはずだった。

 ウイルは突風よりも速く駆ける。

 パオラも事態の変化を察し目覚めるも、今は少年の慌てようを黙って見守る。


(この先だ!)


 そこは森の中に存在する草原地帯。木々が一切存在しない牧歌的な空間ゆえ、本来ならば立ち寄る理由などなかった。

 しかし、今回に限っては向かわざるをえない。ジョーカーがそちらへ進めと訴えるのだから、鼻息荒く木々の隙間を抜ける。

 太陽はまだ沈んではない。

 だからなのか、そこへ飛び出すと先ずは西日が眩しかった。

 それでも怯むことなく、少年はわずかに減速しながら遠方の人影に目を輝かせる。

 知っている姿だ。

 一人ではなく三人でこの地を訪れたようだが、そんなことはお構いなしに駆け寄る。


「エルさん!」


 その名を呼ばずにはいられない。会いたくて仕方なかったのだから、心の底から叫んでしまう。

 彼女らも接近する存在に気づいていたのだろう。驚く素振りすら見せずに、その内の一人がピョンと先頭に躍り出る。


「久しぶりー。元気にしてたー?」


 長身の女性は屈託ない笑顔だ。

 茶色い髪は三か月前よりいくらか伸びており、ボブカットであることには変わりないが、垂れた茶髪の内向きな先端が胸元で色っぽく揺れている。

 両腕は素肌の上から灰色のガントレットを装着するも、防具の類はそれだけだ。セーターのような黒色のニットは大きな胸によって曲線を描いており、その光景はそれだけで男を魅了する。

 茶色いロングスカートは本来ならば両脚の大部分を隠すはずだが、左脚側に大きな切れ込みが存在するため、歩く度にチラリとその色が見えてしまっている。

 以前とは多少身なりが異なるが、それでも見間違うはずがない。一日たりとも忘れたことがないのだから、ウイルは走るのを止め、涙をこらえながら歩み寄る。


「はい。いっぱいがんばったら、少し強くなれました。エルさんの方は……、色々あったんでしょうね」

「そだねー。まぁ、でも元気モリモリだよ」


 ウイルは知っている。

 透き通るようなその声を。

 それを発する、艶やかな厚い唇を。

 そして、蠱惑的な瞳の、その変化を。

 黒目とも呼ばれる角膜に、赤色の線で真円が描かれている。人間には存在しない特徴だが、彼女らにとってはこれが普通だ。

 魔眼。魔女だけが宿すこれは、人間と彼女らを見分けるための唯一の手段でもある。

 魔女は魔物だ。イダンリネア王国ではそう言い伝えられており、王国民に植え付けられた常識だ。進化した魔物が人間を欺くために手にした姿だと言われており、瞳だけは模倣しきれなかった。

 魔物なのだから、殺す。王国はそう主張し、軍隊をこの千年間、派遣し続けた。

 人間と魔物は殺し合う。この世界の理であり、だからこそ、魔女も例外ではない。

 彼女らは魔物だ。

 殺すべき対象だ。

 そんな嘘をつき通してまで、王国と魔女はいがみ合い、互いに血を流し続けた。

 そう。魔女は魔物ではない。少なくともウイルはその若さで見抜いている。

 証拠の提示も可能だ。

 それが、眼前の女性であり、少年はかつての仲間とついに再会を果たす。

 エルディア・リンゼー。ウイル同様、等級三の傭兵だ。長身ゆえ、二人が並ぶと姉と弟にしか見えないが、彼女の方が六歳年上ゆえ、そう思われても無理はない。


「あ、この子を紹介しないと。話すと長くなりますが、僕が保護した女の子で、名前はパオラです」

「パオラちゃんねー。って、ガリガリ過ぎない?」

「ええ。親がこの子にご飯を与えなかったからで、ただ、もう大丈夫なんです。なんたって、僕達が探していた、生まれながらの超越者ですしね」

「おぉー、この子がそうなんだ、すごーい。これで長年の人探しも終了なんだね」


 物言わぬ少女を挟みながら、二人の会話は弾む。

 超越者。それは言わば才能であり資格そのもの。ウイルやエルディアでさえ届かぬ領域だ。


「パオラ、この人は僕の知り合いで、エルさんって名前……じゃないな。エルディアさんだよ」


 左腕で抱えている少女に、かつての仲間を紹介する。

 この時をどれほど待ちわびたか。ウイルの表情はかつてないほどに嬉しそうだ。


「えるであさん……」

「うん、こんにちは」

「こんにちは」


 パオラはこの状況を何も理解せぬまま、それでも挨拶だけは済ます。眼前の女性は父親ほどではないが、ウイルよりはずっと長身だ。目の前に立たれると迫力があるのだが、少女の関心は摩訶不思議な瞳に集約される。

 見つめると飲み込まれてしまいそうなその眼球は、少なくともこの数日間で一度も出会うことはなかった。

 一切の知識を持たぬ彼女でさえ、魔眼には引き付けられてしまう。

 そんなことはお構いなしに、ウイルは語りかける。話題は尽きないのだから、一分一秒を無駄にするつもりはない。


「エルさんは今どこで何を? あいつらに変なことされたりしませんでした?」


 三か月前の事件以降、エルディアの足取りは不明だった。遭遇した魔女によって連れ去られたのだから、安否を気にするのは当然だ。もっとも、今こうして目の前にいるのだから、杞憂に終わったはずなのだが、それでも問わずにはいられない。


「今はねー、魔女の里でお母さんにしごかれてる! ほら、あそこにいるのがなんとビックリ、私のお母さん! すっごく強いんだよー。ちなみにもう一人は……」

「三か月前の魔女の片割れですよね」

「そそー。いやー、目が覚めたらえっちらおっちら運ばれてて、体が言うこと聞かないからそのままおんぶされてたら、魔女の里にご到着~、って感じ。そしたら、そこにお母さんがいて、さすがの私も混乱しちゃったゼ!」


 この原野には二組が点在している。

 ウイル達三人と、離れた位置に二人の魔女。彼女らは王国の民を警戒しているのか、近寄ろうとはしない。


「魔女の里……ですか。ハクアさんの森とは別ってことなんですよね?」

「そそー。山の上にあってね、お母さん曰く、他の魔女とも王国とも関わらない、中立的な立ち位置がどうのこうのって」

「なるほど。ハクアさんに訊いてもエルさんの手がかりすら得られなかったのはそういうこと……。里では幽閉されてたってわけじゃなさそうですけど、どんな待遇を?」


 ウイルには魔女の知り合いがいるのだが、エルディアをさらった連中は別派閥ということになる。

 彼女らが仲違いをしていることは以前から知らされていたが、遠方からこちらを眺める二人の女性もまた、異なる思想のもとで生き延びている魔女達なのだろう。


「お客様みたいな扱いかな。お母さんってそこの一番偉い人でね、私はその一人娘だから、そりゃー、チヤホラされるわけよ? ご飯は肉中心だから、そこはちょっち不満だけどね」

「肉ばっかり食べてる癖に、魚好きですもんね」

「そうなのよ、刺身か寿司食べたいなー。持ってない?」

「ないです」


 このやり取りから、ウイルは眼前の仲間が連れ去られた理由をわずかに察する。

 だからと言って納得は出来ない。ここからは一歩踏み込んだ質問を投げかける。


「牢で繋がられてるわけじゃないのなら、抜け出そうと思えばいつでも可能だったんですね」

「そだねー。それも考えなかったこともないんだけど、まぁ、その、これだしね……」


 エルディアが以降も逃げ出さずに滞在し続けた理由。それはひとえに彼女の瞳に起因する。


「魔眼……」

「うんー、こうなっちゃったらもう戻るのは無理かなー。あ、お父さんに、私は無事だよって伝えたいんだけど、代わりにお願いしてもいいかな?」

「もちろんです」


 イダンリネア王国にとって、魔女は排除の対象だ。魔物扱いしているのだから当然なのだが、それが嘘であることをウイルは知っている。

 そんなことは、魔女と会えばすぐにわかることだ。中には恨みを募らせ、問答無用で襲ってくる者もいるのだが、そうでない魔女と話をすれば、嘘つきが誰かなどすぐに看破出来る。

 ましてや、エルディアはつい最近まで普通の人間だった。

 二十二年前にイダンリネア王国で生まれ、以降、父親と二人で暮らしてきた。

 三か月前までは傭兵として活動をしていたのだが、今はもう帰国を許されない。

 瞳が赤い円を宿した以上、魔女として狩られてしまう。


「お母さんに会えたってこともお願ーい」

「わかりました。生き別れた母親とこんな形で再会出来るなんて、絵本でもそうそうないですよ。素直に喜んでいいのかどうか……、いや、喜んじゃえばいいのか」

「うんー、私も思う存分甘えちゃったゼ。まぁ、甘やかしてくれたのは最初だけで、最近は魔眼を制御するための修行でおもいっきりしごかれてるけど!」

「その目ってどんな能力を宿しているんですか?」


 魔女の瞳には特異な力が発現する。その確率は高くはなく、魔女全員が使えるわけではない。


「私のは、おもいっきりハズレだねー。トホホだよ。あ、能力は、男の人を無理やり欲情させるっていう……。どうよ?」

「それは……、戦いには微塵も役立ちませんね……」


 魔眼のそれは魔法や戦技とは異なる、彼女らだけの特技だ。

 エルディアの場合、見るだけで相手を性的に興奮させることが可能だが、現状、嫌がらせ以外の使い道はない。


「お母さんが命名しろっていうから、とりあえずドーン・ブルーって名付けたけど、使う機会が見当たらないんだよねー」

「でしょうね」

「あ、今使ってみてもいい?」

「いいはずないでしょ。この状況で僕をムラムラさせてどうするんですか、まったく……」

「ちぇー」


 親しい間柄ゆえ、このような冗談も言い合える。エルディアとしては魔眼を試せる好機ゆえの本心なのだが、狙われた方はたまったものではない。


「あそこのお母さんともう一人も魔眼を使えるんですか?」

「うん。二人ともすっごいよ。お母さんのダーク・エラーは右手で持ってる物を一瞬で移動させられるし、サンドラさんのブルーゴーストは見るだけで状態異常を治せちゃう。クリージングみたいなもんだねー」


 本来ならば、仲間の情報をペラペラと話してはいけないはずだが、ウイルは敵ではないとわかっており、エルディアの口は止まらない。


「どっちもすごい魔眼ですね。魔源の消耗なしにクリージングを連発出来るなんて夢みたいな話ですし、お母さんのも使い道はいくらでもありそう」


 クリージング。回復魔法の一つ。弱体魔法がもたらす悪い効果を治せる上位の魔法であり、習得者は魔療系に限られるも、実際に使える者はその中でもほんの一握りだ。


「でしょー。ちなみに、あの時いたもう一人の子の能力が、魔眼の強制成長でね。だから、こうなっちゃったんだ」

「な、なるほど……。エルさんが魔女になったのはそういう……」

「うんー。ただ、才能がないと無理らしくて、誰もが能力を使えるようになるわけでもないらしい。私はまぁ、お母さんの子供だから、そっち側だったっぽいねー」

(魔女じゃなかったエルさんに親譲りの才能が眠ってたから、ってことか……。いたたまれない話だな)


 明るく話すエルディアとは対照的に、ウイルはパオラを抱えたまま静かに落ち込む。

 そのせいで二人は引き裂かれてしまったようなものなのだから、事情を飲み込めたところで心のモヤモヤは解消されない。


「というか、三か月前のあれは初めからエルさん目当てだったってことですか?」

「そだねー。お母さんの命令で私を探してたみたい。んで、試しにブルーローズ、あ、強制的に覚醒させる魔眼の名前ね。ブルーローズを使ってみたら、私のその、秘められたパワー的なものが目覚めちゃったってわけ」

「そのパワーのせいで僕はボコボコにされましたけどね。まぁ、ただではやられませんでしたけど」

「そうみたいねー。後から聞いてびっくりしちゃった。鎧は折れ曲がってたし、スカートもボロボロだったし、何かと戦ったんだろうなぁ、とは思ってたけど、まさかウイル君と一戦交えてたとはねー。あ、なんか私が勝ったって?」

「まぁ、エルさんを連れて行かれたって意味では僕の負けです。というか、ドーン・ブルーでしたっけ? 男をムラムラさせる魔眼」

「うんー」

「あの時のエルさん、明らかに強くなってましたけど、魔眼に目覚めると身体能力も向上するんですか?」


 二人が戦った理由は、エルディアが自我を手放し、魔物のように暴れまわったからだ。

 それだけならウイルが勝利し、彼女を無効化出来たはずなのだが、そうはならなかった。

 エルディアが別人のように強かったからだが、その理由は再会した今でも予想がつかない。


「ううん。実は魔眼には段階があってねー、瞳に由来する特別な能力が第一形態。私のドーン・ブルーとかね。んでー、今まではお母さんしかいなかったみたいなんだけど、その先があるわけよー」

「その先?」

「それが、第二形態。そのまんま!」

「魔眼の第二形態……。それが、強さを引き上げてくれる?」

「そそ。お母さん曰く、百年だか二百年に一人しか現れないすごいことらしい。あ、自分で言ったらなんかかっこ悪いね」


 己の発言に照れ笑いを浮かべるエルディアを他所に、ウイルは知らされた事実を冷静に噛みしめる。


「日々の手合わせで、エルさんの実力は誰よりも把握出来ていました。その僕が、ボッコボコにやられたんですから、第二形態とやらは強化系や支援系の良いとこどりみたいな感じなのかもしれませんね」


 強化系。戦闘系統の一つであり、腕力や脚力を高めることが可能だ。しかし、対象の部位は一か所に限定されるため、何を補いたいのか考える必要がある。

 支援系も戦闘系統の一種だが、こちらは強化魔法の使い手だ。魔源が尽きれば魔法は使えないため、長期戦には不向きと言えよう。


「お母さんにしごかれたから、今なら三割程度まで第二形態を解放出来るようになったんだよねー。まぁ、欲張っちゃうと、まーた暴れちゃうんだけど。もどかしー」

「なるほど、そういうところも戦技や魔法とは異なるのか……。天技とも違う感じですし、魔女特有の能力っぽいですね。というか、魔女……、もとい魔眼っていったい何なんでしょう?」

「さぁ? 里のみんなは、こういう目ん玉ってことで受け入れてるよ? 日常生活を送る上ではなーにも変わりないしねー」


 王国の民と魔女の差は、魔眼だけのはずだ。つまりは、どちらも人間なのだが、その差が殺し合いのトリガーとなっている。

 イダンリネア王国は魔女を殺す。

 魔女も王国の人間を殺す。

 無知がそうさせるのか、正当防衛が生み出す悪循環か。どちらにせよ、魔物だらけのこの世界で、人間は愚かにもいがみ合ってしまっている。


「王国は何かを隠しているようですし、現状はわからないことだらけってことか。なんにせよ、無事なことが確認出来てホッとしました。帰国出来ない理由もわかりましたし、僕としてもやることが明確になったので、それに向けてまい進したいと思います」

「やることー?」

「はい。王国に、魔女が人間であることを認めさせます」


 それこそが、エルディアに帰国を許す唯一の方法だ。

 魔女は魔物ではない。それはつまり、イダンリネア王国の常識を根本からひっくり返すことに他ならない。

 ましてや、王国法に記載されている事柄でもある。

 法律の改定が必要だ。

 それだけではない。国民から王族に至るまで、意識の変革が求められる。


「それはさすがに無理なんじゃ?」


 エルディアの言う通りだ。

 魔女は魔物だと、千年もの間、言い伝えられてきた。今更変えることなど出来ないはずだが、少年の瞳は諦めてはいない。


「僕の父も、不干渉法の撤廃に向けて動いています。四年かかってまだ実現には至っていませんが、風の噂では前進しているようで……。だったら、息子の僕もトライするまでです。父は貴族として、僕は傭兵として、アプローチします」


 不干渉法。これが貴族以上の国民に対し、ある主の行動制限として自由を一つ奪っている。この少年が貴族に戻れない理由そのものであり、だからこそ、ウイルの父親はエヴィ家の長として私財を投じながら改法の手続きを訴えている。


「すっごい発想だねー。お姉さん、応援しちゃう! そしたら、私もお母さんも、王国に帰れるのかな?」

「エルさんはあっさりと受け入れてもらえるでしょうね。もともと王国の人間ですし」

「お寿司! 食べたい!」

「どうぞどうぞ。何年かかるかわかりませんが、期待しないで待っててください。僕の予想では、順調にいったとしても最短で三年後だと思いますから。そう考えると、随分先のことになっちゃいますね……」

「三年後に何があるのー?」

「光流武道会です」


 光流武道会。二年に一度開催される、軍人のための大会だ。腕を競い、勝ち進めると、優勝者には望むものが一つ与えられるのだが、実際には準優勝が限界ゆえ、参加者は初めから褒美を思い描いたりはしない。

 優勝など不可能だ。その理由は、決勝戦の相手が四英雄の一人ゆえ、いかに最強の軍人でさえ、軽くあしらわれてしまう。持って生まれた才能に天と地ほどの差があることから、どれほどの努力を積み上げようと、実力差が埋まることはない。


「おー、なるほどー。私達が何年か前に参加したやつね」

「三年前ですね。う、思い出すだけで心の古傷がうずく……。次回は来年ですが、まぁ、間に合うとは到底思えないので、だからさらにその次ということで三年後です。僕が優勝出来なくても、パオラが仇を取ってくれるはずです、多分……」


 他力本願な発言だが、無理もない。腕の中の少女にはそれほどの可能性が眠っており、少なくとも白紙大典から保証を得ている。


「ハクアさんの探してる子がこの子で正解だったら、英雄って人達を越えられちゃうのかな?」

「一年鍛えれば、少なくとも今の僕なんかは追い抜くらしいですよ。すごい話ですよ、ほんとに」

「だねー。私らはコツコツがんばろー」

「おー。ところで、エルさん達は危険をおかしてまでこんなところで何を?」


 話題は尽きない。会話の軸は定まらないが、そんなことはお構いなしだ。


「実はね、ミケットさんを探してる最中なの。あ、ブルーローズの子ね」

「あぁ、同行してないのは、そういうこと……」

「そそー」


 エルディア達もまた、ウイル同様に人探しでこの地を訪れた。

 しかし、少年は首を傾げる。

 ミケットという名の魔女はある意味で宿敵だ。相棒を魔女に変貌させた張本人ゆえ、彼女がどうなろうと知ったことではない。

 それでも、脳裏に浮かんだ疑問を問いかけてしまう。


「その人が、なんでジレット大森林に?」

「それがねー、見かけない魔物を目撃したらしくて、一人で後をつけてったの。んで、一週間以上待っても帰ってこないから、探しに来たってわけ。東に向かったとは聞いてたから、だったらここだろう、と。何か情報掴んでない?」

「見かけない魔物……。もしかして、黒くて人間のような姿をした奴だったりしますか?」

「あ、きっとそれだ。全身真っ黒で、巨人族ほど大きくはなかったって言ってた。もしかして、誰かに狩られちゃった?」

「いえ、そいつはジレット監視哨を単独で襲った際に常駐する軍人を半数近くも殺して、今もこの森に潜んでます」

「それってやばくない?」

「やばいです。僕も出会ったら逃げ出すつもりでいましたし……」


 可能なら戦闘を避けるべき相手だ。その魔物がやってのけた戦果は、それほどの脅威だと物語っている。


「ほほう、腕が鳴りますな」

「ですね」


 エルディアがクシシと笑いだすと、ウイルも白い歯を見せながら笑顔をこぼす。危険な魔物が潜んでいると聞いての反応としては相応しくないが、彼女は既に壊れている側の人間だ。現状把握を終えてもなお、腕試しが出来ると喜んでしまえる程度には危機感が欠如している。


「そいえば、ウイル君はどうしてここに? その子と関係あるの?」

「はい。パオラのお父さんが、まさにその魔物に殺されたということで探しに来たんですが、色々あってついさっき用事が片付いたところなんです。今は丁度帰り道で……」

「おー、運命感じるねー」


 この再会は偶然のようでそうではない。きっかけは謎の魔物に起因しており、三人は引き寄せられた結果、大森林に集った。


「パオラはご両親を失ってしまいましたが、代わりにエヴィ家で引き取ろうと思います」

「そうなんだ、大変だったんだね。私が代わりにお母さんになってあげても良かったのに。なんちゃって」


 この少女は超越者ゆえに母親と死別し、今日、父親とも永劫の別れを告げたばかりだ。新たな家族が必要という判断から、ウイルはそう提案するも、事の顛末は帰国しなければわからない。


「おかあさん?」

「そそー。まぁ、子供産んだ経験なんてないけども!」

「ちなみに僕はお兄ちゃんです。エルさんほど年もとってませんし」

「さりげない毒舌が私を傷つける!」


 パオラは九歳。

 ウイルは十六歳。

 そして、エルディアは二十二歳。

 それぞれの年齢から判断すれば、年の離れた兄弟姉妹が妥当なところだろう。


「まだ話したいことは山ほどありますが、そろそろ本題に入ってもいいですか?」

「なになにー?」


 長い前振りは終わりだ。

 少年は相棒を真っすぐ見上げ、魔女はその目で見つめ返す。


「三か月前はよくわからないまま負けてしまったので、リベンジさせてください」


 せっかく出会えたのだから、戦いを申し込まずにはいられない。魔眼ゆえに今となっては連れ戻すことなど出来ないが、それでも手合わせを望んでしまう。

 魔女の力に飲み込まれ、いつまた暴走するかもわからない。

 ならば、自身がそれ以上の実力者であることを提示することが彼女の隣に立つことの絶対条件だからだ。


「おっけー。ふっふっふ、今の私は前より強いよー。お母さん曰く、第二形態に体が慣れてきたおかげなんだって」

「それは楽しみです。んじゃ、先にあそこの二人にも挨拶済ませましょう」

「律儀だねー」


 そして二人は歩き出す。目指すは、遠方で待機している二人組の魔女だ。


「ついでにパオラも少しの間預けたいですし。さすがに、抱っこしたままじゃエルさんに勝てません」

「お、その言い方だと抱っこしてなかったら勝てるみたいな」

「え、もちろんそうですけど。第二形態とやらを出し惜しみしてたら、それこそ勝負にすらならないと思いますよ?」


 この発言は冗談でもなければ見栄ですらない。

 冷静な分析から導き出した結論であり、エルディアは長い付き合いながらも目を丸くする。


「相変わらずかっこいいねー。ちょっと前までは草原うさぎにすら勝てなかったのに」

「それって何年前のことですか……」

「うじうじしてた君はもうどこにもいないよね。すっかり一人前の傭兵だー」

「今でもちょいちょいうじうじしてますよ、僕は……」


 同じ歩調で進む二人。このリズムこそが彼らにとっての当たり前であり、一刻の離別程度では乱れない足並みだ。


(この感じ、なつかしいな……)


 少年の心が温まる。

 同時に、以前とは異なる事実に邪な感情が湧き上がるも、年頃ゆえに無理もなかった。


(ほよんほよん、揺れてる! 鎧着てないから……! す、すごい!)


 エルディアの胸は突出して大きい。二人で傭兵稼業に励んでいた際は胸部アーマーに守られていたことからその振動を観測することは出来なかったが、今は違う。セーターのような黒いトップスだけを着ており、彼女が歩くとそれだけで二つの果実がゼリーのように揺れ動く。

 眼福だ。ウイルは横目で盗み見しながら涙を流さずにはいられない。


「もー、なーに泣いてるのー? 感動の再会ってやつー?」

「ええ、そんなところです。女神様に感謝です」

「ウイル君って神様信じてないって言ってなかった?」

「ええ、これっぽっちも。女神信仰なんてとっくに廃れてますしね。でも今は……、今だけは神に感謝!」


 膨らんでいる上着の曲線に感謝。神の発明品ではないはずだが、少年は天を見上げずにはいられない。彼女の魔眼なしに魅了されてしまったが、年頃ゆえに必然だ。

 一方、泣いているウイルに不安を感じたのか、パオラが率直な疑問を口にする。


「おとうさんのときみたいに、たたかうの?」


 予想だにしなかった発言が、当事者をドキリと驚かせるも、単なる誤解ゆえ、説明を付け加えることから始めれば良い。


「た、戦うけども、君のお父さんの時とは全然違うよ。何と言うか、腕試し? 僕とエルさんのずっと続く習慣、かな?」

「だねー。ここ最近はお母さんに負けっぱなしだから、ウイル君で憂さ晴らしさせてもらうよー」


 これから行われる戦闘は殺し合いではない。

 確認事項であり、決意表明でもあり、彼らの日常そのものだ。

 九歳の少女にそういったことがわかるはずもなく、現にこの説明をもってしても事態を飲み込めない。


「エルさんのお母さんってそんなに強いんですか」

「第二形態を五割くらいまで引き出せるし、使わなくてもめっちゃ強いよ。だから里長に任命されたんだってさー。王国に見つからないようにしつつ、魔物や巨人族、ゴブリンと戦うとなると強さが何よりも大事っぽいよ? あ、見てわかる通り、右がお母さんで、左がサンドラさん」


 そして三人はたどり着く。眼前の二人はどちらも魔眼を宿しており、遠目からではわからずともれっきとした魔女だ。


「初めまして。ウイル・ヴィエンです。エルさんの、かつての傭兵仲間です。この子はパオラ、すごく痩せていますが体調は問題ありません」

「娘から話はたっくさん聞いているわ。この子の母親のハバネです」


 エルディアに匹敵するほどの長身はそれだけで圧巻だ。小じわが目立つも顔立ちは娘に似通っており、そういう意味でもウイルの目を引く。茶色の巻き髪は非常に長く、背中側で黒いリボンによって結ばれている。

 全身を真紅の衣服で包み込んでおり、スカートの長さも娘と同等かそれ以上だ。

 武器の類は見当たらない。素手で戦うということだろうか。


「はん、あの時エルディア様に負けたガキじゃん。生きてたんだ」

「あなたも名乗りなさい」

「いたっ! も、申し訳ありません……。私はサンドラ」


 王国の人間が嫌いなのか、ウイルだけにこうなのか、どちらにせよ、もう一人の魔女は不機嫌だ。もっとも、その態度を隣の年配者に注意されたばかりか足を蹴られたことから、悪態をつきつつも一先ず簡素な自己紹介を済ます。

 サンドラ。短髪の利発的な女性だ。ウイルがこの黄色い髪と半袖短パンな姿を目撃するのは二回目だ。腰には小さな手斧を一本携帯しており、背中の鞄が膨れている理由は三人分の荷物が収まっている証拠だ。


「今からエルさんと一戦交えたいので、この子を預かっててもらっても良いでしょうか? パオラ、お姉さん達に挨拶して」

「こんにちは」


 ウイルに促され、パオラは久方ぶりに大地へ降ろされつつも、緑色の瞳を眼前の大人達へ向ける。

 その光景は、魔女達から言葉を奪うには十分だった。

 それほどまでにこの少女の姿は痛ましく、その細さからは生を感じさせない。棒切れのような足では直立など不可能なはずだが、それでも立てていることが、なおさら目を引いてしまう。


「つ、突っ込みどころが多すぎてどうすりゃいいんだよ……。さ、里長……」


 サンドラは顔を引きつらせながら、ぶしつけな訪問者とミイラのような少女を交互に見定める。今しがたの発言を問い詰めたいが、パオラの容姿がそれを遮ってしまう。


「この子はなぜ、これほどまでに?」


 最も年長者のハバネとしても、この事態は理解しがたい。母親としても、少女の姿を見過ごせるはずもなかった。


「育児放棄と虐待の結果です。だから、保護しました。今後は僕の実家で面倒を見るつもりでいます」

「そう……。それと、娘と戦うというのは?」

「この前は負けてしまってので、その仕返しです」

「そゆことー。お母さん達はここで見ててー。あ、絶対手出ししないでね」


 ウイルは自身について一切話さない。エルディアを通してある程度は伝わっているだろうと予想してのことだが、早く戦いたいという欲求の裏返しでもある。

 パオラが長身の魔女に引き取られたタイミングで、小さな傭兵と元相棒が踵を返して歩き出す。

 同時にウイルは鞄をその場に置き、エルディアもまた、使う予定のない片手剣を背中から取り外して地面に落とす。

 残された者達はその後ろ姿を見守るしかなく、当然ながら状況把握は不完全のままだ。


「し、仕返しって言ってましたけど、そんなこと許していいんですか?」


 サンドラは追いかけたい気持ちを押し殺しながら問いかける。

 魔女の里において、エルディアは新参者ながらも二番目に偉い。それゆえに逆らうことは許されず、ならばハバネに尋ねるしかない。


「そういうやり方が、あの子達の流儀なのでしょう。雰囲気からして殺し合うわけでもなさそうですし、構いません」


 その予想は正解だ。

 ウイルとエルディアが今から行う戦いは死闘ではなく、単なる模擬戦でしかない。お題目に仕返しと成長具合の確認が加わってはいるが、命を奪い合うわけではないのだから結果は同じだ。


「ですが……、こんな場所でバカスカ殴り合ったりしたら、王国軍に気づかれたり……」

「それはあるでしょうね。だけど、ミケットが私達を見つけてくれる可能性もあります」


 三人はミケット捜索のためにジレット大森林まで足を運んだ。彼女は単身で未知な魔物を追跡しており、未だ帰らぬ以上、心配で仕方ない。

 魔物扱いを受けている魔女にとって、隠密行動は基本中の基本なのだから、サンドラの焦りは至極当然だ。

 静かな森に戦闘音が響き渡れば、異変に気付いた何者かが駆けつける可能性は高く、この地には軍事基地があることから斥候に察知されてしまうだろう。

 それでもハバネは娘のわがままを許容する。これは一種の賭けであり、危険ではあるが今は成り行きを見守ることに徹する。


「あー、でも、今のエルディア様は相当強いですし、あんな子供じゃ相手にならないかもしれませんね。パンチ一発で終わっちゃいますよ、きっと」


 ケラケラと笑い出したサンドラだが、この発言は的外れだ。

 一方、三か月前はその場にいなかったハバネだが、彼女の魔眼はそうでないと見抜いている。


「暴走したあの子とある程度渡り合えたのでしょう? だったら、そんなはずないじゃない。王国の人間を見下したい気持ちも分からなくはないけども、戦力を分析する時くらいは冷静になりなさい」

「す、すみません……」


 里の長として、説教せずにはいられない。魔女ならばイダンリネア王国を恨んで当然だが、そういった感情は時と場合によって使い分ける必要があると、ハバネは誰よりも悟っている。


「パオラちゃんは、あのお兄ちゃんがどのくらい強いか知ってるかな?」

「お、確かに訊いちゃえば手っ取り早いっすね」


 ゆえに、四つの魔眼が小さな少女に向けられるも、首が縦に振られることはなかった。


「わからない」

「そっかー。だったら、ここで応援しましょう」

「うん」


 戦いは止められない。意味のない喧嘩かもしれないが、当事者達がやる気に満ちている以上、今からの横やりなどおおよそ不可能だ。

 パオラは恩人を。

 魔女達は新たな魔女を。

 それぞれの立場から見守る。

 ここは森の中に設けられた草原地帯。木々に視界が遮られることもなく、広々と戦える。観客席からの見晴らしも極上ゆえ、客達のボルテージも最高潮だ。

 もちろん、それは舞台に上がった二人も同様であり、エルディアは挑発するように話しかける。


「最初は第二形態使わないであげる。お姉さんに本気出させてみてよー」


 実は、単なる軽口だ。四年近くも共に過ごしたのだから、遠慮はない。


「限界まで引っぱり出してあげます。だから、その前に気絶したりしないでくださいね。とは言ったものの、久しぶりの手合わせですし、じっくりいきましょう」

「いきましょー。ふふ、懐かしいね」

「確かに。では……」


 男と女が向かい合う。

 小さな体に秘められた可能性と長身に宿った力。どちらが勝るのか、腕試しの始まりだ。


「とぉ!」


 茶色い髪をたなびかせながら、エルディアが先に動き出す。両者は会話が出来る程度には近かったことから、距離を詰め終えるのも一瞬だ。

 幼い顔目掛けて拳を打ち込もうとするも、その目論見は失敗に終わる。

 理由は単純な速度差だ。

 静止状態のウイルが彼女の動作を追い抜き、眼前の鳩尾へ右手をめり込ませる。容赦のない一撃ゆえ、殴られた方は驚きと共に硬直せざるをえない。

 激痛と困惑によって思考は停止し、意識を失いかけるも、ウイルの打撃は継続される。

 引き戻した右腕は、次の一手の予備動作だ。間髪入れず、黒い衣服ごしの隙だらけな腹部へ、打ち上げるように拳を打ち込む。

 下から上へ。その衝撃は凄まじく、エルディアはくの字の姿勢を強制されながら、ふわりと宙に浮く。そのまま地面に着地するも、踏ん張るだけの余力は残っておらず、戦いは始まったばかりだが、傭兵の眼下で倒れ込む。

 今の彼女に出来ることは、土下座のような姿勢で激痛に耐えることだけだ。


「あ……、ぐぅ、ガ、ガハッ!」


 起き上がれるはずもない。今は地面に顔を擦りながら腹部を押さえることが精一杯なため、恥を忍んで悶え苦しみ続ける。

 勝負ありだ。もちろん、これは単なる前座であり、余興と言っても差し支えない。

 二人は本気を出してすらおらず、言ってしまえば挨拶のようなものだ。

 そうであろうとなかろうと、遠方の観客は息を飲む。


「あいつ、エルディア様をあっさりと……。前より強くなってる?」


 目を見開きながら、サンドラが率直な感想を述べる。一瞬の攻防ながら、少年の実力を見誤っていたと思い知らされてしまった。


「話に訊いていた通りのようね。だけど、第二形態を使えば覆るわ。私の娘だもの、負けようがない。あなたも、そう思うでしょう?

「は、はい……」」


 ハバネはエルディアの勝利を疑わない。母親としての贔屓だが、そのことを隣の魔女は静かに見抜いている。


(エルディア様が来てからというもの、里長はおれ達のことを全然見てくれねー。すーぐ娘、娘……。だから、ミケットが嫉妬のあまり功を焦ってこんなことに……。さすがに、そんなことは言えないけども……)


 旅の目的はミケットの探索および保護だ。

 そのきっかけは彼女が謎の魔物を目撃、ハバネの許可もなく調査に向かったことに起因する。

 しかし、そこに至った動機をハバネもエルディアも気づけておらず、ミケットとコンビを組むことが多かったサンドラしか見抜けていない。


(ただただ自分を見て欲しい一心で、あいつは手柄を欲しただけなんだろうなぁ……。ほんと、クールに見えて不器用なやつだぜ)


 魔女の里に訪れた変化。それはエルディアという傭兵の拉致によって引き起こされたのだが、指示したのはハバネであり、サンドラとミケットは忠実に実行し、成功させたに過ぎない。

 当然、褒められはしたものの、ミケットの幸せは長くは続かなかった。

 尊敬し、好意すら抱いていた里長が娘につきっきりになってしまった以上、側近ほど困惑するに決まっている。

 影響を受けた最たる魔女が、冷静沈着なミケットだった。

 荒々しいサンドラとは対照的に、彼女はロジカルに物事を捉え、常に一歩引いた位置から状況を分析する。そんな両者が二人組として魔物狩りや王国軍の動向調査に派遣される理由は、実力の高さもその一つたが対照的なところが相性の良さに繋がったからだろう。

 ゆえに、サンドラだけが察している。

 ミケットが危険を承知で一人飛び出したことは、一見すると彼女らしくないのだが、内面に潜む嫉妬深さがそうさせた、と。

 王国の軍隊や謎の魔物と遭遇する可能性を視野に入れ、里の最強と次点、そして相棒だったサンドラがジレット大森林に赴くのだが、そこで出会った相手は待ち人ではなく三か月前に出会った傭兵だった。


「エルさん、大丈夫ですか?」

「ぐえぇ、いだい……」

「でしょうね。カウンター気味にパンチおみまいしちゃいましたし」


 額で地面を擦りながら、エルディアは膝を抱えるように伏している。両腕は腹部を押させており、眼がしらに浮かぶ涙は本物だ。

 ウイルはいたわるように、大きな背中をスリスリとさする。それで痛みが引くとは思っていないが、手持ち無沙汰ゆえ、それくらいしかすることがない。


「うぅ、お母さん達、笑ってそう。いてぇ……」

「そうなんですか? 真顔でこっち見てますけど……」

「里のみんなって基本やさしいんだけど、きっとそれって私が里長の一人娘ってことと、けっこう強いからなんだよねー。私としてはお母さんを見習って率先して巨人狩りとか手伝いたいんだけど……、今はまだその時じゃない、とか言って第二形態の訓練しかさせてもらってないんだー。半人前扱いってことなんだろねー」

「戦闘狂のエルさんにとっては、軍人時代に逆戻りなんですね」

「そそー。まぁ、おかげで、こうして第二形態をある程度使いこなせるようになったんだけど……ね!」


 その瞬間、未だ起き上がれないエルディアの全身から、熱風のような重圧が漏れ始める。魔法詠唱時のような独特の雰囲気だが、似ているようで異なることから、ウイルをもってしても不思議そうに眺めることしか出来ない。


「あの時のプレッシャー……、ということは……」

「うん、魔眼の第二形態。体の内側でエネルギー的な何かを練り上げる必要があるから、すこーし時間がかかっちゃうんだ。ちょっち、待っててねー」


 やっと痛みが引いたのか、エルディアは体を起こし、正座のような体勢へ移行する。顔がわずかにこわがっている理由は、殴られたからではなく集中しているためだ。


「時間が? 魔法の詠唱的な?」

「そそー。私の場合、第二形態を一割引き出すとなると、十秒かかっちゃう」

「長い詠唱でも四秒そこらなんですから、比較にならない長さなんですね。そういう意味でも、魔法や戦技とは別種の仕組みなのかな? 当然と言えば当然か」


 世間話を兼ねた会話が、そのための時間を消費させてくれた。汚れた黒いニットをパタパタとはたきながら、魔女がすっと立ち上がる。

 その結果、身長差が浮き彫りになり、二人は子供と大人にしか見えない。


「お待たせー」

「あれ、三割が限界じゃ?」

「ふっふっふ。先ずは一割からね。いっきに上げると体がしんどくて……。それに……」

「それに?」

「今の私も手ごわいよー?」


 白い歯を見せながら、ニシシと笑うエルディア。その表情はあどけなく、心の底からこの状況を楽しんでいる証左だ。


「おー、こわいこわい。だったら、僕ももう少しだけ本気出さないと……」


 負ける気など毛頭ない。ウイルは自分達の足元を眺めながら静かに笑みをこぼす。

 ここからが本番だ。両者はそれをわかっているからこそ、張り詰めた空気の中でも笑っていられる。

 命の取り合いではないものの、油断だけは厳禁だ。相手はそういう実力の持ち主ゆえ、見知った間柄ながらも緊張感が強まっていく。


「んじゃ」

「いきます」


 闘気で茶髪を躍らせる魔女。

 静かに高揚感を抱く傭兵。

 この戦いに意味などないが、それでも二人は競わねばならない。

 どちらが強いのか?

 どちらが勝つのか?

 大森林にぽっかりと存在する、空き地のようなこの場所が、彼らにとっての試合会場だ。

 再会を祝して、じゃれるように殴り合う。

 それこそが二人にとっての、自分らしさだ。

線上のウルフィエナ

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