テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
チャイムが鳴った瞬間、教室の空気が一斉に息を吐いたみたいに、ざわりと動いた。
誰もが何かを言いたげで、でも言えず、
視線だけが、ぬるく絡みついてくる。
蓮司は、何も言わずに椅子に深く背を預けて、笑っていた。
教科書もノートもない机に、だらしなく手を広げて。
遥は、息が詰まりそうな教室を抜け出した。
音も、視線も、皮膚に触れる空気すら全部、
皮膚の下を爪で掻き回すように痛い。
廊下の突き当たり。
窓の近くの、人気のないところまで来て、ようやく背中を壁に預けた。
──また、やった。
舌が勝手に動いて、空気を壊した。
「……おまえ、何がしたいんだよ」
声がして、顔を上げる。
日下部が立っていた。
いつからいたのか、わからなかった。
教室を出てきた気配もなかったのに。
でも、そういうことにはもう驚かない。
「……別に」
それしか、言葉が出なかった。
喉の奥が乾いている。
「“付き合ってる”って……おまえがあんなこと言うなんて、思わなかった」
「じゃあ、どうすればよかった? 笑えばよかった? 泣けばよかった?」
言いながら、自分で引っかかった。
別に、泣きたくも笑いたくもなかった。
ただ、目の前で喋るこいつが──
自分の“理解できない部分”を、何か正しさみたいな顔で踏み込んでくるのが、腹立たしかった。
「蓮司が……おまえのこと、おもちゃみたいに扱ってるの、見ててわかんないわけ?」
「──それが、なに?」
「おまえ、傷ついてるくせに」
一瞬、身体が凍った。
日下部の声は、低かった。
怒鳴り声でも、責めるようでもなかった。
ただ、真っすぐだった。
「違う」
即座に返す。
「別に、誰に何されようが。俺が選んでる」
「そうやって、全部自分のせいにすれば、楽か?」
遥は口を開きかけて、
やめた。
何を言っても、どうせ伝わらない。
こいつの目には、俺は“傷つくはずの人間”でしかない。
そうでなければ、成り立たないんだ、こいつの中では。
「だったら──俺の“付き合ってる”って言葉、否定すればよかったじゃん」
そう言ってから、気づいた。
言ってほしかったのかもしれない。
否定してくれれば、茶番に戻れたのに。
けれど日下部は、沈黙したまま、遥を見ていた。
その視線が、ひどく痛かった。
「なんで、黙ってんの。
……俺が蓮司とそういう関係でも、おまえには関係ないだろ」
やっと吐き出せた言葉に、わずかに震えが混じっていた。
日下部は答えなかった。
けれど、遥の肩に視線を落とし、それから目を伏せた。
「……おまえ、ずっとそうだったな。
“関係ない”って、全部切り捨てることで、自分を守ってる」
「違う」
「ほんとは、誰よりも気にしてんのに」
「違うって言ってんだろ!!」
思わず、声が大きくなった。
廊下に、硬い音が反響した。
その瞬間、視界の端で、蓮司の姿が見えた。
廊下の向こう、こちらを見下ろすように立っている。
笑っている。
目の奥が、ひどく愉しそうだった。
──全部、見られてた。
遥は無意識に、指先を握った。
痛みを感じない程度に、手のひらの爪が沈む。
日下部が何か言おうとしたのを遮るように、
遥は踵を返して歩き出した。
「関係ないから。おまえも、蓮司も、……俺も」
それは、自分自身にも言い聞かせるような、呪いのような言葉だった。