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第一章 慈悲なき豚の頭と謎の美少女の降臨
一
寒風の吹き荒ぶクァンプ・ナウ・スタジアム、ヴァルセロナSCのキーパー、神白樹はゴール前で、神経を研ぎ澄ませていた。
視線の先では、二種のユニフォームを着た選手たちボールを追って動き回っていた。赤と青のほうはヴァルセロナSC。青と白のほうはFCイスパニョール。いずれもヴァルセロナを本拠地とするチームだった。
リーガ・デ・オノール・Sub―19。スペインの十九歳以下のサッカー・チームが所属するリーグ戦である。
二〇〇六年二月、神白が所属するヴァルサのフベニールA(下部組織の最上位カテゴリー)は、第十五節、FCイスパニョール・フベニールAとの試合があった。
試合は十分弱が経過し、未だ〇対〇だった。神白は終始、味方に指示の声を飛ばし続けていた。
センターラインややこちら側の敵7番にパスが出た。7番、首を振り、マーカーの3番との距離を確認。余裕があると判断し、前向きにトラップした。
敵7番は3番と対峙し、すうっと背筋を伸ばした。一呼吸置いて右足でボールを掬って加速。3番の右を行く。
ペナルティーエリアの角まで来た。3番は振り切られ、ヴァルサ4番がフォローに回る。
7番が左足を振り被った。4番、足を出す。キック動作を止めて7番は右側へ切り返した。
ヴァルサ守備陣に一瞬の隙が生じた。7番、右足を振りぬく。ゴール左隅へと内巻きの高速シュートが飛ぶ。
(捕れない! 弾く!)瞬時に判断した神白は大きく跳躍。左手を全力で伸ばすと、ボールはどうにか指の先に当たった。
軌道が上方に逸れた。後方でカンッっと音がする。
俯せに倒れた神白は、即座にフルパワーで身体を駆動。起き上がって後ろを向く。
バーに当たったボールは、ふわりとほぼ真上に行っていた。神白、再びジャンプ。詰めてくる敵9番に競り勝ち、両手でボールを確保。すばやく前方に向き直った。
(これが俺! 下部組織かつ控えとはいえ、世界最強唯一無二のヴァルセロナSCのキーパーだ! 十本でも二十本でも撃ってみろ! 一本たりともネットは揺らさせない!)
心の中だけで叫びつつ、神白は前線を見回した。左ウイング(3トップの左側の選手)目掛けて、パントキックで蹴り込む。
正キーパーの負傷退場による出場とはいえ、身体のキレは最高で気力は充実。敗北するビジョンがまったく浮かばなかった。
二
イスパニョールとの試合も終了が近づいた。神白の好調もありヴァルサは無失点だったが、シュートがゴールバーに弾かれるなどの不運にも見舞われて得点もできていなかった。
ロスタイムも数分が経過した。神白はディフェンスからのパスを止めて、ちらりと前方に目を遣った。すぐに助走を取り、右へと大きくキックする。その瞬間、ピッ、ピピーッ! 後半終了、すなわちPK戦突入を示す笛が鳴った。
ミーティングを終えて、神白はゴールの前に移動した。視線の先ではイスパニョールの7番が、ボールをゆっくりと地面に据えていた。
(焦るな。こいつはストライカーで右利き。引っ張る方向、つまり俺の右に蹴ってくる可能性が高い。PKが百発百中って奴じゃあない! 落ち着けば止められる! いや止める!)
己を鼓舞した神白は、グローブ同士を全力でぶつけて気合いを入れた。
敵7番は集中しきった表情で、二歩三歩と退いていき静止した。キッカーの向こう側のセンター・ライン上では、両チームの面々が膝立ちで肩を組んでいる。
主審が鋭く笛を吹き、PK開始。だが、ぼとん。神白のすぐ眼前を何かが縦に横切った。神白は、とっさに落下物に目を遣る。
(豚の、頭? 誰が……、観客? まさか、フェーゴの事件の真似を……)
敵キッカーは、呆気に取られた風に固まった。神白は驚愕しながらも、あまりにも有名な出来事を想起する。
有名選手、フェーゴはある時、ヴァルサからルアレ・マドリーダCFに移籍した。ヴァルサのファンは激怒し、試合のコーナー・キック時、キッカーのフェーゴに様々な物体を投げ込んだ。その中の一つが子豚の頭だった。
ヴァルサとルアレはライバル関係にあった。かつてスペインの独裁政権が、ヴァルサを魂のクラブとするカタルーニャ民族を弾圧する一方で、ルアレを支持したためだった。
(そりゃあ俺は十五歳の時、下部組織間とはいえルアレから「禁断の移籍」をやらかした。けど、だからって、こんなに大事な試合でこの仕打ち……。俺って、そんなに重罪かよ)
やりきれない気持ちの神白に向かって、主審が小走りで寄ってきた。豚の頭を拾い上げると、また駆け始めて、神白の後方のゴール裏に放る。
「PKを続けて!」主審はピッチに引き返しつつも、良く通る声で叫んだ。
敵キッカーはふーっと息を吐き、PKに没入したような顔付きになった。だが神白の緊張の糸は完全に切れていた。
再び笛が鳴らされた。キッカーが走り出す。神白は無理やり切り替えて、キッカーの動きを注視する。
疾走したキッカーが軸足の左を踏み込んだ。
(来る!)右足でのキックを予想し、神白は右に跳んだ。
だがボールを捉えたのは左の爪先。神白の予想よりワンテンポ速くシュートが来る。
ふわりと浮いたボールはワンバウンドの後、ぱさりとゴール・ネットを揺らした。
(じ、軸足キック。この大一番で、よくもそんなトリッキーな──)神白がさらに動揺を深める中、キッカーはイスパニョールの仲間が歓喜に沸く場所へと走って行く。