テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
羊と亀のお遊戯会
515
#名探偵
空蝉 桜
136
おきつね
101
63 ◇頼れるのはもう百子しかいない
暦は12月に入っていた。
寒い居間で毛布に包まり震えながら集う家族3人。
灯油どころかストーブを買うお金さえなかった。
暗い表情の伸之が立ち上がる。
「伸之、どうした」
「直近で必要なものを買うお金の工面に出掛けてきます」
「何もかも失くしたお前に金を貸してくれるような、そんな人間がどこに
いるというんだ。
もしかして、百子さんのところへなのか?
お前には話してなかったが お前たちの別れ話が出た時、
百子さんを呼び出して酷いことを言った。
息子のことを詫びるどころか仕事のパートナーになれないのだから
潔く身を引けと言ったよ。
こんな冷血漢親子のためになどビタ一文出したくはないだろうよ」
父親の言葉に伸之はショックを隠せなかった。
しかし、もう行けるところは彼女のところしかないのだ。
「駄目で元々です。
お母さんに寒い思いをさせるのは忍びないですからね。
出掛けてきますよ」
「伸之、私なら毛布があるから大丈夫よ」
「ええ、俺も寒いんでせめて炬燵くらい買いたいと思うので
頑張ってみますよ」
そう言うと誰の言葉も聞きたくなかった伸之は足早に家を出た。
お金がある時には誰も彼もが寄って来る。
世の常とはいえ、俺たちからたくさんの恩恵を受けていた者たちで
そっぽを向いた。
分かっちゃあいるが、空しさがこみ上げた。
伸之が向かったのは以前住んでいた自宅、百子や子供たちの住まう
家だった。
浮気をした挙句に目先の大金に目がくらみ、若くて頭の切れる百合子に走った
自分が良い顔をしてもらえるとは露ほども考えていなかったが、追い打ちを掛ける
ようなことを父親が吐いていたとは。
こりゃあ、駄目元どころか、ゴミを見るような目で見られるかもしれないと
伸之は観念した。
それでも頼れるのはもう百子しかいないのだ。
64☑◇全てを失くした夫
『はい、秋野です』
インターホン越しに聞く百子の受け答えに伸之はドキリとした。
それは百子が旧姓を名乗ったからだった。
連絡は受けてないがおそらくすでに離婚届を出しているのだろう。
おそらく役所から自分の元へ受理通知が届いていたはずだが、慌ただしい
日々の中、目を通せていなかったのだろう。
籍も抜けて今や真っ赤な赤の他人になってしまっている。
くじけそうになる気持ちをどうにか立て直して挨拶をする。
『ご無沙汰してます。伸之です』
◇ ◇ ◇ ◇
夫が、元夫が家の前にいる。
何なのだろう、今頃。
想像がつかない。
私は急いで玄関に向かった。
ドアを開けると懐かしい人の顔があった。
嘗て夫だった人は他人行儀に押し黙ったまま、何か言葉を探しているようにも 見えた。
そして……やつれて見えた。
外の風は冷たい。
頭で考えるよりも先に口が紡いでいた。
「寒いからどうぞ。
コーヒーでもいかが、今日は特に冷え込んでるみたいだから」
「ああ、お邪魔します」
知らない中じゃないので、ソファのほうではなくリビングダイニングの
椅子を勧めた。
伸之さんは脱いだコートを隣の椅子の背凭れに掛けた。
私はお客様に対してするようにコートをハンガーに掛けなおしたりは
しなかった。
曖昧な関係の人との距離の取り方って難しい。
私が淹れたコーヒーをゆっくりと堪能するように伸之さんが飲む。
私も同じようにコーヒーに口をつけた。
「元気そうだね」
「ええ、好きなことをして暮らせてるので。お陰様で。あっ……」
「ン?」
「連絡しないとと思いながら伸び伸びにしてたんですけど、離婚届を
今年の初めてに出してたの。連絡してなくてごめんなさい」
「うん、さっき『秋野です』って言っただろ?
最初戸惑ったけど、あれで分かった。
ところでうちの会社のこと知ってる?」
百子は被りを振った。
「でも……武漢からの疫病の流行を見ていて、もしかして物販関連の
企業や飲食店なんかは、厳しくなるんじゃないのかな、なんていうのは
考えてたわ。厳しいの?」
「潰れた……」
「えっ、倒産ってこと?」
「会社はもちろんのこと自宅も親の家屋もみんな失くしたよ」
「じゃあ、今は」
「賃貸アパートに両親と三人身を寄せている」
「百合子さんと子供は……」
「入籍もしてなかったし、逃げ出すのに躊躇はなかったようで
子供の日にはもう出て行っていなかったな。
実家にしばらく帰ると言って出ていったんだが、帰って来ると
思っていた俺も馬鹿だね」
「そうなんだ、それは……」
「君のところへ来れる筋合いじゃないのは分かっているけど、でももう
君のところしかなくてね。
お恥ずかしい話なんだけど。
こんなことをお願いできる義理じゃないが万策尽きてもうどこにも誰にも
借りられるところがなくてね。
なんとか賃貸に入居したはいいが、来月の家賃も目途がたたない始末でね。
暖を取る炬燵もないんだ」
「お義父さんもお義母さんも寒いのは堪えるよね。
ちょっと、待ってて」
お金なんて出せないと一蹴されても仕方がないのに『待ってて』と
言い置き、百子は奥の和室に入って行った。
65 ◇妻の情け
俺はただただ神妙に待つしかなかった。
「伸之さん、子供のためにいただいた養育費やこれから生活していくのに
いただいた慰謝料からは出せないけど、私の仕事で得た収入が250万円
あるのでこれを使ってください。
上手い具合に銀行に入れずに手元に置いてあったんだけど、
きっと神様の思し召しだったのかも。
すぐにあなたに渡すことができて良かった」
「こんなに? 有難いよ、ほんとに助かる」俺は頭を下げた。
「きっと返すから」
「うん、あなたならきっとやり直せると思う。
貸し出し期間は50年だから、急がなくていいです」
追い返されてもしようのない立場でこんなに貸してもらえるとは。
以前の自分の立場ならはした金だが今の自分にとってはものすごい大金だ。
彼女が働いて得た収入ということはものすごく貴重なお金のはず。
有難くて涙が出そうになった。
「百子さん、ほんとにありがと。
コーヒーも美味しかった。
昔と同じ味の君のコーヒーをいただいて、お金も貸してもらって
力を貰ったから、また一から頑張るさ。
じゃあ、そろそろお暇するよ」
「ええ、あなたもお元気で」
「君たちも元気で」
俺は安堵とともにドアを閉めた。
玄関には娘の靴があったが俺が玄関口で暇を告げる段になっても
娘が姿を見せることはなかった。
寂しかったがしかたあるまい。
冷酷な父親だったのだからな。
◇ ◇ ◇ ◇
父親が帰った後、二階で息を潜めていたであろう娘が階下に降りて来た。
「お母さん、お父さんの会社ってもう駄目なの?」
「うん、難しそうね。会わなくて良かったの?」
「私、どんな会話すればいいのか分かんなくて……。
もっと大人にならないと駄目だよね」
「今度会うことがあれば、『こんにちは』だけでもいいから
話せるといいわね」
「うん、今度会う時は挨拶するよ」
ふふっ、茜のお父さんだものね。
コメント
1件
第22話、読み終えました……。 もう、胸がぎゅっとなりました。離婚して旧姓に戻った百子さんが、全てを失った伸之さんに「50年ローンでいいよ」ってお金を貸すシーン、本当に切なかったです。冷酷な父親だったと自覚しながら、娘に会えずに帰る伸之さんの背中にもグッときました。でも、最後の茜ちゃんの「今度は挨拶するよ」というセリフに、ほんの少し希望の光が差したような気がして、じんわりきました。温かさと寂しさが混ざった、心に残るお話でした🌷