友だちと食事に行き、結構笑って帰ったのに、あんまり疲れていなかった。
部屋で友だちが絶賛する恋愛ドラマを鑑賞しながら、チラ、と時計を見る。
9時半か。
……なんか思ったより疲れてないな。
っていうか。
あまりにグイグイ来る社長がちょっと怖くて断っただけだしな、
と思いながら、暗い窓の外を見た。
飲み物が足りないな~。
でも、ここからコンビニも自動販売機も遠いし。
次は自動販売機が近くにあるアパートとかいいなあ。
いやまあ、ここ、居心地がいいから、しばらく変わる気はないんだけど。
そんなことを考えながら、悠里は振り返り、部屋の中を眺めてみた。
霊の気配はない。
ほんとうにいるのかな?
と思いながら、めんどくささを振り払い、財布をつかんで、外に出る。
夜はまだちょっと冷えるなと思いながら、一番近い自動販売機に向かって歩いていたら。
何処かで聞いたような笑い声が聞こえてきた。
迷惑なくらいよく通る笑い声だ。
大家さんの家から聞こえてくる。
そういえば、広い庭にデカいSUVがとまっている。
まさかっ、と悠里が思ったとき、玄関扉が開いて、七海が出てきた。
「大丈夫、大丈夫。
ひとっ走り買ってくるから」
室内を振り返り、七海はそう言っている。
こちらを向いた七海は、どんな視力なのか、広い庭先の向こう、暗い夜道に立っている悠里を見て言った。
「おや?
疲れているからと俺を断った派遣秘書2がこんなところにいるじゃないか」
捕獲しよう、と言いながらやってきた七海に手を握られる。
「おはようございます、社長。
眠そうですね」
デスクで片目を閉じて目を休めていた七海は顔を上げて後藤を見る。
「おはよう」
「昨日は、そこそこ早く帰られたと思うんですが。
貞弘ですか?」
……貞弘?
誰だったかな、と思ったあとで、
ああ、昨日、道端で捕獲したやつ、と思う。
「龍之介さんちで呑んでたんだ」
「……貞弘の大家さんですか。
仲良しですね」
「いや、たまたま、コンビニで出会ったんだ。
龍之介さん、食べるものがなくて、家に転がっていたらしいんだが」
「その人、一人暮らしなんですよね?
転がってても、食べ物は出てこないのでは……」
「そう。
猫に手を舐められながら、寝ていて、そのことに気がついて。
のそのそコンビニに来たところで出会って、意気投合したんだ。
それで、龍之介さんちで呑んでたんだが。
酒が足らなくなって外に出たら、龍之介さんちの店子がいて」
「……まさか、貞弘のことですか?
まず、そっちの名前を覚えてあげた方が」
「そうだな。
ともかく、そいつを捕獲して、一緒に呑んだんだ」
ノックの音がしたので、入れ、と言うと、眠そうな悠里が現れた。
「おはようございます」
「店子、大丈夫か?」
「はあ、いささか呑みすぎました。
大家さん、ザルですよね」
張り合うんじゃなかった、と呟く悠里に、
何故、張り合う……と思う。
「いや~、しかし、大家さん、あれはいけませんね。
カップ麺のお湯を沸かすのもめんどくさいとか。
あの人、どうやって一人暮らししてるんですかね?」
一人で生きていけるのか不安になります、と言う悠里に、
まずい。
このままでは、龍之介さん、一人じゃ不安だから、私、結婚して支えます、とか言い出さないだろうか、と思ったが。
こいつ、龍之介さんの好みではなさそうだ、とも思う。
「店子。
俺も一人では生きていけないタイプだぞ」
と唐突に言ってみた。
「そうなんですか?」
絶対、そんなことなさそうですが、という顔で、後藤と二人、胡散臭げにこちらを見る。
「今もなにもかも、いろいろ頼りきりだ。
風呂は給湯器に入れてもらってるし、お湯は電気ポットに沸かしてもらってるし。
ご飯は炊飯器に炊いてもらっているし、ピラフも炊飯器が炊いてるし。
お粥もなんか人がくれた機械が炊いてくれている。
それに、掃除はもちろん、床を走るロボットがやっているぞ」
「一人では生きてはいけないとか言う人は、せめて、人間に頼ってください」
と悠里に言われ、
「ご飯とピラフ、分けて言う必要ありますか?
っていうか、ピラフまで作るんですか?」
と後藤に言われ。
逆に、まめな人に分類されてしまう。
そのとき、悠里が後藤を見て言った。
「そうだ。
今度、呑み会、後藤さんも一緒にどうですか?」
なに、呑み会のイケメン人口増やしてんだ、お前。
「毎度大家さんとこじゃ申し訳ないから、次はうちでやろうかなと思うんですけど。
うち、いらっしゃいますか?」
「店子っ」
と七海は立ち上がった。
「家に誘うのなら、まず、俺を誘えっ」
いや、もちろん、社長も数に入ってますよ、という顔を悠里にされたが。
そうじゃなくて、こっちを向いて家に誘って欲しかったな、と思ってしまった。
後藤につづいて社長室を出ようとした悠里は、
「おい、貞なんとか」
と呼び止められた。
……たぶん、私のことだろうな、と振り向く。
「いや、ずっと店子じゃ失礼かと思って。
名前で呼ぼうと思ったんだが、思い出せなくて」
いや、半端に呼ぶ方がたぶん、失礼ですよ……。
「なんでだろうな?
なにかお前の名前はピンと来ないんだ」
と言ったあとで、七海は、
「来週、土日は暇か?」
と言う。
「はあ、まあ、ぼちぼちです」
訊かれる理由がわからないので、警戒しながら、そんな適当なことを言うと、
「土日のどっちかで、地方の博覧会を見に行かないか?」
と言われた。
何故、唐突に地方の博覧会……。
「いや、今度、地方博覧会の仕事を請け負うんで、視察を兼ねて、客として行ってみたかったんだ。
お前がいると、ちょうどいい。
カップルを装って行こう」
何故、カップルを装う必要があるのですか。
誰にその姿を見せたいのですか、と思いながら、
「……はあ」
とまた曖昧な返事をする。
「じゃあ、朝、6時ごろ迎えに行く」
あの、まだ返事してないうえに、朝早すぎですよ、と思ったが。
まあ、日帰りなら、そのくらいに出ないと駄目なのかな、とも思う。
そこで、七海が
「あ、そうか。
わかったぞ。
お前の名字が覚えられないわけ」
と唐突に言い出した。
「お前はいずれ、俺の名字になるからだな。
七海悠里。
いい名だ」
きっと画数もいいだろう、と適当なことを言い出す。
「いや、どうでしょうね」
と言って、悠里がスマホで姓名判断を調べはじめると、対抗して、七海も調べはじめる。
「すごいぞっ。
お前、七海悠里になったら、天下をとって、大出世じゃないかっ」
「でもあの、大凶の部分もあるみたいなんですけど。
別離って出てますよ、別離ってっ」
「今までの不運なお前にさよならして、俺と幸せになるって話だろ?」
「いや、今までも別に不運じゃないですからねー」
などと揉めているうちに、博覧会行きを断りそびれていた。
「あれから、姓名判断、他のも見てみたんですけどね。
全体運は確かによかったですけど。
やっぱり、凶の部分もありましたよ」
次の週の土曜日、悠里は七海と電車に揺られていた。
窓の外には田園。
ロングシートの車両は、平日の朝晩は満員なのかもしれないが。
休日のこの時間は真ん中に誰も立っておらず、ガランとしていた。
「そうか。
あれからまた、俺の名字で姓名判断をやってみたのか。
感心感心」
などと言われ、やるんじゃなかった、と後悔する。
視線をそらすように後ろの窓を振り返ってみると、線路沿いの道は大渋滞していた。
並ぶ車の遥か向こうに、パビリオンのようなものが見えている。
「ほらな。
電車で来て正解だったろ」
同じく振り返りながら、七海が言った。
朝、6時。
迎えに来てくれた七海は駅に車をとめた。
そこから新幹線、電車と乗り継いで、ここまで来たのだ。
「高速で来ようかとも思ったんだが。
絶対渋滞してるだろと思って」
ひとつ社長に秘密ができたな、と悠里はそのパビリオンを見ながら思っていた。
最近、地方の博覧会もいろいろあるから、何処のだろうなと思ってはいたのだが。
日々、猫や大家さんや、クールメガネの話をしているうちに、いつも話題がそれてしまい。
目的地を聞きそびれたままになっていのだ。
ちなみに、クールメガネの話とは、
「後藤さんはクールメガネという人種です」
という話だ。
その分類は友人による分類なのだが。
実は、この博覧会、この間、その友だちと来ている――。
でも、せっかく連れてきてもらったのだし、その事実は伏せておこう、と思う悠里の横で、七海はまだ姓名判断の話をしていた。
「姓名判断がいまいちなら、悠里に点とかつけたらどうだ?」
改名しろというのですか?
っていうか、何処につけろと?
里の中ですか?
悠の字の点を増やすとか?
と思っていると、
「俺が改名しようか?」
と七海は言い出す。
いや、七海の方は名字ですよ?
どうやって変えるつもりなんですか、と思ったが。
七海は目を閉じ、真剣に考えはじめる。
どうでもいいが、目を閉じるとより一層綺麗な顔だな、と思う。
目が合わないと思って冷静にマジマジと見られるからかもしれないが、
とつい、七海の顔を眺めていると、いきなり、七海は、カッと目を見開いた。
「わかった。
俺が龍之介さんか、後藤のところに養子に行こう。
それから結婚しよう」
ニートな大家さんと、クールメガネで容赦ない後藤さん。
「どっちに養子に入っても、大凶っぽいですよ」
と言っているうちに電車はついていた。
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