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──雨の音が、耳の奥に沁みる夜だった。
街灯に照らされたアスファルトが、光の膜を貼っている。まるで、この世界がすべて水の底に沈んでいるような錯覚。
蓮司は、いつものようにコンビニの脇に腰を下ろして、煙草に火をつけた。
「……燃えねーな、意外と」
そう呟いて、火の点いたままのライターをじっと見つめる。
オレンジの炎が、揺れる。小さい。あのときみたいに暴れない。
手のひらにかざすと、じんわりと熱い。
「こんくらいなら……誰でも耐えられるのにな」
誰にともなく言ったその声が、いつもより一段、低かった。
雨は細く降り続いていた。冷たさが、皮膚に刺さる。
それでも蓮司は、濡れることも気にせず、じっと夜を見つめていた。
やがて、向かいのマンションのベランダに人影が浮かぶ。
パーカーのフードを被った少年が、無表情でこちらを見ていた。
蓮司は気づいたふりをしなかった。煙草の火を吸い込みながら、ぼそりとつぶやく。
「──お前さ、親に殺されそうになったことある?」
問いかけは届かない。だが返事など、最初から求めていなかった。
蓮司は煙を吐き出し、空に目を向けた。
「首絞められたり、殴られたり、飯抜かれたり……まあ、ありがちだろ。
でも、火ってのはちげーんだよ。
燃えてるとき、人間ってさ──“生きてる音”すんの。悲鳴じゃねえんだ。ただの、音。歪んだ生命音って感じ」
誰にも語ったことのないはずの言葉が、ゆっくりと、雨音に混じって消えていく。
「……言われたとおりにやっただけなんだけどな」
その一言だけが、妙に遠く響いた。
「オレが火ぃつけたんだけどさ──って、これ言うと、みんな黙るんだよなぁ。なんで?」
笑いながらそう言って、指の背で涙を拭った。けれど、そこに涙なんてなかった。
目元だけが、妙に赤かった。
「ま、いーけど」
蓮司は立ち上がる。煙草をアスファルトに押しつけ、火を消した。
その動作が、妙に優しく見えたのは気のせいだったのか。
──そのまま、何事もなかったように歩き出す。
足音は軽く、まるで誰かを追いかけるでも、逃げるでもなく。
ただ、「生きていること」そのものが、彼にとっての火遊びの続きなのだと思わせる背中だった。