『兄貴、もう良いよ』
「ん……これって、灯華さんの記憶?」
気づけば闇の中に居た。ネズミの体内に侵入することは出来たものの、灯華さん……ルーメンさんとはぐれてしまった。相変わらず、人工的に作られた魔物の腹の中は、真っ暗で右も左も分からない。早く核を見つけてここを脱出しなければならないというのに、はぐれてしまったから、まず合流することが優先順位として上がるだろう。
そんな風に辺りを見渡していれば、シャボン玉のようなものが私の周りにふよふよと浮き出した。前も見たことがある他者の記憶。シャボン玉にはそれが映像となって映し出され、可視化される。
灯華さんの記憶がこうして、見えると言うことは、私の記憶もきっと灯華さんに見えているんだろうな、と何となく感じながら進む。
「灯華さん、本当にあの相葉春夏秋冬と兄弟だったんだ……」
もう、前世のことだし、確かに私が大学生になった衣ブレイクしていた若手俳優。ちょっとアホで、でも観察眼がとくに優れた人だな、と思っていた。何というか、気づいたら背後にいる的な、そんな暗殺者みたいな技術を持った俳優で、たまに目が怖いと感じることもあった。染めているのか、染めていないのか。でも、パキッとしたオレンジ色の髪の毛が特徴的な俳優。それが、相葉春夏秋冬だった。
俳優に興味がない私でも、知っていたくらいの人だから、出てきた当初はもっと凄かったんだろうな、というのを今思い返した。灯華さんがいつぐらいに両親が離婚して今の状態になったのかは分からないけれど、優秀? な、兄を持って、劣等感とか感じていたのかな、とかも思ったりして。
(私と、トワイライトみたいな?)
またそれも違うのかも知れないけれど。
私は、ヒロインとして愛される妹を持って、私自身は愛されない悪役で。でも、別にトワイライトを羨ましいとは思わなかった。トワイライトも愛されるなかで、盲信的な愛を受け取っているようだったから。彼女もそう言うのはいらないんだろうなって。だから、相葉春夏秋冬も、それを感じていたのではないかと思う。本人じゃないから分からないけれど。
その後も、私の周りにはシャボン玉が漂っていた。大体は、灯華さんの兄に対する記憶だけれど、その端々に、必ずといっていいほど遥輝が映り込んでいたのだ。
「こんな所にもいるんだ……」
遥輝は、灯華さんの親友だしうつっていてもおかしくないんだけど、常に二人は一緒にいたんだなと、思わされるくらいシャボン玉、記憶に映り込んでいた。それほど、灯華さんにとって掛け替えのない存在だったんだろうなって。
『騙すようなことして、ごめん兄貴。あと、忙しいっていう理由であまり会いにいけなくてごめん』
『……ま、待て、灯華。何で、ここに……騙す?』
『今日、この状況は兄貴が作った状況じゃなくて、全部ここにいる人達によって仕組まれたっていうか……うーん、俺あまり上手く言えないけど』
「ああ、これがいっていた、仲直りってやつ……?」
ふと足を止めて、何やら修羅場みたいなシャボン玉を見つけ私はそれを覗き込んだ。灯華さんの兄が好きな人をストーカーして、それが作られた状況だったっていう。そこには、見慣れた金髪……久遠夏目がいて、その隣には綺麗な黒髪の女性が立っている。一瞬その金髪に、リースを重ねてしまい、見れば見るほど似ているな、と私は笑えてきてしまった。もしかしたら、久遠夏目がリースのモデルだったりして、なんて考えて、私はこのシャボン玉が割れるまでその様子を見ていた。
オレンジ髪の相葉は驚いていて、自分が騙されたことよりも、その場に灯華さんがいたことに対して驚きを隠せていないようだった。相葉には、久遠夏目の隣に立っている女性しか見えていなかったため、灯華さんの存在を忘れていたみたいな。見えなくなっていた。それこそ、盲目的に。でも、灯華さんが現われたことで、囚われていたような瞳がパッと明るくなって、彼のほうをしっかりと見ている。
きっと、離婚してから何十年と別れていたせいで兄弟としての絆が薄れてしまっていたんじゃないかと。けれど、灯華さんはずっとそんな兄を兄としてみていて……
『兄貴、ずっと寂しかったんじゃ無いかなって思って。いや、俺も寂しかったんだけど。両親が離婚してから、兄貴は元俺の母親の言いなりになっているとか聞いて。本当は、ずっと一緒にいたかったんだけど』
勝手に人の記憶を覗いているみたいで、悪いことをしているような気分になる。私と同じ学校(そりゃそうなんだけど、一緒の学校だったから)の制服を着ているところを見るに、高校時代の話だろう。さっき話では聞いたけれど、本当に、私の知らないところで色々あったんだな、と当初何もしていなかった、何も感じなかった自分の記憶をたぐり寄せてみる。でも、やっぱり記憶はあんまりなくて、遥輝に何て告白されたかも曖昧になってきている自分が情けなかった。あの時は、二次元に没頭していたから……
(――って、いったら、また遥輝に怒られそうだけど)
現実世界で、面白え女扱いされて、それでだんだん好きになっていった遥輝は、一人二次元みたいなことしていたけれど、でも、そういう恋もありなんだと今になって思う。一瞬だけ、遥輝……リースと再会できたことは、私にとっても嬉しかったし、色んな話したかった……とか、今になって思う。でも、皇宮から脱出することが最優先の今、逃がしてくれたリースの為にも、私はこのネズミを倒して出口に向かわないといけない。
『俺、兄貴のこと遠い存在だって感じて、何処か引いてたのかも。ごめん』
『灯華……謝らないで、欲しい。つか、俺が、俺が……』
記憶は、感動のフィナーレを迎えている。相葉が、女性ではなく灯華さんを選んで、抱きしめて。二人とも嬉しそうな顔で笑っていた。長らく離れていた兄弟、でもそこに愛はあったんだと、相葉は確信して、よろこびの涙を流していた。兄弟の愛を見て、私も少しうるっとしてしまった。例え、この記憶が数時間のことを切り取っていたとしても、一瞬を切り取っていたとしても、灯華さんが感じた時間は、もっと長いわけだし、兄弟と離れていた時間も長かっただろう。そして、ようやく、わかり合えた、愛が伝えられた……みたいな。
シャボン玉はそこでポンと弾けて消えてしまった。
きょうだいの愛の形はやっぱり一つじゃないな、と再確認できたような気がする。本来の目的を忘れるほどに私は、灯華さんの記憶に夢中になっていた。
彼の記憶の中の遥輝が、ずっと灯華さんを見ていて、顔には出ない奴だけど、親友思いなんだなっても思って。灯華さんは、遥輝に助けられたって云っていたけど、遥輝も、灯華さんがいてよかったんじゃないかなとかも思って。
私の知らないことだらけだな、と何だか少しだけ悲しくなってしまった。
遥輝のことまだ知らない。でも、好き。好きだから隣にいたい、って。
そう一人で感傷に浸っていれば、こちらに向かって走ってくる足音が聞えた。
「エトワール様」
「ルーメンさん。よかった、はぐれちゃったまま会えないかと思った」
「……う、そんなことになったら、俺が遥輝に怒られるだろう……でも、なんともないようでよかったです」
「うん」
先ほど、彼の記憶を見てしまったせいで、どんな顔してルーメンさんを見れば良いか分からなかった。それは、あっちも同じようで、私の記憶を見ていたらしく、気まずそうにチラチラと私を見る。
「ルーメンさんも、同じ?」
「え、えええと、はい。エトワール様の記憶見ました。てか、ほんとここって変な空間ですよね」
「話逸らした?」
「これ、感想言わないといけない感じなのか!?」
私のどの記憶を見たか分からないけれど、それに対して突っ込まないということは、変に同情して相手を嫌な気持ちにさせたくないっていうルーメンさんの配慮だろう。それは嬉しいし、何となくそれで、何を見たか分かってしまった。多分、私の幼少期の記憶じゃないかと。あの時は凄い荒れていたし、今でも家族というものがあまり好きじゃない。学校とか、友達も……
「過去が消えるわけじゃないし、今でも思い出すだけで嫌だけどさ……ルーメンさんの記憶を見て、人にとって嫌なことって違うし、どうしてその人が掛け替えのない存在かってのも、違うんだなって……私の感想はそう」
「エトワール様」
「ルーメンさんが、どれだけリースのことが好きかって分かってまけてられないなって思った!ただ、それだけ」
私はそう笑って、ルーメンさんに手を差し伸べた。彼はキョトンと目を丸くしていた。まあ、いきなり手を差し出されて、驚かない人はいないだろう。私も、何となく手を出しただけ。でもきっと、同じなんだよって、辛さとかそういうはかりは違うけど、改めて彼のことを理解できた気がして、同盟、みたいな。言葉があまり思い浮かばないけど。
ただ、リースを大切にしている気持ちも、兄弟に対する気持ちも同じぐらい優しいもので、優しい人だって、私は分かった。
「いこう、ルーメンさん。早くここから脱出しなきゃ」
「そう、そうですね。いきましょう、エトワール様」
少し、不安そうなかおをした後、恐る恐るルーメンさんは私の手を取った。握ったその手は強く力がこもっていて、暖かった。
(さてと、ここから出るためには核を探さなきゃね……)
合流できただけでは終われない。そう、私は右も左も分からない闇を見据え気持ちを入れ直した。