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「分かりました。念のため緊急時用の薬品を持って来ていますので、置いて行きます。開放骨折の患者さんの搬送を手配しましょう。福島市か郡山市へ戻ればドクターヘリを派遣できると思います」
「それは助かります!」
そこへ院長がやって来てDMATの二人と衛星携帯電話の番号の交換などを始めた。後は院長に任せ、亮介はDMATから受け取った薬品入りのリュックを病院内の保管所へ運び込んだ。
DMATの二人は再びオートバイに乗って去り、朝の光が病院の窓から鈍い、鉛のような色調で差し込んできた。空は曇ったままで、真冬のような寒さがまだ続いていた。
そして再び、亮介たち病院の医師にとって想定外の事態が始まった。夜明けを待っていた、最初の夜を戸外で過ごした住民たちが次々と来院してきた。その数はたちまち膨れ上がり、病院の玄関前には敷地の外まではみ出す長い列が出来た。
さらに、その多くの住民は背中に家族や知人を抱えて来院した。寒さで動けなくなった高齢者、そして全身ずぶ濡れの、津波からかろうじて逃げられた人たちだった。
亮介たち医師は、院長も加わってただちにトリアージを行った。患者を担いできた人たちはほとんどが緑に分類された。だが担がれて来院した人たちはほぼ全員が黄色のタグを付けられた。泥と何かの油が混じったどす黒い水に全身浸った人たちのうち、五人が赤にトリアージされた。
トリアージ作業はいつまで経っても終わらなかった。病院の玄関の前の列は、時間が経つにつれて短くなるどころか、長くなって行く。津波の直撃を受けた地域で、高台に逃げて助かったものの、その場で凍える様な夜を過ごした人たちが、夜が明けて明るくなると同時に内陸部へ避難してきたようだった。
そして津波に一度は呑まれたが、這い上がる事ができた人たち、水の中から助け上げられた人たちは、ずぶ濡れのまま真冬のような寒さの中で一夜を過ごし、体力を消耗しきった状態で病院に担いで連れて来られた。
そうした人たちが震災当日ではなく、一夜明けた今になって南宗田市立中央病院に殺到してきたのだ。重症者は医師、看護師その他の病院のスタッフが二階と三階の病棟に収容したが、緑と黄色のタグの患者は廊下や待合室の床に寝かすしかなかった。
まさに野戦病院さながらの状態になりつつある院内を見渡しながら、内科医のリーダー格の山倉という五十代の医師が院長に耳打ちした。
「院長、これはすぐにうちの病院のキャパシティを越えますよ」
院長も少し青ざめた表情で言った。
「沿岸部の開業医は全滅だろう。これは相当の長期戦になりそうですね」
患者たちのためにつけっ放しにしてある待合室のテレビをぼんやりと見ていた軽傷患者の一人が大声を上げた。
「おい! 原発でベントとかいうもんを、やったと言ってるぞ」
テレビの画面の中では男性アナウンサーが、一号機でのベントに成功したと報じていた。それを聞いた亮介はほっと溜息をついた。
「良かった。それじゃ、原発の方は収まったんだな」
その時は、病院の誰もがまだ知らなかった。原子炉内部の高圧蒸気を外部へ放出する、ベントという作業が、様々な不手際で半日も遅れてやっと実施されたのだ、という事実を。待合室の壁の大時計は午前十時半を少し回ったところだった。
午後になって病院に殺到する患者はますます増えた。市の消防支所の救急車は、一番恐れていた状態の患者を一人また一人と搬送してきた。
最初の一人は地震で倒壊したブロック塀の下敷きになっていたという中年の女性だった。腰のあたりが妙にブラブラした感じで、レントゲンの映像を見た院長は一瞬躊躇したが、その患者の手首に黒のタグを張り付けた。驚いて駆け寄った亮介たちに院長は目をそむけるようにして言った。
「骨盤骨折だ。うちの施設では、手の施しようがない」
その患者は待合室の一番隅に寝かされ、カーテン付きの仕切りで他の患者から隔離された。立ち去ろうとする亮介のズボンの裾を、誰かの手がつかんだ。それは黒にトリアージされたその患者だった。
顔の近くに膝をついた亮介に、その中年女性は切り裂くような声で言った。
「痛い、痛いよ、先生……助けて……」
「分かりました。何とかしますから、もう少しここで我慢して」
何とか出来るはずなど無い事は亮介が一番よく分かっていた。だが、黒にトリアージされたからと言って、死ぬと決まったわけではない。まして当の本人に向かって、死の宣告など出来るはずもなかった。亮介は逃げるように、その場から立ち去った。