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《結婚を前提として、付き合うことになったよ》
まるで、買い物でも行ってくるよみたいな軽いノリのLINEが貴君から届いた。
わかってはいたけれど、少なからずショックは受けてしまう。
そのまま結婚してしまうのだろうか?
誰か一人の女のモノになってしまうのだろうか?
どうにもならないことを、悶々と考えてしまう。
離婚届は、明日、旦那と一緒に提出する。
その前に、綾菜には話しておかないといけない。
お母さんの好きにすればいい、と言われるのはわかっているけれど念のため。
「もしもし?綾菜?明日の朝、ちょっとうちに来て。話したいことあるから」
『話?いいよ。美味しいケーキ買っていくから待っててね、翔太も行くから』
「うん、待ってるわ」
そういえば、健二君の話は聞かないけど、もう大丈夫なのかな?
あれからだいぶ時間が経ってるから、浮気は終わったんだろう。
浮気で騒ぐってことは、好きって気持ちが強いってことかもしれない。
もし旦那が浮気したら?と考えてみる。
好きにすれば?と言ってしまう。
でもそれは、旦那を嫌いだからというわけじゃないと思い当たる。
せいぜい騙されたりしないように、と注意するくらいかも。
愛情の愛が消えて情だけになったのか、それとも深ーい愛に変わったのか、それはわからないけれど。
お互いに記入済みの、離婚届をまじまじと見てしまった。
紙切れ一枚のことなんだな、夫婦になるのもやめるのも。
「…というわけで、離婚します。でも、しばらくはここに住まわせてもらいます。でね、これが覚書シェアハウスの同居人としての」
私は先日書いた覚書を綾菜にも見せた。
「まぁ、離婚はそうなるだろうなと思ってたけど、シェアハウス?面白いね」
「ホントはね、さっさとここを出ていく方がいいんだってわかってる。でも、一番は経済的な理由でね、やむなし」
「で、進さんも納得したわけね」
綾菜はお父さんとは呼ばない。
「うん、届けを出したら他人になるけど、気心の知れた同居人だからやりやすいと思う。今まで通り、ここに帰ってきてくれていいから」
「ありがと、それは助かる!実家があるのとないのは全然違うからね」
ピーピーピーと洗濯が終わったことを告げるアラーム。
「あれ?どっちだっけ?」
「あー、多分俺のやつだわ、干してくる」
旦那はさっと立ち上がると洗濯物を干しに行った。
「え?さすが!自分でやるんだね、そういうこと」
「そうだよ、基本的に家事はそれぞれでやるって決めてある。少し前から進君、自分でやってくれてて助かってたんだ。あとは料理を教えないと!」
「いいなぁ、家事の分担か。うちもそれやりたいな」
「翔太の手が離れたら、働いて家事を分担するのがいいと思うよ。少なくても自分の収入があるほうが、健二君に頼りっきりにならないし、万が一の時助かるから」
「万が一?離婚とか?」
「それもあるけど、他にも色々あるかもしれないしね。まだまだ人生長いんだから」
「そうだね、考えとく。また浮気されても自分のお金があれば強気になれるし」
「そういうこと。欲しいものも気兼ねなく買えるし、世間とのつながりは大事だよ」
「そういえばお母さんも資格取ったしフルタイムで働いてるもんね。これからは家事がない分自由なことができるじゃん?」
綾菜は、ケーキのいちごを翔太の口へ運ぶ。
大きないちごを一口に入れようと必死な翔太。
孫は本当に可愛い。
「そうなんだよね、趣味でも見つけようかなと思っててさ。実はこれ、やってみようかな?と思ってる」
もらってきていたチラシを綾菜に見せた。
「ボクシング?」
「あ、ボクササイズね、なんかこう、思いっきり暴れられそうだし、体力もついてダイエットにもなるみたいだから」
「なんか、お母さんらしいわ」
「それともう一つ、アルバイトもしようかと思ってて、それは今、探してるとこ」
「なんかすごいね、お母さん!充実しそうだね、これから」
「でしょ?まだまだこれからだから」
本心は、のんびりして貴君のことを考える時間を作りたくないからだ。
仕事して、体を動かして何かに没頭していないと気が持たないと思う。
思いっきり、とことんフラれた方が楽だったのかもしれないけど、貴君と友達でいることは、やめたくなかった。
あれもこれも欲しがる強欲女とは、私のことだ。
なんとなく…なんとなくだけど、正式に離婚したことは貴君には話さなかった。
戸籍上の名前は旧姓にしたけど、普段はそのまま小平を名乗ることにした。それは単純にめんどくさいから。
「で、どうなんだ?その見合い相手とは」
会社では貴君がお見合いしたことが広まっていた。
私も何食わぬ顔をしてその話題に入る。
「ね、どんな人?めっちゃ興味あるんだけど」
「未希ちゃんも興味あるよね?今まで彼女いない歴ン年の男だからさ。もうやり方も忘れてんじゃないのか?」
モロに下ネタを振られて頭をかきながら、ちらりと貴君がこちらを見た気がした。
代わりに答えてあげようか?忘れてなんかいませんよって、の意味を込めて小さくあかんべをする。
「にしても、10歳も年下だと可愛いんだろうな、やっと車以外に熱を上げれるものが見つかったか」
「いや、まだ付き合ってみる、というとこまでだから先はわかりませんよ」
「けど、お見合いってことは当然結婚前提だろ?なら、先があるよな。いいよなぁ?俺の嫁さんも新しくならないかなぁ?」
「おい、それを言っちゃあ…」
あははと笑いがこぼれる。
あ、そっか、わかった。
離婚したことを貴君に言いたくなかったのは、立場を変えたくなかったからだ。
私が独身に戻って貴君が結婚したら、立場が反対になる、既婚者と独身の。
私は貴君のことが好きだけど、貴君の結婚を邪魔する気はないし、幸せになって欲しいと思う。
それを近くで見ていることは、とても苦しいことだけど。
でも、好きだから近くで見ていたい。
私が離婚して独身になったら、守るものがなくなって暴走して貴君の幸せを邪魔するかもしれない、なんて貴君が警戒して私を突き放すとも限らない。
それはイヤだ。
そんなつもりは毛頭ないけれど、私は既婚のままでいたほうが周りの視線も誤魔化せる気がするし。
だから、当分のあいだ離婚したことは伝えないことにした。
そこには少なからず私のプライドのようなものも含まれている。