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「それにな、俺はお前さんの事についちゃ、元々それほど案じてねぇよ」
そう唱えた彼は、店内の保冷庫から取り出したソフトドリンクを、こちらへ投げて寄越してくれた。
「っと。 え?」
「お前さんにぁ、番犬がいるからな」
その言い方は余りにあんまりだけど、彼女が身近にいてくれる心強さを思えば、たしかに。
「うん。ほのっちに言っとくね?」
「おいやめろ!」
そうする内、小路の向こうに現れた幼なじみが、大きく手を振っているのが見えた。
「ほれ、もう行った行った」
「あ、もう一つだけ!」
こちらも同じように手を振り返した後、急いで史さんのほうに目を向ける。
これは、本当に訊ねて良いことなのか。
しかし、機を逃してしまえば、いつまで経っても聞けず仕舞いになってしまいそうな気がした。
「ほのっちのお母さん……、史さんの奥さんって、どんな人なの?」
「あ?」
あの時は非常に取り込んでいて、長らくスルーしていた。
友人はたしかに、聞き捨てならない事を言ったんだ。
『私これでも、すこしは人間の血が流れてるんですよ?』
変じゃないか。
彼女のお父さんは、見ての通り
「………なんだよ?」
まぁ……、神さまで、お母さんは鬼の長として、地獄を治めていると聞いた。
人間の血が入り込む余地なんて、どこにも無いはずなのだ。
「………………」
「なんだその眼?」
自分でもそれと分かる程度には、疑わしい眼を向けていたのだと思う。
ややあって、大きく息をついた彼は、特に包み隠そうとはせず、有り体に明かしてくれた。
「人間だよ。 この世界で、最初に生まれた人間だ」
「え………?」
いきなり話が飛躍した。
こんな場面で冗談を言うようなヒトじゃないことくらい、私だって充分に承知している。
そもそも、今さら進化の系譜や人類の成り立ちに触れるのは野暮だろう。
そういった常識が立ち入れない場所に、私はもうどっぷりと身を浸している。
しかし、それにしたって………。
「最初の人間………?」
「あぁ。 長いこと俺の巫女やっててな………」
彼のこんな表情は、初めて見た。
まるで、遠く遠くに思いを馳せるような。
過去を懐かしむような、悔いるような。
先の発言に説得力を与えるのには、充分な表情だった。
じゃあ、どういう事だ?
“最初の”については、この際置いておくとして、元は人間で、現在は鬼。
人間が鬼に変じるとなると
「恨み………」
「滅多なこと言うもんじゃねぇ。また変なもん引き寄せちまうぞ?」
たしかに、言葉の扱いには注意がいる。
安易に語った怪談が、脈々と続く負の連鎖を引き起こしたように、気軽に発した言葉が、あらぬモノを生じさせないとも限らない。
「や! 千妃ちゃんに史さん!」
「よぉ。 お前さんも大学の帰りかい?」
「そだよー? あ、また弄ってるの? その、アイスの箱? 好きだねー」
「冷凍機な? 好きで弄ってるワケじゃねぇや」
かく言う私だって、そもそも当事者なのだ。
店先に置かれたプラスチック製のタライ、我らがモミジのお家を、チラリと見やる。
あの頃、子供たちの間で流行した些細な噂話が、彼をとんでもない怪物に変貌させてしまった。
そう。 最初は本当に、どこにでもあるような与太話だったのだ。
それがいつしか、大きな騒動になった。
その発端は何だったろうかと考えて、すぐに思い当たった。
『ザリガメって知ってる?』
かの未確認生物は、危険で恐ろしい存在であると、私たちに刷り込んだクラスメート。
そういえば、あの子はいったい誰だったんだろう?
名前は疎か、顔すら思い出せない。
「どうしたの? 行こ! 穂葉たち待ってるよ」
「あ、うん」
薄っすらと陽炎が立つ小路の直中に、真夏の怪異を見た気がした。
折しもこの季節は、心霊特番にお化け屋敷、各地のホラーイベント等、“あちら”とのパイプが、何かと強固になりがちだ。
またぞろ、思わぬモノが産声を上げてしまわないだろうか。
そんな事を気にかけつつ、幼なじみに手を引かれた私は、恒例の女子会に向かうのだった。