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橋本の運転するハイヤーの後部座席に乗り込んだ宮本は、顔を思いっきり背けて車窓を眺めていた。
(陽さんってば、どうして平然としてられるんだろ。いくら喧嘩慣れしてるからって、相手は暴力団幹部でしょ。こんな夜更けに逢うなんて、危ないじゃないか。消される可能性だってあるというのに――)
宮本は「ドンケツ」という極道(ヤクザ)漫画を頭の中で思い出しながら、膝の上に乗せた黒い手帳の重みを感じつつ、奥歯を噛みしめる。そうしていなければ、恐怖で躰が震えそうになった。
「雅輝、明日は仕事だろ?」
「はい。そうですけど……」
ガチガチに緊張しているところに投げかけられた質問は、すぐに答えられるものだった。
「だったら手帳を返したら、そのままおまえの家に帰らなきゃな」
「陽さんも仕事? キョウスケさんを朝一で乗せる感じですか?」
「ああ、しかもいつもより15分早く来てくれって頼まれてる。俺も大変だけど、それ以上にアイツのほうが大変だろうな」
毎月のノルマに追われてさ、なんてぶつぶつ言いながら左ウインカーを出す後ろ姿を、後部座席から切ない気持ちで眺めた。
恋する相手をほぼ毎日乗せていたハイヤーのハンドルを、どんな想いで握りしめていたのかと考えずにはいられない。
『白銀の流星』というあだ名がつく前は、江藤と別れたショックで、何も手につかなかった。憧れていたインプを手に入れるためと、デート代にするために、バイトをかけ持ちして精を出していたのが、江藤と別れたことにより、まんま車代になった。そのため、予定よりも早く愛車を手に入れられそうだった。
それなのに大学に行く途中にある、個人で経営している自動車整備工場に停められたシルバーのRX-7に、心が奪われてしまった。
その車は助手席のドアに、円形状のものをぶつけたような大きな凹みと、あちこちに擦り傷がある状態で、1か月以上放置されたままでいた。
その姿が失恋で傷ついている現在進行形の自分とダブって見えたため、ずっと気になってしまった。
ある日、意を決して整備工場に乗り込み、どうして修理しないのか理由を訊ねてみた。すると車の持ち主は新しいものを購入したそうで、手が空いたときに車を直し、中古車として販売するとのことだった。
「すみません。この車が欲しいんですけど、おいくらで売るつもりでしょうか?」
GC8型インプレッサ、通称『文太インプ』を買おうと決めていたのに、事故ったRX-7を買うと即決できたのはやっぱり、整備工場の隅っこで、傷ついたまま置かれているのが、たまらなく嫌だったから。
互いに見えない傷を抱えた者同士、RX-7と一心同体になって峠を攻める毎日を送った。大好きだった江藤を忘れようと、がむしゃらになってハンドルを握りしめたことを、今でも思い出せる。
何かに打ち込んでいないと、付き合って楽しかった頃のことを、ふとした時に思い出してしまいそうになった。
そんな駄目な自分に鞭を打ち、峠を走り込んだことで新しい友達ができた。同時にコーナーの走り方を学ぶことができて、さらに磨きがかかった。
気がつけば周りに、自分よりも速く走れる車がいなくなっていた。『白銀の流星』という二つ名は、ありがたくもあり寂しさを感じさせるものになった。
その名前のせいで、必然的に皆との距離が遠くなり、憧れの存在になってしまっため、車関連で仲良くなった友人とプライベートでの付き合いが、一切なくなってしまった。