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そこから1年間、長く苦しいリハビリに耐え続ける日々が始まった。最初は思うように力が入らずペンすらまともにもてなかったでも、退院する頃には箸を使って自分の力でご飯を食べられるくらいには回復していた。脚に至っては、脛骨だけでなく大腿骨まで砕けていたため、激痛で最初は動かすことすら困難だった。しかし今では、腕もだいぶ回復したおかげで、松葉杖を使って自分の意思で動き回れるようになっている。
入院中の僕は、どうしようもない感情に日々精神を削られていた。毎朝目を覚ます度に、自分だけが生きながらえていることを後悔する。毎日看護師がカウンセリングに病室へやってきて、リハビリを繰り返すだけの日々。看護師だとか医師だとか、毎日同じ人間としか顔を合わせない。僕には家族なんていない。幼い頃に両親は他界している。親戚だって誰もいない。たったひとりの家族だった君を亡くしたことで、僕の心は憔悴しきっていた。
車椅子で動き回れるようになってからは、窓から飛び降りようとしたことだって何度もあった。病院にはとてつもない迷惑をかけているはずなのに、誰も僕を叱ろうとしない。優しい言葉をかけて、僕のことを慰めようとする。
誰も何もわかっちゃいない。そんなことをしたって、僕の気持ちが晴れるはずもないのに。
なにはともあれ、僕は1年間の長い病院生活を終え、今では市の職員から紹介された小さなアパートの一階で一人暮らしている。何でも、隣の部屋に住んでいる大家さんが元職員らしい。今でも毎朝味噌汁を作って持ってきてくれる優しいお婆さんだ。塩分控えめで具はわかめしか入っていない貧乏臭いが、どこか温かく、懐かしい匂いのする味噌汁。僕の1日は、毎朝大家さんと顔を合わせて体調や精神に異常がないか質問されて、昼に味噌汁を食べるだけで大半を終える。
僕の暮らす部屋は、全くと言っていいほど家具もなく、内見に訪れた空き部屋のように殺風景だ。テレビなんていらない。君が隣で一緒に見ていないテレビなんてつまらない。スマホだって、あの日君と身を投げる前に解約してしまっている。
味噌汁を食べ終わった後は、頭の中に微かに残っている君との記憶を繋ぎ合わせて、空を見ながら思い出に耽る。これが僕の日課だ。
夜は、僕が一番苦手な時間だ。夜の星が視界に入る度に、飛び降りた日の記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、震えが止まらなくなる。酷い時には、暴れ出したり、発狂したり、激しい目眩によって気を失うことだってある。その度に大家さんが様子を伺いに来てくれるのだが、酷い症状のときには何度か殺しかけたことさえあった。
まさか自分がこんな病気になってしまうとは、生涯で一度たりとも思っていなかった。でも、この病気になって分かったことだってある。精神病の辛さ。怖さ。苦しさ。
君は今までこんな苦しい世界で生き抜いてきてたんだね―――。