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父が言った三日のうちに身の振り方を決めろとは三日以内に死ねという意味。田代部長は父に最後通告を突きつけられた翌朝に自宅近くの公園で首を吊って死んでいるのを発見された。
宮路課長はどうやら父の発言の意図を理解できていなかったようだが、自分の後ろ盾だった田代部長の自死を知ってもう逃げ切れないと悟り、深夜、会社の本社ビルの屋上に忍び込み、フェンスを乗り越えて飛び降りて死んだ。どうせ死ぬなら少しでも会社に迷惑をかけてやれとでも思ったのだろう。宮田大夢によく似た顔を持つだけあって、最後まで自分勝手な男だった。人として真面目に生きるより鬼としてわがままに生きたい。確かそんなことを言っていたが、実際その通りに生きてきたわけだから今さら人生に悔いはあるまい。
ただし、不倫するくらい自分勝手なだけあって、残された者のことなど何も考えつかなかったらしく、彼らは二人とも遺書を残さなかった。
突然の総務部長と経理課長の自死は当然社内に波紋を広げたが、二人とも人知れず重い精神疾患を抱えていたらしいという説が優勢になり、自死の本当の理由が社内に知れ渡ることはなかった。二人の死後、規定の退職金も遺族に支払われた。田代部長の奥さんは夫の自死の直前、彼らが過去に社内妻としていた女性のリストを夫から受け取っていた。部長と課長の奥さんは父に二人の退職金はすべて社内妻とされた女性たちに支払う慰謝料にすると父に頭を下げたそうだ。
実は宮路や田代によって社内妻にされた女性に正社員は少なく、多くは立場の弱い派遣社員や契約社員で、リストにあった女性の人数は二十人を超えていた。慰謝料は一人当たり二百万円と決めた。ただし歌歩さんは慰謝料の受け取りを辞退した。受け取りを辞退する女性の方が多いかもしれないと田代夫人は言っていた。受け取られず浮いたお金は福祉団体に寄付するそうだ。
翌一月、臨時の人事異動があり、父の総務部長兼務と僕の経理課長昇進が発表された。父は同時に僕が自分の養子であり、後継者でもあると公表した。
宮路とグルになって歌歩さんをいじめて精神的に彼女を追い込んでいた経理課の男性職員については、社長である父が自ら面会し事情を聴取した。彼は歌歩さんに嫌がらせする見返りとして宮路から大金を受け取っていたと自供した。父からおまえはいつ自殺するのかと責められて、彼はその場で退職願を書いて提出した。
その男が退職した代わりに僕より五歳年上の田代海人という男が他部署から異動してきた。海人は自死した田代一樹部長の実子。それまで主任だったが、課長補佐に抜擢された。田代部長の言葉通り海人は優秀な男だった。父はこれからずっと海人を僕の右腕として仕えさせるつもりだった。それは僕を自分の息子の右腕にすると生前語っていた、亡くなった田代部長への意趣返しという意味もあっただろうが、実際海人は優秀で忠誠心の強い男だった。五歳も年下の僕の補佐役となったが、そのことで腐ることはなく、これ以上はないと思えるほど僕をよく立て完璧に職務を遂行してくれた。
何もしなくても自分から辞めていくだろうと父は考えたのだろう。社内不倫した歌歩さんには特に処分はなかった。異動もなかった。(急に異動があれば自死した二人と何か関係があるのでは? と目ざとい人に気づかれたに違いないが)
だが彼女は退職しなかった。僕と彼女は上司と部下の関係とはいえ同じ執務室で働く関係になった。あのクリスマスイブの夜以来二人で会う機会はなく僕らの交際は自然消滅の形になっていたが、焼けぼっくいにまた火がつくことを恐れたか、ある日父は見ろと言ってUSBメモリを持ってきた。そのメモリに何が入っているか聞くまでもない。彼女と死んだ二人との行為を撮影した写真や動画のファイルを収めたものだろう。父は一通り中身を確認したらしい。写真は数百枚、また動画の総収録時間はゆうに十時間を超えていたと教えてくれた。絶対見ないよと父には強がったが、結局僕は休日を一日つぶして全部見てしまった。
動画は彼女が課長または部長と二人で会って行為しているときのものが多かったが、やはり強烈だったのは三人で行為している動画。
「前の方は部長が使って下さい。おれは口と後ろの穴を使わせてもらいます」
動画の中で宮路がそんなことを言い出したとき、思わずトイレに駆け込んで吐いてしまった。
誰に対しても無礼で偉そうな宮路だが、後ろ盾とする田代にはおべっかを使いまくっていた。もうすぐ還暦の田代は勃起させるのも射精するのも苦労するときが多かったが、なんとか歌歩さんの膣内に精液を放出できたとき、こんな会話があった。
「部長、まだまだいけるじゃないですか。たいしたものですよ」
「相手が若い歌歩君だからだよ。古女房相手ならこうはいかない」
「それは年は関係ないですよ。おれなんて女房相手なら勃ちもしませんから」
彼らは少なくとも写真や動画の中では一度も避妊具を用いなかった。その代わり彼女に経口避妊薬を渡して、若い不倫相手との刺激的な性交を安心して楽しんだ。
二人はそれ以外にも、奥さんには決して頼めないような変態的な行為を彼女には平気でさせていた。彼女もそのすべてに素直に応じていた。宮路によって後ろから抱きかかえられた裸の彼女が放尿し、若返りのためと言って田代がそれを直飲みする場面を見て、僕はふたたび吐いた。宮路は逆に自分の尿を彼女に飲ませることを好んだ。
動画には撮影日と時間も記録されていた。撮影場所は例のマンションばかりではなかった。用具入れとして使っていた本社中庭のプレハブ倉庫の中で青い作業服を着た彼女がズボンだけ下ろし、テーブルに手をついて立ったまま宮路に後ろから突かれている動画の日付と時間を見たら、見合いが決まる直前の初めて彼女に話しかけられた直後の出来事だった。片思いをしていた彼女に話しかけられたのがうれしくて彼女が去ったあともしばらく僕は夢の中にいるような気分だったが、そのとき彼女はそんなことをしていたわけだ。また吐き気を催したが、もう何も胃の中に残ってなくて吐かずに済んだ。
歌歩さんは残業だと僕を騙して既婚上司たちとの不倫を楽しんでいたが、たまに本当に残業で帰りが遅くなることもあった。ただ、そういうときは必ず誰もいなくなった執務室で宮路と行為していたから、最初からそれが目的の残業だったのかもしれない。宮路は制服を着せたまま下着だけ剥ぎ取って執務室の長机の上に彼女を寝かせ、膝が痛いと時おりぼやきながら22歳の新入社員のみずみずしい肉体を貪った。そして最後はたいてい、これはおれのものだと主張するかのように制服のスカートの上に出した。
三人での行為の多くは四つんばいになった彼女を田代が後ろから責め、宮路は彼女に口で奉仕させるという構図。顔も似ているが、宮路の性器は宮田大夢並に立派なものだった。相手が宮路のときと田代のときとでは彼女の反応が全然違った。もちろん宮路のものを受け入れているときの方が、彼女はより強い快感に溺れていた。それを見て、僕ではきっと彼女を性的に満足させることができないだろう、とさらに深い絶望に包まれたのだった。
動画を見てから突然のフラッシュバックに悩まされるようになった。同じ職場だからどうしても歌歩さんが視界に入る。そのたびに、宮路の巨大な性器に貫かれた彼女が課長課長とあえぎながら何度も絶頂に達してる場面が、並んで立てば彼女の祖父に見えてもおかしくない田代の、加齢のためになかなか勃起しない性器を奮い立たせようと彼女が必死に口と手で愛撫する場面が、三人で絡み合い、宮路と田代が交互に彼女の性器に挿入と射精を繰り返す場面が、そしてクリスマスイブの夜に会いたいという僕の誘いを残業があるからと嘘をついて断った彼女の申し訳なさそうな表情が、僕の脳裏にあるディスプレイに容赦なく映し出され、しばらく脳の機能を停止させた。
歌歩さんはもう僕を歩夢さんとは呼んでくれない。抑揚のない声で課長と呼ぶだけ。僕も同じように小木さんと呼び返す。
彼女は相変わらず朝晩作業服に着替えて花壇の整備をしている。真冬だからたいした手間はかからないはず。以前のように彼女の作業を見守りたい気持ちもあるが、僕が自分の後継者だと父が公表してしまった直後だから、執務室から出ると、僕に取り入ろうとする男たちやら玉の輿に乗りたい女たちやらがわらわら群がってきてうっとうしいことこの上ない。勤務中、僕は執務室に缶詰状態。
彼女が自死した二人と不倫関係にあったことを知る社員は父や僕を含めて社内でごく限られた者だけ。彼女が誰かに後ろ指をさされるようなことはなかった。
自殺したとはいえ、自分たちの夫が社長の息子の交際相手と不倫関係にあったことを、自宅に訪問してきた奥さんたちに土下座して謝罪された。あなた方に頭を下げられる理由がないからやめて下さいと言ったが、奥さんたちはそれでも土下座をやめなかった。私たちは死ねと言われたら死んでもいいが、子どもたちに報復することだけはやめてほしい、と。
恋人を寝盗られていた間抜けな僕なのに、父のおかげで畏怖と追従の対象に昇格していた。歌歩さんとは職務上のつきあいしかなくなったが、それでもときどき彼女の口調と表情からそういう感情が読み取れて内心悲しくなった。
一度、歌歩さんの父親が一人でわが家に乗り込んできたことがあった。彼はひどく怒っていて、そしてひどく酔っ払っていた。
「歌歩がおまえと別れたと言っている。これだから母子家庭の育ちの悪い男は嫌だったんだ。ほかに女がいたんだろう? 歌歩がおまえなんかと結婚しなくて済んでこっちとしては万々歳だ」
たまたまわが家に来ていた父と顔を見合わせて、歌歩さんに聞いて下さいと答えるしかなかった。
それから一週間もしないうちに、歌歩さんから電話があった。土曜日の早朝、まさか歌歩さんの方から電話をもらえるとは思っていなかったから、画面に表示された彼女の名を見て思わずスマホを落としそうになった。
「父が先日課長に失礼なことを言ってしまったと昨晩聞きました。本当に申し訳ありませんでした。その後父と母にすべてを打ち明けました。課長に謝罪したいと二人が言っているので会っていただくわけには参りませんでしょうか」
「いや、いいよ。君はご両親に事情を話してなかったみたいだね。知らずに言ったなら、君のお父さんが悪いわけじゃない」
「実はもう三人で課長の自宅の前まで来ています」
向こうの思惑通りになるのは癪だけど、そう言われたら追い返すわけにもいかない。幸い父は今ここにいない。自宅で奥さんと過ごしているはずだ。父は、不倫していながらそれを隠して僕と交際していた歌歩さんを許していない。父が歌歩さんを処分しなかったのは、何もしなくてもどうせ自分から辞めるだろうと思っていたからだ。
そうしようと決めていたのだろう。玄関に入るなり、出迎えた僕と母の前で三人は謝罪の言葉を口にしながら土下座して額を床にこすりつけた。前回乗り込んできたときと違って彼女の父親はびしっとスーツを着込み、歌歩さんと母親もフォーマルな装い。
僕らは土下座をやめさせて、三人を応接間に招き入れた。
せっかく土下座をやめさせたのに、三人は応接間でもさっそくまた土下座を始めて、さすがに少しイラッと来た。
「娘にすべて聞きました。お詫びのしようもありません。今日は慰謝料もお持ちしました。それで私どもを許してはもらえないでしょうが、ほかに償いをする方法がないのです。どうかお納めください」
まさに平身低頭。この前乗り込んできて暴言を吐いていった人物と同一人物とはとても思えなかった。
「まだ婚約前だったので慰謝料は発生しないと思いますよ」
「婚約の前後は関係なく、あなた様を傷つけたことに対する慰謝料と思っていただければ」
たとえ婚約後であっても結婚前の不貞の慰謝料など、せいぜい数十万というところだろう。そんなものをもらったところで僕の心の傷が癒やされることはない――
と思いながら、渡された大きな白封筒を開封して中身を確認すると、百万円の札束が十個入っていた。
「一千万?」
「いくら入ってるか知りませんでした。昨夜歌歩が打ち明けてきたこと――二人の上司と不倫関係にあったこと、それを隠してあなた様と見合いして交際を始めたこと、社内不倫を御社の社長に責められて上司二人が自殺したこと、自殺した上司に代わって社長の養子であったあなた様が歌歩の上司となったこと――それらすべてを私の勤務する平成建材の社長に伝えたところ、持っていけと言われてそれを渡されました」
「どうして歌歩さんの慰謝料を関係ないあなたの会社の社長さんが払うんですか?」
「実は突然弊社は昭和建設から、今後の取引は取りやめたいと通告を受けました。昭和建設との取引額はわが社の売り上げの三割程度を占め、それを実行されればわが社は致命的な打撃を受けます。弊社の社長が御社の佐野社長に問い合わせたところ、小木常務に聞いて下さいと言われたそうです。そんなことを言われても、私と昭和建設の接点なんて、娘の歌歩が御社に勤務して、御社の社員と交際していたことくらいしかありません。歌歩に、おまえ何か隠してないかと問いつめたところ、上司との不倫を告白されました。私たちにとっても青天の霹靂でした。弊社の社長に報告したところ、すぐに謝罪に伺えとそれを手渡された次第です」
思わずため息が出てしまった。この人の態度がこの前会ったときと180度変わったのは、娘の不倫を知って僕に申し訳ないと思った気持ちも少しはあるだろうけど、それよりも僕が自分の会社の得意先の社長の息子だと知って自分の会社に不利益となる事態を恐れる気持ちの方がはるかに強かったということか。
「そういうことなら、このお金は慰謝料じゃなくて、取引継続のための賄賂ということじゃないですか」
「けしてそういうわけでは……」
「あなたにとって娘さんの不倫が青天の霹靂なら、僕にとっても御社との取引停止は青天の霹靂でした。いいですよ。父に言って御社との取引を再開させます」
「本当ですか!」
わらにもすがるような目をして見つめてくる彼を無視して、僕は黙ってスマホをタップして父にコールした。なかなか出なかったが、深酒して寝入っていて気がつかないんだろうなとあきらめかけたとき、父の声が聞こえてきた。歌歩さんの父親に会話を聞かせるために、とっさにスピーカーフォンに切り替えた。
「おはようさん。土曜の朝からどうしたんだ? 歩夢から電話してくるなんて珍しいな」
のんびり挨拶する気分じゃなかったから、いきなり本題に入った。
「父さん、歌歩さんのお父さんが勤める会社との取引を停止したって本当?」
「いきなりどうした? 酔っ払って押しかけてきておまえに暴言を吐いたあの男はあれでも平成建材の常務取締役だ。歌歩の不始末で平成建材に責任を負わせるつもりはないが、あの男の不始末の責任を平成建材に負わせるのは特に問題あるまい」
「大問題だよ。彼の不始末は彼だけの責任で、彼の勤める会社には何の責任もないよ。仕事に私情を持ち込むなってのは常々父さんが言ってることなのに、父さんいったいどうしちゃったのさ?」
「歩夢、だが宮田のときは……」
「宮田工務店は自社の社員が長年就業時間中に不倫三昧だったことに対して管理監督を怠った。それとこれとは根本的に話が違うよ」
「うむ……」
社内でも社外でも絶対君主のように恐れられている父だが、養子にした僕に対しては親馬鹿というか馬鹿親になる。そうかといって虎の威を借りて僕まで偉そうに振る舞う気はないが、こういうときくらい父の威厳を利用してもバチは当たらないのではないだろうか?
「ではどうすればいい? まったくお咎めなしとするのも気に入らない」
「平成建材との取引は元に戻して下さい。歌歩さんの父親からは迷惑料として百万だけもらって手打ちとしましょう」
「二百億以上の資産を持つおまえが百万ぽっちもらったところでうれしいか?」
「嬉しいとか嬉しくないとか、そういう話じゃなくて、重要なのは筋が通っているかいないかです」
「分かった。平成建材との取引は元に戻そう。歩夢は最近ずいぶん頼もしくなったな。社長禅譲の時期をかなり早めてもいいかもしれない。ただ、筋を通したいなら、小木歌歩のことはさっさと忘れて次にいけよ」
「突然何を……? それとこれとはまた話が別だよ」
「別なもんか。あの女は上司二人と不倫してるのを隠しておまえとも交際していた。こんなに筋の通らない話があるか! なぜおれが今さらこんな話をするか分かるな。いくら隠しても隠しきれないくらい、歩夢が歌歩にまだ未練たらたらだからだ!」
「父さん、またゆっくり話そう。切るね」
慌てて通話終了ボタンをタップしたけど、秘めた想い――というか表面化しないように無理やり押さえつけていた想いを歌歩さん親子に全部聞かれてしまって、僕は彼らにどういう顔をしていいか分からなかった。
平成建材への制裁を撤回させるという目的を達成したあとも三人はまだ土下座したまま。しばらく重い沈黙が続いたあと、言葉を選びながら口を開いたのは歌歩さんの父親だった。
「歩夢さん、娘は過ちを犯してしまったが、もし許されるならもう一度チャンスを与えてもらえないでしょうか。職場内のいじめに耐えかねて悪い上司たちの言いなりになってしまったが、あなた様を二度と裏切らず一生をあなた様に捧げると私たちが保証します」
僕が建設業界最大手の昭和建設社長の後継者と知った直後とはいえ、手のひら返しの手本みたいなセリフを聞かされて苦笑するしかなかった。自分が天下の昭和建設社長の岳父となって、ほしいままに権勢を振るう夢でも見ているのだろう。
この前まで〈おまえ〉呼ばわりだったのが、いきなり〈歩夢さん〉や〈あなた様〉に変わった。それより何より、あなたこの前、歌歩さんが僕と結婚しなくて済んで万々歳だってドヤ顔で言ってなかったか? しかも、僕の資産が二百億以上とさっき父が言ったとき、あなたの目の奥がキラッと光ったのを僕は見逃してないよ。
「歌歩、おまえからも歩夢さんにアピールしなさい」
父親にそう促されて、彼女がはいと答えたことに驚いた。今さら彼女が僕に何を訴えるのだろう? 不倫はしたけど愛してるのは僕だけとか? 不倫は魔が差しただけで心から反省しているとか?
確かに父の言うとおり僕はまだ歌歩さんへの愛を捨てきれずにいる。でもそんなふうに言い訳してくれるなら、彼女への愛は一気に色あせるだろう。
ちなみに、そのどちらの言い訳も母の夏海の不倫がバレたとき、彼女が僕らの前で言ってのけたことだ。心にもない言い訳に終始した夏海に激怒して、不倫した夏海を許せと迫った彼女の両親もろとも僕らは地獄に叩き落とした。
母親は常識があるらしく、やめた方がいいと言わんばかりの不安げな表情。一方、表情から期待を隠しきれない父親は、歌歩さんを立たせて僕の前に進ませる。並んでソファーに座る僕と母の前に立つと、歌歩さんは何かを僕に手渡した。彼女はそれを僕に渡さなければと思っていたらしく、ずっと手の中に握りしめていたらしい。
「USBメモリ?」
「写真とはよく言ったもので真実を写したものです。そのUSBメモリの中にある写真――ほとんど動画ですが――それを見てください。真実の私がその中にいます」
「これはもしかして……」
「当時の上司たちと私のセックスを撮影した写真や動画です」
と言い出した途端、
「歌歩、血迷ったか!」
と叫びながら彼女の父親が突進してきたが、
「それ以上近づいたら平成建材への取引停止を継続しますよ」
と脅して黙らせた。
「写真や動画は隠し撮りされたわけでなく、三脚に固定されたカメラで撮影されていることは知っていました。自分たちで見て楽しむだけだと当時の上司は言っていましたが、結局流出してしまいました。このUSBメモリは社長から渡されたものです。おそらく社長はUSBメモリを複製して同じ内容のメモリをいくつも持っているのでしょう。社長は何も言いませんでしたが、課長と私が別れないならこれと同じUSBメモリを課長にも渡すがいいのか、という意味だと受け取りました」
父は本気で僕と歌歩さんの復縁を阻止したいらしい。ただそのやり方は逆効果だとしか言えない。そう思えるだけ、僕はまだ彼女に対する冷静な観察眼を失っていないようだ。
「課長、もし私にまだ未練があるのなら、そのメモリの中の写真や動画を見て下さい。私を許そうという気持ちが少しあったとしても、それを見れば全部怒りと憎しみに変わるはずです。写真や動画の撮影日時に注目して下さい。見合いの前に私があなたに話しかけたのは、宮路課長にそうしろと指示されたからです。そのことは宮路課長とのセックスの最中に指示されました。あなたとの見合いの日も、見合いの前は田代部長と、見合いのあとは宮路課長とセックスしていました。それはあなたとの交際が始まってデートするようになってからも同じでした。水曜日のデートのあとも休日のデートのあとも宮路課長が車で迎えに来てあのマンションで私は二人の男に抱かれました。宮路課長はひどい人で、セックス中に私に〈歩夢さん、ごめんなさい!〉と叫ばせるのが好きでした。私もひどい女なので特に嫌がらずそう叫んでました。あなたとのデートの食事代はかわりばんこに奢り合ってましたよね。上司たちとセックスするとお小遣いを渡されることがあって、あなたとのデート代はそれを使えと二人に言われてました。上司たちとのセックスが嫌だったのは最初だけで、いつか私は自分から服を脱いでセックスをせがむようになり、二人でするセックスより三人でするセックスの方が気持ちいいと思うようになり、セックスのあとも上司たちの汚れた性器を二人続けて口できれいにしたり、三人でお風呂に入ったり、下の毛を剃られたり、おしっこを飲んだり飲ませたり、普通じゃないそんな行為もいやいやでなく私自身も楽しんでやってました――」
「やめろ! もうやめてくれ!」
と絶叫したのは歌歩さんの父親。あわよくば僕と歌歩さんを復縁させて甘い汁を吸ってやろうと目論んでいたのに復縁どころでなく、激怒した僕が心変わりして平成建材への総攻撃を父に願い出ることを何より恐れているのだろう。
そんなことはしないが、今までさんざんこの人から不愉快な思いをさせられたお返しに、もうしばらく不安な気持ちでいてもらおうかという意地悪な気分もないわけではない。
とりあえず歌歩さんの独白を聞いて分かったことがいくつかある。父から渡されたUSBメモリといっても、歌歩さんの持つそれと僕の持つそれはどうやら中身が違うらしい。僕のメモリには見合い当日の不貞の場面や不倫相手とセックスしながら〈歩夢さん、ごめんなさい!〉と叫ぶ場面などはなかった。
おそらく父が、僕があまりにダメージを受けそうなデータだけ僕に渡すメモリから外したのだろう。父は大胆な人だが一方で繊細な一面も併せ持つ。
そういえば、父の意外な繊細さは十年前の宮田工務店との全面戦争のときにも遺憾なく発揮されていた。父の策は一つとして手抜かりがなく、細部に目を凝らしても完璧なものだった。結果、攻撃開始からたった四ヶ月で地域の看板企業だったはずの宮田工務店はあっけなく崩壊、消滅した。
歌歩さんは言うだけ言ってすっきりした表情をして僕の前に立っている。僕の交際相手を寝盗っていた上司二人は父からの制裁を恐れてみずから命を絶った。歌歩さんが何も恐れていないことは彼女の澄みきった目を見ても分かる。
「見合いから始まった交際だったけど、僕はこれでも心から君を愛していた。どうやら君は僕を将来の結婚相手として見ることはできても、これだけこっぴどく裏切ることができたのだから、まったく僕を愛してなかったんだね」
「何を言っても信じてもらえないでしょうから言い訳はしません」
ここで〈体はあの人たちに抱かれても心はあなたのものでした〉などと見苦しい言い訳をしてくれれば、きれいさっぱり未練も捨てられたのに。妙に潔い彼女の態度に僕は戸惑い攻めあぐねていた。
母は僕の隣に座っているだけで、ずっと言葉を発しない。僕は五年前、久しぶりに母と再会した日の母の言葉を思い出していた。
母の夏海は不倫と托卵がバレて十年前に夫の清二と離婚したが、清二は離婚後も制裁の手を緩めなかった。母を軟禁し好き放題に暴力を振るい、再婚した身でありながら元妻に性交を強要していた。五年前、伯父の守と僕は清二と絶縁し、僕は救出した夏海を引き取って親子として再構築した。救出されたとき夏海は〈狂った母親で本当にごめんなさい〉と長年の裏切りを謝罪した。もしかすると歌歩さんも狂っていたのだろうか?
「君の告白を聞いた限り、君はそのとき頭がおかしくなってたんじゃないの? 君が正気でそんなことをしていたとは信じられない」
「狂っていたかどうかで言えばそのとき私は狂っていたんだと思います。正確に言えば不倫してから私は狂いました。でも狂っていたからって不倫が許されるわけではないし、世の中、狂ってない人の方が圧倒的に多いのだから、課長、あなたには狂った私のことなんて一日も早く忘れて狂ってない素敵な人と交際してその人と幸せになってほしいです」
十年前、僕がまだ中学生だった頃。
母の夏海の不倫が許せず、夏海の当時の夫の清二とその兄の守、そして清二と夏海に育てられた僕ら三兄弟は、夏海と不倫相手の宮田大夢に無慈悲な制裁を実行し、二人の後ろ盾であったそれぞれの両親もろともに地獄に叩き落とした。
復讐は達成されたが、手段を選ばぬ復讐に明け暮れたせいだろう、気づいたときにはもう修正ができないくらい僕らの心も狂気に冒されていた。
実父の清二は離婚後に宮田大夢の長女と再婚したが、他人となった夏海を軟禁し復讐ごっこを継続した。僕の兄の架は妻とした宮田大夢の次女を蔑ろにして、一人暮らししていた東京で不倫三昧。妹の夢叶は自宅で庇護していた宮田大夢の遺族たちを使用人扱いし、自らは金にものを言わせて男を取っ替え引っ替えの日々。
僕はそういう環境に身を置くのが嫌で、縁もゆかりもない遠くの大学に入学した。でも今思えば、一番心を病んでいたのは僕だったのかもしれない――
「狂ってるか狂ってないかで言えば、僕を裏切って不倫相手とのセックスに溺れていた歌歩さんより、そんな君に怒りも憎しみも感じない僕の方が狂っているかもしれない。僕の君への想いは愛なのか、それともただの未練なのか? 誰に聞いてもそんな女とはさっさと別れろって言われるんだろうけど、本当にそうするのが正しいのか? 君と二人きりで話すことで疑問点を全部確かめてみたい。君と二人で話したいという僕の願いはただの自己満足かもしれないけど、君が応じてくれるとうれしい」
「あなたのその小さな願いを叶えることが少しでもあなたを傷つけたことの償いになるなら、もちろん私は言われた通りにさせてもらいます」
歌歩さんの両親には先に帰ってもらうことにした。母の夏海にもしばらく家の外に出ていてもらうことにした。
「歌歩、どれだけ罵倒されても耐えるんだ! 殴られても蹴られても、どんな無茶な命令をされても絶対に逆らうなよ! とにかくその方をこれ以上怒らせるな! おまえの態度次第では、わが社が倒産して社員とその家族全員が路頭に迷うことになるのを絶対に忘れるな!」
歌歩さんの父親が大声で彼女に念を押していたが、彼女は聞いていないようだったし、父親に返事もしなかった。
二人だけになったから、応接間からリビングに移動した。リビングには三人掛けのベージュ色のソファーが二つ置いてある。ダイニングも考えたが、一月前のクリスマスイブの夜、不倫相手の奥さんたちに不倫の現場に乗り込まれて、歌歩さんが全裸で土下座している姿をライブで見せつけられた場所だったのを思い出してやめた。
コーヒーと紅茶どちらがいいか聞くと、おかまいなくという返事。とりあえず二人とも紅茶にした。
歌歩さん親子が来訪したのは午前九時頃だったが、それからまだ一時間しか経っていなかった。
ソファーに向かい合って座った。窓から見える景色がよければよかったが、あいにく真冬らしい曇天。ただ彼女は景色など眼中にないようで、まっすぐに僕だけを見つめている。
「結局君は宮路課長と田代部長のことを愛していたの? 愛していなかったの?」
何から話そうかと考えて、死んだ二人のことをまず聞いてみた。
「不倫していた当時も、亡くなった今も愛情なんてありません」
「君は愛してない相手ともセックスできるんだね」
「愛してない相手だったので愛のないセックスをしました。私もあの人たちもそれに刺激と快楽しか求めていませんでした」
僕の前では清楚だった彼女が、彼らとの行為中、〈気持ちいい!〉とか〈やめないで!〉とか〈壊れちゃう!〉とか、とにかくいろいろなフレーズをずっと絶叫していたが、確かに愛してるとは一度も叫んでいなかった。
「ほんの三ヶ月前まで処女であんなに痛がってたくせにすっかり淫乱になったもんだ」
「何を言うんだ? ふだんおしとやかな女が恥じらいを捨てて、われわれだけに性の喜びに狂った姿を見せてくれるなんて最高じゃないか」
宮路と田代のあいだでこんな会話もあった。
「愛のないセックスがどういうものか知りたかったら、さっき渡したUSBメモリの中の動画を再生して下さい。なんなら今私がいる前で確認してもいいですよ」
僕はすでにそれを見ていて、再生中二回吐いて三回目は胃の中が空で吐かずに済んだ。でもそんなことは今教える必要はないだろう。
「君はどうしても僕に嫌われたいみたいだね」
「嫌われたいというか、あなたを裏切っていた私を罰してほしいです。私がまだ会社に残っているのは直接あなたから私を罰する言葉を聞くためでした。あの二人と同じ罰を受けろというなら、もちろんそうするつもりです」
「そんなことは望まない。なんでもするというなら、僕を心から愛してほしい。僕が君に与えたい罰はその一つだけだ」
死ぬ覚悟もしていたくせに、よほど想定外の要求だったらしく、歌歩さんはあっけに取られていた。
「それは交際を継続するということですか。課長はさんざん汚された私の体を抱けますか? 心だってきれいじゃない。ドブネズミはドブから出たってドブネズミ、いくら見た目が似ていてもリスやハムスターにはなれません。反省したところで不倫した私が清楚な頃の私に戻れるわけじゃないんです」
「大丈夫。ドブネズミなのは僕も同じ。いや、今まで何人もの人たちを死に追いやってきただけ、きっと僕の方が罪深い。さっき言ったよね。僕は狂ってる。たぶん君よりもずっと」
「あんなに裏切ったのに、歩夢さんをまだ愛していてもいいんですか?」
彼女が僕を歩夢さんと呼んでくれたのはたぶん不倫発覚の夜以来だ。
――まだ愛していてもいいんですか?
それを聞いて、彼女は不倫中も心は僕を愛していたんだと確信した。
「今までと同じくらいじゃダメだ。これ以上は無理というくらい強く僕を愛するんだ」
「分かりました」
歌歩さんは立ち上がり僕の隣に座り直した。そして両方のほおに手を添えて、僕にキスをした。罰を与える僕に媚びているわけではなく、愛してるからそうせざるをえないという自然な動作だった。
長い長いキスだった。僕の心のあちこちにこびりついていた狂気が徐々に剥がれ落ちていくような、そんな清々しい気持ちになれた。
「今度は僕の方から罰を与えてもいいかな?」
「どうぞ」
彼女は顔を赤らめながらそっと目を閉じた。
彼女にキスをしながら、左手で腰を支え、右手を胸元へ、そしてスカートの中へと滑らせる。彼女は無抵抗。ときどき〈ああ……〉と小さく吐息を漏らす。
動画の中の彼女はもっと貪欲に性の快楽を貪っていた。不倫中は狂っていたと言っていたのはこういうことなのだろう。今僕に見せている控えめな反応こそが本来の彼女の姿だった。
唇を離して彼女をソファーに寝かせ、一枚一枚服を脱がせていく。ブラを外すのに手間取るのを見て、僕が未経験だったことがバレたかもしれない。結局うまく外せなくて、さりげなく彼女が自分で外してくれた。
クリスマスイブの夜、画面越しに何度か見えた美しい胸の膨らみを慈しむように撫でながら、こんな幸せな時間が僕に訪れた奇跡を胸のうちでかみしめていた。
「避妊しなくてもいい?」
「不倫していた頃はピルを飲んでいましたが、もう飲んでいません」
「それでいい。僕は君を妊娠させたいんだ」
僕の発言の意図が分からず、彼女は十秒ほど沈黙した。
「どんな無茶な命令をされても逆らうなと父に言われています」
「そうじゃない。君を傷つけたいわけじゃないんだ。父は僕らの復縁に猛反対すると思うけど、子どもができたらもう反対できないからね」
「そんな簡単な話ではないと思いますが、歩夢さんに任せます」
USBメモリの動画を見て以来、突然襲ってくるフラッシュバックにずっと悩まされていたけど、彼女と一つになっているあいだ、あの既婚上司たちがさまざまな方法で君の体をおもちゃにしている場面が脳裏に蘇ることはなかった。彼らがどれだけ自らのどす黒い性欲で君の体を汚していたとしても、彼らはもうこの世に存在しない。
彼女は相変わらず動画とは別人のよう。目を閉じたまま切ない吐息を漏らし続ける。僕の性器は宮路のものよりはるかに小さい。でもそんなことを気にしていた僕が野暮だったようだ。
「ああ、イクっ」
君の体が小さく跳ねたのと同時に、僕の精液は君の奥深くに放出された。
「今までの人生で一番尊いというか輝いた瞬間を今生きてるんだなって感じた」
今まで童貞だったことがバレバレな発言をまたしてしまった。僕らはリビングのソファーで結ばれたあと、僕の部屋に移動して、ベッドの上でお互いをまた求め合った。今回も避妊はしなかった。
二度目だから僕も少し余裕ができて、あの男たちの痕跡が歌歩さんの体にまだ残されていないか確認することもできた。おそらく剃毛されてそれほど日が経っていなかったのだろう。痕跡は彼女の下腹部が無毛に近かったことくらい。そんな痕跡なら時間が経てば解決する。
二度目の性交を終え、僕らはベッドの上で生まれたままの姿でその余韻に浸っている。
「私にとってもそうです。今が今までの人生で一番輝いてるって心から思えます。ただ、それも今がピークでしょうけどね」
僕らの復縁を父に阻止されることをまだ恐れているのだろう。確かに父は恐ろしい人だ。敵対する者を粛清するのを虫ケラに殺虫剤を撒くくらいのこととしか思っていない。
でも僕だってもう二十五歳。愛する者のために命を懸けて戦うことだってできる。
僕の腕に顔を預けて甘えてくる歌歩さんのポニーテールの髪を撫で上げながら、僕は巨大な悪と戦うスーパーヒーローにでもなったかのような万能感に包まれていた。
「一つお願いを言ってもいいですか」
「言ってみて」
「歩夢さんのことをもっと知りたいです」
「たとえば僕のどんなことを知りたいの?」
「自分のことを狂ってるって何度も言ってましたよね。もし歩夢さんが何かのことで苦しんでいるなら、その苦しみを取り除くお手伝いができれば、と」
「歌歩さんは優しいね」
やっぱり君と復縁して正解だった。いや、正確に言えば君と再構築する以外の選択肢では僕はきっと狂ったままだった。
「僕は人を信じるのが怖かった。もう二度と誰かに裏切られたくなかったから。だから君と交際を始めるとき、ほかの誰かを好きになったらすぐに教えてほしいとお願いした」
「ごめんなさい。やっぱり私は歩夢さんにふさわしい女じゃありません」
「最後まで聞いて」
取り乱す君を腕枕したままもう片方の腕で優しく抱きしめた。不安のためか恐怖のためか、君の体はかすかに震えていた。
「〈狂っていたからって不倫が許されるわけではない〉とさっき君は言っていたけど、過去に君と同じようなことを言ってた人がいたよ。その人はこう言っていた。〈私は狂っていました。狂っていたから許してほしいなんて言いません。こんな狂った母親で本当にごめんなさい……〉」
「狂った母親ってまさか……!」
「うん。信じられないだろうけど、さっきまで一緒にいた僕の母も不倫していた。母のことが大好きだったから裏切られたショックも大きかった。十年前、家族みんなで母と不倫相手に怒りに任せて復讐した。復讐をやりすぎて、不倫相手の男も含めて五人も死に追いやった。それだけでなく、復讐を果たした僕らの方もみんなおかしくなった。僕の実父は再婚したのに復讐ごっこがやめられず、元妻つまり母を軟禁して虐待していた。実父だけでなく、僕の兄と妹も人を人と思わないような傍若無人な振る舞いが目立つようになった。僕は三人と絶縁して伯父――社長のことね――の養子になった。僕はあの三人のような振る舞いはしなかったけど、それはただ臆病だっただけさ。狂っていたことに変わりない。僕は十年間誰も好きにならなかった。実はキスしたのもセックスしたのも君としたのが最初だった」
「そうだったんですか。それにしても、あのお母様が不倫していたなんて信じられません。もし事実なら、不倫していた私は絶対に歩夢さんのそばにいてはいけない人間です。歩夢さんの恋人は少なくともあなたを裏切らない人であるべきです」
「いや、僕の狂気を消し去るためには、君が不倫していてかえってよかったかもしれない。十年前、僕らは母の不倫に正しく対処できなくてみんな不幸になった。今度は君と僕、二人とも幸せになれる方法を探りながらもっと粘り強く行動したい。それができれば僕の狂気も自然に消え失せると思うんだ」
いつのまにか君の体の震えは止まっていた。何も恐れることはない。君のためにも僕のためにも、この愛を貫くしかない。それが答えだ!
「僕のことを知るには僕の家族の話もしなければいけない。教えてあげるよ。十年前に何があったか。僕のすべてを知るには、その話だけで十分だ」
そろそろ腕枕している右腕がしびれてきたが、君があんまり幸せそうだから、僕はそのまま長い物語を語り始めたのだった。