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偉央に福助の往診に来てもらったのは、結局見合い後のことだった。
美鳥が昼寝から起きてきた茂雄に、娘にことの顛末を全て話したことを明かしたら、茂雄が世話人をしている上司の顔を立てる意味でも先に見合いをしてから動いたほうがいいだろうと判断したからだ。
結葉が、偉央から教えてもらった連絡先に電話してその旨を伝えると、偉央も賛成してくれて。
結果、面識のあるふたりではあったけれど、世話人のセッティングしてくれたホテルで見合いをする運びとなった。
当日、結葉は薄いピンク色の膝より少し長いパフスリーブワンピースを、偉央はネイビーブルーのスーツ姿で来ていて。
結葉は偉央のスーツ姿を釣書と一緒に入っていた見合い写真で一度見てはいたけれど、やはり実際に目の当たりにするとすごくカッコ良いなと見惚れてしまった。
幼い頃から片思いをしてきた幼なじみの想が、こういう格好をしたところを見たことがないのもあって、結葉は若い男性のスーツ姿に耐性がなかった。
(想ちゃん、いつもラフな格好だったからなぁ)
今でも父親の建設会社で働いている想は基本作業服姿で、スーツなんて着ているところは想像がつかなくて。
強いて言えば高校生の頃、想の通う男子校の制服がネイビーのブレザーに燕脂のネクタイ、グレーにタータンチェックのスラックスだったのを見たことがある程度。
(想ちゃんの制服姿、すっごく新鮮で見かけるたびにドキドキしたっけ)
偉央のスーツ姿に見惚れると同時に、彼女が出来たと知ってでさえもなお、未練タラタラで想のことに思いを馳せてしまっていた結葉は、「――結葉さん?」という偉央の甘やかで落ち着いた低音ボイスに呼び掛けられてハッとして。
「ごっ、ごめんなさい、私っ」
気が付けば、世話人や互いの両親の挨拶なども一区切り付いていて、結葉と偉央を残して他の面子は別の場所で時間を潰すという話になっていた。
偉央とふたり最上階の高級レストランに行くように言われた結葉は、てっきり全員で歓談するんだろう、ふたりきりにされるにしても、その後だろうと思っていたので、予想外の展開にテンパってしまう。
「行けそうですか?」
結葉の戸惑いを察してくれたらしい偉央から優しくそう尋ねられて、結葉は一瞬だけ不安いっぱいの目で両親に視線を流した。
だけど母美鳥は「頑張れ」と声に出さずにそんな結葉を応援してくるばかりで。
父茂雄に至っては、世話人をしてくれた上司や、偉央の両親との会話に忙しいらしく、結葉の視線に気付いてくれなかった。
「緊張、なさってますか?」
再度柔らかな声音で問いかけられて、結葉はすぐそばの偉央を情けない顔で見上げる。
オロオロしてばかりの結葉と違って、偉央の言動は始終落ち着いていて穏やかで。
眼鏡の奥の柔和な目の光に、結葉は少しずつ気持ちが落ち着いてくるのを感じた。
目の前の偉央は、先日病院で見かけたスクラブにドクターコート姿の時とはまた違った雰囲気で、本当にカッコ良くて。
あの時はそういう目で見てなかったから気付かなかったけれど、立ち姿も姿勢がよくてすごく品があるように見える。
(こんな素敵な人が私のお見合い相手だなんて)
偉央自身に対して初見の時から抱いていた評価の高さを思い出して、結葉は今更のようにドキドキしてきてしまった。
「……すみません。緊張はしてますけど……大丈夫です」
一度だけ深呼吸をしてざわつきをそっと抑えると、結葉は偉央に小さく頷いて見せる。
少し離れた場で話をしている五人に頭を下げると、結葉は偉央とともに予約されているレストランがある最上階へと向かうため、エレベーターに乗り込んだ。
***
「小林結葉さん。結婚を前提に僕とお付き合いして頂けませんか?」
見合い後も特にお断りする理由もなく。
結葉に一目惚れをした、もっと貴女のことを知りたい、と熱烈に求愛してくれる偉央の熱意に押される形で交際を開始した結葉だったけれど、もともと偉央の見目自体は嫌いではなかったこともあり、少しずつ想へのやるせない恋心の隙間を侵食するように偉央からの愛情が沁み込んでくるのを感じるようになった。
見合い直後に「結婚を前提に」と偉央から言われていたこともあり、交際開始から三ヶ月が過ぎる頃には結葉も偉央との未来を漠然と思い描くようになっていて。
結葉は幼なじみへの片思いの話を偉央にした覚えはなかったのだけれど、何か気付かせるものがあったのだろうか。
偉央は結葉の気持ちの整理がつくまでは、と結葉に手を出すことはなくて、しても触れるか触れないか程度の軽いキス止まりだったし、男性経験のない結葉を気遣うようにそれ以上のことも無理には求めてこなかった。
月に四〜五回程度のデートを重ね、遅くとも22時までには結葉を家まで送り届けてくれる偉央との交際も数ヶ月を過ぎると、結葉の方も自分を大切に扱ってくれる偉央に少しずつ惹かれるようになっていて。
それを確かめるように、偉央はここ最近、必ず別れ際に結葉の額か唇にふわりと掠めるようなキスを欠かさず落とすようになっていた。
「……偉央さん、おやすみなさいっ」
未だそんなティーンのような触れ合いにすら照れて頬を染める結葉が、偉央には堪らなく愛しくて好もしいのだ。
「おやすみなさい」
今夜もそう言って結葉を見送ろうと思っていたのだが――。
助手席のドアハンドルに手を掛けた結葉が、彼女の自宅、隣の家から出てきたTシャツにジーンズ姿の男を見るなりピクッと肩を震わせたのが見えて。
偉央からは死角になっていて結葉の表情までは見えなかったけれど「想ちゃん」と小さくつぶやいた声だけはしっかりと耳に届いてしまう。
その瞬間、偉央は思わず結葉の手を引かずにはいられなかった。