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6 ◇嫌われたかもしれない
「え~っと」
と声に出したものの、あまりの質問内容に声音が小さくなった。
「それって……」
質問の意味が分からない。
「それって、分かりません」
かすれ気味の声で答えた。
「ふ~ん、秋野さんって真面目で正直な人だと思ってたけど、
分かりませんってか……ふ~ん」
冷たく言い放たれてますます百子は困惑を深めた。
質問内容もさることながら、何で自分はいきなり上司に冷たく
されているのか。
涙目で石田の顔を捉えてみれば、上司は自分とは顔も合わせず下を向いて
仕事をしている。
『神様、仏様、どうぞ私を……わたくしめをお助けください』
百子は、ババ臭いことは承知の上で百子流の伝家の宝刀を抜いた。
するとどうだっ!
どこへ行っていたのか、黒田が席に戻って来た。
『神様、仏様、ありがとうございますぅ~』
と百子はさっそくの御利益に礼を言った。
「ねぇ、私が席を離れる時はまだ営業の人が一人いたんだけど、いつの間にか……むひひっ、
すごいじゃない、秋野さん、石田さんと二人っきりだったんだね」
何も知らない黒田が何がうれしいのかルンルンで能天気な言葉を掛けてくるものだから、
ますます百子は悲しくなるのだった。
そして百子は涙目を隠しつつ、曖昧な作り笑顔を貼り付けて彼女に
無言の返事を返した。
この日の出来事は百子にとって大問題だった。
同期の女子たちからハブられるのとは訳が違う。
毎日机を並べ仕事をする上司から嫌われたようなのだから。
同年代の女子たちから人気のある上司に、憧れてた上司に……
嫌われるなんて、耐えられない。
まだ入社してからやっと1年というところだが、百子は『会社を辞めたい』
というような思いに囚われるようになっていった。
電車が同じになって楽しく会話した日が随分遠い日のことのように
感じられる。
あのあと、石田とは随分と距離が近くなったような気さえしていたと
いうのに、どうしてこんなことに。
考えるのはこんなことばかりで。
いわれのないあのような理不尽なことを問われるとは。
理由が分からない以上自分ではどうしようもない。
幾度となくこのまま会社を続けようと思い直すも、結果は同じだった。
7 ◇辞めたい
それは『自分には無理』というものだった。
月末に石田の更に上の上司に退職願いを出そうと決めると
少し心が軽くなり、石田の放った言葉をもう一度思い返してみた。
確か『旅館で、男を部屋に入れたりするんだ?』とか言ってたよね。
旅館って出張の時の?
百子はハッとした。
日比野くんのこと?
石田さんに見られてた?
どうして質問された時に思い出せなかったのだろう。
気が付いていれば自分は日比野くんが遊びに来たことを正直に
答えただろうに。
自分の反応の鈍さに泣けてくる。
もう今更だ。
だって私は嘘つき女って石田さんの中ではそう認定されているから。
ガクリと項垂れる百子だった。
そして、いつもぽわわんっとほのぼのオーラを纏っている秋野百子の様子が
おかしくここのところふさぎ込んでおり、負のオーラ全開なことは
黒田女子はじめ、同じ課の課員たちも気にするほどだった。
……なので、張本人の石田も気付いていた。
自分ではいうほど冷たく問いかけたつもりはなかったのだが、あれからの
秋野の落ち込みっぷりを見るにつけ、言い過ぎただろうかとの反省も
芽生えた。
あきらかに秋野に避けられている。
……ということで石田のほうも、秋野に対して何か対策を講じなければと
考えていた。
しかし、よもや彼女が会社を辞めようとまで決心しているとは
夢にも考えておらず、翌、月初めに出社して彼女から上司の鈴木に
退職願いが出されていることを知り非常に驚いた。
理由は『体調不良』とされていた。
あんなに毎日忙しく煩雑な仕事にも前向きに向き合い、物静かではあるが
黒田とは気が合うようで楽しく朗らかに勤務していたのに。
年の離れた女子ふたりがなごみ系で営業での疲れだって男どもはいつも
癒されて、この一年いい感じに課は纏まっていたのだ。
女性同士が上手くいかず、いがみ合ったりとかがあるとどうしてもその課は
荒ぶ。
黒田は年齢的に……そして秋野は若いが浮ついたところがなく、男子社員
との恋愛のいざこざもなく、うちの課は平穏無事に纏まっていたのだ。
それを壊したのは自分なのか。
改めて自責の念に駆られ、頭を掻きむしり苦悩する石田なのだった。
8 ◇石田伸之 ─過去の恋愛─
石田は秋野百子が入社した年に主任という肩書が付いた。
実は社内で秘密裡に石田は先輩にあたる4才年上の山内美貴と
付き合っていたことがある。
所謂社内恋愛というヤツだ。
付き合い始めたのは伸之が24才で相手が28才の時だった。
美貴が30才の大台に乗った頃、それまで一言も結婚の二文字など
出ることはなかったのだが、流石に焦りを感じ始めたのかある日
『結婚のことを考えてほしい』と彼女から言われ、結婚はもう少し先でと
考えていた伸之だったが、美貴の気持ちを尊重し結婚に向けて
動くことになった。
即日父親に紹介したい女性がいると伝えた。
年上だからという理由で反対されるかもしれないことは伸之も承知していた
が、本人に会ってもらえれば解消できると考えていた。
伸之と並んでも、ほどよくプロポーションに恵まれ美しい美貴は
違和感なく若々しい。
仕事もできる人で話題も豊富、それだから会話をさせても遜色なく、
父親に気に入ってもらえるのではと思っていた。
当初は黙って自分の話を聞き『考えておこう』と言ってくれた父親が、
数週間後伸之に『待った』をかけてきた。
自分には言わず、いつの間にか調査していたようだ。
「伸之、山内さんに離婚歴があるのは知っているのか?」
と爆弾が落とされ、何も聞かされていない伸之はただただ驚くばかりだった。
「離婚の原因は子供のことのようだ」
「それって……」
「調査では彼女が不妊かどうかまでは分からなかったようだが離婚した相手に
接触した感じでは、不妊もしくは子供を欲してなかったかどちらかの理由で、
子供を持ちたくないという彼女と子供を持ちたいという元夫の意見の相違が
原因で別れたらしい」
結婚だって彼女から言われるまで考えていなかった伸之なので、勿論子供のことなど
話し合ったことすらなく、父親の話を聞いてもただただ他人事だった。
コメント
1件
設楽理沙さん、第3話読みました。 百子さんの「神様仏様」に思わず苦笑いしながらも、石田さんに冷たくされて困惑する姿が胸に迫りました。後半で石田さんの過去が明かされる構成、とても巧みですね。彼が過去の恋愛で傷ついたからこそ、百子さんへの態度に迷いが生じているのが伝わってきます。お互いにすれ違うもどかしさが、心理描写にじっとり滲んでいて惹き込まれました。続きが気になります。
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