コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
真夜中の攻防戦
「しかし、堂本一家が仕組んだと言う証あかしがねぇ」
伊兵衛がこちらから堂島一家に乗り込もう、と言った時の一刀斎の返答だ。
「小猿がいる事は間違ぇねぇが、その証拠がなきゃシラを切り通されればそれまでだ」
「だったらどうすんのさ、こっちは吉兵衛さんが殺されかけたんだよ!」お紺が怒りを露わにした。
「でも一刀斎の言う事にも一理ある、知らぬ存ぜぬを通されれば手も足も出ない」志麻が言った。
「吉兵衛が賭場を探らせているが、まだ捗々(はかばか)しい報告が無い」伊兵衛が声を落とす。
「堂本一家の規模はどれくれぇだ?」一刀斎が訊いた。
「須賀の本家に常時二十人は詰めている、それに食い詰め者の浪人を四、五人雇ってるって話だ」
襖が開いて吉兵衛が入って来た。
「吉兵衛、お前・・・もう大丈夫なのか?」伊兵衛が吉兵衛を見上げた。
「お前ぇさん、まだ無理しちゃなんねぇ、トリカブトの毒はそんなに簡単には躰から出ていくもんじゃねぇ」
「大丈夫ですよお侍ぇさん、あっしも元は極道、これくらい屁でもありやせんや」
吉兵衛は青い顔で襖を閉めると膝を折って畳に座り手を突いた。
「大旦那さん、とんだ失態をお見せしやした、どうか笑ってやっておくんなせぇ」
吉兵衛は伊兵衛に向かって深々と頭を下げた。
「何を言う吉兵衛、私らはお前のお蔭で命拾いをしたんだよ」
「そうですよ吉兵衛さん、あなたがいなけりゃ今頃・・・」お紺が言いかけた。
「姐さん、店の者の教育は大番頭であるあっしの仕事、たとえ女中でも使用人の失態はあっしの失態、どんなに詫びても許される事じゃありやせん」
「そんな・・・」
「だからと言っちゃなんですが、この失態はあっしがキッパリとケリをつけさせて頂きやす」
「なに?」伊兵衛が怪訝な顔をした。
「ただいま堂本の本家を見張らせていた者から連絡がありました、小猿らしき男が夜半に本家を出て、先ほど二川宿の賭場に入ったと言う事です」
「なんだと!」
「奴はまた何か企んでいるに違いありやせん、今度こそ捕まえて須賀の鉄吉の前に引っ張って行きやしょう」
「そうか、小猿を捕まえりゃ立派な証拠になるな・・・」
「そうよ一刀斎、それ以上の証拠はないわ!」志麻が膝を打った。
「そうなりゃ、あっしが直々に堂本一家にカチコミをかけやす」
「吉兵衛お前・・・どうするつもりだ?」
「これでもあっしを慕ってくれている昔の仲間がおりやす、そいつらはあっしのためなら命だって捨てまさぁ」
「待て、お前はもう極道じゃないんだ、立派な山形屋の大番頭じゃないか!」
「申し訳ありやせん大旦那、ここで尻尾を巻いちゃあっしの漢がたたねぇんです」
「待ちな、吉兵衛さんよ・・・」一刀斎が言った。
「なんでぇお侍ぇ。あんたには命を助けて貰った恩義はあるが、ここはあんたの出る幕じゃねぇ」吉兵衛が一刀斎を見据えた。
「いんや、そう言うわけにはいかねぇ。小猿は志麻とお紺を狙う刺客だ、俺ぁ大事なこの二人を守らなくちゃなんねぇんだ、お前ぇさんだけにこんな大事な仕事を任せるわけにはいかねぇんだよ」
「いよっ一刀斎、あんた漢だねぇ!あっちは惚れ直したよ!」お紺が声を張り上げた。
「私だって自分を狙う刺客を放っておくなんて出来ない、自分の身に降りかかった火の粉は、自分の手で払うわ!」志麻が吉兵衛に言った。
「聞いての通りだ、吉兵衛さん。ここは大人しく俺達にも手伝わせちゃくれめぇか?」
一刀斎が吉兵衛を立てるような物言いをする。
吉兵衛は腕を組んで目を瞑り暫く考えていたが、ややあって目を開けた。
「客人、あんたらの話は分かった、話の筋は通ってる。筋さえ通りゃ俺に否やはねぇ」
「山形屋さん、あんたも依存はねぇな?」一刀斎が訊いた。
「はい、でもどうやって小猿を捕まえます?」
「なぁに、毒は飛び道具と違って仕込みが必要だ。必ず近くに姿を見せるさ」
「なるほど・・・」
「では交代で見張に立つとしよう」一刀斎が立ち上がる。「まずは俺からだ」
「いや、あっしが・・・」吉兵衛が言った。
「ダメ、あなたの躰はまだ万全じゃない。一刀斎の次は私が行く」志麻が吉兵衛を遮った。
「こんなもの屁でもねぇと言ったろ!」
「吉兵衛さん、志麻の剣術は本物だぜ、安心して任せていい」
「だったら志麻ちゃんの次はわっちが行くよ!」お紺が勇んで手を挙げた。
「お紺、お前ぇは大人しくしてろ!」
一刀斎の有無を言わせぬ言いように、お紺がキッと睨み返した。
「まぁまぁ吉兵衛もお紺さんも、ここは一刀斎の旦那と志麻さんに任せようじゃないか?今の私らじゃ返って足手纏いだ」伊兵衛が二人を諭すように言った。
「大旦那様がそう仰るのなら・・・」
吉兵衛が渋々首肯した。
「そうだよねぇ・・・」お紺もシュンと項垂れる。
「決まったな。志麻、一刻経ったら起こしに行く、それまでしっかり寝ておけ」
「分かった」
一刀斎が出て行くと、四人はそれぞれの部屋へと散開した。
*******
「志麻起きろ、交代だ」
一刀斎が襖の外から声をかけた。
志麻はそっと身を起こし、お紺を起こさぬよう布団を抜け出し廊下に出た。
「眠れたか?」
「ううん、目が冴えちゃって・・・」
「ふふ、当然だな」一刀斎が笑った。
「異常は?」
「ああ、今のところ異常はねぇ。建物の戸締まりは万全だし外にも人の気配はねぇ」
「今、何時なんどきかしら?」
「そろそろ丑うしの刻かな」
「夜明けはまだ先ね」鬼神丸を腰に差しながら志麻が言った。
「気をつけろ、今夜は新月だ、外で鼻を摘まれたってわかりゃしねぇ」
「分かった、気をつける」
「じゃあな、後は頼んだぜ」
一刀斎はポンと志麻の肩を叩くと踵を返し自室へ戻って行った。
志麻はまず建物の中を見て回る事にした。燭台を片手に土間に降り、積荷の背後まで丁寧に調べた。
「ここは大丈夫そうね・・・」
上がり框から板張りの床に上がると、住み込みの使用人の部屋へ続く廊下へと出た。聞こえるのは使用人の鼾いびきだけだ。
何も異常がないことを確かめ母家へ移った。伊兵衛と家族が寝ている部屋の周りにも異常は見つからない。
「ここも大丈夫・・・と」
次は建物の東側にある台所だ。
足を踏み入れると、火の落ちた台所は微かに灰の匂いがした。五つある竈門の中まで覗き、土間の隅に積んである藁束も改めた。
「別に変わった所は無い・・・」
後は外回りだ。
勝手口の潜戸を開けて裏庭に出る。一刀斎の言っていたように月明かりは無い。
裏庭の中央に井戸があり、塀に沿って数本の松の木が植わっている。
志麻は井戸の方に足を向けて歩き出した。
*******
「危ねぇ危ねぇ・・・」さっきチラッとあの侍ぇの姿を見かけたが、こっちには気づかなかったようだな・・・。
小猿は塀を乗り越え、松の木の後ろに隠れて暫く様子を窺った。
小半刻ほど待って、懐から石見銀山(ヒ素毒)を取り出した。
「多少臭うが水に溶かしちまえば誰も気付くめぇ」
闇夜で良くは見えないが井戸は確か庭の真ん中あたりにあった筈だ。
木の影から出ようとした時、勝手口の戸が開き中から人が出て来た。
「チッ!人がいたのか・・・」
再び木の後ろに隠れる。
燭台の灯に見覚えのある顔が浮かび上がった。
「あっ、黒霧志麻!」
頭かしらから殺せと指令を受けた娘、峠の茶屋ではすんでのところで殺し損ねた娘。
小猿は冷静さを失った。
「先にあいつを片付ける・・・」
小猿は石見銀山を懐中に仕舞い、代わりに吹き矢を取り出した。
*******
「真夜中の井戸ってあんまり気持ちの良いものじゃないわね」志麻はブルっと背筋を震わせた。「番長皿屋敷のお菊さんでも出てきそう・・・」
・・・志麻・・気をつけて・・・狙われてる
突然鬼神丸の声がした。
・・松の木の後ろ・・・男が一人・・
「え?」
見ないで・・・気づかれる・・・
「どうしたらいい?」
・・・そのまま歩いて・・
「うん・・・」
志麻は鬼神丸に言われるまま、井戸に向かって歩を進める。
・・燭台の火を消して・・・
鬼神丸の鯉口を切り、フッ!と息を吹きかけた!
その瞬間鬼神丸が鞘を飛び出した。小さな手応えがあって何かを弾き飛ばす。
「チッ、しくじったか!」男の声がした。
「だれ!」
松の木の陰から黒い塊が飛び出した。体当たりをするように志麻に迫る。
志麻は鬼神丸の棟を返すと真っ向から振り下ろした。
ガツンと鈍い音がして重いものが地面に転がった音がした。
むぅぅぅん・・・
「安心して、棟打みねうちよ」
志麻が言ったが、男に聞こえたかどうかは定かではない。
「志麻、大丈夫か!」
勝手口から蝋燭を手にした一刀斎が飛び出して来た。
「一刀斎、どうして・・・」
「心配で見に来たんだ」
「なんだ、信用ないのね?」
「いや、そう言うわけじゃねぇんだが・・・」
「いいわ、心配してくれてありがと」
「あ、ああ・・・」
一刀斎が蝋燭の灯りを倒れている男に近づける。男の側には短刀が転がっていた。
「間違ぇねぇ、小猿だ」
「懐中に何か入れてるわ?」
一刀斎が小猿の懐中を探ると、油紙に包まれた粉が出てきた。
「むっ!石見銀山だ」
「どうしてわかるの?」
「多少、ニンニクのような匂いがする」一刀斎が粉を鼻に近づけて匂いを嗅いだ。「これを井戸に投げ込むつもりだったのか・・・」
「この男どうしよう?」
「よし、コイツを縛る縄を取って来る」
一刀斎が建物に戻りかけて足を止めた。
「志麻、こんな所に竹筒が落ちてるぜ・・・」
「竹筒?」
「吹き矢の筒だ、お前ぇ吹き矢で狙われてたんだ」
「下手をすれば一刀斎の二の舞だったのね・・・」
「鬼神丸が助けてくれたのか?」
「うん」
「全く便利な刀だぜ・・・だが感謝しなくちゃなんねぇな」
「うん・・・」
一刀斎は勝手口に向かって再び歩き出した。