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大灯籠下の決着
大灯籠下の決着
「小猿がしくじっただと・・・?」小鉄の報告を聞いて鉄吉が目を細めた。「やはりな・・・奴には何処か甘いところがあった」
鉄吉は火皿の灰を落とすと、猫板に肘を突いた。
「子分供を集めろ」
「用心棒の先生方もですか?」
「当たり前ぇだ、無駄にただ飯食わせてるんじゃねぇぞ!」
「ヘ、へい・・・」
「カチコミだ、山形屋を叩き潰す!」
*******
「残念だったな、せっかく逃げたのにまた逆戻りだ」
小猿の前にしゃがみ込んで、一刀斎が顔を覗き込んだ。
「うるせぇ、殺すならさっさと殺しやがれ!」
台所の柱にぐるぐる巻きにされたまま、小猿は一刀斎を睨み返した。
「そうはいかねぇ、お前ぇを堂本一家に叩き返してキッチリ落とし前をつけさせてやる」
「ふん、そんなことをしたら親分が黙っちゃいねぇ」
「堂本一家が助けてくれるとでも思ってるのかい?」
「親分は俺の毒薬作りの腕を買ってくれてるんだ、きっと助けにきてくれる」
「お前ぇは利用されているだけだと言うのが分かんねぇのか?」
「そんな事はねぇ、今頃俺を取り戻す算段をしている頃さ」
「なぜそう言える?」
「俺が須賀宿を出た時からついて来てる奴がいた、きっと堂本一家の三下だ。そいつが親分にご中心に及んださ」
「馬鹿か、そりゃお前ぇが信用されてなかったってこったろうが!よくもそう自分に都合よく考ぇられるもんだ!」
「そんなこたねぇ、親分には俺が必要なんだ」
「あ〜あ、馬鹿につける薬はねぇな・・・おっと、お前ぇ薬師だったな、だったら自分で薬を作っちゃどうだ?」
「・・・」
自分の言ったことに自信が持てなかったのだろう、小猿はプイと顔を背けた。
「猿のような顔をしたお前ぇのお頭が悲しむぜ」
「お頭を斬ったのはお前ぇだろうが!」
小猿が身をくねらせて一刀斎に噛み付いた。
「だがよ、あいつは立派だったぜ、最後までお前ぇを信じていた」
「お、お頭が?」
「ああ、俺の手下にかかっちゃ、いかな手練れでも助からねぇだろう、ってな。俺に向かって大口叩いていたぜ」
「う、うう・・・お頭」
「大和屋なんかに雇われなきゃ、死なずに済んだものを・・・」
「仕方なかったんだよ、大和屋の背後にはある大名がついているんだ。俺たちはその大名の御庭番さ、殿様の命とありゃ断るわけにはいかねぇんだよ」小猿が悔しそうに唇を噛んだ。
「そうだったのか・・・しかし、それはそっちの事情だ、俺らには関係ねぇ」
「ふっ・・・そうだな」
「まぁ、とにかく堂本一家の助けは期待するな」
一刀斎はそう言って小猿の側を離れた。
「志麻、山形屋を起こしてくれ。堂本一家が小猿を助けに来るとは思えねぇが、小猿を消して証拠隠滅を図ることは考えられる。こっちもそれなりの用意をしておかなくっちゃな」
少し離れて二人を見守っていた志麻は、一刀斎を見て頷いた。
「分かったわ、奥の座敷に集まるように言っておく」
「頼んだぜ」
志麻が出ていくと一刀斎が小猿を見下ろして言った。
「安心しな、お前ぇを殺させやしねぇから」
*******
「さて、小猿の話じゃ、奴の失敗はもう堂本一家に伝わっているらしい」
一刀斎が座敷に集まった面々を見回して言った。
座敷には伊兵衛、吉兵衛、お紺、もちろん志麻も一緒にいる。
「奴らどう動くでしょうか?」伊兵衛が腕組みをして言った。
「もうじき夜明けだ、陽のあるうちは表立った動きはするめぇ」
「一刀斎の旦那、あっしもそう思う。どちらにしても奴らがここを襲うつもりなら、一旦自分らの息のかかった賭場に身を落ち着けるはずだ」
「吉兵衛、確か賭場は見張らせていると言ってたな?」伊兵衛が言った。
「抜かりはありやせん。奴らが賭場に入ればすぐに連絡が入る筈です」
「賭場はどこだ?」一刀斎が訊いた。
「ニ百石取りの武士の屋敷だ」
「侍ぇの屋敷が賭場になってるのかい?」
「近頃は上士でも札差への借金で首が回わらねぇ、ヤクザに奥の座敷を貸して貸賃を取っているんでさ」
「だったらこっちから先手を取るってのはどうだい?」一刀斎が言った。
「え?」
「先手を取られっぱなしじゃ癪じゃねぇか」
「そりゃ良いが、武家地で騒ぎを起こしちゃちと面倒なことになる」吉兵衛が言った。
「だから待ち伏せするんだよ」
「待ち伏せ?」
「奴らが武家地を出たところを待ち伏せる」
「武家地を出たところと言や大灯籠のある所か?」吉兵衛が言った。
「その近くに私の懇意にしてる料理茶屋がある、そこを集合場所にしよう・・・お紺さんはここに残って・・・」伊兵衛が言いかけるのをお紺が遮った。
「やなこった!あっちも一緒に戦うよ、な、いいだろ一刀斎!」
「命の保障はねぇぜ」
「望むところさ、ここで逃げてちゃ辰巳芸者の名が廃る!」
お紺が啖呵を切った。
「威勢のいい姐さんだ、俺があと十年若けりゃ惚れてたところだが・・・」吉兵衛が目元を緩めてお紺を見た。
「嬉しいねぇ、吉兵衛さんのようなお人が旦那ならあっちも考えても良いけどね」
「あはははは、今となっちゃあっしの身がもたねぇ、ごめん被りやす」
「ちぇっ、逃げられたか」
「お紺、あんまりはしゃいで邪魔をするんじゃねぇぜ」一刀斎が笑って言った。
「分かってるよ。いざという時には志麻ちゃんがいるさ」お紺が志麻に流し目をくれる。
「お紺さん、あてにしないでね」志麻が呆れて言った。
「冷たい娘だねぇ・・・」
お紺がため息をつくと、一刀斎が皆を見回した。
「冗談はそれくれぇにして・・・さぁ、戦闘開始だ!」
*******
「山形屋の様子はどうだ?」
開帳前の賭場の奥座敷で、鉄吉が子分の小鉄に訊いた。
「普段と変わりありやせん」
「そうか、まだ俺たちがここに入った事は気づかれてないようだな」
「へい」
鉄吉が小鉄を見据えたまま言葉を継いだ。
「小猿は?」
「姿が見えやせん、殺されたのか、捕まっちまったのか・・・」
「どちらにしても、小猿の身柄は山形屋の中だな?」
「そのようで」
「もしも小猿が生きていたら・・・」鉄吉が言葉を切った。
「どうします?」
「殺せ」
「え?」
「奴は二度しくじった、三度目はねぇ。きっちりケジメつけさせねぇとな」
「皆にもそう伝えやす」
「ところで今日の賭場は賑わいそうかい?」鉄吉は膝を崩して話柄を変えた。
「二川宿の大店の旦那衆が集まることになっておりやす、今夜は大金が動きそうですぜ」
「そうか、それは重畳ちょうじょうだ、呉々も粗相のねぇようにな」
「へい、心得ておりやす。ここは辰三の仕切りに任せておけば間違いありやせん」
「ふふ、今夜は邪魔な山形屋も始末出来るし、良い夜になりそうだ」
「へへ、そう言うこって・・・」
「山形屋へ向かう連中の準備は出来てるか?」
「へい、もうじき整う筈です」
「よし、街道筋が寝静まったら出発だ!」
「分かりやした!」
*******
二川宿の旅籠の並びに料理茶屋の“千鳥屋“がある。
今、お紺を除いた全員が千鳥屋に集結していた。
部屋の隅には小猿が後ろ手に縄を掛けられて、猿轡を噛まされ転がされている。
「吉兵衛さん、あんたの昔馴染みはどこにいるんだい?」一刀斎が訊いた。
「この時間、武家地は人通りが少ねぇんで返って目立っちまう、で、街道筋の飲み屋で連絡があるのを待っている」
「戦力になりそうなのは何人だ?」
「腕に自信のある野郎達が全部で五人」
「そうか、ここにいる人数を合わせて九人という事だな」
「敵はおよそ二十、その中に侍ぇが五人いる」
「一人で二人を相手にする勘定か・・・」
その時、座敷の襖が開いて武家娘の姿をしたお紺が入って来た。お紺は武家娘に化けて賭場になっている屋敷の周りを探っていたのである。
「きゃっ、お紺さん似合ってる、とっても可愛い!」
志麻が大きな声を出した。
「志麻ちゃん、ありがと」
お紺がニッコリ微笑んだ。
「遅くなりました・・・」
お紺の後から手代の長吉が顔を出した、武家の下男といった風態だ。
「おぅ、お紺、ご苦労だったな・・・それで、屋敷の様子はどうだった?」
「それがね、賭場の客らしき男達が次々と屋敷の中に入って行ったわ」
「今日は賭場の開帳日だ、別に怪しいことじゃねぇ」
「まぁ、最後まで聞いてよ、その客っていうのがみんな大店の旦那様って身なりの男達なの」
「駕籠で乗り付けてきて、通用門から吸い込まれて行きました、供も連れずに・・・」長吉が補足した。
「お忍びって事か・・・」
「それから門番が客を吟味していたけど、あれはどう見たってヤクザだわ」
「二人の話を聞いていると、どうやら二川宿の顔役が堂本一家に丸め込まれてしまったようですな」伊兵衛が腕組みをして唸った。
「裏口の様子はどうだった?」一刀斎が訊いた。
「そうそう、勝手口から腰に長ドスを差した男達が大勢出入りしていたわ」
「侍も何人か見掛けました、きっと奴らの用心棒でしょう」長吉が言った。
「なんだか慌ただしい雰囲気だったわよ」
「そろそろだな」
「長吉、すまねぇが居酒屋の仲間にツナギを取ってくれ」吉兵衛が言った。
「はい、なんと伝えましょう?」
「四半刻後、武家地の外にある大灯籠の前に集合だと言ってくれ。それが済んだらその足で番屋へ駆け込むんだ、役人が来る頃には決着はついている」
「はい、分かりました」
長吉は吉兵衛に言われるまま座敷を出て行った。
「お紺、お前ぇはここで大人しく吉報を待ってろ」
「仕方ないね、あっちが行っても足手纏いだからね・・・ここで待ってるよ」
「お、聞き分けがいいじゃねぇか?」
「あっちだって分は弁わきまえているさ」
お紺は志麻を見遣った。
「志麻ちゃん、気を付けてね、怪我なんかするんじゃないよ」
「ありがとうお紺さん、きっと無事に帰ってくるわ」
「皆さんもお気を付けて」お紺が畳に手をついて頭を下げた。
「行ってくる・・・後を頼んだぜ」
一刀斎と志麻、伊兵衛と吉兵衛はそれぞれの得物を手にして座敷を後にした。
*******
「準備はいいか!」
篝火を焚いた中庭で、子分たちを見回して鉄吉が言った。
「オウ!」
「親分、万事抜かりはありやせん!」
「今日は一気に山形屋を叩き潰して見せやす!」
手に持った得物を振り上げて子分たちが応える。ある者は匕首を、またある者は長ドスを持っている。
「ネズミ一匹逃すんじゃねぇぜ、店にいる者は女子供だって容赦はいらねぇ、皆殺しにするんだ!」
「へい!」
「鬼よのう、鉄吉」
左目に黒い眼帯をした侍が、懐から出した手で顎を掻きながら鉄吉に言った。
「人聞きの悪いことは言いっこなしですぜ、佐倉の旦那。それより先生方の準備は宜しいんで?」
「我らに準備などはいらぬ、いつだって人を斬る覚悟は出来ている」
「そりゃ頼もしいこって、聞くところによりゃ山形屋にはとてつも無く強ぇ浪人者がいるそうじゃないですか。そいつは先生方にお任せしますぜ」
「ふん、そんな奴俺一人で十分だ、黙って見物していてもらおうか」
「佐倉、お主一人で楽しむつもりか?」
眼帯の侍の後ろから言ったのは、頬に刀傷のある侍だ。
「久世、お主には黒霧志麻という小娘を斬ってもらう」
「女を斬るのは趣味じゃねぇな」
「侮るんじゃない、小猿の話じゃその小娘は、刺客を何人も返り討ちにしているそうだ」
「たまたま刺客が弱かっただけだろう?」
「だといいがな・・・いずれにしたって浪人者は俺が殺る、お主はその小娘を殺ったら子分たちを手伝ってやれ」
「チッ、いつも良い所を持って行きやがる」
「そう言うな・・・」
久世が後ろに控える三人の侍を振り返った。
「・・・だそうだ、俺たちはさっさと雑魚どもを片付けて高見の見物と洒落込もうぜ」
侍たちが顔を見合わせた。
「楽が出来るんなら文句はねぇぜ、だが女は殺す前に・・・ふふふ」
「ちえっ、助平な奴らだ・・・勝手にしろ」
「そうこなくっちゃ」
三人は下卑た笑いを浮かべた。
「街道筋の灯りも消えた、それに今夜はお誂え向きに月もねぇ・・・」鉄吉が長ドスを腰に差しながら呟いた。
「よし、行くぜ!」
中庭に鉄吉の声がこだました。
*******
「みんな集まってくれたか?」吉兵衛が大灯籠の下に集まった五人の男達に言った。「俺の為に、すまねぇな・・・」
「何言ってんです、若頭の為なら俺たちは何だってやりますぜ」
男たちの中でも、一際躰の大きな男が言った。
「竜二、若頭はやめてくれ、ありゃもう昔の話だ。今はもう山形屋の大番頭・・・」
「そんなこと関係ねぇ、俺たちにとっちゃ吉兄ぃはいつまでも若頭だ!」
竜二と呼ばれた男が吉兵衛に真剣な顔で言った。
「竜二の言う通りだ吉兄ぃ、俺たちゃいつまで経っても兄ぃの弟分だぜ」
「寅・・・」
「他の奴らもおんなじ気持ちだ・・・な、みんな!」
応!と声が上がる。
「吉兵衛、この人たちかい昔馴染みと言うのは?」伊兵衛が訊いた。
「へい、昔いた組の若ぇ者です・・・おい、みんな山形屋の大旦那様に挨拶しな」
竜二が腰を割ると、他の者も後に続いた。
「お初にお目に掛かりやす、訳あって一家の名前ぇは言えやせんが、吉兄ぃとは兄弟ぇ分の盃を交わした仲でござんす」
「知ってるよ、親分さんとは懇意の中だ、吉兵衛を無理を言って山形屋に貰い受けたのはこの私だ。さぞ恨みに思っているだろうに、よく加勢してくれる気になったね」
「へい、最初は何でカタギになんかと恨みに思いやしたが、二川宿の発展の為、兄ぃが決めた事なら弟分のあっしらがとやかく言うもんじゃありやせん。いつか兄ぃの力になれたらと思っていたところ、今回渡に船のお話、喜んで加勢させて頂きやす」
「本当に恩に着ますよ、心からお礼を言います・・・ところで改めて名前を聞かせていただけますか?」
「あっしは竜二、こいつは寅、そっちの三人は左から牛、猪いの、狛こま、まるで干支のようですが一家の盃を受けた時にもらった名前ぇでござんす、以後宜しくお見知り置きを」
竜二が頭を下げると、他の四人も習って頭を下げた。
「ありがとう、それじゃこちらも紹介しておこうかね・・・」伊兵衛が一刀斎を振り向いた。
「俺は、一刀斎、しがねぇ浪人者だ」
「あんた山形屋さんの用心棒かい?」竜二が訊いた。
「いや、ひょんな事から山形屋さんと共通の敵を持った」
「どう言う事でぃ?」
「この勇ましい格好をした娘は黒霧志麻」一刀斎が志麻を指した。「仇討の逆恨みで命を狙われている。その刺客が堂本一家に草鞋を脱いだ」
「それで同じ敵を持った者同士、協力してるって訳だ」
「そう言う事だ」一刀斎が言った」
「しかし、娘っ子にこんな荒事出来るのかい?」
「女だからってばかにしないで!」志麻が竜二を睨みつけた。
「待て待て志麻、これは一般人の普通の反応だ・・・」一刀斎が竜二に向き直った。「さっき仇討の逆恨みと言ったが、志麻の倒した相手は江戸でも名の通った剣客だ、志麻の剣の腕はその辺の侍ぇの比じゃねぇ」
「そうかい、そんならいいが足手纏いはごめんだぜ」
「ちょ、ちょっと・・・」
「竜二、それくらいにしねぇか。俺も志麻さんの腕は見た事がねぇが、こいつを捕まえたのは志麻さんだ」
吉兵衛が縄で縛られて所在無げに突っ立っている小猿を指した。
「誰です、そいつぁ?」
「志麻さんを狙った刺客だ」
「それじゃもう目的は果たしているじゃありやせんか、どうして早く始末しないんです?」
「こいつは吉井の権蔵を毒殺して俺たちにも毒を仕掛けた奴だ、それを命じたのが須賀の鉄吉、堂本一家の罪を洗いざらい白状させる為に必要なんだ」
「ふん、そんなことをしても無駄だ、結局お前達は堂本一家に消されるのがオチだよ」小猿が口角を歪めた。
「なんだテメェ!」寅が小猿の襟首を掴んで匕首を喉に突き付けた。「殺すぞ・・・」
「やめろ、寅!」吉兵衛が止めた。「大事な証人だ殺すんじゃねぇ!」
「へ、へい・・・」
寅が渋々小猿を離した。
「とにかく、もうじき奴らはこの道に現れる筈だ。こいつを餌にして出方を見る」
「分かりやした・・・」
その時、武家地の方から足音が聞こえて来た。
「おいでなすったな」一刀斎が言った。
「私が話します、それまで皆さんは手を出さないように」伊兵衛が皆を見遣った。
猿を除くその場の全員が黙って頷いた。
*******
「おい、あそこの大灯籠を過ぎれば街道筋だな?」
鉄吉が小鉄に訊いた。
「へい、後は山形屋まで一本道でさぁ」
小鉄が鉄吉の機嫌を取るように言った。
「親分、大灯籠の下に誰かいます!」
少し前を歩いていた子分が振り向いた。
「なに?」
「大勢いる・・・ひぃ、ふぅ、みぃ・・・じゅ、十人います、あっ、あれは小猿!」
「何だと!」
大灯籠の下で、縄で縛られた小猿が前に引き出された。その縄尻を握っている男が口を開いた。
「堂本の親分さん、お初にお目に掛かります、山形屋伊兵衛と申します」
「て、手前ぇが・・・山形屋?」
鉄吉が伊兵衛を見据えた。
「はい、以後お見知り置きを・・・」
「その山形屋が何でここにいる?」
「なぁに、そちらの手間を省いて差し上げようと思ったんですよ」
「何だと?」
「この男に見覚えがありますね?」
伊兵衛が小猿の背中を押して訊いた。
鉄吉が顔を顰めて腕を組む。
「知らねぇなぁ・・・」
「お、親分!」
小猿が駆け寄ろうとして、伊兵衛に縄を強く引かれて転倒した。
「親分、そんな、あっしです小猿ですよぉ・・・」
小猿が情けない声を上げる。
「お前ぇなんぞ見た事もねぇぜ、俺の事を親分だなんて気安く呼ぶんじゃねぇ!」
「親分・・・」
「ほれ、見てみろ、そんな奴を信じるから馬鹿を見るんだ」
一刀斎が倒れた小猿を見下ろし、鉄吉に視線を移して言った。
「手前ぇがコイツを使って俺たちを毒殺しようとした事はバレてるんだ、大人しく白状しな」
「とんだ言いがかりだな、どこにその証拠がある?」
「お前の連れてる有象無象がその証拠だ、おそらく山形屋を襲撃するつもりだったんだろ?」
「手前ぇ言わせておけば・・・」
「親分、手間が省けたじゃないか、あっちからのこのこ殺されにやって来るとは」
片目に眼帯をした男が鉄吉の肩に右手を置いた。
「佐倉の旦那・・・」
「この男の言ったことをとっとと認めちまいな、後で全員始末すれば済むことだ」
佐倉が鉄吉の前に出る。
「お前が一刀斎か?」
一刀斎は佐倉とニ間の間を置いて対峙した。
「お前ぇは誰だ?」
「堂本一家の用心棒・・・ってとこかな」
「名前ぇは?」
「佐倉一馬」
「佐倉一馬だと?」
「ほう、知っているらしいな」
「方々のヤクザを渡り歩いてる腕利きだと訊いた事がある。お前ぇが草鞋を脱いだ宿場町では争い事がピタリと収まるそうだな?」
「ああ、俺が草鞋を脱いだ組に対抗している奴らが、やる気を無くしちまうからな」
「ふ〜ん、今回はカタギの山形屋が相手だが・・・」
「鉄吉親分には世話になっててな、特別よ・・・それに」
「ん?」
「一刀斎、お前がいると聞いたからな」
「なに?」
「一刀斎・・・いや、斎藤一、京都では仲間が世話になった」
「え、斎藤一ってあの新撰組の!」志麻が思わず叫んだ。
佐倉が志麻の方に顔を向ける。
「お嬢ちゃん、知らなかったのか?まぁ、名前を変えてたんじゃしょうがねぇな、だがよ、一刀斎をひっくり返してみな」佐倉が言った。
「一刀斎・・・斎刀一・・・え〜斎藤一!」
「まったく、巫山戯ふざけた名前を考えたものだ」
「志麻、嘘だ!何で新撰組の斎藤一がこんな所にいるんだ、奴は今頃京でブイブイ言わせているさ・・・おい、佐倉とか言ったか?お前ぇ、変な言いがかりをつけんじゃねぇ!」
一刀斎がいつに無く慌てている。
「ふん、お前は江戸で攘夷派の動向を探るように言われてんだろ?俺は長州の桂小五郎からお前を始末するように言われてるんだ」
「一刀斎、本当なの!」
「そんな事あるわけねぇじゃねぇか、騙されるな!」
「だって・・・」
「お前ぇ、俺を斎藤一に仕立て上げて、その桂って野郎に嘘の報告をするつもりだろう」
「なぜそんな必要がある、俺はお前さえ斬れば攘夷派の中で良い顔が出来るんだよ、悪いがここで死んで貰う」
「チッ、何を言っても効く耳持たねぇ・・・か」
「さ、佐倉の旦那、今はそんな事に構っている場合じゃねぇ、一気に山形屋を片付けやしょう!」
須賀の鉄吉が勢い込んで言った。
「まぁ待て鉄吉親分、コイツを生かしておいちゃこちらが不利だ。コイツは俺が始末する、それまで手を出すんじゃないぞ」
「け、けど・・・」
「その後は、残りの奴らを煮るなり焼くなり好きにすれば良い」
「へ、へい・・・」
鉄吉は渋々二、三歩後退った。
「一刀斎の旦那、コイツとやるんですかい?」伊兵衛が訊いた。
「ああ、そんな雰囲気になって来たな。この勝負どっちかが倒れた瞬間、嫌でも双方がぶつかる事になる。気を張ってよく見てな」
「一刀斎・・・」志麻が心配そうに言った。
「志麻、お前ぇは俺が勝負をつけたら真っ先に後ろの侍ぇに突っ込め、奴らさえ片付ければ勝機はある」
「分かった・・・」
「さあ、いつでもいいぜ」一刀斎が刀の鯉口を切る。
佐倉はゆっくりと刀を抜いて北叟笑んだ。
「居合か?」
「俺に剣術を使わせたきゃ、初太刀を躱かわすんだな」
「ふん、居合には抜かせて勝つが常道よ、刀を抜いた時がお前の死に時だ」
「試してみるか?」
「無論!」
佐倉は右八相に刀を構えてジリジリと間合いを詰めて来た。
佐倉の剣が大灯籠の灯りを受けてキラキラと煌めいている。
一刀斎の剣はまだ鞘に納まったまま、少しだけ佐倉に向けて突き出されていた。
『俺が斬り込んだ瞬間、柄頭が上がったら真っ向斬り、平に寝れば横払い、クルッと回れば下からの掬い斬りか・・・』佐倉の頭の中は高速で回転した。『軽く踏み込んで奴の反応を見るか?』
『いやいや、そんな簡単な誘いには乗らないだろう、いっそ思い切り斬り込んで変化するかそれとも・・・』
一刀斎は立つ位置を変えていない、佐倉は右に回り込むようにしてさらに少し間合いを詰めた。
その時、一刀斎がゆっくりと構えを変えた。
右手が柄を包み込むように掴むとそのまま額の位置まで上昇した。鞘を握った手は鳩尾の辺りで停止し刃が一刀斎の方を向いたまま刀身が半分抜けた状態で静止した。
「なんだ?」
『あの構えからでは上から縦の太刀筋しか打てない、しかし、そんな見え透いた構えを斎藤一が取る筈は無い・・・」
佐倉の思考は完全に停止した、一刀斎が何を狙っているのか皆目見当が付かないからだ。
「どうした、斬ってこないのか?」一刀斎が言った。
佐倉は躊躇ためらっていた、縦の太刀筋なら横に躱して斬れば良い、だが他の太刀筋なら・・・
「ならこっちから行くぜ」
いい終わらぬうちに一刀斎の躰が沈んだ。右手の位置をそのままにして沈身と共に左手の鞘が抜けて行く。
「なにっ!」
佐倉の予想に反して剣が下から跳ね上がって来た。一刀斎が剣を持つ右腕そのものを返すと同時に鯉口の内側で剣の切先を刎ね上げたからである。
「くっ!」
だが佐倉もただの剣客ではない、退がりながらも右に転移して剣を一刀斎の左肩に振り下ろす。
高い金属音がして剣が滑った。剣の重さに引かれるように態勢が前のめりになって行く。
同時に左の首筋が寒くなった・・・斬!
しゅぅぅぅ・・・
松籟に似た音がして佐倉の首筋から大量の血が噴き出した。
一刀斎は佐倉の首に食い込んだ剣をゆっくりと押し斬りにする。
「居合はな、剣を抜くんじゃねぇ、鞘を送るのよ・・・それから、居合の二の太刀を侮るんじゃねぇ」
佐倉は信じられぬと言った表情で一刀斎を睨むと、急速に目から光を失って朽木のように地面に転がった。
志麻は唖然として、返り血を浴びて立っている一刀斎を見た。
「何してる、早く突っ込まねぇか!」
志麻がハッと我に帰る。
「ごめん、見惚れちゃった・・・黒霧志麻、行きます!」
そう言うと、バネで弾かれたように敵中に飛び込んで行った。
「お前ぇ達、志麻さんに続け!」
吉兵衛の声で助っ人の五人は一斉に駆け出し、堂本一家の子分達に突っ込んだ。
たちまちあちこちで罵声が上がり乱闘が始まった。
「大旦那、ここはあっしらに任せて隠れていてくだせぇ」
吉兵衛が伊兵衛を庇うようにして立った。手に長ドスを持っている。
「分かった・・・」
「うおぉぉぉ!!!!!」
伊兵衛が物陰に隠れるのを見届けて、吉兵衛は戦いの渦の中に飛び込んで行った。
志麻は四人の侍に囲まれた。
いずれも好色そうな顔をして舌なめずりをしている。
「まったく、男はこれだから・・・」
志麻は正面の男を睨んだ。
『コイツが一番腕が立ちそうだわ』
まず強敵を倒す、それだけで雑魚どもは怯むはず。
「おっと、俺は後だ」頬に刀傷のある男が後退り、他の三人を見た。「お前達、好きにしな」
「へへへ、思ったより上玉だ、楽しませてもらうぜ」
前と左右に敵が立った。
右の敵が背後に回り込むように移動する。後ろを取られるのは避けなければならない。
志麻は迷わず正面の敵にぶつかって行った。
敵は歪んだ目的の為、今は志麻を殺すつもりは無い。軽く傷を負わせて押さえ込むつもりでいる。
「ほい、おいでなすった」志麻を女と侮ってニヤニヤ笑いながら剣を突き出して来た。
志麻は身を沈めると敵の剣を跳ね上げ、空いた胴を真横に引き斬った。
ほとんど背骨に達するまで断ち斬られた敵は、痛みを感じる暇もなく絶命した。
「なにっ!」
残る二人が狼狽した様子で剣を構え直した。今度は油断しない筈だ。
「こいつ出来る!」
「仕方ない、斬るぞ!」
敵は志麻を挟もうと位置を変えた。
志麻は目まぐるしく動き回って敵を前後に立たせない。
「チッ、ちょこまかと煩い奴!」
剛を煮やして右の敵が斬り込んでくる。
同時に左の敵が突いて来た。
・・・志麻
鬼神丸の声がしたと思ったら志麻の躰は虚空高く飛び上がっていた。
一瞬鬼神丸にぶら下がった形で地上を見下ろす。
敵は互いの躰に寄り掛かるようにして固まっていた。
志麻が地上に降り立つと同時に敵がドウと倒れる。
右の敵が左の敵の肩口に斬り込み、左の敵の剣は右の敵の躰を刺し貫いていた。
「どうやら相打ちのようね・・・鬼神丸ありがと」
志麻が呟いた。
「なんとも不思議なものを見たぜ」
さっき一番腕が立ちそうだと思った男、久世が目の前に立っていた。
「どうやったら今みたいに飛べるんだ・・・嬢ちゃん」
久世が切先を志摩に向けた、志麻は反射的に飛び退って正眼に構える。
「佐倉に貧乏籤を引かされたと思ったが、どうしてどうして。俺が一番の当たりくじだったようだな」
「どう言う事?」
「俺は強い奴が好きなんだ、それも強い“女“に巡り合える機会なんてそうそうあるもんじゃねぇ」
「お褒め頂いてありがと」
「もったいねぇなぁ、そんなお前ぇを斬らなきゃならねぇなんてよ」
「私が斬られると決まった訳じゃないわ」
「ふふ、すぐに分かる」
久世はもう口を開かなかった。
鋭い眼光を志麻に向けながら剣を上段に構えた。
志麻の耳から、辺りの乱闘の音が徐々に遠のいて行った。
志麻は正眼の剣先を久世の喉に付けた。
『鬼神丸、この男は私が斬る、手出しは無用よ』
・・・手強いわよ
『分かってる、でもどうしても自分の力でやりたいの』
・・・しょうがないわね
『分かってくれてありがと』
・・・・・・
もう鬼神丸の声はしなくなった。
志麻は久世の喉につけた切先を左目まで上げる。
上段からの斬撃に少しでも早く対処するためだ。
久世は邪魔な剣先を嫌って必ず叩き落としにくる、勝負はその次の一太刀で決まるはず。
志麻が剣尖を小刻みに揺らすと久世が嫌そうな顔をした。
呼吸を測って突いて出る。左目を狙った片手突きだ。
それに吸い寄せられるようにして久世の剣が落ちて来た。
久世の剣は鬼神丸を叩き落とすと軌道を変えて志麻の首に狙いを定めた。
その一瞬の変化の間に、志麻は脇差を抜いて躰ごと久世にぶつかっ行った。
「ぐぬぅ・・・」
脇差の切先が久世の背中から突き出した。
「じ、嬢ちゃん・・・強かったぜ・・・」
志麻が脇差を引き抜くと、久世の躰はゆっくりと倒れて行った。
「危なかった・・・」
志麻の総髪を結った赤い組紐が切れて、長い黒髪が背中に垂れた。
『鬼神丸、落としちゃってごめんね』
・・・いいわ、ああしなけりゃ志麻は死んでたもの
『分かってくれて、ありがと』
気がつくと周りが静かになっていた。
道に倒れてたくさんのヤクザ達が呻いている。ほとんどが堂本一家の子分達だ。
親分の鉄吉は小猿と一緒に縄で縛られ、転がされていた。
「終わったぜ」一刀斎が刀の血を懐紙で拭いながら志麻のそばにやって来た。
「みんなは?」
「無事だ、みんな多少傷は負ったが、敵は大方片付けちまった」
「よかった」
「志麻さん、あんた強いねぇ」竜二が返り血を浴びた顔を拭きながらやって来た。「さっき言った事、謝らなくちゃな」
「いいわ、許してあげる、その代わり・・・」
「なんだい?」
「二度と女を馬鹿にしないでね」
「分かった約束するよ」
竜二がうなじに手をやって照れ臭そうに掻いた。
「そろそろ長吉が役人を連れてくるはずだが?」伊兵衛が街道の向こうを見透かした。
「大旦那、コイツらだけじゃ片手落ちじゃないんですかい?」吉兵衛が不満そうに言う。
「なぁに、賭場にいる大店の主人連中も見逃しゃしませんよ。金と暴力でこの宿場を牛耳ろうなんてとんでもない了見違いですからね」
「そうですか、それで安心しやした」
「お、噂をすればなんとやらだ、長吉さんが来たぜ」一刀斎が街道を指差した。
「さて、これからが大変ですね」
「そこは顔役の山形屋さんに頼まぁ」
「はい、戦いではお役に立てませんでしたから、あとは私にお任せ下さい」
「頼んだぜ」
長吉が手を振りながら駆けて来ると、皆も手を振ってそれに応えた。