(こりゃ無理だな……)
こうなったらお手上げだ。再びモソモソと食べ始めた庸司に口を噤むと、後ろから声がした。
「功基さん」
「お、おう、邦和」
朝も一緒に登校して来たのだが、どうにも変に意識してしまう。
出来る限り平然を装うとする挙動不審の功基に対し、邦和は至って通常運転の無表情だ。
なんだか自分ばっかり気にしているようで、情けない。
「どうした?」
「四限目の講義が休講になりました。お約束通り、『お出かけ』にお供させて頂きます」
「……マジかよ」
真っ青になる功基にも怯まずに、「ではまた放課後、お迎えに上がります」と頭を下げる邦和を庸司はジト目で見遣る。
功基にはきっと、いつも通りに見えているのだろうが、庸司からすれば邦和の周囲には色とりどりの小花が舞っているのだ。煩わしくって仕方ない。
視線に気づいた邦和が庸司に軽く頭を下げた。
昨日のやり取りを知らない功基からしたら、そりゃ不可解に映るだろう。おや、といった顔で邦和と庸司の顔を交互に見て、頭上に疑問符を浮かべている。
「……やはり、『お約束』をせずに良かったです」
「……だろーね」
頬をひく付かせながら庸司は邦和を睨み続ける。
知ってるさ。わざわざ言われずとも。
功基の瞼は泣き腫らした痕がありありと残っているし、声だって掠れている。
たくさん、涙を流したのだろう。それが悲しみの涙じゃないなら、それでいい。と、思ってたけど。
(俺の観察眼をなめんなよ……っ!)
「諸々と『まだ』っぽいし? 余裕ぶっこくには早いんじゃないのかね」
「ご忠告ありがとうございます。ですが、ご心配には及びません。これから時間は有り余るほどありますし、だからといって横槍を入れられるような隙も作るつもりはございません」
「はっ! ガッチガチに包囲しすぎて内側から壊されないよーにな!」
「ちょ、なんだよお前ら。いつの間にそんな仲良くなったんだよ?」
「え、ウソウソ、功基にはコレが仲良しにみえんの? さすがだよね!」
「とりあえずバカにされたのは、なんとなくわかった」
「違うって、可愛いよねってコト」
「可愛いって言うな嬉しくねぇ!」
「功基さんは可愛いらしいです」
「どーしてお前はここでのってくんだよ……」
疲弊したようにぐったりと額をおさえた功基を見下ろす邦和に耳と尻尾が見え、庸司は「あ、久しぶりに見た」と他人事のように思った。
結局功基もそれ以上、怒る気力も薄れたのだろう。「もう戻れ」と言うなり頭を下げて去っていた邦和を見送り、残った昼食を急いで咀嚼し始めた。
(横槍、ねぇ)
恩義を忘れずとも、しっかりと牽制を挟んでくる辺り、名実共に『番犬』に昇格しただけの事はある。
功基が幸せなら、ピエロはピエロらしく物語の行く末を見守るに徹するが一番なのだけれど。
「……ねえ、功基」
「あ?」
「たまには俺とも、遊んでね」
ニコリと笑んだ庸司に、功基は一瞬、面食らったように停止したが、直ぐに呆れたように微笑んだ。
「何言ってんだよ。当たり前だろ」
まだ『番犬』の執拗さを理解しきれていない彼が泣きついてくる未来は、きっとそう遠くないだろう。
***
店内には会話の邪魔にならない程度の優美なクラシック音楽。膝元までカーテンで隠された個室席で、半円形に設置された新緑のソファーに腰掛けた功基は、とこどころ金縁のはげたアンティークカップに指をかけた。
今ではめったにお目にかかれない、ミントンの旧ライン。流し込んだアールグレイの香りに、緊張に騒ぎ立てる心臓を宥める。
隣では華美なアンティークカップが異様にハマる昴が、映画のワンシーンのように優雅にダージリンを飲んでいる。
返事をさせてください、と昴へ連絡を入れると、この時間ならと了承の提示がきた。
あれだけ真剣に、きちんと向き合ってくれたのだ。こちらからも直接会って話すのが筋だろうと、功基は約束をとりつけたのだ。
店を選んだのは昴だ。任せてください、と言われるままお願いしてしまったが、後になってまた二人きりの密室だったらどうしようかと慌てた。一応、前回既に『宣言』されている。『今回は』逃がしてやると、昴はそう言っていた。
そんな功基の心配もよそに、昴が指定してきたのは紅茶通には名の知れた地下カフェだった。こうして目隠しがあるとはいえ、不穏な行動をとれば外部が気づくだろう場所を選んでくれたのは、やはりさすがだと感嘆せざるを得ない。
いい人なのだ。間違いなく。けれどその想いには応えられない。
功基の心がツクリと傷む。
「昴さん」
意を決して呼んだ名に、昴がゆっくりとカップを置いた。
「あの、オレ……」
「和哉と、うまくいったのですね」
「え?」
予想だにしていなかった返しに、功基は両目を見開いて昴の顔をマジマジと見つめる。
どうして、それを。
そんな功基の戸惑いを察したのか、昴はクスリと苦笑した。
「元々、お二人が互いに想い合っていたのは、わかっていましたから。ですがどうも拗れていたようなので、今ならもしかしたらと思ったのですが……残念です」
茶目っ気たっぷりに肩をすくめる昴に、功基は絶句した。
わかっていた? 互いに? 当事者のオレには、全然わからなかったのに。
混乱に固まる功基に、昴は「他者からのほうが、見えることもありますから」と微笑んだ。それから綺麗な仕草で、目を伏せる。
「こういってはなんですが、私は和哉のことも、大切な教え子だと思っています。なので今は、良かったと思う気持ちが半分、悲しさと悔しさがもう半分、といった所でしょうか」
「……すみません」
「いえ。お気持ちを分かっていながら、南条様を慕ってしまったのは私です。ですがなにも、後悔はしていません。南条様を好いたことも、想いを告げた事も。……身勝手なのは重々承知しています。不要に掻き回してしまい、すみませんでした」
「そんなっ、昴さんのせいじゃ」
邦和とすれ違ってしまったのも、そこからこじれ続けたのも、確かに多少の起爆剤になったとはいえ、昴に非があるとは思えなかった。
頭を下げた昴を慌てて静止すると、昴は頭を上げて、小さく笑んでから仕方なそうな顔をした。