凪は、セラピストになる前に友人とデリヘルを呼んだ過去を思い出した。あの頃はどんな遊びも新鮮で、中にはタイプの女の子が来ることもあったから何度か呼んだことがあった。
しかし、リピートしたことはなく、ハマることは当然なかった。
好みの女性なら向こうから寄ってくるし、凪が金を払う必要もない。ただ、金だけで繋がる関係は後腐れなくて楽ではあった。
そんなふうにして男性陣は友人同士で風俗を利用したりする。懐かしい思い出に浸る中、あっさり頷いた凪の背中を見て千紘はニヤリと笑った。
実際に風俗目的でホテルを利用する男性は多い。しかし、LGBTQが浸透しつつある中では男性同士のカップルも決して珍しいことではなくなってきている。
まして、こんなにも容姿が整った2人が並んで歩いていれば自然と注目を集めた。視線に慣れ過ぎている凪は、それもさして気にしていないようだが、興味本位で千紘と凪を交互に見ている女性の視線に千紘は気付いていた。
このままホテルに入ってしまえばいい。千紘はそうほくそ笑むが、金曜日の夜はそう思い通りにはいかない。
「満室だな」
部屋番号が並ぶパネルを見上げて凪が言う。どこかホッとした表情の彼に千紘は軽く舌打ちをした。
「次のホテル行こう」
凪の手を掴んで満室だったホテルを出る。
「おい、手っ!」
凪は焦りながら手を振り解こうとするが、ギュッと握られ引きずるようにして次のホテルに入った。
「……」
しかしそこも満室。血走った目を見開きながら、千紘は更に奥に進む。しかし、ホテルに入るまでもなく、満室の赤いランプが外観に煌々と照らされていた。
「ほらな、どこもいっぱいだろ。いい加減離せよ」
凪は落ち着いた声で言いながら、バッと千紘の手を払った。ぷらんとだらしなく両腕を下げた千紘は、悲壮感に打ちひしがれながら思考をフル回転させた。
「凪……」
「ん?」
「俺んち行こう」
千紘が悩んだ挙句振り絞った言葉はそれだった。
「は!? お前んち!?」
凪はぎょっとして大声を上げた。今まで一度も提案されたことはなかった。
毎回ホテル代は千紘が払う。いつも誘うのは千紘なのだから当然。そう凪は言いつつも、確実に自分の方が稼いでいるはずだが、いつまでも毎回払わせていいものかと考えることもあった。
しかし、千紘と体の関係を持つようになったのも、全て千紘の責任なのだからそれでいいはずだと納得させていた。
毎回ホテルなのも、シーツが汚れることを考えてだと思っていた凪だが、頭のどこかで家にあげたくない理由があるのだと思うこともあった。
元々他人を自宅に入れることが苦手な凪は、今までの彼女すらあまり招待したことはないが、世の中の男が自宅に女性を連れ込みたがることはよくわかっている。
千紘も相手が男だというだけでそういうタイプだと思っていたが、毎回ホテルに行くということは、ホテルの方が都合のいい何かがあるはずだった。
「家、いや?」
しかし凪は先にそう質問され、面食らった。
「いや……家が嫌なのはお前の方だと思ってたから」
「いやっていうか……。うん、嫌は嫌かな。片付けしてないし」
千紘は明後日の方向を見ながら、気まずそうに指先で頬を掻いた。普段忙しい千紘のことだから、片付けできないのは仕方がない、と凪は思う。それに、他人を呼ぶつもりがなければわざわざ綺麗にすることもないのかもしれない。
物が少なく、散らかすのが嫌いな凪の家はいつでも綺麗だが、片付けが苦手な人間がいるのも仕方のないこと。それでも普段清潔感に溢れている千紘から片付けていないと言われたって、そこまでじゃないだろうと少しくらい想像はついた。
「凪が嫌じゃないならうちにしよう。でも、食べるものないな」
「……まあ、食べ物くらいならテイクアウトでもいいし」
何となく家に行く流れになってしまったが、ホテルを一緒に探してる時点で自分も大概だと凪はようやくこの後体を重ねる決心をした。
外観は立派な高層マンションだった。こんな街中のマンションなんて家賃いくらすると思ってんだよ……とそれなりに稼いでいる凪は思う。
地域の交流も面倒で、昼夜関係なく出入りをする凪は対人関係も町内会云々も避けたくてマンションを選んだが、こんな仕事でもしていなければ易々と高層マンションになんか住むことなどできないと怪訝な顔をする。
「お前、こんなとこに住んでんのかよ」
「うん。俺、オーナーのお気に入りだから」
千紘は片目を瞑って人差し指を唇に当てた。
「は? なにそれ、チートな話?」
「はは、違う違う。目標売上達成したらいいマンションに住まわせてあげるって言われたの。だから、最低ライン下回らない限りは俺が払う家賃は3分の1」
千紘はそう言ってエントランスへと入っていく。数年前に建ったばかりなのか、どこもかしこも綺麗だった。
「ふーん……そういうところも踏まえて歩合なんだ?」
「まあ、こんな優遇されてんの俺くらいのもんだけど」
「体でも売ってんの?」
「それは凪でしょ」
「……嫌な奴。俺は体を売ってんじゃなくて、快感を提供してんだよ」
「本番して性欲の捌け口にしてた人がなんか言ってる」
「てめ……」
先に千紘が歩き、その後ろを凪がついて行く。2人ボソボソと悪態をつきながら、着実に千紘の部屋へと向かっていた。
「まあ、ホントのところ給料以上の売上作ってるからってやつ」
「でもお前独立するんだろ?」
「そう。だからここ買えって言われてる」
「うわー」
「ホラーだよね。分譲でいくらすんだろ、ここ」
「考えたくねぇな」
「凪、一緒に買って一緒に住まない?」
「遠慮しとく」
エレベーターに乗り込んだ2人。横並びで階数表示を見上げる。暫し無言が続いた後、千紘がもう一度「ねぇ、一緒に住まない?」と尋ねた。
「初めて言うテンションで言うな」
「2回目言ったらいけないかなって」
「いけねぇよ」
抑揚のない2人の会話がエレベーター内に響いた。
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