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#溺愛
オレンジ
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#役者パロ
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ひらひらと、包帯の端が春の風に揺れていた。
それはいつも見慣れた光景のはずだった。武装探偵社に入社してから、嫌というほど目に焼き付けてきた、この職場の日常の一コマ。それなのに、どうしてこれほどまでに胸の奥がちくちくと痛むのだろう。
中島敦は、自席の机に突っ伏したまま、斜め向かいのソファでだらけきっている人物を盗み見ていた。
太宰治。探偵社の先輩であり、命の恩人であり、そして――敦がどうしようもなく心を囚われてしまった女性。
太宰は生まれながらの女性だった。しかし、その立ち振る舞いや、時折見せる底の知れない冷徹さは、性別という枠組みを軽々と飛び越えている。今日も彼女は、砂色のトレンチコートの下から覗く、緩やかに波打つ焦茶色の長い髪をソファの背もたれに遊ばせていた。陽の光を浴びて、そのゆるふわのロングヘアが淡くきらめく。その美しさに、敦は小さく息を呑んだ。
すうすう、と。
規則正しい、微かな寝息が聞こえてくる。太宰は完全に夢の中だった。
敦は机から顔を上げ、そっと椅子を引いた。きぃ、と古い木製の床が小さく鳴る。太宰を起こさないように、最新の注意を払いながら彼女の傍へと歩み寄った。
間近で見る太宰の寝顔は、起きている時の人を食ったような胡散臭さが綺麗に消え去り、まるで精巧に作られた人形のようだった。白い肌、形の良い鼻筋、そして何よりも目を引くのは、首元や腕、顔の一部にまで巻かれた無数の包帯。
彼女がどんな過去を歩んできたのか、敦はすべてを知っているわけではない。ただ、その包帯の奥にある傷痕の数だけ、彼女が孤独を知っているということだけは、痛いほどに理解できた。
心の中で、その名前を呼ぶ。それだけで、胸の奥がじわりと熱くなり、同時にきゅっと締め付けられるような痛みが走る。
これは決して、恩人に対する憧れや、先輩に対する敬意などという綺麗な感情ではない。もっと泥臭くて、独占欲に満ちていて、それでいて決して報われることのない、身の程知らずな恋慕だった。
太宰は美しい人だ。女性としての魅力に溢れている。けれど、彼女がその美貌を誰かのために使うところを、敦は見たことがない。いつも男をからかい、心中を呼びかけ、周囲を煙に巻いているが、その実、誰のことも己の領域に踏み込ませようとはしない。
彼女の心は、いつもどこか遠い場所にある。誰も届かない、暗くて深い、底のない奈落のような場所に。
ぱちり、と。
突然、太宰の睫毛が揺れ、その切れ長の瞳が開いた。
敦は心臓が跳ね上がるのを感じ、思わず一歩後ろに飛び退いた。心臓が、どくどくと耳の奥でうるさいほどに鐘を鳴らしている。
「おや、敦君。私の美しい寝顔に見惚れていたのかい?」
太宰はいつも通りの、からかうような声音で云った。体を起こし、焦茶色の長い髪を手櫛で整える。その仕草一つ一つが、敦の目を惹きつけて離さない。
「あ、い、いえ! その、うたた寝をされているようだったので、風邪を引かないように上着でも、と……!」
咄嗟に出た言い訳は、我ながらひどく拙いものだった。顔が熱い。絶対に今、自分は真っ赤になっている。
太宰はそんな敦の様子を見て、ふふ、と、鈴を転がすような声で笑った。
「優しいねぇ、敦君は。でも大丈夫、私はそう簡単に風邪なんて引かないよ。むしろ、心地よい死が訪れてくれるなら歓迎なんだけどね」
いつもの自殺嗜好。いつもの、軽口。
太宰にとっては、これもただの日常のコミュニケーションに過ぎないのだろう。敦がどれほど真剣に彼女を案じ、どれほどその一挙手一投足に一喜一憂しているかなど、彼女は露ほども知らない。知る由もないし、知ったところで、きっと困ったように笑って受け流すだけなのだ。
それが、たまらなく寂しかった。
太宰の瞳に、自分は「可哀想な孤児の少年」であり、「育て甲斐のある部下」として映っている。それ以上の存在には、逆立ちしたってなれそうにない。
「……そうですか。なら、良かったです」
敦は精一杯の作り笑いを浮かべて、自分の席へと戻った。
手元の書類に目を落とすが、文字が全く頭に入ってこない。視線の端には、常に太宰の姿があった。彼女は懐から読本を取り出し、またいつものように熱心にページを捲り始めている。
どうして、これほどまでに彼女に惹かれてしまうのだろう。
太宰は掴みどころがなく、不真面目で、私生活は謎に包まれていて、おまけに重度の自殺志願者だ。およそ、恋の相手としては難攻不落というよりも、最初から勝負にすらならない相手。
それでも、あの黒の組織から自分を救い出してくれた時の、あの確かな温もりと、時折見せる、世界の全てを見通したような寂しげな瞳が、敦の心を捉えて離さない。
彼女の孤独を分かち合いたい、などという大それたことは云わない。
ただ、彼女の視線の先に、ほんの少しでもいいから、自分という存在を刻み込みたかった。
「敦君、ちょっと付き合ってくれないかい?」
突然の声に、敦は肩をびくりと震わせた。見上げると、太宰が本を閉じ、すでにトレンチコートの襟を整えて立ち上がっていた。
「えっ? あ、はい! どこへ行くんですか?」
「ちょっとね。買い出しだよ。国木田君に頼まれていた備品を思い出しちゃってね。一人で持つには少し重そうだから、敦君の頑丈な腕力を借りたいのだよ」
そう云って、太宰は悪戯っぽく微笑んだ。
国木田の頼み、という言葉の真偽は怪しいものだったが、敦にとって太宰と二人きりになれる機会を断る理由などどこにもなかった。
「はい! 喜んでお供します!」
弾んだ声を抑えきれず、敦は立ち上がった。我ながら、現金な奴だと自分でも思う。けれど、彼女の役に立てるという事実だけで、胸の奥のモヤモヤは霧散し、代わりに小さな幸福感が膨らんでいくのだった。
ヨコハマの街は、春の盛りを迎えていた。
並木道の桜はすでに葉桜へと変わりつつあったが、代わりに色とりどりの花が街路を彩っている。海からの風は心地よく、歩いているだけで少し汗ばむような陽気だった。
敦は、太宰の半歩後ろを歩いていた。
太宰の焦茶色の髪が、風に煽られてふわふわと躍る。時折、その髪から、石鹸のような、あるいは彼女がいつも好んで使う古い紙の匂いのような、独特の甘い香りが漂ってきて、敦の鼻腔をくすぐった。その度に、敦は自分の心臓の音が周囲に聞こえてしまうのではないかと、冷や冷やした。
「今日は良い天気だねぇ、敦君。こんな日は、川に飛び込んだらさぞ気持ちが良いだろうね」
「駄目ですよ、太宰さん。せっかくの買い出しなんですから。国木田さんにまた怒られます」
「ちぇっ、相変わらず堅いなぁ。国木田君の怒鳴り声は、耳が痛くなるから嫌いなんだけどね」
太宰は口を尖らせてみせる。その表情は、普段の大人びた彼女からは想像もつかないほど少女めいていて、敦の胸を激しく揺さぶった。
彼女が女性であることを、敦は一瞬たりとも忘れたことはない。むしろ、意識しすぎて頭がおかしくなりそうだった。
すれ違う人々が、時折太宰を振り返る。
長身で、スタイルの良さがトレンチコートの上からでもよく分かる。そして何より、あの独特の雰囲気と美貌だ。誰もが、彼女が目を引く女性であることを認めていた。
そんな彼女の隣に、自分のような何の特徴もない、ただの少年が並んで歩いている。それが何だか誇らしくもあり、同時に酷く気恥ずかしかった。
カツ、カツ、と。
太宰の履くローヒールの靴音が、コンクリートの地面に小気味よく響く。
敦は、彼女の歩調に合わせながら、その細い背中を見つめ続けた。
(もし、僕がもっと強くて、もっと大人の男だったら……)
そんな叶いもしない仮定が、頭に浮かんで消える。
もし自分が、彼女の過去を知り、その傷を癒せるような存在だったなら。彼女は自分を、一人の男として見てくれただろうか。彼女のその綺麗な瞳に、恋焦がれる色を浮かべさせることができただろうか。
けれど、現実は無情だ。自分はまだ、彼女に生かされているだけの、未熟な虎の少年に過ぎない。
「――おや?」
太宰がふと、足を止めた。
彼女の視線の先には、老舗の和菓子屋の店先があった。ショーケースの中には、季節限定の桜餅や、色鮮やかな三色団子が並んでいる。
「どうしたんですか、太宰さん。甘いものでも食べたくなりましたか?」
「いや。……ただ、少しね」
太宰はそう云って、ふっと目を細めた。その時の彼女の表情を、敦は見逃さなかった。
それは、いつものからかうような笑みでも、任務の時の冷徹な顔でもない。ひどく遠くを、それこそ、もう二度と戻らない過去を愛おしむような、切ない表情だった。
敦の胸が、どくん、と大きく跳ねた。
彼女は誰を思っているのだろう。その視線の先にいるのは、一体誰なのだろう。
自分ではないことだけは、確実だった。彼女の心の中に、自分が立ち入れない聖域がある。そこには、敦の知らない「誰か」の記憶が、今も大切にしまわれているに違いない。
激しい嫉妬と、それに伴う自己嫌悪が、敦の心を濁らせていく。
彼女のすべてが欲しい。彼女の笑顔も、涙も、その過去でさえも、すべて自分だけのものにしたい。そんな醜い欲望が、胸の奥底から泥のように湧き上がってくる。
恩人に対して、なんて不敬で、不潔な感情を抱いているのだろう。敦は自分の浅ましさに、きつく拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込んで痛むが、その痛みが、歪んだ思考を辛うじて現実へと繋ぎ止めてくれた。
「……敦君、行こうか。国木田君が待ちくたびれて、本当に鬼のような顔になってしまう」
太宰は何事もなかったかのように、また歩き出した。その表情は、いつもの飄々としたものに戻っている。
先ほどの切なげな表情は、まるで幻だったかのように。
「あ……はい」
敦は慌ててその後を追った。
彼女の心の奥底には、決して触れてはならない。触れてしまえば、今のこの心地よい関係さえも、一瞬ではらはらと崩れ去ってしまうような気がしたからだ。
買い出しを終え、両手いっぱいに荷物を抱えた敦と、手ぶらで悠々と歩く太宰は、夕暮れ時の探偵社へと戻る道を歩いていた。
空はいつの間にか、燃えるような茜色に染まっている。ヨコハマの海が、夕日を浴びて、きらきらと金色に輝いていた。
影が長く伸びる。
太宰の影と、自分の影。二つの影は、地面の上で、ほんの少しだけ重なり合っているように見えた。それだけで、敦の心は小さく跳ねる。
「あぁ、今日もよく働いた。敦君がね」
「太宰さん、本当になにも持たなかったじゃないですか……」
「何をおっしゃる、私は君という優秀な人材を適切にマネジメントしたのだよ。これも立派な労働さ」
ふふん、と胸を張る太宰。その姿が可笑しくて、愛おしくて、敦の口元から自然と笑みが零れた。
やっぱり、自分はこの人が好きなのだ。
どれだけ手の届かない存在であっても、どれだけ自分の想いが報われなくても。こうして隣にいて、彼女の声を聴き、彼女の笑顔を見られるだけで、それだけで十分に幸せなのだと、自分に言い聞かせる。
でも、本当にそれだけで満足なのか?
心のどこかで、もう一人の自分が囁く。
いつか彼女が、他の誰かのものになってしまったら? その時も、お前は笑っていられるのか?
想像するだけで、息ができなくなるほどの恐怖が敦を襲った。
太宰が、自分以外の誰かに向けて、本当の恋を囁く姿。その焦茶色の長い髪を、自分以外の男の指が優しく梳く光景。
嫌だ。それだけは、耐えられない。
敦は無意識のうちに、歩調を早めた。太宰の隣に並び、その横顔をじっと見つめる。
夕日に照らされた太宰の横顔は、言葉を失うほどに美しかった。包帯の白さと、茜色の光のコントラストが、彼女の存在をどこか現実離れしたものにみせている。今にも、この夕闇の中に溶けて消えてしまうのではないかという、漠然とした不安が敦を襲う。
「……太宰さん」
「ん? なんだい、敦君」
太宰が足を止め、敦を振り返った。
その瞳に、夕日の光が反射して、怪しく、美しく輝いている。
云わなければ。この想いを、伝えてしまわなければ。
言葉が、喉のところまで出かかっていた。好きです、と。あなたのことが、狂おしいほどに好きなのです、と。部下としてではなく、一人の男として、あなたを愛しているのだと。
けれど。
太宰のその、何もかもを見透かしたような、けれど何も映していない、ガラス玉のような瞳を見た瞬間。
敦の言葉は、すう、と喉の奥へと引っ込んでしまった。
伝えてしまえば、終わる。
彼女はきっと、怒りもしない。ただ、いつものように、困ったように微笑んで、「困ったねぇ」と云うだけだ。そして、静かに、確実に、敦との間に、決して超えられない一線を引くのだろう。
今のこの、隣を歩く特権さえも、失ってしまう。
それは、死ぬことよりも恐ろしいことだった。
「……いえ。なんでも、ないです。今日の夕飯は、何にしようかなって、思っただけです」
敦は視線を落とし、情けない嘘を吐いた。
太宰は、そんな敦の様子をしばらく見つめていたが、やがて、ぽん、と敦の頭に手を置いた。
あたたかい。
包帯越しであるはずなのに、彼女の手のひらは、驚くほど温かかった。その温もりが、敦の髪を通じて、脳へ、そして心臓へと直接染み渡っていく。
「そうだねぇ。今日は国木田君にたっぷりおねだりして、高級な茶漬けでも奢ってもらおうか」
太宰はそう云って、敦の頭を軽く撫でた後、くるりと背を向けて歩き出した。
その背中を見つめながら、敦は深く、深く息を吐き出した。胸の奥に燻る想いは、消えるどころか、ますますその炎を大きくしている。
頭を撫でられた感触が、まだ残っている。
それは、子供をあやすような、優しい手付き。
やっぱり自分は、彼女にとっては「子供」なのだ。
ぽつり、と。
街灯が灯り始めた。ヨコハマの街に、夜が訪れようとしている。
敦は、自分の胸に手を当てた。
どくん、どくん、と、確かな脈動が聞こえる。この心臓が動いている限り、この想いが消えることはないのだろう。
たとえ、この恋が一生、実を結ぶことのない片想いだとしても。彼女の視線の先にあるのが、自分ではない誰かだとしても。
敦は、前を歩く太宰の、焦茶色の長い髪が揺れるのを、ただ見つめ続けた。
一歩、また一歩と、彼女の後を追う。
今の自分にできるのは、ただ彼女の影を踏まないように、その半歩後ろを、歩き続けることだけだった。
「太宰さん、待ってください!」
敦は声を張り上げ、彼女の背中に向かって走り出した。
振り返った太宰が、夕闇の中で、優しく、けれどどこか寂しげに微笑んだ。その笑顔を見るだけで、敦の胸は、張り裂けそうなほどの愛おしさで満たされるのだった。
少年が年上のお姉さんのこと好きで、でもお姉さんは全く気づいてないみたいな話が好きなんだよ(同志はいないか)
コメント
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ん〜……めっちゃ切なくて胸がギュッてなった……🥀 敦が太宰さんの寝顔を見つめるシーン、あの「触れたら壊れそう」な距離感がもう、読んでるこっちの心も締め付けられる感じ。 太宰さんは全く気づいてなくて、子供扱いで頭ポンポンするところも、平然と「心中しない?」って言っちゃうところも含めて、ああ、この人だなあって。 それでも「隣にいられるだけで幸せ」って思いながら、後ろをただついていくしかない敦……。 このもどかしさ、わかってほしい同志がいるよ、私もその一人だから。