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旅館で一夜を過ごした翌朝、楡井と伊織と蘇芳は近くの開けた場所に集まった。
広い訓練場で、蘇芳隼人は楡井秋彦と桜伊織の前に立ち、柔らかな声で語りかけた。「さて、にれ君。この戦術を『ダンゴムシ作戦』と呼んでみよう。相手の動きを利用する方法の一つだ。」
「ダンゴムシっすか?面白そうだけど、それどういう作戦っすか?」秋彦が首を傾げながら尋ねると、蘇芳は軽く笑みを浮かべて自ら身構えた。
「例えば、相手が顔面を狙ってくるときだ。突然、こうやって素早くしゃがむ。」蘇芳は実際に素早くかがんでみせる。その動きの速さに秋彦と伊織は驚き、秋彦は「うわっ!蘇芳さんが消えたみたいっす!」と声を上げた。
蘇芳は立ち上がりながら説明を続けた。「相手の目線は顔面に集中している。その時、急に姿勢を低くすることで、相手から見れば視界から自分が消えるように感じる。意識が足元に向かわないまま、つまずくことがあるんだ。」
「なるほど、心理的なトリックとタイミングを組み合わせた技ね。」伊織は冷静に言いながら、動きの意図をすぐに理解した。
まず伊織がその動きを試してみる。「こういうことかしら?」と素早くしゃがみ込むと、楡井が「わっ!桜さんが消えたみたいっす!」と驚きの声を上げる。伊織の滑らかな動きは正確で、彼女に向かっていた楡井がつまずく形になった。
「その動きは完璧だ、伊織さん。まさに意表を突くタイミングの使い方だ。」蘇芳が称賛の声を送る。
次に楡井が実演する番となり、彼は緊張しながらも「よし、オレもやってみるっす!」と意気込んで構えた。楡井の動きはまだぎこちないが、彼がしゃがみ込むと、伊織が軽くつまずいて「なるほど、こういうことね。」と冷静に言う。
「その調子、にれ君。タイミングをもっと磨けば、君もこの技術を活用できる。」蘇芳が穏やかに励ましの言葉をかける。
こうして伊織と楡井の動きが磨かれていく中、蘇芳隼人の指導のもとで「ダンゴムシ作戦」は訓練場に新たな活気を生み出していった。
「やっぱり、オレって桜さんや蘇芳さんみたいに全然上手くないっすね…。こんな調子じゃ、みんなの足引っ張るだけなんじゃないかって思っちゃうっす。」
その言葉には、彼の不安と葛藤が滲み出ていた。しかし、伊織は返事をすることなく、静かに彼を見つめるだけだった。その視線に秋彦は一瞬言葉を詰まらせ、微妙な沈黙が二人の間に漂った。今さっきまで彼の姿を静かに見つめていた伊織が一歩近づき、ふと手を伸ばして彼の胸を指差した。
「戦って強いのが大事なんじゃない。」伊織は冷静な声で言った。「本当に大事なのは、ここが強いこと。」指先で示したのは楡井の胸、つまり彼の心だった。
楡井は一瞬目を丸くし、彼女の言葉の意味を受け取るように表情を変える。そのまま伊織は続ける。
「心が弱ければ、喧嘩の場にはいられない。そして立ち向かうこともできない。でも、楡井くんは逃げなかった。どんなに不安でも、君はそこにいた。そして立ち向かった。それができる君の心は強いのよ。だから、大丈夫。」
彼女の言葉は冷静ながらも優しく、秋彦の胸に響いて秋彦は言葉を失った。それでも伊織は少し焦って「ごっごめんなさい。1つ年下なのに偉そうなこと言っちゃって。」そして小さく首をふる。「ううん。伊織さん…。オレ、もっと頑張りたいっす。」と静かに返した。
伊織は短く微笑みを浮かべながら彼に視線を向け、その場を後にした。楡井はその背中を見送りながら、自分の弱さを受け入れ、それでも前に進もうとする決意を胸に刻んだ。
つづく